8 エドガーとシャロン
8 エドガーとシャロン
294年
ケンソルブリー、バルフォルト
テルマ・ノリスの父であるエドガー・ノリスは今から40年ほど前にケンソルブリーに生まれた。エドガーは20歳で村の娘、トリーシャと結婚し、その年にテルマが生まれた。
エドガーは王宮にある書庫の管理の仕事についていた。国内のさまざまな情報を調べてまとめ、書物として記録する仕事である。その仕事の一環として、エドガーはウェサル領のハロチェスターへと赴いた。ウェサルに伝わる伝承や風俗を調査するためであった。ある夜、その日の調査を終えて、ある店で食事をしていると、流しの歌い手が歩み寄って来てエドガーの前で帽子を取ると、深くお辞儀した。
「旦那、一曲いかがですか?」
「じゃあ、何かおもしろいのを一曲。」
男は下を向いて弦の調子を軽く整えると、ティサラ(7本の弦を持つ大型の弦楽器)をかき鳴らし、いい声で歌い始めた。周りの酔っ払いたちも、大声で話していた声を潜めて聞き入っている。それは、キサルピーナの建国の頃のことを歌にした歌だった。王都のバルフォルトで好まれて歌われるようなギディオンを称える歌ではなく、むしろその時に征服されたウェサルの民の立場に立って歌われた歌であった。
(わたしが王宮の役人だと気がついていないらしい。)
エドガーは苦笑した。もっとも、ギディオンを軽んじるような歌を聴いて、真っ赤になって怒るほど愛国心に満ちているわけでもない。
歌ははげしい合戦の場面に入る。ギディオンの悪魔のような力のもとに、我を失い逃げ惑う者たちの中、当時ウェサルを治めていた王は果敢に立ち向かう。
『ギディオンの手から悪魔の風が吹き たくさんの人が動かない骸となった 戦士は戦う気持ちを失い 次々と逃げ場を求めて 西へ 西へ 海の方へ ただ ウェサルの王と 彼を守る12人の勇気ある騎士だけが 誰もいなくなったハロチェスターで ギディオンたちの軍と 向き合った とうとう最後の騎士も ウェサルの王も 黒い風にまかれて あっという間に 動かない骸になった・・・』
その後、王を都に残して西へと逃げた王妃と王子たちの悲しみ泣く場面が歌われる。
(正史で言われている偉大な力を、この歌では悪魔の風と歌っているのか…。)
何かが心の中でひっかかったのは、その時だった。
エドガーは、一族がシュバルツとの契約にのっとって、代々王を陰から守っていると聞いていた。だが、シュバルツが一体どんな人物だったのかについては知らされていなかった。そして、建国時の様子、ギディオンが手に入れ、そして失ったと言われる偉大な力とは何だったのかということについても知らなかった。
歌い手はその先を続けた。
『生き残った人々を 海へと落とさんとする ギディオンの前に 天までをも 焦がす 大きな炎が 現れた ギディオンの 悪魔の風を 飲み込み 皆を助けた 風を 炎で 焼き尽くされた ギディオンは ついに 力を 封印された・・・』
(封印だと…?)
