第147話 42年の想い
☆★☆★ 初の単行本好評発売中 ☆★☆★
2月ダブル刊行第2段。
『公爵家の料理番様』単行本1巻が発売されました!
ルーシェルと、アルマの300年のサバイバル。
お買い上げいただきますようよろしくお願いします。
◆◇◆◇◆ 42年の想い ◆◇◆◇◆
「か、カーゼルス様!?」
アプラスは自室に入ってきたカーゼルスを見て、驚いた。
手には動物の毛皮で作られたと思われるモコモコした寝袋を抱いている。
時間はすでに深夜にさしかかろうとしていた。
カーゼルスが何をしに来たかは明白だろう。
アプラスの部屋には、若干酒の匂いが残っていた。
さっきまでここで、ルーシェル一行を交えて、食事をしていたのだ。
あの韮玉豚汁もおいしかったが、ルーシェルが作ってくれた晩ご飯も非常においしかった。
酒の匂いがするのは、酒盛りをしていたわけじゃない。こんな雪山で酩酊などすれば、たちまち命を落としてしまう。
酒の匂いがするのは、ホットワインを作ったからだ。ワインの香りだけではなく、柑橘系や、香辛料の香りも残っていた。
嗅いでいると、まだお腹が空いてきそうだ。
カーゼルスの顔を見て、アプラスは頬を赤くする。
反応を見て、カーゼルスは頭を下げた。
「リチル殿が気を遣ってくれてな。……あ、いや。やましい意味ではない。私は伯爵だ。獣の胃袋で寝たと他の貴族に知られれば、笑いの種になる。だから…………うん。やっぱり戻ろう。こういうのはやはりいかん」
軍人時代、武勇を馳せたカーゼルスだったが、とうとう居たたまれなくなって、踵を返そうとする。
それを止めたのは、アプラスだった。
「お待ちください、閣下……。どうぞここで寝てください」
アプラスは立ち上がり、ベッドを進める。
カーゼルスは一瞬呆然としながら、つい口に出してしまった。
「お前とか?」
「へっ? いいいいいいえいえいえいえいえいえいえいえ!! め、めめめ、滅相もありません。私が閣下のご寝所をともにするなど。その……恐れ多いことでございます」
アプラスは頬を染める。
それを見て、カーゼルスも首を振った。
「私の方こそすまない。詮ないことを聞いてしまった。ベッドはお前が使ってくれ。私は床で寝るから」
「いえ。坊ちゃまを床に寝させるなんて、……あっ!」
アプラスはつい昔の口癖が出てしまったことに気づく。
カーゼルスは目尻に皺を浮かべて、子どものように歯を見せて笑った。
「ふふふ……。坊ちゃまか。懐かしいな」
「す、すみません、閣下」
「気にはしていないよ。さあ、眠ろう。明日は早いのだろう」
カーゼルスは早々に寝袋の中に潜り込む。
これ以上詮索することもできず、アプラスは諦めてベッドに横になった。
アプラスは魔法灯に手をかざすと、明かりが消える。
夜になり、一層闇が落ちた。吹雪は依然吹いている。時々、強く雨戸が揺れた。
なかなか寝付けない。
それは吹雪が出す「ヒュー」という音のせいではない。
42年前にともに同じ屋根の下で過ごした人が側にいる。
カーゼルスはすっかり様相が変わってしまったが、アプラスはそのままの姿だ。
男女ともに寝付けず、幾度か寝返りを打った。
「アプラス、起きてるかね」
「……はい。伯爵閣下」
「そうか」
そう言って、カーゼルスは寝袋から出て、上半身だけを起こした。
やれやれ、という感じで頭を掻いた後、再びアプラスに話しかける。
「少し話さないか。お互い積もる話もあるだろう」
アプラスも起き上がり、頷く。
もう1度ホットワインを作ると、カーゼルスに差し出した。
ワインの芳醇な香りに加えて、柑橘系の香りが湯気と一緒に鼻をくすぐる。
それを一口飲んだ後、カーゼルスは舌の上でよく転がしてから飲み込んだ。
「さっきも飲んだが、懐かしい味だ。君によく作ってもらったのを覚えている。もっともあの時は葡萄ジュースだったがね」
カーゼルスは嬉しそうに白い湯気を吐くホットワインを揺らした。
言葉を聞き、アプラスの表情にも笑顔が灯る。
「少し前に会った時……」
カーゼルスが口にした途端、アプラスの表情は引き締まる。
「あの時は申し訳ありませんでした」
「いや、責めているわけではないんだ。私はむしろ嬉しかったのだよ」
「嬉しかった?」
「君ははっきりと私のことをカーゼルスと呼んだ。覚えていてくれたことが何より嬉しかった。もう42年前の話だ。私もこんなに老けてしまった。それなのに君は……」
「覚えておりますとも。短い間でしたが、閣下にも先代伯爵閣下や伯爵夫人にも、とてもよくしてもらいましたから」
「そうか」
「それに、実を申しますと、時々様子を見に来たことはあるのです」
カーゼルスは眉を上げる。
「それは知らなかった」
「はい。ひっそりとですが、先代閣下の葬列も見送らせていただきました」
「そうか。それを知れば、父もあの世に満足することだろう。……ん? ということは、私が結婚していたことも」
「もちろん存じておりますよ。とても芯のしっかりした優しそうな方でした。ただそれだけに残念でした。遅くなりましたが、お悔やみ申し上げます」
「ああ。戦うことしか知らない私には過ぎた娘だったよ。……だが、こうして君と話していると、10歳の頃に戻ったような気がする。40年以上あの頃のことはさっぱり思い出せなかったのに、君の姿と声を聞いて、まざまざとあの伯爵家の屋敷の中庭を思い出すことができるのだ」
「よくあそこのテラスで座学しましたね。『自室で気が滅入る。すぐに身体を動かせる外がいい』と我が儘を仰られて」
アプラスはクスクスと笑うと、カーゼルスは頬を染めた。
そうだったかな、と自分の記憶を掘り返すように髪を撫でる。
「私も覚えているよ。水の魔法に失敗して、ずぶ濡れになったこととか」
「まあ、あの時のことをまだ根に持っていらっしゃるのですか?」
「おろしたばかりのお気に入りのブーツをぐちょぐちょにされたからね」
カーゼルスはニヤリと笑うと、今度はアプラスの表情が一転する。
カーゼルスとは別の意味で頬を膨らませた。
こうして2人は42年という月日で冷め切ってしまった関係を温め直すように、言葉の糸を紡ぐ。
時に笑い、時に怒り、時に喜ぶ。
ジーンとすることもあったし、沈黙を噛みしめることもあった。
1000年に比べれば、42年は短いかもしれない。
それでも、お互いに色々あったのだ。
気が付けば夜通し語り合っていた。
ホットワインが入ったグラスもいつの間にか空になり、そろそろ寝ようとした時に、カーゼルスは唐突に言った。
「アプラス。どうか私の側にいてくれぬだろうか」








