6 夜の書庫で
6 夜の書庫で
ずっと続いていた晴れの日が崩れ、朝から空は灰色の雲に覆われていた。木の枝は風に揺らされている。風も強そうだ。昼の食事を済ませたころには、ちらりちらりと雪が降り始めた。エミリアは、暖炉のそばのロッキングチェアに座ってオーデン先生に借りた本を読んでいた。
エミリアが倒れて運び込まれてから、もう1週間以上も経っていた。5日目あたりからは、すっかり元気を取り戻し、寝ていなくてもよくなった。そうなると狭い部屋の中にいるのは退屈でたまらない。だが、一歩部屋の外に出て歩き回ろうとすると、お邸の小間使いに見つかって、ご遠慮くださいとばかりに、部屋に連れ戻されてしまうのである。ここはエドワード様のお邸なので、エミリアにあまりあちこち歩かれては困るようだった。
とはいっても、病気のときならともかく、このくらい回復しては時間をつぶすのも骨が折れる。オーデン先生がいればあれこれとおしゃべりをするが、先生も1日中部屋にいるわけではないし、参ってしまった。
「先生、私もういい加減に、お兄様たちのいるゲストハウスに戻ったほうがいいのではないかしら。」
何度か先生にそう言ってみた。言われたオーデンは困ってしまった。蛇の毒はあらかたぬけたようだが、念のためにはあともう少し続けて様子を見たかった。万が一毒が残っていたら、その毒はゆっくりと増幅し、2、3年ほどかけて少女の命を奪うだろう。
とはいえ、この施術はむやみにいろいろな人間の目に触れさせたくない。ゲストハウスに戻れば、エミリアの兄、姉、小間使いなどの見ていないところで治療をするのは難しいだろう。エドワードの邸であれば、事情を知っているエドワードが余計な者が近づかないよう配慮してくれる。
「王子が、念には念を入れて治療してさしあげろ、と言われているのです。せっかくのご好意ですから、あと、2、3日は様子を見ましょう。」
暇つぶしにとオーデンは本を持ってきた。外国のいろいろな不思議な話を集めた童話で、なかなかおもしろかった。エミリアは今日、それを読んでいたのである。
「先生、このお話、もう読み終わりそうなの。これ以外にも面白いご本ある?」
「そうですか。では、エドワード様がお帰りになったら、お伺いしましょう。」
エミリアは眼を丸くした。
「この本、王子様のなの?」
「おや、ご存知ありませんでしたか。書庫の本の中から王子がお選びくださったのですよ。昔、お読みになったそうです。」
「へぇ・・・。」
こちらへ来てから、お話しするどころか、見かけたこともない王子様だった。側近のおじさんには、邪魔者扱いされるし、皆からただ迷惑がられていて、王子様に至っては、わたしがいることなど忘れてるのだろうと思っていた。
「エドワード様って、結構優しいんだね……。」
オーデンは優しい眼でちらりとエミリアを見た。
「エドワード様は、毎日お暇を見つけてはわたしを探してエミリア様のご様子をお尋ねになられますよ。具合はどうとか、何か不足な物はないかと直接お尋ねになられるのです。」
(気にかけてくれてたんだ・・・。)
心の中がじんわり温かくなった。エミリアははにかみながら微笑んだ。
「知らなかった。あの側近のおじさん、お姉さまにとても失礼だったし・・・。わたしたち、すごく邪魔なんだって思ってた。」
「王子様は身分の高い方ですから、直接外の人とお話しされません。側近が代理として会うことが多いので、側近の態度が即ち王子の態度や考えと誤解されてもしょうがありませんね。本来のエドワード様は身分の違いを鼻にかけるような方ではありませんよ。もっとも、側近の人も、王家のためによかれと思ってああいう態度を取っているのであって、悪気はないのですよ。」
「ふーん。そう。」
王子に好奇心を覚えた。でも、それを伝えるのはなんとなく恥ずかしく思えて、口にしなかった。
「先生は、直接王子様と話せるんだね。」
少しだけ不思議に思った。先生だって、そんなに身分は高くないはずだ。それとも、医術士は別なのかしら。
先生は、一瞬顔の動きが止まった。
すぐに普段の様子に戻ったけど、エミリアは見逃さなかった。