正史には、国の統一という難業を成し遂げた果てにギディオンの身から偉大な力が自然に消え去った、と語られている。この歌い手が歌ったような、力を封印されたという話も初めて耳にするものだった。
「あなたはこの歌を聞いたことがありますか?」
エドガーは傍らにいた酔客に尋ねた。
「あ?いやぁ、初めて聞く歌だなぁ・・・。」
その隣にいた酔っ払いが口を挟む。
「歌は聞いたことねぇけど、ばあちゃんが昔話してたなぁ、昔語りで・・・。あの話に少し似てるなぁ・・・。」
歌い手がティサラを一層高くかき鳴らし、歌は終わった。聞いていた皆が盛大に拍手をし、何人かの客が歌い手が脱いで掲げた帽子の中に小銭を入れた。男は満面に笑みを浮かべている。エドガーは立ち上がって近寄ると、男の手に銀貨を握らせた。
男は目を丸くした。
「あんた、この歌を誰から習ったんだ?」
耳元で低い声で聞いた。男は少しばつの悪い顔をした。
「なんだい?こんな昔の歌じゃないか、なんか問題でもあるかい?」
「いや、あんたを咎めるつもりはない。ただ、わたしの知っている話とずいぶんと違うもので、興味を持ってね・・・。」
エドガーは声を和らげた。男は探るような目でエドガーを見ると、立ち去りたそうなそぶりをして見せた。エドガーは思わず、男の腕をつかんだ。
「何すんですか!」
「頼む教えてくれ。あんたはどこでこの歌を聴いたんだ?」
店の中の客がちらりとこちらを見る。歌い手は面倒くさそうに話した。
「ウェサル領の東には、戦のあとに別の地方から入ってきたやつらが多いけど、西にはあの頃、ギディオンから逃げて生き残った人たちの子孫がいる。そこの村の連中が密かに歌い続けている歌だ。」
男に歌を教えた老婆は、人前で歌わぬように諭したが、この歌の美しい節回しと哀しい詩を気に入った男はごくたまに、人前で歌を歌って見せていたのだという。
(ウェサルの西の地・・・)
次の日、ウェサルの西の地へとエドガーは足を伸ばした。ハロチェスターから馬に乗って一日中走り、片道3日はかかった。その地で聞いた話をもとに、エドガーはギディオンの扱った偉大な力というのは、正史に書かれているような神から賜ったものではなく、もっと邪悪で破壊的なものだったらしいと推測した。そして、それはどのようにして封印されたのかというのがやはり気になった。ウェサルの地方の昔語りには、炎が現れたと歌われている。
任務を終えてバルフォルトに戻っても、エドガーの頭の中からウェサルで聞いた歌が消えなかった。
(封印された力とは一体どんな物だったのだろう。)
ウェサルに伝えられている歌では、『悪魔の風』という言葉で語られていた。正史では、あっさりとこう書かれている。
『王が さっと 手を振ると 千の人間が地に伏した もう 一度 手を振ると 万の人間と万の馬が地に伏し 皆 おどろき それからは 抗うことなく その前に ひれ伏した』
ずっと、この記述は、ギディオンを称えるために、誇張して書かれた文章で、作り話なのだと思っていた。しかし、これがもし真実なのだとしたら、このギディオンが手に入れた力というのは、まさに偉大な力ではないか。
(どこで、どうやって封印されたのか・・・。その封印を解き、もう一度その力を手に入れる方法はないのだろうか…。)
エドガーがずっと従者に憧れていた。それが村で一番であるという称号になるからである。その称号はヒュー・オーデンに奪われてしまった。だが、もし自分がギディオンの失われた偉大な力を手に入れたらどうであろうか?ケンソルブリーの従者など目ではないほどの力を手に入れることができるのではないだろうか…。
月日が過ぎても、エドガーにとりついたその考えは頭を離れなかった。
(長老や従者、ローリー家の当主ならシュバルツの正体や、シュバルツとの契約の中身についてもっと詳しいことを知っているだろう…。)
そこに、ギディオンの力や力を封印した者に対するヒントが隠されているのではないかと、エドガーは思い立った。だが、正面からいっても、彼らがエドガーにそれらの情報を漏らすとは思えなかった。エドガーは、代々ローリー家の執事を務めている家の息子、バートを呼び出して、それとなく尋ねた。
「俺たちの村の成り立ちについてだけどな。俺たちも子供の頃に親や、村の長から聞いて育っただろう?」
「ああ。」
2人はバルフォルトの居酒屋にいた。
「あれは、本当なのかな?」
「どういう意味だ?皆が嘘をついているというのか?」
エドガーと古くから知り合いでもあるバートは、眉をひそめた。
「違うよ。ただ、そういう重要な事実が、代々ただ口だけで伝えられているというのも、なんだか危なっかしく思えてな。だって、もう300年だろう?こんな長い間に、きっと俺たちの伝えている物も少しずつ本来の情報とは変わってきているのだろうな。そういう意味だ。きっと細かな部分の話は忘れられて、本当にあったことを正確に覚えているものはいなくなってしまったのだろうな。」
「そんなことはないだろう。」
バートは、少しばかにしたように鼻をならした。
