『IF』福島第一原子力発電所事故(2011-)の回避
IFは、2076年にN&S industryから発売された、フルダイブ機器対応の体感型『歴史改変』シミュレーションである。
圧縮された体感時間で、失敗だったとされる歴史の数々を自身の手で成功に導き、様々な教訓を得るのがIFのコンセプトであり、過去に潜る事からプレイヤーはダイバーと呼ばれる。
制限は、過剰な資産の取得、犯罪に当たる行為、シナリオに関係のない歴史の改変は出来ない等。
このIFで、最も悪名高いシナリオが、『福島第一原子力発電所事故(2011-)の回避』である。
基本情報
1999.1.1 ダイブ限界点
2002 地震調査研究推進本部による長期評価
2004 スマトラ島沖地震
2006 津波対策元年
2008 東電による津波試算
2010 チリ地震
2011.3.15 リミット
巨大地震の発生から、電源喪失によりメルトダウン。その後、設計ミスのため水素爆発が起こる。
シナリオ達成難易度 : impossible
『福島原子力発電所事故(2011-)の回避』シナリオは、IF初の難易度 impossibleシナリオであり、絶望に突き落とされたダイバーの数は、数あるIFのシナリオの中でも圧倒的最多とされる。
IFでは、良くも悪くも最も有名なシナリオの一つである。
後述する2004.12.26スマトラ島沖地震に対して、シナリオのダイブ限界1999年元日は、攻略初期、特に深い意味はなく、単に世紀末の演出から選ばれた時期だと予想された。
今でも多くのプレイヤーが黄金の2005プレイのために、スマトラ島沖地震発生時の2004.12.26地点をダイブに選ぶ。
数年後、とある事件から、1999年に福島原子力発電所事故への歴史介入ポイントがあるかもしれないと予想され、同シナリオで消費されるダイバー達の体感時間を、圧縮されているとはいえ、さらに増やす事に貢献している。
2002 8.1地震調査研究推進本部による長期評価の公開
2001年中央省庁等基本改革法で、総理府から文科省下に移管した地震調査研究推進本部が、日本国内の地震の長期評価を発表した。
長期評価は朝刊各紙に載り、東北地方の津波地震も記載される。
三陸ー房総沖の巨大地震の可能性は今後30年で20%。
経済産業省原子力安全保安院の統括安全審査官が記事を読み、部下を通して、東京電力の担当に津波地震の評価を問い合わせる。
当時から、時折、馬鹿げた予測だと話題に上がった同長期評価は、結果論から言えば、日本の歴史を大きく変えうる物だった。
地震調査研究推進本部の本部長は、女性官僚の草分け的存在である人物。
朝刊を通して政策が動く所から、日本の官僚機構で横の連携が取れていなかった事が見て取れる。
2002年の長期評価の時点でのダイブは不人気だ。
地震調査研究推進本部の当時の予測は、東日本大震災レベルを想定していない。
この時期の結論からすれば、一部の原発は地震調査研究推進本部の予測する津波に耐えられないが、津波の規模は東日本大震災レベルより低く、殆どの原発で対策が可能であるとなるからだ。
東京電力は、原子力安全保安院に対し、同年の2月に始まった土木学会の「原子力発電所の津波評価技術」と呼ばれる津波の予測方法を例に挙げ、福島~宮城県沖の地震は想定されていないと返答する。
実際には、福島~宮城県沖に震源が想定されていないのではなく、課題として始まったばかりの同予測では、検討自体がまだされていなかった事が後年明らかになる。
東京電力の方針は、長期評価は確率論による予測と呼ばれ、評価するのが難しい=評価をしない、方向で進められる。
2004.12.26スマトラ島沖地震。
M9.1。津波での死者226,500人。
高さ平均10mの津波が、インド洋沿岸に押し寄せた。
地形によっては津波は高さ34mに達した。
原発事故、津波、マグニチュードと、あらゆる点が東日本大震災(2011.3.11)に酷似しており、歴史改変のターニングポイントは、スマトラ島沖地震の直後だと、多くのダイバーがスマトラ島沖地震地点へとダイブする。
この地点でのミッションは、スマトラ島沖地震をモデルケースとし、日本に津波対策を始めさせ、福島原子力発電所事故に対策を間に合わせろ。
達成難易度 impossible