「本来なら許されないことですが、エドワード様は医学に特別興味がおありのようで、頻繁にお声をかけていただいております。」
「ふーん。」
関心のない様子で返事をした。でも、王子とオーデン先生は、なんか特別仲がよさそうだという印象が残った。
オーデンは一瞬、エミリアの問いに対して、言葉に窮した。12歳の幼い少女だと思って気を抜いていると、ときどき鋭いことを言う。一介の医師が王子に指名で呼び出されたこと、王子と直接口をきいていること、どちらもちょっと注意してみれば、不自然だとすぐ気がつく。不審に思われても仕方がない。王子がエミリアの容態を特に気にするのは、エミリアが身代わりになったと知っていて罪悪感を感じているからだ。エミリアに直接会おうとしないのは、もちろん、王子が諸侯の娘と公ではなくプライベートで顔を合わせるのが、いろいろと面倒だからというのもある。が、たぶんそれだけではあるまい。自分のせいで怪我をした少女とどんな顔をして会えばいいのか分からないのだと思う。
雪はその日の午後中ずっと降っていたが、夜には止んだ。雲の合間から月が出て、薄く雪の積もった庭をうっすらと照らしていた。エミリアは、一度読んだ本をもう一度頭から読み始め、二度目も読み終わってしまった。夕食後、暖炉のそばでロッキングチェアに揺られながら、何もすることなく窓の外の景色を見ていた。夕食が終わったばかりの邸では、小間使いの大半は厨房で後片付けに忙しいようで、厨房から離れたこの辺りはひっそりとしていた。
(今なら、誰にも見つからないかな?)
新雪のきらきら輝く庭を少し散歩したかった。本も読んでしまったし、ずっと温かい部屋の中にばかりいるので頭がぼんやりしてしまって、外のきれいな冷たい空気に触れ、思い切り吸いこみたくなった。エミリアは迷わず薄い部屋着の上から壁にかけてあるコートを羽織ると、テラスへ出るガラス戸をそっとあけて、音を立てないようにテラス伝いに庭へ降りた。足の下で雪がさくさくと音を立てる。明るく輝き人の集まっている食堂や厨房の方を避けて、逆の左の暗いほうへと足を向けた。建物伝いに庭を歩く。人の声や音が少しずつ後方に遠ざかる。外の冷気が、暖かさでほてった顔と体をひんやりと冷やし、気持ちがいい。
建物の角まで来たところで、ここを曲がって更に奥へと進んでみるか、ここで戻るか少し迷った。角部屋の中をちらりと見ると、床から天井までの大きな本棚が見えた。興味を引かれて、窓により中を覗くと、たくさんの書架にぎっしり本がつまっていた。
小さく感嘆の声をあげる。中に入ってみたくなって、脇にあるテラスへと回った。
(鍵がかけられているかな?)
だが、ノブを回すとドアは簡単に開いた。窓から差し込む月灯りで部屋の様子が見える。たくさんの本が並べられていた。エミリアは、背表紙を一冊ずつ眺めてみたが、難しい学問の本がほとんどのようで、今日読んだような物語の本は見当たらない。
キィー
ドアがきしむ音がして、はっとそちらを見ると、ランプを手にした人影が立っていた。
「すみません。わたし……」
緊張で体が強張る。
「おまえは、もしかして……」
声変わりをしたばかりのような、若い男の声だった。エミリアはランプに照らされた顔を見た。端正な顔立ちの少年だった。服装が変わっていて、すぐには分からなかったけど、謁見の間で離れた場所から拝見したエドワード王子だった。
「王子・・・」
あわててコートの前をかきあわせ、部屋着のすそをたぐりよせ、両膝を床についてお辞儀をした。
「トランサル公のご息女、エミリアだな。」
穏やかな声でそういうと、王子は部屋に入ると傍の小さいテーブルにランプを置いた。それからドアを閉じた。こつこつとこちらへ近づいて、エミリアが跪いているすぐ前に立った。エミリアは体がぶるぶると震えだした。
「あの、すみません。すぐ部屋に戻るつもりだったんです……。」
「顔をあげろ。うるさいのは誰も見ていない。大丈夫だよ。」
エドワードは声をかけたが、エミリアが動く気配はしない。エドワードはしゃがみこむと、エミリアの肩に手を置いた。
「夜、この部屋に来るのはわたしくらいだ。心配するな。」
耳元でささやいた。肩に載せられた手は、大きくて温かかった。エミリアはゆっくり顔をあげた。すぐ近くにエドワードの顔があって、目があった。怒っていなかった。
