第145話 あったか韮玉豚汁
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持ち込んだ鍋の蓋を開ける。
大きく湯気が立ち上った先には、豚汁がグツグツと音を立てていた。
特製のお味噌の色に、韮の鮮やかな緑、さらにぷるっとした溶き卵の黄色が艶々として眩しい。
豚汁を木のお椀によそうと、軽く胡麻を振って、アプラスさんに差し出した。
「どうぞ食べてみてください」
僕が作った韮玉豚汁です。
アプラスさんは言われるまま受け取る。
お味噌の優しげな温かさと、湯気と一緒に薫る胡麻の風味が、先ほどまであった警戒心を薄くさせる。
『氷の魔女』と呼ばれる彼女に、温かい料理というのはいかがなものだろうと思ったけど、表情を見る限り気に入ってくれたようだ。
「アプラス、私が食べさせてあげよう」
「え? い、いいい、いいえ! 結構です」
ルヴィニク伯爵が手を差し出す。
さすがに過保護じゃないかなあ。
事実、アプラスさんに断られる。
何故か、その顔は真っ赤になっていたけど。
横でリチルさんが眼鏡を光らせながら、「ふふ。なるほど」と何か悪の親玉みたいに笑っていたのが気になった。
まるで料理に誘われるようにアプラスさんは口を付けた。
「アツッ!」
アプラスさんは反射的に仰け反った。
どうやら猫舌らしい。
危なくお椀を取り落とすところだったけど、その前にルヴィニク伯爵が彼女を支えていた。
「相変わらず猫舌だね。だから、食べさせて上げようといったのだ」
「す、すみません、カーゼルス。――――って、子ども扱いはやめてください。自分一人でできますから」
少々憤然としながら、お椀を握り直す。
ふー、と小さな氷の粒が混じった息を吹きかける。
少しだけ豚汁の温度が下がったのを確認した後、再びスープに口を付けた。
瞬間、ハッと瞼を開く。
「おいしい!」
弾んだ声が返ってきた。
その反応に、僕も隣にいるルヴィニク伯爵も笑顔になる。
続けてアプラスさんは具材を掬った。
豚汁のメイン具材である豚肉だ。
「うふぅぅぅぅうううんんんん!!」
顔を上気させながら、アプラスさんは唸る。
「スープもいいけど、豚肉もおいしいわ。プルプルとした食感が癖になりそう。噛んだ時に甘い肉汁にも味わいがあるし。こんなお肉初めて……」
今度はシャキッと音を鳴らす。
韮を噛んだ時の音だ。
「ぷるっとしたお肉の後に、この韮の食感は目が覚めるわね。そこにとろっとした卵とじが絡んで……。韮と卵の組み合わせは最高を超えて、最強だわ」
最後に一気にスープを飲み込んだ。
「ふぅ。そして、やはりこの優しい味のスープがいいわね。これは味噌かしら。私が村で食べていた味とは少し違うけど、コクがあっていい味。それに肉や野菜の出汁もしっかり出てる。最後にふわっと広がる胡麻の風味の余韻が、お洒落だわ~」
椀の中の豚汁は空になる。味噌滓も綺麗になくなっていた。
そして、アプラスさんの満足げな顔。
もしかして……。
「よっぽどお腹空いていたんですね、アプラスさん」
「ふぇ? そ、そんなことはなな、ないわよ」
「いや、でも、寝ている時にお腹の音を――――」
鳴らして、と言いかけた僕の口をリチルさんはそっと塞いだ。
「ルーシェルくん、それ以上は言ってはダメよ。それ、何気に乙女にとってはクリティカルヒットだから」
「クリティカルヒット?」
しかし、僕の一撃はすでにアプラスさんの心臓にまで達していたらしい。
完熟した赤茄子みたいな顔で、下を向いて黙り込んでしまった。
しばらく何も言わないのかと思ったけど、アプラスさんは空になったお椀を見て、ぽつりと呟く。
「これは、本当に君が作ったの?」
「え?」
はい、と素直に答えていいのだろうか。
でも、もうすでに僕が作ったことは言ってしまったし、今さらか。
答えに逡巡していると、ルヴィニク伯爵が僕の肩を叩いた。
「彼が作ったのだ、アプラス。小さいが、とても優秀な料理人だよ、彼は」