2005年はスマトラ島沖地震の翌年であることから、多くのダイバー達にシナリオ中最大のチャンスとされ、通称黄金の2005と呼ばれる。
しかし、ダイバーがどのように動こうと、歴史通り津波対策が始まるには、2006年まで待たないとならない。
ダイバー達は、黄金よりも価値のある貴重な1年を、IF上でシミュレートされた住人たちと一緒に、無為に過ごす羽目になる。
津波はその映像もあり、ダイバー達の活動は個人間では非常に話題になるが、この時期に福島原発事故阻止につながる、決定な機会を掴めたダイバーは、現時点では存在しない。
翌年2006年は、ダイバー達に津波対策元年と呼ばれる。
スマトラ島沖地震の津波では、敷地の高さ11.2mに対し10.56mの津波が印マドラス原子力発電所に達し、原子炉が停止した。
非常用ポンプが水没したためであり、2005.8 IAEA主宰の国際ワークショップを通して、日本を含める全世界に原発の津波リスクが共有されるたことにより、津波対策が始まるのが、この2006年である。
あるいはスマトラ島沖地震で、津波が印マドラス原子力発電所の敷地の高さを越えていたら、福島第一原子力発電所事故は無かったかもしれない。
また、同地震での日本人の死者37名、行方不明者7名の犠牲が、仮にもっと大きくな規模だったら、日本の津波対策は大きく変わっていたと指摘される。
2005.8 IAEAのワークショップ後、原子力安全基盤機構で津波対策の方針が一致する。
2005年末12.14に、保安院で津波検討勉強会の準備会合が開かれる。
2006.1.17 溢水勉強会が立ち上げれ、同年6月までに、電力各社の代表プラントへの津波の影響を調べる事が決められる。
2006.6 津波を含む地震対策の基準が更新され、対策済みかを含めバックチェックがスタートする。
保安院はバックチェック終了は3年後を目指す。
バックチェックの完了、また運転停止等の運用次第では、福島第一原子力発電所事故の回避は可能であったとされる。
日本の衆議院議会にて、野党が原発の津波リスクを提示したのも2006年であり、スマトラ島沖地震地点にダイブしたダイバー達は忸怩たる思いで、2006年を迎えることになる。
12.22 日本の衆議院議会で、政府は原子力発電所の津波リスクを問題ないとした一方、水面下では再評価が始まっていた。
水面下での再評価だった事が、後年、2011.3.11の東日本大震災で、甚大な人的被害を出した理由の一つに挙げられる。
同年5.11、第三回溢水勉強会で、原子力保安院が各社に指示していた敷地の1m水没のシミュレートで、東電は福島第一原子力発電所の非常用電源の水没を報告する。
敷地水没の結果は、炉心溶融。
2006年は原子力発電所の津波リスクを政府が衆議院議会で否定したことを根拠に、これまで活動していたダイバーを、マスメディアや、ネットを通した匿名の団体が批判し始める年でもある。
ダイバーの口癖は、この国のマスメディアは敵だ。
IF攻略有識者によると、同年2006はダイバー達が活動すればするほどに、危機を覚える原発村の動きが活発となり、マスメディア対策が本格的に始まる年となる。
マスメディアの動きは、利益に忠実にという点で中立であるとされる。
※原発村の政治的権力については後述する2006 福島県知事0円収賄事件を参照
2006年地点にダイブした場合のミッションは、ほぼ変わらず、スマトラ島沖地震を日本の津波対策のモデルケースとし、福島第一原子力発電所事故を回避せよ。
達成難易度 impossible
2006年から本格的な津波の試算は始まった。
当時の試算では5.6mの津波で、これは福島第一原子力発電の非常用海水ポンプの高さと同じ高さであった。
2007.1.16 経団連会館にて、電力各社が原子力発電所の津波対策を相談しあう。
原子力発電所の一覧にて、5.6mを越える津波に、福島第一原子力発電所は耐えられないと出る。
福島第一原子力発電所は、日本で最も津波に弱く、浸水対策が必要不可欠な原子力発電所であり、電力各社では、その認識も一致していた事になる。
もっとも、2011年の東日本大震災の発生までは国内の津波は既に観測した物だけで、観測以外は評価しないというのが、当時の原子力保安院の表向きの方針であり、これを覆せたダイバーは現在まで存在しない。