「だが、客観的に考えて、ありうることだね。耳で聞いて伝えていく情報ってのは、限りがあるさ。俺は、ここんとこ、各地で口伝えで語り継がれている伝承なんかをまとめていて、つくづく感じていることが、それだよ。口伝えは当てにならん。だから、こうして俺が苦労しながら、書物にしているわけだから、な。」
わざと自分がいかにも物知りであるかのような口振りで話し、水を向けた。単純なバートはひっかかった。
「お前が考え付くような危険性は、我々の祖先だってとうに思いついてたさ。だから、初代ヴィクター・ローリーはちゃんと一族の成り立ちに関することを書き記して、長男に残したっていうからな。」
エドガーは大げさに驚いてみせた。
「まさか、そんな話誰からも聞いたことがないぞ。」
バートは満足そうににたつくと、ボルガ(リーゲを原料とした蒸留酒)のグラスを空けた。エドガーはふと、眉をしかめた。
「いや、お前、俺を驚かそうと思って、わざとそんなことを言っているのだろ?本当はそんなものないのじゃないか。」
バートは、ばかにされたと感じ、傷ついた。
「俺を嘘つきよばわりするのか?」
「実際に見たわけじゃないんだろ?」
バートのほうを見ずに、グラスを空ける。ボルガがぬるりと喉を通る。熱い塊がするりと落ちて、胃にしみる。
「だが、どこにあるかは知ってるぞ。」
「ほぉ・・・。」
信じていない様子をしてみせ、グラスに極上のボルガをついでやった。飲み口がさらりとしているので、この酒はついつい飲みすぎてしまう。友人は酒に弱い。あと、2、3杯も飲めば、テーブルにつっぷして寝てしまうだろう。
「驚くなよ。子どものころに、親父がお袋に話しているのを耳にしてな。当主の書斎の机の引き出しには、鍵がないと開かないのが右側に3つある。その3段目の引き出しに、その初代の書き残したメモが隠されているって言うんだ。もし、まだ息子が幼いうちに当主が急死するようなことがあっても、その書置きがあれば全てのことが正確に伝わるようになっているってわけさ。」
バートは興奮した声で、自分の父親は執事として当主に信頼されているので、その秘密を打ち明けられたんだと告げた。エドガーの計画どおり、バートはそれから間もなく、テーブルにつっぷして寝てしまい、その日エドガーに何を話したかについても忘れてしまった。
それから数日たった日、エドガーは深夜にローリーの家に忍び込んだ。巡回の男はエドガーの影にも物音にも気がつかず、塀は軽がるととび越えられた。エドガーは事前に調べておいた書斎のある棟の近くまで寄ると、低く短く口笛を吹いた。どこからともなく一匹の小さな猿が庭の木を伝ってすべるようにやってきた。エドガーが書斎の窓を指差すと、猿は、小さな声でないてから壁を伝っていき、書斎に面する窓に取り付いた。エドガーは離れた所から、窓の方へと右手を伸ばし、手の指を何かをつかむような形で制止させた。猿はかすかな声でキィキィ鳴いている。丸めたエドガーの右手の内側の空がゆるゆると温かくなり、何もないはずのところにつるつるとした何かの塊を感じはじめる。エドガーは目をつむり、指の腹で、その何かをなでる。それから、ゆっくりと指でそれをつかみ、ぐるりと回す。
かちりと音がする。猿は両手でぽんとガラスを押す。窓は内側に開く。すとんと猿が部屋の床に下りる。エドガーは目を閉じたままだ。彼の閉じたまぶたの上には、ぼんやりと今、猿が見ている光景が見える。
(そこじゃない、こっちだ)
頭で念じると、猿は前方に見える机の方へ向かい、一番下の引き出しに取り付いた。古い木製のどっしりとした机だ。深い色合いによく磨きこまれている。机の3つの引き出しのどれにも、黒ずんだ青銅の取っ手とその下に鍵穴が見える。
(無用心だな。ずいぶん簡単な鍵穴じゃないか・・・。)
エドガーは意識を集中させる。できるだけ早くこの場を立ち去りたかったが、焦れば素早くできるというものでもない。ききっききっ、猿は同じ所で軽くジャンプをしている。猿の数歩前の鍵穴から、細い煙が立ち始めた。金属の溶ける嫌なにおいがする。猿は一声高くキィと鳴くと、まるで人間のような仕草で両手で鼻を押さえ、ぱっと後ろに飛びのく。ほどなく青銅の鍵はどろりと嫌なにおいを発して解け落ちた。
(引き出しごと外せ。)
猿は、少し離れて鼻を押さえていたが、主の声にしぶしぶと前へ進んだ。取っ手は熱されて、赤い色に変わっている。猿は器用な手つきで引き出しの下のほうを両手でつかむと、ぐいと前へ引いた。引き出しごと、床に落ちた。中にはあまり物が入っていなかったようで、かたんと乾いた音がしただけだった。猿は、引き出しの中の物をひとつひとつつかんでは、いちいち窓枠にのっかっては、せっせとエドガーに向かって落とし始めた。大概が古い書類の類で、欲していた物ではない。猿は中にあった印章も持ち上げようとしたが、つるつると滑りうまくいかない。
(それはいらん。)
引き出しの中には、求めた物はない。エドガーは猿に引き出しの底を叩かせた。軽い音がする。
(底が二重になっているのか。)
だが、猿の細腕では、その底は破れない。エドガーは再び低く短い口笛を吹いた。ばさりと羽音がして、エドガーの肩目掛けて大きな塊が降り立った。ぎょろりとした黄色い目、鋭い嘴。一羽の大きな梟だった。
(行け!)