「料理人……。こんな小さな子が……。えっとお名前は確か…………」
「ルーシェルです。気に入っていただけたでしょうか?」
「ええ……。ありがとう、ルーシェル。すっごく温まったわ」
アプラスさんはついに笑った。
最初僕たちの前に立ちはだかった『氷の魔女』だけど、徐々に張り付いた氷の仮面が剥がれようとしている。
少なくとも僕にはそう見えた。
今度はリチルさんが僕の背中を叩く。
僕の方を見て、軽くウィンクした。
「さすがはルーシェルくんの料理ね。1000年生きる『氷の魔女』の心まで溶かしてしまうなんて」
「そんなことはありませんよ」
そう。僕の料理だけじゃない。
きっとルヴィニク伯爵や、久しぶりに人間と話すことによって、彼女が人間らしさを取り戻そうとしているように、僕には見えた。
アプラスさんは『氷の魔女』なんかじゃない。
1000年経っても、人間の心を持つ心優しい女性なのだろう。
最悪、僕が【支配】を使って聞き出そうと考えていたけど、これなら必要はなさそうだな
外で見張りをしていたフレッティさんを呼び、一旦昼食にする。
温かい韮玉豚汁に癒された一行は、再びアプラスさんに質問を始めた。
それまで氷に閉ざされていたアプラスさんの口が、ついに開いた。
「氷の精霊、そしてその花嫁たる私には、500年に1度ある務めがあるのです」
「務め?」
「初めて聞くわ」
カリム兄さんは腕を組む。
リチルさんも知らないようだ。
僕も精霊人にそんな〝務め〟があるなんて初めて聞いた。
「知らないのも無理はありません。これは氷の精霊と花嫁だけしか知らないことですから」
「その務めとは……」
「魔王復活を止めること」
『魔王!!』
その名前を聞いて、僕の背筋は冷たくなった。
魔王とは、魔族の王のこと。
僕が山にいる間に、人間は魔族の侵攻を受けた。それを指揮していたのが、魔王だ。
東の島に封印されたと聞いたけど、まさかその封印が解かれようとしているのだろうか。
「あ。いえ。たぶん、あなた方が知る魔王とは別です。私と氷の精霊が警戒しているのは、もう1人の魔王の方です」
「も、もう1人の魔王!」
「魔王がもう1人いるなんて、それも初耳よ」
再びカリム兄さんとリチルさんは驚く。
アプラスさんと仲が良いルヴィニクさんも初めて聞いたようだ。
たった1人ですら厄介な存在なのに、もう1人いるなんて。
いよいよ、落ち着かなくなってきた。
逸る気持ちを必死に抑えながら、質問は続く。
「まだ安心していいですよ。魔王は復活していませんから」
「その魔王復活と、この吹雪はどう関係あるのかしら?」
リチルさんは素朴な疑問を呈する。
それは僕も気になっていたところだ。
「単純なことです。その魔王はとても寒さに弱いんですよ」
「寒さに弱い?」
「ある一定以上の温度では地中に潜み暮らしているのですが、地上の温度が一定温度に達すると、外に出てきてしまうのです」
「つまり、この吹雪は魔王を復活させないようにするためだと……」
「はい。その通りです」
アプラスさんはとても真剣な顔で答えた。
寒さに弱い魔王か。
そんな魔王いたかな。
そもそも魔王と呼ばれる存在が、2人もいるなんて初めて聞いたぞ。
アプラスさんが何か勘違いをしてないだろうか。
「あの~、アプラスさん。念のために、その魔王の名前を教えていただけないでしょうか?」
名前を聞いて、【知恵者】で検索すれば、割と簡単に正体がわかるかもしれない。
それを見て、僕が対応できる種類の相手なら、封印されている間に対処するのもありだ。
今の話を聞く限り、魔王の活動が収まるまでずっとこの吹雪は続きそうだからね。
「はい。魔王の名前は溶岩魔王……。ここより南の地の火山地帯に住む魔王です」
「あ……」
「あら……」
「へ……」
えっと……。なんか聞いたことがある名前だな。
「もう1度、名前を」
「ですから、溶岩魔王です。火山一帯を支配し、自在に火山を操れる強力な魔獣です」
あれ? 弱ったなあ。
それ、僕がこの前倒した魔獣だぞ。








