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The story of Quisalpina  作者: 汪海妹
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5 危険な策













   5 危険な策












   

次の日、テルマは東の宮の小間使いたちに3日前にエドワードの部屋に赤い花を置いた者がいないか聞いて回った。皆一様に首を横に振り、何か問題でもあったのかと怯えた目をした。小間使いにいなかったので、その他の使用人に聞いて回った。


厨房で料理女と話したときに、1人の女が言った。

「赤い花、見たよ。」

「どこで?」

テルマは勢いごんで聞いた。

「でも、エドワード様の部屋じゃないよ。うちの同僚の子が恋人からもらってたんですよ。それなら見たけど?」

「その人の名前は?今、どこにいますか?」

料理女は、小間使いたちと同じように、少し困ったような怯えたような顔をした。問題となることを恐れているのである。


「いや、別にたいしたことじゃない。ただ、珍しい花だから、どこへ行けば買えるのか知りたいだけなんだ。」

料理女が呼んで来た娘はまだ若い娘だった。料理をするときに頭を覆う白い布を両手で持って、不安そうな顔をしている。

「3日ほど前に君が赤い花を持っていたって聞いたんだけど、君がそれをエドワード様のお部屋に置いたの?」

女は深刻な顔でこくりとうなずいた。

「どうして?恋人が君にあげた花じゃなかったの?」

女は素早い動作で首を横に振った。

「それはあの人が勝手に言っただけで、私は別にそんなこと言っていません。」

「わかった。わかった。僕は別に怒っているわけじゃないんだ。ただ、本当のことが知りたいんだよ。誰が君にあげたの?」


女は少しうつむいて小さい声で言った。

「知らない女の人がくれたんです。エドワード様の部屋に置いてって…。」

「どんな女だった?」

料理女は少し顔をあげて、それから気まずそうな様子で言った。

「それが、よく思い出せないんです。若い女だったってことしか…。顔を見たはずなんですけど…。それに、どうしてそんな知らない人からもらった物をエドワード様の部屋に置いたのか自分でもよく分からないんです。後から思い出すと不思議で…。何かまずかったんですか?」

「いや、大丈夫だ。珍しい花だからどこで買ったのかなと思ったんだけど、君も知らないんじゃしょうがないな。」

テルマは微笑んだ。料理女はほっとした顔をすると、ちょこんと頭を下げて調理場へ戻っていった。


(やっぱり、ここでも女か…。)

テルマは難しい顔でその場を立ち去った。


次の日の午後、エミリアはいつものように診察に来たウィリーの後ろに見知らぬ男が立っているのを見た。衛兵の服を着ていて長い髪を後ろで一つに束ねていた。背が高くて細く、切れ長の目は美しい緑色をしていた。


「エミリア様、こんにちは。今日はお加減はいかがですか?」

「あの、先生、この人は?」

エミリアが視線を後ろへと向けると、ウィリーもちらりとそちらを見た。

「わたしの知り合いです。」

ウィリーはそういうと、持ってきた薬と水をベッド脇の棚に置いた。


「わたしは東の宮の衛兵です。」

後ろの男が笑顔を浮かべてベッドに近寄ってくる。

「テルマ・ノリスと申します。実は、この度、このオーデン先生から王宮の中で蛇にかまれた方がいらっしゃると伺いましてね。できればその時の様子を詳しく伺いたいのですが…。」

「その話ならもうここのおじさんにしたよ。あのひげを生やしたおじさんに。」

「ええと、散歩していたら急に物陰から蛇が出てきて、噛まれたということでしたね。」

「そう。」

「どうしてあのような所をお1人で歩いていらっしゃったんですか?」


エミリアは黙ってしまった。ごそごそとキルトを持ち上げて鼻まで顔を隠してしまった。

「侍女に秘密でちょっと散歩がしたかったの。ほんのちょっと歩いて帰るつもりだったのよ。」

エミリアはまだ子どもなのでよく知らないのかもしれないが、例え大公の娘でも西の宮を出て、北、南、東の宮と中庭を勝手に歩き回ることはできない。巡回している衛兵に見つかって西の宮まで戻されたはずである。


