第146話 リチルの悪巧み
☆★☆★ 本日 単行本1巻発売 ☆★☆★
本日「公爵家の料理番様」初の単行本が発売されました。
ヤンマガ編集部の山中さんに初めて声をかけてもらったコミックスが
ついに発売されます。
それまで文字でしかなかった世界を、瑞々しく立体的にネームに起こしてくれた中村先生、
かわいいルーシェルとアルマがたくましく山で生き残るアクションを描いてくれた斎藤先生、
二人の先生がいなければ、描かれることがなかったコミックス1巻を、
是非お買い上げください。
「え゛え゛え゛え゛え゛!? 溶岩魔王は倒された???」
事情を聞いたアプラスさんは、会って1番というほど大きな声を上げた。
信じられないという感情を、ベッドの上で変なポーズをして固まっている。
彼女にとって、よっぽどのことだったのだろう。
ところで、このポーズなんだろう。
1000年前に流行ってたのかな?
何せ500年に1度ある務めが、こんな形で終わりを告げたのだ。
ビックリするのも無理ないかもしれない。
「ちょ、ちょっと待ってください。で、でも……1週間前に確認した時には、まだ反応が」
「我々の協力者が溶岩魔王を倒したのは、5日ほど前になりますから」
「ちょっと確認させてもらっていいですか?」
「どうぞ」
アプラスさんは布団を押しのけて、ベッドから下りる。
よたつきながら、近くの水が張った甕を覗き込む。
「精霊よ。邪王の姿を示せ」
呪文を唱える。
けれど、何も起こらなかった。
アプラスさんのやや上気した顔が映り込んでるだけだった。
「精霊よ。邪王の姿を示せ」
「精霊よ。邪王の姿を示せ」
「精霊よ。邪王の姿を示せ」
アプラスさんは何度も呪文を唱えたけど、反応は同じだ。いや、反応はなかった。
「そんな本当に魔王は死んだ。じゃあ、今私がやっていることは……」
アプラスさんの膝から崩れる。
倒れそうになったのを支えたのは、ルヴィニク伯爵だった。
「大丈夫かね、アプラス」
「カーゼルス……。私は、私はなんてことを……。これじゃあ、麓で生きる人たちをただ徒に命の危険にさらしていただけじゃないですか」
「そんなことはない。君は君の役目を全うしようとしただけだ。そして偶然に私たちがその終わりを告げに来ただけだ」
「カーゼルス……」
僕もルヴィニク伯爵の意見に同調した。
「伯爵閣下の言う通りです。あなたにとって、溶岩魔王が倒されるという事態は予測不可能な出来事でした。それに、結果的に溶岩魔王が倒せる態勢が整うまで、アプラスさんや氷の精霊が抑えてくれていたという風に解釈することができます。どうか気を落とさないでください」
「ルーシェルくん……。ありがとう。カーゼルスも」
アプラスさんはルヴィニク伯爵の手を取る。ようやく互いに笑った。
きっとこれが正常なアプラスさんとルヴィニク伯爵の関係性なのだろう。
「なんだかいい雰囲気ね」
リチルさんがそっと僕に呟く。
「はい。とってもお似合いだと思います、お二人とも」
アプラスさんの役目は終わった。
今度はルヴィニク伯爵の番だ。
想いが伝わるといいな。
「ところで、溶岩魔王を倒したのはどなたなのですか?」
「ふぇ!?」
「ん? どうしました、ルーシェルくん。随分と顔が真っ青ですけど」
「え? い、いやあ、そんなことないよ。さ、さっきからおしっこを我慢してるからかなあ」
「まあ、それは大変。家の裏手に便槽がありますから、そこで」
「あ、ありがとう。カリム兄さん、後はお願い!」
僕は慌てた様子で、家を出て行く。
誰が溶岩魔王を倒したかは、カリム兄さんに任せよう。
僕が倒したなんて知ったら、アプラスさんにまた警戒されるかもしれない。
ようやくあんなに優しそうな顔になったのに、めちゃくちゃになるところだった。
「ふう……」
「どうした、ルーシェルくん。ため息なんて珍しいな」
外の見張り番に戻っていたフレッティさんが僕に声をかける。
合成魔獣料理のおかげで、あまり寒さは感じないけど、中と比べると肌がピリピリする。
「何でもないよ」