この時期に、保安院にスマトラ島沖地震を津波対策のモデルケースとて想定させるのは、事実上不可能であると攻略有識者は結論づけている。
追加情報
2008年、バックチェックに向けて、東電の2月の幹部会議にて、津波対策が必要であるとの資料が出る。
地震調査研究推進本部による津波予測の資料では津波高は7.7m以上。
後年の裁判では、幹部に資料を読んだ記憶はなし。
この幹部会議から一ヶ月後、東電内で津波の試算が出る、最大値は15.7m。
なお、東日本大震災での福島第一原発の浸水高は最大で15.5m、2008.2時点での津波予測は東日本大震災の浸水高を下回った。
同年8月に防潮堤の必要予算と、建設にかかる日数が、東電内にて会議にて出されるも、担当幹部から信頼に値しないと却下される。
試算された必要予算は数百億円規模、完成には4年の月日が必要だった。
津波対策が却下された理由は対策にかかる費用が大きすぎたからだと言われる。
結果、保安院の推し進める津波対策を含むバックチェックに、東電は従来の津波高5.7mで進める事となる。
バックチェックに、過去の巨大地震である貞観地震、即ち東電内で予測された津波高15.7mを含めるか、含めないかで、東京電力内では大きな動きが始まる。
翌2008年から2009年まで。
この時期を、ダイブに選ぶダイバー達は多くはいない。
ダイバー達には手のほどこしようがほぼ無く、この時期の津波対策は手遅れと考えるからである。
史実では、保安院の進めるバックチェックに通るため、東京電力と電力各社、そして関係学者との癒着が加速する時期になる。
癒着リストからたまたま外れていた産業技術総合研究所(産総研)の学者が、2009.6.24の保安院の推し進めるバックチェック中間報告で貞観地震を指摘。
しかし癒着もあって、他の専門家による貞観地震の指摘はなかった。
また、バックチェック内の整合性を確かめる他社とのクロスチェックも、東京電力と他社の癒着のために、貞観地震は参考程度とされた。
様々な裏取引きによって、巨大津波に対して保安院の推し進めるバックチェックは事実上、機能不全に陥っていた。
産総研は、その後、2011.3.11前に、巨大津波のシミュレートを完成させている。
産総研のシュミレートを元に、2011.4月には、地震調査研究推進本部の長期評価が更新される予定だった。
2009年は、核燃料であるウランにプルトニウムを混ぜるプルサマール計画を推進している時期であり、東京電力にとって、地震、及び津波対策は敏感な話題だった。
2010年8月、東京電力が福島第一原子力発電所3号機(大熊町)で計画していたプルサーマル導入について、知事は受け入れを決定。
同年9月から、試運転を開始。
ミッション名言は、impossibleに挑戦せよ。福島第一原子力発電所事故を回避せよ。
達成難易度 impossible
この時期の成果としては、国外からの介入で、日本世論に僅かな動きを与えたダイバーが少数いるのみである。
2007年末から2010年のチリ地震での発生までは介入余地がほぼ存在せず、ダイバー達からは、通称、絶望の2年と呼ばれる。
2010.2.27 チリ地震。
スマトラ島沖よりも遥かに規模の小さな地震で、水面下だった津波へのリスクが表面化するのが同年、2010年の特徴である。
チリ地震のMは8.8。
津波による死者は約600人。
チリ地震は過去に1960.5.25 に発生したM9.5の津波地震があり、日本の東北沿岸にも約10mの津波の押し寄せ甚大な被害をもたらした。
3.11東日本大震災での福島原発爆発事故のタイムリミットまでは約1年。
2010 チリ地震では、各国共にスマトラ島沖地震の教訓から津波情報の共有化を得ており、迅速に行動した。
日本の衆議院議会にて、再び原発への津波対策が問われたのが同年である。
政府の回答は、前回を踏襲しているが、仮に本年のチリ地震が前回と同じくM9.5規模なら福島第一原発はたえられなかった事になる。
また、全国一斉津波避難訓練の要望が衆議院議会で出ており、水面下だったハズの津波リスクが、各社の試算を経て、極一部で共有され始めている事が見てとれる。
世論への介入は再び可能だが、リミットまでの時間が少なすぎる故に、成果を挙げられるダイバーは出ていない。
この地点をダイブに選ぶ奇特なダイバーも存在する。