エミリアは跪いたままでずるずるとゆっくり後ろへ二、三歩下がった。エドワードは不思議なものでも見るように眺めていたが、ふいと立ち上がり傍らの椅子を持ち上げると、エミリアの横にがたんと置いた。
「床に座っては冷たいだろう。お前は体がよくなったばかりなのだから、そんなところに座ってはいけないよ。」
兄が妹に話しかけるような優しい口調だった。エミリアは素直に言葉に従った。エドワードも傍らの椅子に腰掛け、テーブルに頬杖をついてエミリアを見た。ランプの光がぼんやりとエミリアを照らしていた。ふっくらとした頬はばら色に染まり、その頬をくるくるとした巻き毛が縁取っている。大きなぱっちりとした目と長い睫毛。
あの時、目を閉じて顔を真っ青にして死にかけていたときとは、印象が全く違った。
声を聞くのも初めてだった。
「体はすっかりいいのか?」
「はい……。ありがとうございました。」
少女らしい澄んだ明るい声をしていた。
「よかったな・・・。一瞬どうなることかと思ったぞ。真っ青な顔をしていたからなぁ。」
エミリアは我が耳を疑った。
「あの、わたしが倒れたときに、お部屋に……?」
王子はくすりと笑った。
「そうか、ストレーチは何も言っておらんのだな。お前が蛇にかまれたとき、わたしは傍にいたんだ。」
エミリアはびっくりして、じっとエドワードの顔を見つめた。
「驚いたようだな。」
「エドワード様が?」
「俺が歩いている前で、お前がかまれて倒れたんだ。」
「それで、お邸まで……」
声がかすれた。
「いや、運んだのは俺じゃない。家の者を呼んで運ばせたんだ。」
「……。」
エドワード様が見つけてくれて、助けてくれた。エドワード様が見つけなかったら、自分は死んでいたのかもしれない。お礼をいわなきゃと思うのだけど、エミリアは身分の高い人と話すのに慣れていないので、どう話していいか分からない。顔を赤くしてもじもじしてしまった。
「気にすることはないよ。それに、お前がかまれたのにはな、俺に責任があるのだ。」
エドワードの顔が少しかげった。
(せきにん?)
エミリアは不思議に思う。ふと、オーデンの知り合いだという若い男と話したときのことを思い出した。あの人は、たしか、あの女は間違えて別の人をおびきだしてしまったと言ってはいなかっただろうか……。
「あの、もしかして、エドワード様もあの人を見たんですか?」
「あの人?」
エドワードが眉をひそめる。
「女の人……」
おそるおそる口に出した。間違っていたらどうしよう、と思いながら。エドワードは少し厳しい顔をして黙ってしまった。
「すみません。やっぱりなんでもないです。」
言わなきゃよかった。怒らせてしまったかもしれない。
「俺は見なかった。だけど、声を聞いたよ。」
エドワードはぼそりとつぶやくと、いっそう暗い顔になった。『もしかして、あの女はエドワード様を狙ったんじゃないんですか?』そう聞いてみたかったけど、黙っていた。
「怖かっただろう。ごめんな。」
エミリアは、王子が自分に謝ったのを見て、びっくりした。
普通年上の男の人は、自分のような年下の女に謝ったりしない。
しかも、身分が下の者に。
兄上となんと違うことか。
「エドワード様、わたしは大丈夫ですから、わたしなんかに謝っちゃだめです。」
エドワードはきょとんとした。
「なぜだ?」
「エドワード様は国で王様の次に偉い人です。偉い人は謝らないんです。」
かわいらしい口調に、エドワードは微笑んだ。
「誰がそんなこと、言ったんだ?」
「お兄さま。いつもそう言って、自分が悪くても絶対謝らないのよ。」
「あなたはそれでいいの?」
「よくないけど……。でも、けんかしてもまけちゃうもの。お兄さま、ひどいの。お父様やお母様がいないときに殴るんです。」
「殴られたって、父上や母上に言ったら?」
エミリアは、ほっぺを膨らませて口をきゅっと結んだ。
「そんなんじゃだめなのよ。お母様が怒ってお兄様をしかるでしょ?すると、後でお兄様に、ひきょうもの、お前はずるいやつだって言われるのよ。悔しいでしょ?だから、あまり言いたくないんです。」
