第149話 氷の精霊と少女
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綺麗なベベを着た少女は、圧倒されていた。
輿から下りて、森を彷徨うこと2時間。
気が付けば、少女は冷たい氷の渓谷の前に立っていた。
周りは大きな氷柱が垂れ下がる氷壁、雪は積もり、足を入れると足首まで深く埋もれてしまう。
それでも何故か寒くはなかった。
吹雪いているのに、音も聞こえない。
むしろ周りから音が聞こえないことの方が少女に恐怖を抱かせた。
歩くこと1時間。
それは少女の前に現れた。
大蛇である。
天を衝くような大きな大蛇。
冷たそうな氷の鱗に、野いちごのように赤い舌。
目は大きな金塊のように輝いていている。
シー、ハー、という鳴き声のような音が聞こえると、空気が震えた。
少女はペタンとお尻をつく。
蛇頭が近づいてきても、1歩たりとも動くことはできない。
大蛇の頭は少女の前で止まると、くわっと口を開けた。
食べられる! と思ったが、そうではない。
代わりに襲いかかってきたのは“情報”の波であった。
そこに書かれていたのは、少女の未来だ。
少女は今から精霊の花嫁になること。
精霊人となり、半精霊として生き、精霊に添い遂げること。
他にもたくさんの知識や、魔法、その掟が頭の中になだれ込んでくる。
少女が拒否しても、決して手を緩めることはなかった。
やがて、すべての情報が揃った時、アプラスという名前の少女は立ち上がる。
氷が反射する光に目を細めると、たった今得た知識と魔法を使って、アプラスは眼鏡を作り、かけた。
目の前の蛇頭に向かって、手を伸ばすと、その鼻先をそっと撫でる。
氷の大蛇は気持ち良さそうに目を細め、そして空気の中に溶け込むように消えるのだった。
こうしてアプラスは精霊人となった。
同時に精霊の花嫁となることを理解し、氷の精霊に仕えることを誓った。
彼女はカーゼルス伯爵に咎といったが少し違う。
咎もアプラスの一部。
『氷の魔女』アプラスそのものなのだ、と理解するのだった。
◆◇◆◇◆
アプラスの話は終わった。
1000年生きる『氷の魔女』の誕生譚としては、あまりに呆気ない最後と言えるだろう。
それほど、精霊を前にして、人間は無力だということかもしれない。
カーゼルスから見れば、精霊のやり口は洗脳同然のもののように見えて、義憤を感じざるを得なかった。
人間の生き方や身体の構造、知識――未来すら決めてしまうのだ。
それはもう人間1人を殺しているより他ならない。
「そうだ。これは人間の尊厳の問題なのだ」
人間が冒した罰は確かに重い。
しかし、1人の少女の未来を奪う罪はあまりにも重すぎると、カーゼルスは嘆いた。
「アプラス……。君は氷の精霊が示した未来をこれからも生きるのかね」
「おそらく……。いえ、わたくし自身が生き方を決めるものではありません。決めたのは氷の精霊様。人間がその摂理に逆らうことはできません。それは父が精霊様を怒らせたことと変わりありませんから」
カーゼルスはいつの間にか膝の上に置いた拳を、さらに固く握りしめる。
悔しいという気持ちは表情からありありと見えた。
そしてその気持ちに対して、アプラスは沈黙した。
声をかけることも、声をかけないことも残酷な空気しかそこにはなかったが、もはやかける言葉は彼女にはなかった。
「君の気持ちはよくわかった」
カーゼルスは立ち上がる。
寝袋を持って、小屋の扉を開けた。
冷たい冷気と共に倒れてきたのは、氷漬けになったリチルだ。
氷像となり、体温が致死にいたろうとしているのに、その顔はどこか満足そうだった。
「わが……しょうがいに…………いっぺんの…………ガクッ!」
「きゃあああああ! リチルさん!?」
アプラスが悲鳴を上げる。
その声を聞いて、アイススローンの中で寝ていたルーシェル、フレッティ、カリムが飛び出してくる。
氷漬けになったリチルを見て、目を丸くした。
早速、ルーシェルによる治療が始まる。
飴を飲ませると、リチルの顔は一気に赤身を帯びていった。
ひとまず安堵する。
どうやら、ずっと外で聞き耳を立てていて、アプラスとカーゼルスの話を聞いていたらしい。