多くが津波の人的被害を、どう少なくするかに挑戦するダイバーである。
IF攻略有識者によると、少なくとも2010チリ地震ではなく、1960チリ地震かスマトラ島沖地震をモデルケースとしなければ、東日本大震災の壊滅的被害は変わらず、2006から水面下で津波リスクを試算してしまった悪影響が歴史上大きく出た年となる。
逆算すれば、チリ地震の再度の発生により、スマトラ島沖地震を政治的に利用できる年ではある。
津波の人的被害を抑える挑戦は、幾度の試行を伴って大きく成功しているが、シナリオリミットの期限がメルトダウンの回避判定ラインになる3.15までなので、正確な成果は解っていない。
■IFハッキング事件。
シナリオ『福島第一原子力発電所事故(2011-)の回避』シナリオ達成難易度 : impossibleは、IF発売から3年後の2079年まで、ダイバー達に何の攻略の手がかりも与えず、犠牲者を増やしてきた。
ダイバー達の評価は、シナリオ制作者は、このシナリオ達成を考えていない。
シナリオの評価は達成するための制限が解放されていないバグがある等、悪い物ばかりであった。
同年、福島第一原子力発電所事故シナリオ攻略達成に必要な、内的変数の確認のため、複数の有志により、IFへのハッキングが行われた。
内容は、資産制限の解除と、犯罪制限の解除、そして超時間圧縮である。
この事件の名は、ユーザー達にIFハッキング事件と呼ばれる。
IFサーバーにハッキングを受けたN&S industryは、即座に行動を開始、改変されたデータの削除に成功する。
故に同シナリオの攻略データは存在しないが、匿名の有志により、資産制限解除による攻略は思ったよりは容易である事、とある犯罪の連続使用により、攻略達成のためのいくつかの因子を発見したとの報告が成されている。
なお、運営はハッキング側は結局シナリオ攻略に失敗しており、これらの主張を与太話としている。
また、IF本来のコンセプトから、シナリオ攻略達成のためのいかなる犯罪行為の利用も許されないとのコメントもされている。
IFハッキング事件を受け、シナリオ『福島第一原子力発電所事故(2011-)の回避』の制作者がインタビューに答えている。
制作者によると、シミュレート上のあらゆる因子を組み合わせても、同シナリオの攻略は不可能である事が解っている旨、今なお続く祖国の苦難に、希望を与えるため用意したシナリオなのだという旨。
仮にシミュレート上攻略が不可能と出ていても、奇跡は起こる、私は運命論者ではないとの発言が出ている。
同シナリオの攻略難易度は、文字通りの物であった。
この発言に、ダイバー達の意見は賛否両論に分かれた。
そんなもん実装するな時間を返せといった物や、1999年がダイブの限界点なのは、これ以上ダイバー達の時間を浪費しないためのシナリオ作者の最後の良心だった等である。
以降、達成難易度 impossibleシナリオは、奇跡の達成としてマスメディアに注目され、様々な達成難易度 impossibleシナリオがIFに追加されていく事になる。
ハッキング陣営により、とある犯罪の連続使用により判明したシナリオ『福島原子力発電所事故(2011-)の回避』の攻略因子から、同シナリオの障害が究極的には原発村という利権団体である事、故に通常攻略では、原発の国営化が鍵になる事が示唆されている。
なお、攻略因子確定のために、とある犯罪は、総当たりで行われたとの狂気的なコメントが出ている。
同事件後、原発村はレベル1で出現するラスボスと呼ばれるようになる。
IFハッキング事件後には、原発村の足をどう引っ張るかが一時焦点となり、なおも諦めないダイバー達は、黄金の2005から、ダイブ限界点の1999年元旦に目を向ける事となる。
同年1999年9.30に、東海村JCO臨界事故が発生するからである。
プレイの長期化に伴って、同シナリオの平均的な挑戦時間=犠牲時間は飛躍的に伸びる事となる。
追加情報
1999.6.18 志賀原子力発電所臨界事故※2007.3.15に発覚
1999.9.30 東海村JCO臨界事故
2002.8.29 東京電力原発トラブル隠し事件
ラスボスの権威の失墜と、原発の安全神話を崩壊させるため、ダイブ限界点の1999年は悪くない年とされる。
ダイブの限界点の設定について、シナリオ制作者のコメントはない。