開いた窓から梟が中に入りこむ。
(今のは何だ?)
屋敷の周囲を見回っていた護衛が二度目の口笛に気がついた。庭の方から聞こえた。そちらの方を見ると、闇夜に何かが羽ばたいた気がする。
(気のせいだろうか?)
心がざわざわとし、男は門の方へと駆けた。
「おい、見回りはどうした?」
護衛が咎める声をあげる。
「あっちで、何か物音がしたぞ!」
それだけ言うと、音のした方に駆ける。
門番も驚いて、後ろから続いた。
エドガーは梟に引き出しごと抱えさせ、下へ落とさせた。がたんと音がして、引き出しは衝撃で割れた。一冊の古びた紙の束が飛び出す。
ばたばたばた
複数の人間がかける音、たいまつの光がちらちらと見える。
(ばれたか・・・。)
紙の束をさっと胸元へ押し込む。部屋から出てきた猿が、エドガーの肩に乗った。辺りに散乱した物には構わず、さっと立つと奥の方へと進む。幸い、前方から迫る護衛はいない。エドガーはまっすぐに庭をつっきると、塀を飛び越えて闇へと紛れた。
エドガーは、自分が事を起こせば、すぐに追手がかかることは分かっていた。そこで、ローリー家を出たその足でまっすぐ南へ向かった。王領を抜け、トランサル領も抜け、ソアル領のリパマウスへと向かった。そして、ブライスへと向けて出航する商船に船員として紛れ込んだ。
エドガーは盗み出したメモで、ケンソルブリーの従者の本当の役割と、シュバルツのことについて知ることができた。しかし、そのメモには肝心のギディオン王の力の封印を解く方法については書かれていなかった。
(苦労して盗み出して得た物はたったこれだけか。)
南へ向かう船に乗り、夜の甲板からもう見えなくなったキサルピーナの方角を見ながら、エドガーはぼんやりと考えていた。熱にうかされたように動き、後先考えずにここまで逃げてきた。
一体なんで自分はこんなにもギディオン王の力に魅せられたのだろう?