弟がいても一緒に暮らしたことのないエドワードには新鮮な話だった。
(兄弟というものはそういうものか。俺だったら、こんなかわいい妹は大切にするけどな。)
「そうだ。エドワード様、今度チャンスがあったら、お兄様のことこらしめてやって。」
「こらしめるって、どうやって?」
「なんでもいいんです。みんなの前でばかにするとか、お兄様ができないようなことを命令するとか。」
子どもの悪知恵に思わず噴出した。
「それは構わないけど、そんなことをすると兄上の面目がないぞ。」
「めんぼく・・・」
「とっても困るってことだよ。それに、兄上がばかにされると、兄上だけじゃなく父上もとっても困るぞ。それでもいいのか?」
エミリアは優しい父の顔を思い浮かべた。大好きな父上。
「困るって、どれぐらいですか?」
「そうだなぁ、困って病気になってしまうかもしれないよ。」
わざと大げさに言うと、エミリアは眉をしかめた。
「それでは、あきらめるしかありません。」
本当に残念そうに言うのがかわいらしくて、また笑ってしまった。
自分にもこんなかわいい妹がいたらいいのに・・・。
「さぁ、おいで。新しい本がほしいのだろう。わたしはエミリア殿に貸す本を探しに来たんだよ。」
顔がぱっと輝いた。ランプを手に奥の書架へと進む。
「一冊目の本は面白かった?」
「はい。見たことも聞いたこともない、外国のお話。とてもおもしろかったです。」
「あれはね、わたしたちのこの国よりもずっと南の国で、昔から伝わっている話なんだよ。外国語のできる王宮付きの学者が、旅芸人が歌うのを聞いてね、おもしろがってこの国の言葉に書き直したんだ。だから、とても珍しい本なんだ。」
「王子様も読みましたか?」
「ああ、何度も読んだよ。」
エドワードはランプを掲げると、書棚の本の背表紙を一つ一つ確認していった。一つの本を抜き出すと、エミリアに見せた。
「この本は、一冊目の本のつづきだよ。」
「じゃあ、やっぱり外国のお話しがたくさん入っているの?」
エドワードはうなずいた。エミリアは本を受け取るとうっとりと見ている。エドワードはふと、つややかな髪にふれたくなってエミリアの頭をなでた。
エミリアは顔をあげて、エドワードの顔を見上げた。
エドワードは笑っていたが、その笑顔がなぜか少し寂しそうに見えた。
「さぁ、戻ろう。こんな寒い所に長くいてはいけないよ。」
書庫を出て、エミリアの部屋の前までエドワードは送ってくれた。自分の部屋のドアの前まで来た時、なんだか別れるのが名残惜しく思えて、今度は自分がお部屋の前までお送りしようかと思った。
一瞬だけ思って、あきらめた。
王子様と歩いているのを、邸の別の大人がみたら、きっとうんとしかられてしまう。
ドアの前で後ろの王子を振り返り、おやすみなさいと小さい声で挨拶をした。エドワードはにっこり笑って、おやすみなさいと言ってくれた。
ドアを開けてぱたんとしめた。
そのままドアに耳をつけて、エドワード様が立ち去る音を聞いていた。しばらくすると、どんなに耳を澄ましても、遠ざかった足音は聞こえなくなった。
エミリアはため息をついて、今度は手元の本を見た。
(お姉さまが会えなかったエドワード様と会って、お話ししちゃった。)
はいていたシューズを脱いで、ベッドにうつぶせに倒れた。
いい香りのするふわふわの枕に顔をうずめる。
(それに、エドワード様も読んだ本を借りちゃった。)
とっても優しくて、とっても素敵な人だった。お兄様とは大違い。
(でも、もう会えないだろうなぁ。)
残念だなぁ。そう思った。そう思った後で、このことは誰にも言わないでおこう、なんとなくそう決めた。お姉さまに言ったって、信じないかもしれないし。つまらないことになってしまうような気がした。
寒さに気がついて、顔をあげると、部屋を忍び出た時に開けたテラスのドアが開いたままになっていた。立ち上がってドアを閉めると、もう一度ベッドに仰向けに横たわって、しばらく物思いにふけった。
書庫で偶然会ってからエドワードはエミリアと直接話しはしなかったが、その後の新年の儀の数々の催しで時々見かけることがあった。目があって手を振った。ぼんやりこちらを見ていたエミリアは、エドワードが手を振ると、満面の笑みになって大きく手を振り返してきた。