原発村の足を引っ張るプレイでは、福島第一原子力発電所事故に、大きく関わるプレイを達成したダイバーは今の所存在しない。
必然的にダイバーの目は、世論による原発国営化へと向くこととなった。
原発国営化によって、必然的にラスボスである原発村の一部解体が達成可能だからであり、国営化された原発では、福島第一原発事故で致命的となった津波リスクが経営と切り離されるためある。
しかし、1990年代後半から2030年代前半までの日本において、規制緩和及び民営化の思想統制の強化が成されており、同思想統制に対立する国営化メソッドは困難を極めた。
ダイバー達の口癖は、世論に0か1しか答えの無い時代は、不愉快極まりない。
1990年代後半~2000年代 郵政民営化
俺、ハッキングの時誰をやったか解っちゃった等の迷言が残る、この国営化メソッドは、今も攻略を続けるダイバー達の共通の攻略コンセプトである。
ダイバー達は、国営化メソッドの達成リミットを、津波対策で介入の余地のある2006-2007としており、この悪名高いシナリオに、今もなお多くのダイバー達が、奇跡の達成へと挑戦し続けている。
捕捉情報
通常、民営化は市場の競争原理に組み込む事で、福利厚生の向上を図る意図をもってされるが、当時の日本の民営化は、公務員のリストラを目的とするケースが多い。
公務員をリストラ出来ない政府が、出きるだけ政局にせず、民営化のメリットを強調し、リストラの出来る環境の構築を目指すのである。
よって、1990年代から2020年代の日本の民営化の議論では、民営化後、どことどこが競争関係になるのかという、本来の民営化の中核的議題を無視するケースが多発している。
1990年代からの日本の特殊な民営化事情は、同国の国民にすら理解されておらず、ダイバー達に思想統制と見なされる原因となっている。
日本の場合の民営化は、大きく4つの分類に分けられる。
1.競争原理に組み込み福利厚生の向上を図るための民営化
2.リストラを目的とし、結果的に競争が成立する民営化
3.リストラを目的とし、結果的に市場を不正に独占する民営化
4.不正に市場を独占するための民営化
一方で日本で原子力発電所が民間に組み込まれた経緯は、1990年代から始まった民営化の思想統制が始まるよりも遥かに古い。
日本にとって原子力発電所の建設は、太平洋戦争中に戦術核を落とされた関係上、政治的に極めて繊細な問題であった。
そのため、原子力発電所の建設は、国が主導しながらも、民間企業が前面に出て推進している。
民間がやっている事だからという言い訳を用意したのである。
ここから、莫大な利益の独占でもある原子力発電所は、日本の場合、民間企業が所有する事となった。
日本政府は、原子力発電所という危険な施設を民間が運営するにあたって、非常に多くの規制を構築する。
しかし、1990年代からの一連の不祥事が発生した事から、原子力発電所関連の規制自体は、インフラ利益の独占によって生まれた政官民の繋がる利権団体、原発村の前では無意味だったと指摘される。
国の規制を破る事により失う損失よりも、得られる利益が大きい場合、必ずしも規制は機能しないのである。
原発村の利権が、政治を動かす大きさであった事の説明に使われるのが、2006年から始まる福島県知事の0円収賄事件である。
福島第一原発第二原発の事故と事故の情報隠匿から、両原発は、同知事によって一時運転停止に追い込まれていた。
同事件の裁判では、収賄額を0円とするも検察側が勝訴。
国の司法制度に汚点を残した。
この教訓から、民営化によりやむを得ず一企業が市場を独占する場合、その利益額に憂慮が必要であるとされるが、一般的に競争原理を前提とする民営化の理論からは、日本の特殊事情は考慮されない。
福島第一原子力発電所事故は、日本の原発業界単位で見れば、津波対策の構築が進んでいる最中の出来事であった。
この内、東京電力は最も対策の遅いグループの一つであり、IFのシミュレートによると地震の発生を15年遅らせても、津波対策が間に合わない事が一般的に知られている。
今日では福島第一原子力発電所事故は、原発民営化のデメリットが、最も大きく出た好例として『IF』を通して世界的に紹介されている。
一方で、日本の電力需要に対して、原子力発電所は、高度経済成長期に欠かせない要素であったとの指摘もある。