結婚できないわたしの偏りの根本。
婚活に疲れ、一生独りで生きるつもりになっていたわたしが生涯のパートナーを見つけるまでのお話。
わたしはひとり娘で、両親からの「結婚しなさい!」の圧が強まり25歳の時に婚活を始めた。
私には結婚願望がなかった。
だって、姓が変えられないという事情のある自分みたいな存在が相手を見つけて結婚できるなんて思っていなかったから。
そういう気持ちをねじ伏せて、結婚はしなくてはいけないものだと思っていた。
わたしは田舎のひとり娘で道もろくに舗装されてないような山の中に自分の家の土地や墓があり、物心ついたときからそれを継げと言われて育ってきた。
病院もろくにないような田舎で一生過ごすのは嫌だったけど、はいと言わないと親に育ててもらえない気がして毎回言われる度に、大人になったら継ぐつもりだし田舎が好きだと答えていた。
「名前をつけるときには、一生姓が変わらないつもりで画数決めてるんだからね。変えるんじゃないよ。あんたは嫁さんにはなれないんだよ。」とよく母からは言われていた。
花嫁になれなければ結婚するときわたしは白いズボンを履く側なんだ、とおバカな小さい頃のわたしは純粋にそう思っていた。
じゃあ、一生ドレスを着ることはないんだ…あれはお嫁さんが着るものだから。
それからわたしはフリルがついた服が好きなんて親の前では言ってはいけないと思い込み、よく知りもしない戦隊モノが印刷された服をねだって買ってもらった。
店でそれがほしいと言った時に親が不快そうにした理由が幼い私には分からなくて戸惑ったのを覚えている。
その服は親が求めてるわたしにピッタリと思ったのになんでだろう??だってわたしはズボンを履く側なんでしょ??
わたしはとことん受け身の子で、親に何か言われた時に問い返すことを知らない子だった。そのままそれが正しいと思っていたし、親からもどう思うかを聞かれたこともない。
子どもだから自分の方が間違っているにちがいない。
疑問を持つのも親に対して悪いと思っていたから、思い込みも強い子だったと思う。
家を継ぐということに幼いながら社会の中ではそれは男性的な役割だと感じ取り、自分をそちらに寄せよう、それが親の期待に応えることだと思っていた。
幼稚園の頃、好きな男の子がいてよく休み時間に遊んでいた。
わたしが度々家で名前を出すので、親にはすぐに気づかれた。
「あれは長男だからダメだ。どうしてもっていうんなら、思いっきり惚れさせてから、わたしは名前が変えられないからって言って家に婿に連れてこい。」
よく分からないけどそういうことを親に言われるのは気持ち悪いと思った。言われてすごく嫌だった。
そうだった。好きと結婚はわたしにとって別ものなんだ。
わたしは家のために相手を探すんだ。
相手のことはその条件でしか見ちゃいけないんだ。
わたしが忘れて好きになったからこんなこと言われたんだ。
だからこの嫌な気持ちはわたしのせい。
素直だったわたしは、その時の気持ちから、もう無駄なことだから誰かを好きと思わないようにしようと思った。
小学生になる頃にはテレビの話や親戚、親同士の会話から結婚の情報を集めていった。
当時の自分にとってずっと大きな課題だったから。
名前を変えずに結婚できる女性がどれほど少ないかがまず分かった。
女性側が名前を変えた場合、相手の家のものになったように扱われどんなに酷い目に遭うか分からないなど。
親が名前を変えるなと言った理由も実家を継ぐだけではなく、わたしを守る意味もあるのではないかとも思った。
でも自分が名前を変えずに結婚できる女性になれるとは思えなかった。
また、小学生の低学年の頃、祖父が不倫をした。
その裁判で家族の精神は滅茶苦茶になった。
祖父を誘惑したとされる女性を恨むことばにぐちゃぐちゃに溺れる親を見て、
わたしは女性らしい部分、男性を魅了する努力に見える部分は、もし持てば嫌われると感じてこわくなった。
眉を整えるハサミがほしいのも、足の毛を剃りたいのも、淡く色がつくリップクリームがほしいのも親に言ってはいけない。
お小遣いもない家だったからこっそり買うこともできない。
自然に湧く気持ちを押さえ、長めのスカートと靴下で足を隠し、前髪で眉を隠し、とにかく目立たないように気をつけた。
私服も親に頼んで買ってもらうしかなかったが、できるだけ地味なものか男性的なものを選んだ。
私にはほんとうに自分が無かった。
大人はこれを読んで不思議に思うかもしれない。
でも家が世界の中心である未成年には家の中の立場は何より大事だ。
わたしの性別が女性だったから。
いつか婿を取り家を継ぐ存在としてあり続けないと衣食住を与えられている権利がないと感じてしまう。
また期待に応えないとさらに立場がなくなる。
でも親から読み取ったメッセージは、男性的であること、男性に媚びるように見える行動を取らないことだった。
それを守る自分を客観的に見て、わたしは結婚ができそうにないと思った。
家族には好かれても、1番重要な、結婚して跡を継ぐことができない存在に成長したのではととてもこわくなった。
大切な人に会うまでの27年間はずっと自分を責めている気持ちがあった。