テルマは黙ってじっとエミリアを見つめた。


「エミリア様、わたしにだけ本当の話をお聞かせいただけませんか。」

「本当の話?」

「わたしは何を聞いても驚きません。本当は何か変な物を見たり、聞いたりしたのではありませんか?」

エミリアは大きな目でテルマをじっと見つめ返した。あの変な夢と女の話は誰にもしていなかった。信じてもらえないだろうと思ったからである。

「どうしてそう思うの?」

「わたしとエミリア様だけの話です。秘密にしてくださいね。わたしはオーデン先生から聞きました。エミリア様の傷はどうやら普通の傷じゃないようです。普通の蛇にかまれたにしては毒の作用が強いらしい。わたしはそれを聞いて、誰かが術をかけてエミリア様を呼び出して、このような傷を負わせたのではないかと思ったのです。」

「……」


エミリアの顔がみるみる曇った。テルマは注意深くその様子を見ながら、エミリアが話し出すのを待った。

「お兄様にも、お姉様にも言わないで。心配をかけるし、それに、わたしなんか連れてこなきゃよかったって言われたくないの。」

「わかりました。」

「おねがい。」

エミリアは大きな目をテルマに向けた。

「大丈夫です。ご安心ください。」

エミリアはあの日の午後のことを話した。部屋でいつの間にか眠りこんでしまったこと。不思議な夢を見たこと。夢の中で歩いていると林の中に出て、変な女を見たこと。ふいに足下に黒い影が飛び出してきて、叫び声をあげたこと。


「それから、目を覚ましたらこのお部屋にいて、お姉さまがいたの。」

「そうですか。その夢の中で見た女の人はどんな人でしたか?」

「わからないの。顔は見えなかった。」

「若い女ですか、それとも?」

「若い人よ。手や腕の肌が透き通るように白くてとてもきれいだったもの。」


エミリアは自分の手や腕を触りながら話していたが、急に顔を暗くした。

「でも、なんかとても怖い人だった。」

テルマは眉をひそめた。

「怖い人?どうしてそう思ったの?」

「その人が、こうふわりと手をふるとわたしの体が勝手に前に引きずられるように動いたの。その時、その人笑ったの。その顔がとっても怖くって。」

エミリアの目は怯えていた。


「あれは夢じゃなかったの?わたしはただ夢を見ながら外を歩いていて、蛇にかまれたんじゃないの?」

テルマはエミリアの手を取ってやさしく話しかけた。

「残念ながら夢じゃありません。夢を通して術をかけ、その女がエミリア様を東の宮の近くまでおびき出したのですよ。」

「じゃ、あの人はわたしを殺そうとしたの?」

エミリアが震えている。


「いいえ、違います。あの女はね。間違えたのですよ。他の人と間違えてあなたをおびき出してしまったのです。だから、これからはもう2度とエミリア様が危険な目に遭うことはありませんよ。」

「本当に?」

テルマの手を握るエミリアの手に力がこもる。

「お約束します。大丈夫ですよ。そして、このことは誰にもおっしゃらずに忘れてください。」

テルマはしゃがみこみエミリアと同じ高さに視線を合わせた。自分の両手でしっかりと彼女の両手を包み込み、言い含めた。


エミリアは、しっかりとうなずいた。

「忘れる。誰にも言わない。」

テルマは微笑んで軽くうなずくと、ゆっくりと手を離した。

「もう1つだけ質問させてください。眠り込んでしまったとき、お部屋に花が飾ってありませんでしたか?」

「お花?」

「赤い花です。」

「ないよ。花なんて一つも飾ってなかった。」

「……そうですか。」

テルマはゆっくりと立ち上がった。

「お邪魔しました。ゆっくり休んでくださいね。」

その日の夕方、勤務を終えてからテルマはケンソルブリーへと馬を走らせた。長老の家にたどり着き、小間使いの女に客間に通された。部屋の奥の暖炉で、ちろちろと火が燃えている。暖炉の前の床にはここらへんではあまり見かけることのない東洋の織物がしかれていて、その上に簡単なつくりの木の丸いテーブルが置いてある。部屋の明かりと言えば、暖炉の灯りと暖炉の上に置かれた3本の蝋燭のみで、よく目をこらし気をつけて歩かないと何かにぶつかるか何かに足をとられ転んでしまいかねない。