それは家庭を失ってまで得るべきことだったんだろうか…。
エドガーは手にしたメモを海へとばらまいた。紙切れはあっという間に海にのみこまれて見えなくなった。
(これから、どうしようか…。)
とてつもない空虚な気持ちが、エドガーを押し包んだ。
フレオに入ることに成功したあとは、しばらくフレオに滞在した。エドガーは、王宮で働く傍ら、フレオに興味を持ち、バルフォルトにいる商人からフレオの言葉を少し学んだことがあった。フレオにいる間はそれが役に立った。だが、キサルピーナと直接国交のあるフレオではやがて見つかってしまうのではないかと恐れたエドガーは、更に東へと進む決意をした。商隊に用心棒として紛れ込むことに成功し、更に東の国、ゲラニオンへと向かった。
無事ゲラニオンへ着くことは着いたが、言葉も分からないし、故郷のキサルピーナとは勝手もずいぶん違う。エドガーは心底困ってしまった。そんなときに、世話をしてくれた物好きな女がいた。やがて、エドガーはその女と一緒に暮らすようになった。2人の間には女の子が生まれた。エドガーはその子をシャロンと名づけた。
飛ぶように6年の歳月が過ぎた。その頃、エドガーは術を使って人々の病を治したり、薬を煎じたりして毎日を暮らしていた。ケンソルブリーという小さく特殊な社会から抜け出て、全て新しい物の中で暮らすうちに、ギディオンの力に感じた暗い情熱は消えていった。エドガーはそれなりに幸せな日々を暮らしていた。
そんなある日、エドガーはゲラニオンの高名な術士の噂を耳にした。国中を旅をしている彼女が、たまたま隣の村へ来ているというのである。自分も術士であるエドガーは興味を持って、そのとき、6歳になっていたシャロンを連れて出かけて行った。最初はただの興味本位で覗きに行ったエドガーは、術士コズマと語らううちに、彼女の扱える術が、自分の物とは比にならないほどすばらしいものだと知り、夢中になった。特に、死者と語らうことができるという点に強く引かれた。
「師はお礼をすれば、わたしの語り合いたい者を呼び出してくれますか?」
コズマは日に焼けた黒い顔をエドガーの方に向けて、ジッと見つめた。
「いったい誰を呼び出したいのか?いつ死んだ者だ?」
「300年ほど昔の者だ。」
コズマは驚いたりしなかった。
「お前の祖先か?」
「いいや、違う。」
コズマは静かに首を振った。
「お前と直接血のつながりのない者は、みつかりっこないね。」
「じゃ、血のつながりのある者を連れて来れば、やってくれるか?」
コズマはもう一度、エドガーの顔をじっと見つめた。エドガーの顔を見たときから、心がざわついていた。申し出を断って、さっさとこの場を立ち去れとコズマの一方の心が告げている。だが、それと同時にどうしようもなく、コズマにはこの男が気になってしょうがない。この男の前をさっさと立ち去ると、自分に訪れた大きな流れの一端をつかみ損ねてしまうような感じがする。大きな変化が見えるとき、よくこういう怖い気持ちになるものだ。
コズマは常に直感を何よりも大切にして生きてきた。彼女がゲラニオンの地で、この分野で第一人者となったのは一にも二にも、直感を常に見誤らずに動いてきたからだ。コズマはエドガーとシャロンを脇に待たせた状態で、占いに使うカードをめくった。物事が大きく瓦解する、強いカードが2枚連続して出た。そして、3枚目に鎖で縛られた罪人のカードが出た。運命に縛られている者を示している。
(果たして、運命に縛られているのは誰か?わたしか?あの男か?それとも・・・?)
最後にめくったカードには、水がめを抱えた女神のカードが出た。全てを浄化する女神のカードである。コズマはそこまで見ると、テーブルの上のカードを腕でざっと脇へ片付けた。
「お前、言葉がちょっとおかしいね。外国人だろう?どっから来た?」
「・・・キサルピーナから。」
(わざわざそんな遠くから来たんだから、国で何かして逃げてきたのかね。)
「お前も、何か術を使うのだろう。」
少しそういう雰囲気がある。コズマはエドガーの後ろに隠れているシャロンのほうを見て、目を瞠った。
(こちらの娘のほうが気が強い。)
コズマは、シャロンを傍へ引き寄せた。両手の平を手に取り、じっくりと眺める。次に顔を眺めた。手でシャロンの顎に触れ、右を向かせたり、左を向かせたりした。シャロンは少し怯えた目をした。最後に女神のカードが出た。だから、それはシャロンのことかとコズマは思ったのだ。コズマはエドガーを試してみることにした。
「わたしはお前の依頼には応えない。だが、お前がどうしてもその者を呼び出したいというのなら、チャンスを与えてやっても構わない。時間はかかるが、それでもその願い、叶えたいか?」
エドガーは頷いた。もともと、そのために一度自らの人生を捨てている。これ以上、何を失っても構わない気がした。何か悪いことが起こっても、開けずにはいられない扉、エドガーは、今自分がその前に立っている気がしていた。