驚いたのはエミリアの周りにいた者たちで、手を振るエミリアとエドワードを交互に見て、ぽかんとしていた。
だが、新年の儀が終わり、謁見の間で、公爵、伯爵たち一行の挨拶を受けているとき、エミリアはさすがに神妙な顔をしていたし、エドワードも手を振ることも、微笑むこともなかった。
挨拶が終わり皆が去った後に西の宮を出ようとしているとき、傍らでエドワードを呼び止めた者がいた。エミリアの治療をしていた医術士、ウィリー・オーデンだった。
「いつぞやは世話になった。ご苦労だった。」
ウィリーは跪き、顔を下げたままで一通の封書を差し出した。
「何だ?」
「あの娘より、預かりました。」
エドワードが受け取ると、更に一礼をしてウィリーは立ち去った。長らく話しこんではいけないと遠慮したのだろう。エドワードも周りの眼があるので、何事もなかったかのように歩き出し、西の宮のドアを出て中庭に出た。傍を歩いていた側近のストレーチが小声で話しかけてくる。
「誰からですか?」
エドワードは前を向いて歩きながらやはり小声で言った。
「お前に関係ない。」
「エドワード様に関する全てのことにわたくしは責任がございます。」
ストレーチがまたぷりぷりしている。エドワードは気にせずに歩いた。
「まさか、わたくしの目を盗んで、どこかの家の娘とお知り合いになられたのではありますまいな?」
(まあ、あれも娘といえば娘か…。)
「そうだったらどうだというのだ?」
「どこの娘ですか?エドワード様にふさわしい方でしょうな?」
ストレーチは一気に興奮した。この側近はからかうとなかなか面白い。
「お前に関係ない。」
「エドワード様に関する全てのことに…」
また、同じことを繰り返している。
「お見せください。」
今度は、エドワードが手に持った封書を奪おうとする。
「おいおい、俺のだぞ。」
エドワードはひょいと手をあげる。ストレーチはエドワードよりも背が低いので、こうすると届かない。
「エドワード様!」
ストレーチは周りの者の眼を気にせずに、ぴょんぴょん飛び上がる。2人の後からついてきていた衛兵は、側近の姿に必死に笑いをこらえている。どんなにおかしくても、自分より身分の高い者を笑ってはいけないのである。首がとぶ。
「ああ、わかった。わかった。お前が心配するようなことじゃない。この前、東の宮で預かってたあの娘からの手紙だ。」
ストレーチは目をぱちくりさせた。
「あの、トランサル公のご息女の?」
「そうだ。」
エドワードが再び歩き出すと、ストレーチも黙ってついてきた。
「それならそうと初めからおっしゃってください。」
「お前が勝手に勘違いしたんだろ。」
しばらく2人とも黙って歩いた。
「もしや、あの娘と何かあったのですか?」
エドワードは怒るのを忘れて噴出した。
「お前も会っただろ。あの子はまだ子どもだぞ。俺があんな子どもに何かするような人間に見えるか?」
ストレーチはじっと黙ってエドワードを見た。
(おいおい、見えると言いたげじゃないか。)
「お前は、変なこといろいろ心配しすぎだぞ。」
2人は東の宮についた。門をくぐって中に入る。
「エドワード様がもっと、わたくしの言うことを素直に聞いてくだされば…。」
ストレーチはいじらしいため息をついた。
「ああ、そのセリフは聞き飽きたぞ。」
エドワードは部屋に入ると、手紙を開いた。中には、命を助けてもらったお礼と、東の宮で貸した本の感想が書いてあった。たった一枚の便箋に、とても奇麗に書かれていた。エドワードはベッドに横になると、その手紙を何度も何度も読み返した。
(なんだか、短いな。くだらない内容でもいいから、もっと長いのが欲しかったな。)
考えてみたら、エドワードはあまり人から手紙をもらったことなどない。家族、親戚、従兄弟、友だち。家族はいるが普通近くにいるから手紙はもらわない。親戚は母の親戚がいるが、疎遠なのでもらわない。従兄弟…。
途中で空しくなって考えるのをやめた。
皇太子なんて不便だ。
俺だって普通に自由に生きていれば、このくらいの手紙、両手にあふれるくらいもらってるさ。
こうやって1月は過ぎていこうとしていた。