第142話 『氷の魔女』
雪に同化するような白い肌。そして細い肢体。
薄くもなく、濃くもない青い髪は渓谷で見られる氷柱を思わせる。
縁のない眼鏡の奥にある深いアメジスト色の瞳は、着ている黒のローブの印象もあって暗く見えた。
しかし、一瞬氷柱の反射に閃いた時のそれは、ベテランの剣士の剣閃が如く、清く、洗練されているようにすら僕には映った。
一目見て、僕は理解できた。
彼女こそ『氷の魔女』。
武骨なルヴィニク伯爵が熱に浮かされるのも無理はない。
僕ですら、ハッと息を飲むほどの美貌を兼ね備えていた。
(でも、なんだろう……)
僕は違和感を覚えた。
リーリスのような可憐でもない。
ソフィーニ母上のような華やか感じでもなければ、リチルさんやミルディさんのような活き活きとした感じでもない。
美しいのに、動いているのに、僕が知る女性像とはまるで違う。
1枚の絵画、いや……。
そうだ。周りにある氷柱だ。
天然の美しさに似ている。
どこか人というよりは、風景の美しさに似ている。
僕が山に捨てられた時の大自然の恐怖。
それと似ていて、思わずぞくりとした。
僕は今一度気を引き締める。
相手は1000年生きる魔女。
僕の大先輩なのだ。
油断は絶対にできない。
「アプラス……」
真っ先に声をかけ、被っていたフードを解いたのは、ルヴィニク伯爵だ。
自分であることを見せつけるようにアプラス――つまり『氷の魔女』に向かって、腕を広げた。
「アプラス……。私だ。カーゼルスだ」
「カー……ゼルス……」
「そうだ。君に……、君に会いに来た。君に伝えたいことがあって」
「伝えたいこと?」
「ああ。……そのためには、お願いだ。まず、この吹雪を止めてほしい。そして、私の話を……」
「去りなさい」
「え?」
ルヴィニク伯爵だけじゃない。
それ以外の僕たちも一瞬「うっ」と言葉を詰まらせた。
それまでうまくコミュニケーションを取れているように見えた。
でも、一転して『氷の魔女』の言葉が凍り付いてしまった。
冷たい氷剣を喉元に突きつけられたかのように、ルヴィニク伯爵も言葉を詰まらせる。
トドメは『氷の魔女』の瞳だった。
魔眼ではないけれど、鋭い視線が僕たちを射貫く。
やがて、もう1度口を開いた。
今度は、はっきりと聞こえる。
「去りなさい、人間。大人しく帰るなら、命までは取りません」
「アプラス……」
ルヴィニク伯爵はさらに声をかけようとしたけど、アプラスさんの目には何か二の句を告げさせない強い力があった。
魔眼というわけじゃない。
断固とした信念みたいなものが宿っているように、僕には見えた。
「ルヴィニク伯爵殿、ここは我らが」
「お下がりを」
そう言って、伯爵の前に出たのは、2人の騎士だ。
カリム兄さんとフレッティさん。
共にまだ鞘に剣を収めたままで睨んでいる。
「穏やかではありませんね、『氷の魔女』」
「我らが去らねば、一体どうするというのです」
「あなたたちは去るつもりがないと」
アプラスさんは小さく息を吐く。
白い息は凍り、雪の中に沈んだ。
「麓の領内では異常な寒波に民草が苦しめられています」
「その原因は『氷魔の渓谷』から吹き下ろされる冷たい空気であることは間違いありません」
カリム兄さんとフレッティさんは、ついに柄の上に手を置いた。
「仮のその原因を作っているのがあなただとするならば……」
「民の為に、あなたを止めなければなりません」
それぞれ腰を落とす。
カリム兄さんにしても、フレッティさんにしても気迫という点では、アプラスさんに負けていない。
アプラスさんにも何か理由があるのだろうけど、カリム兄さんにしてもフレッティさんにしても、領民のため引いては帝国の安寧のために立ち上がって、ここにいる。
それに2人とも「去れ」と言われて、去るような人たちではない。
2人が強い意思を示しても、アプラスさんは微動だにしない。
再び小さくため息を吐いた。
「なら、残念ですが実力で排除させていただきます。出でよ、我が氷隷よ」
アプラスさんは手を掲げる。
その指先には氷でできた鈴がある。
チリン、となんとも涼やかな音を立てた瞬間、イエティの時のように足場となる雪が膨らんだ。
現れたのは氷の騎士だ。
8体。生気を感じさせない完全武装した騎士が、一斉に抜剣する。
それに呼応するようにカリム兄さんとフレッティさんも剣を抜いた。
「リチル! ルヴィニク伯爵とルーシェルくんを頼んだぞ」
「はい」
リチルさんは返事をすると、両手を掲げた。
【天属の守護者】!
黄金色の壁が、僕とルヴィニクさんを包む。
打撃や属性魔法の攻撃に対応できる上級の防御魔法だ。
いつの間にこんな魔法を覚えていたのだろう。
どうやら、リチルさんもまた影ながら修業してたみたいだ。
氷の騎士たちはまずフレッティさんとカリム兄さんに迫った。
どうやら僕と同じく【使役】されているらしい。
細かくステップワークしながら、2人に向かって剣を振り下ろす。
打ちおろしの音は激しく、攻撃には迫力があった。
「団長、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫。こんなところで負ける2人じゃないよ」
それに迫力という点では、2人の攻撃は凄まじいものだった。
ガキッ!
氷の騎士の攻撃を弾き返す。
すかさずカリム兄さんは、風を纏った。
それを剣に移すと、吹雪すら巻き込む暴風へと変わる。
「そら!!」
カリム兄さんは暴風をともなった剣を水平に振る。
すると、周囲の氷の騎士を巻き込みながら、バラバラにした。
8体の氷の騎士は一気に無力化させる。
「くっ!」
アプラスさんに初めて人間らしい表情が浮かんだ。
氷の鈴を鳴らし、氷の騎士の増援を呼び寄せる。
今度は氷の中から際限なく、騎士たちが現れた。
あっという間に僕たちを取り囲む。
「あわわわ……。すっごくいっぱい出てきましたよ」
リチルさんが慌てた。
「大丈夫ですよ、リチルさん。少なくとも前衛のお二人の心はまったく折れてません」
「え?」
ボッ!!
直後、1本の炎の柱が生まれる。
言わずもがな、フレッティさんだ。
紅蓮に染まった騎士は、剣を水平に構えると、炎もまた横になる。
そのまま間髪容れずに、フレッティさんは炎の剣を薙いだ。
気温も吹雪もものともせず、炎は牙を剥く。
次々と氷の騎士を消し飛ばしていった。
後に残ったのは、白い湯気だけだ。
「――――ッ!!」
この光景にはさしもの『氷の魔女』も絶句する。
フレッティさんも、カリム兄さんもすごい。
2人のことを僕は侮っていたかもしれない。これなら、僕なしでも『氷の魔女』を無力化することができるかもしれない。
「なるほど……」
そう思ったけど、アプラスさんの様子が変わる。
いや、一層魔女たる雰囲気を深化させたというべきかもしれない。
氷柱というイメージが、さらに強くなった気がした。
「只者ではないようですね。ですが……」
ローブの中からおもむろに剣を取り出す。
そして、眼光鋭く僕たちを睨んだ。
「ここからは私が直接相手をして差し上げましょう」