「この娘をわたしに預けなさい。お前の娘には、お前以上の力が満ちている。わたしが導けば、立派な術士となるだろう。お前が呼び出したがっている者も或いは、呼び出すことができるかもしれない。」
コズマはこういう条件を出して、エドガーがどう出るかを試した。娘よりも大事な要求なら、受けてやってもいいと思ったのだ。失うものなくしては、得られるものはこの世にない。なにを失うかを選ぶのは、自分だ。エドガーは、一瞬ためらった。
***
シャロンはその時の父の顔をよく覚えている。なんだか、目がぎらぎらとしていて、それまで見てきた父とは違った。
(わたしの話をしている・・・。)
なんとなくそれは幼いシャロンにも分かった。だけど、それからエドガーがコズマにどんな話をして、そして、どんな風にその場を去ったのかは覚えていない。記憶がはっきりしないのだ。
気がつけば術士のコズマとともに、シャロンは旅をしていた。
コズマは、その日以来、シャロンにさまざまな術を授けてくれた。里心がつくとでも思っていたのだろうか、一切シャロンの父や家族の話はしなかった。。シャロンは自分がエドガーの娘、シャロン・ノリスであることが夢だったのではないかと思うことさえあった。
(父はわたしが大人になっても迎えに来ないだろう。)
なんとなくそう思っていた。そして、実際迎えに来て欲しいのか、欲しくないのかそのうちによくわからなくなってしまった。父の顔も母の顔もなんだか、霞のようにぼんやりとしてしまい、ただ、コズマと共に旅をしていく光景だけがくっきりと印象に残っている。コズマは厳しい師匠だったが、その傍らにいるとあの村にいたら見られなかったこと、知ることのできなかった様々なことを知り、見ることができた。
シャロンは旅が好きだった。旅は自由だった。
月日はやはり飛ぶように過ぎた。いつまでもこのままコズマと一緒に旅をしていくような気がしていたころ、コズマは、シャロンを呼び寄せてきっちりと向かい合うとこう言った。
「シャロン、お前が旅立つ時が来た。お前は、父のいる村へ帰りなさい。」
コズマの言葉は、予言であり、即ち事実である。コズマがこう言うのだから、わたしは帰らなければならないのだろう。エドガーと別れて9年の歳月が過ぎ、自分は15歳になっていた。納得はしていたが、それでも、師との別れは辛く、寂しかった。
シャロンはつぶやくように言った。
「どうしても、行かなくてはいけないのですか。」
コズマはまぶしそうに目を細めた。老齢の師の目の奥深いところにほんの少し感情が揺らぐのを感じた。シャロンは少し、胸が苦しくなった。
「決まっていることだ。変えられないんだよ。」
その街で師と別れた。
師の乗った馬車が街の砦を抜けて埃っぽい道を見えなくなるまでシャロンは見送った。
(村に帰っても、あの移り気な父のことだ。どこかへ行ってしまって、行方不明かもしれない。)
そしたら、一人でどう生きて行こうか。自由な空想をするのは楽しかった。コズマに術を仕込まれた自分は、女の身で1人夜道を歩くのも怖くなかったし、どの街へ行っても暮らして行ける自信があった。
(いなければいいな。)
だけど、そんな心の裏には、やはり、いればいいと思っていたのかもしれない。どんなにひどい親でも、天涯孤独という名の自由よりはいいような気がする。自由過ぎるのは、ひどく悲しい。明日死んでもかまわないと誰かに耳元でささやかれているような気がする。
父はいた。白髪と皺の増えた父が、小さくて汚い家に一人でいた。母の姿は見当たらなかった。娘をどこぞの誰かに勝手に預けて帰った夫が許せずに、家を飛び出したままどこぞへ行ってしまったのだ、という。
「よく帰ってきたな・・・。大きくなったなぁ・・・。」
目を細める父の顔は、普通の父親のように見えた。
「お父さん・・・。」
声に出して呼んでしまうと、魔法がかかった。9年会っていなくても、一言呼べば、やはりこの人は自分の父なのだ。
本当は文句を言いたかったのかもしれない。
だけど、家族という惰性が、自分の頭から足先までをさっと痺れさせてしまう。家族はずるい。わがままなほうがいつも勝つ。客観的には絶対に許されないようなわがままを、平気でするほうが、そういうわがままを絶対にできないほうを支配して、束縛してしまうものだ。親が弱いこともある、子が弱いこともある。血がつながっているということだけで、切り捨てられない家族とはいったいなんなんだろうか。
父はシャロンを抱きしめた。父は涙を流した。
(この人は勝手に泣いている・・・。)
シャロンはそう思った。心が冷え冷えとしている。こんな状態なのにどうして、わたしはここに帰ってきたのだろうと思う。ふとコズマの声が頭の中でこだました。
『変えられないんだよ・・・。』