首を振ったけど、いつか僕が胸を張って、家族以外の人に300年生きていること気兼ねなく話せる日が来るのだろうか。
僕は世界の裏側を覗いているような鈍重な雪雲を見ながら、想いを馳せるのだった。
◆◇◆◇◆
アプラスさんとの話し合いの結果、寒波を止めてくれることになった。
寒波の原因は溶岩魔王の封印の維持だ。
その溶岩魔王が消滅したことによって、その必要はなくなったのだから当然だろう。
同時にアプラスさんの役目も終えたということだけど、それについては何も言及しなかった。
残念ながら、この寒波はアプラスさんが「止めろ」といって、停止するものではないらしい。
この巨大な寒波を生み出しているのは、氷の精霊そのものの力みたいだ。
『この吹雪を止めるためには、氷の精霊に直接話しかけて、止めてもらう必要があります』
そうアプラスさんは説明してくれた。
そのためには『氷魔の渓谷』のさらに奥になる『氷の祭壇』へと赴かなければならないそうだ。
『「氷の祭壇」に行くには、ここから半日ほどかかります。今行けば、まず間違いなく夜になる。夜の「氷魔の渓谷」はとても危険です。魔獣が凶暴化し、私でも御することができません』
僕たちはアプラスさんの言うことを聞くことにした。
確かに夜の雪山は、森よりも危険だ。
遭難を防ぐ意味でも、一旦アプラスさんの家で態勢を整えるのが肝要かもしれない。
幸い、食料は僕の【収納】の中にたっぷりあるしね。
しかし、ここで問題が起きた。
「さすがに大人5人、子ども1人で、夜を明かすにはちょっとこの家は手狭よね」
リチルさんが首を傾げる。
「わたしとルーシェルくんは、アプラスさんの小屋で寝るとして……」
「え? ぼ、僕とリチルさんとアプラスさんが一緒に……」
「だってしょうがないでしょ。ルーシェルくんは子ども枠なんだから」
「大丈夫だよ。野宿なんて山でいくらでもやってたんだから」
「あんまり大きな声を上げると、アプラスさんにも伯爵様にも聞こえるわよ」
リチルさんは口に指を当てる。
僕とリチルさんは外で相談していた。
そっと後ろを振り返ったけど、驚いて誰かが飛び込んで来ることはない。
吹雪の音は依然として凄いし、多少声を上げたところで聞こえないだろう。
「ああ。でもルヴィニク伯爵に野宿させるわけにも……。どうしようかなあ」
「いい手がありますよ、リチルさん」
「え?」
僕は【収納】からあるものを取り出す。
「獣の皮?」
そう。リチルさんが言うように、それは獣の皮だ。それもアプラスさんの家をすっぽり覆い隠すほどの大きさの。
まだ全貌がわかりにくい皮の一部に僕は口を付ける。
大きく息を吸い込むと、一気に皮の口の中に空気を流し込んだ。
ボンッ!
一気に皮が膨らむ。
突如、吹雪の渓谷に現れたのは、巨大な象だった。
「こ、これは……」
「アイススローンという雪山に棲息する最大の魔獣です。じゃあ、ここから入ってみてください」
「入るって……」
僕はアイススローンの皮に空いた穴を広げる。リチルさんが恐る恐る中に入ると、大人5人ぐらいなら優に入れるスペースが広がっていた。
「広い。これってアイススローンの体内ってこと?」
「そうだよ」
僕は【収納】から支え木を取り出し、膨らんだアイススローンの身体の中を補強する。
放っておくと、縮んでしまうからね。
「すごい。全然寒くない」
「内臓や骨も綺麗にとって、何度も洗いましたから。ちょっと独特の匂いが残ってるけど、一夜を明かすぐらいなら問題ないレベルだと思います」」
アイススローンは雪山に棲息する。
だから皮は分厚く、保温性も高い。
雪山で過ごすには、このアイススローンの皮のテントが一番なのだ。
「ねぇ、ルーシェルくん。これなら、ルーシェルくんと、あと大人3人で寝ても十分よね?」
「ええ……。大丈夫かと」
「じゃあ、ちょっとだけ意地悪しちゃおうか」
リチルさんは笑う。
まるで小悪魔のように……。
あ。これきっと……。どちらかと言えば、悪巧みを考えた時のリチルさんだ。
その顔を見ながら、僕は苦笑するのだった。