危なく凍死してしまうところだったが、これは出歯亀リチルに下された天罰なのかもしれない。
「カリム殿、リチル殿をこのまま小屋で休ませてやってくれないか?」
「え? いいんですか?」
カリムではなくルーシェルが反応すると、カーゼルスは微笑を浮かべて頷いた。
一方、カリムはアプラスを一瞥する。
色々と察した青年は何も聞かず、ただ「わかりました」と頷いた。
こうして『氷の魔女』の小屋での一夜は過ぎていった。
◆◇◆◇◆
朝――といっても、天候が悪いのは相変わらずだ。
山からの吹き下ろす風と雪は依然として強く、自然の厳しさを教えてくれる。
昨夜、凍死寸前だったリチルは、朝ルーシェルが作った魔獣食に癒される。全快したリチルは大きく伸びをして、昨夜の騒ぎを謝罪した。
カーゼルスとアプラスの関係は、少しぎこちない。
昨夜の話もあってか、お互い気を遣っているように見えた。
ルーシェルが作った『魔草の茎とグーグーダックの薬膳スープ』を飲み干したあと、この後の予定についてアプラスに尋ねた。
「神殿にあるオーブを停止させようと思います」
「オーブ?」
「氷の精霊様の力を閉じ込めた神器です。その力を停止させることによって、吹雪は収まるはずです。作業自体は何も難しいことではありません。一両日中には、吹雪も収まるはずです。……あなた方はどうしますか?」
「ふむ。ここはアプラスさんに任せるのも手かもしれないね」
「え? 帰るんですか?」
「僕もそれがいいと思います」
カリムの言うことに、ルーシェルは同意した。
「精霊はあまり人前に出たがりません。下手に刺激するのは、危険と感じます」
精霊に敬われているルーシェルの意見は何よりも重い。
カリム、フレッティも頷きかけたが、カーゼルスは違った。
「私はこのままアプラスについて行き、見届けようと思っている」
「カーゼルス様?」
「私は領主だ。吹雪が完全に止まったことを確認する必要がある。これは私の判断だ。カリム殿たちは先に下山をしてくれてもいい」
「そういうわけには参りません、閣下。あなただけを置いて下山するわけには」
フレッティは立ち上がる。
すると、昨夜騒ぎを起こしたリチルが手を上げた。
「あの~。わたしも下山するのは反対です」
「リチル、お前まで」
「ルーシェルくんの言うことはわかります。リスクもあることも……。ただそれはアプラスさんにもあるのではないでしょうか? 精霊は人間から見れば、非常に気まぐれな存在です。溶岩魔王の脅威が去ったからといって、すんなり吹雪を止めてくれるでしょうか?」
リチルはまくし立てる。
カリムとフレッティは少し考えた後、判断を下す。
「わかりました。我々もお供します、閣下」
「やった!」
リチルは何故かガッツポーズを取る。
それを横で見ていたフレッティは、疑惑の眼差しを向けた。
「リチル……。昨夜の騒ぎといい。お前は何か別のことを考えているんじゃないだろうな?」
「え? え? 別のこと? なんでしょうか? あははははは」
リチルは笑って誤魔化すのだが、その目は右往左往していた。
「よろしいかな、アプラス殿」
「はい。かまいません。ただルーシェル君が言ったように、精霊様はとても繊細な存在です。近づく程度なら大丈夫だと思いますが、あまり粗相なさいませんようにお願いします」
全員が頷く。
「では、参りましょう」
こうしてアプラスを先頭にして、『氷魔の渓谷』の奥へと進むのだった。
「あいた!」
いざ! アプラスが1歩を踏み出した瞬間、雪に足を取られ、面白いように転ぶ。
『氷の魔女』と呼ばれる彼女は、すっかり雪まみれになってしまった。
「ふぇええ……」
「だ、大丈夫ですか?」
ルーシェルに引っ張り上げられる。
「は、はい。すみません! 気を取り直していきましょう!」
「アプラスさん、そっちは僕たちが来た道です。渓谷の奥はこっちですよ」
ルーシェルはアプラスが向かおうとした方向と逆の方を指差す。
アプラスははたと気づくと、回れ右をして何事もなかったように渓谷の奥へと歩き出した。
ちょっと不安な『氷魔の渓谷』ツアーの始まりだった。