「よく来たね。」

ゆり椅子に年を取った老婆がかけている。老婆の膝には毛布がかけられており、その膝の上には毛の長い白い猫がのっている。老婆はテルマの方を見ずに声をかけた。皆から『おばば』と呼ばれて慕われている村のもう1人の長、カミラである。

「もう少しすれば、ユージーンも来る。」

カミラは猫をなでながら言った。ケンソルブリーの中で、長老を名前で呼び捨てにできるのはカミラだけだった。


カミラは術の力はそこそこだが、古今東西の様々な知識に通じている。そして何より稀有な予言の力を備えていた。彼女が1度占いの石を振り口にした言葉は、いいこともわるいことも全て的中した。若い頃は頼まれればすぐに石を振った彼女だが、ある時期を越えてからは簡単に石を持たなくなった。彼女が石を持つのは、既に不幸が起こっている者に解決の方法を教えるときか、村にとって重大なことを占うときに限られた。


『人生にはいいことも悪いことも起きる。そして、予言の力で悪いことが起きることを知っても、防げない場合が多いのさ。だが、もしその悪いことが起きることを知ってしまえば、それまでの時間を不幸に生きることになるだろ?知らなければそれまでは幸せに生きていたものをさ。そう思ったら、わざわざ普通の人の普通の未来を見るのが嫌になったのさ。』

誰かに問われると、彼女はそう答えた。


彼女が占うことを止めても、無理に占ってくれと言う村人もいた。カミラはそれを拒み続けた。やがて彼女が先代の長から推されて長の座につくと、無理を言う者はいなくなった。そんなこんなで石を持つ回数は減ったが、それで彼女の予言の力が弱まることはなかった。むしろ煩雑な些事に関わる回数が減り、より石の動きが読めるようになったといってもよい。

扉が開く音がして、ユージーンが入ってきた。

「待たせたな。」

長老はテーブルを挟んでテルマの前に座った。カミラは暖炉の前を動こうとしない。話を始めていいのかどうかテルマが戸惑っていると長老が言った。

「あいつはいつもああなんだ。あのままあそこでお前の話を聞いている。気にするな。それで、今日は?」

「お二人のお知恵を拝借に参りました。」

「また何かあったらしいな。」

テルマはここ数日の間にあったことを順番に二人に話した。4日前の夜、防御陣を破ろうとした者がいたこと。すぐに駆けつけたが誰もおらず、何の痕跡もなかったこと。3日前の午後、エドワードに起こったこととエミリアに起こったこと。

2人は黙ってテルマの話を聞いていた。


「最初の夜、その者はどこから来たのだろう?王宮の外からだろうか?」

カミラが言うと、王宮内の警備についてよく知っているテルマは眉をしかめた。

「何か特殊な術を使えばできないことはないと思いますが、外から来て、外へ逃げるというのはなかなか大変でしょう。それに、奇妙なことが起きだしたのは、新年の儀が始まって各地から公爵、伯爵たち一行が西の宮に入ってからなんです。」

「ということはその中に入り込んでいるということか…。」

長老が言った。

「だが、身分のはっきりしない者を公爵や伯爵の家で雇うことがあるか?」

「そりゃ、その貴族も一枚噛んでいるんだろう。」

「エドワード様を狙って得をするといえば…。」

「言うまでもないね…。」


エドワードが命を落として得をするのは、レオナルド王子である。


「だが、あんな幼い子供が、こんなことをするかい?」

レオナルドは、15歳である。

「母親…かな?」

「それと、ノラルピーナあたりじゃないか?」

ノラルピーナのダグラス大公は、アデル王女の伯父である。

「だけど、エドワード王子に何かあれば真っ先に疑われるのはダグラスとアデルだろ?こいつらが直接動くことはないだろう。」

「ということはまだ誰かいるんだな…。」

「もし何かが起こっても、はっきりした証拠がなければ、レオナルドが王位につくのを止められはしないね。」

「次の日、敵は花を使って術をかけたんです。」

「ああ、一度お前の防御陣に何かしかけて、陣の性質を見極めたんだろう。」

剣しか使えない武人ならともかく、術者は普通自ら直接姿を現すことを避け、別の人間や動物を操るか、中の様子を見る等簡単なことなら、人型に切った紙や人形などを使う。テルマの陣はそういう術を帯びたものをしりぞける陣である。ところがその次の日、相手は今度は術をかけた物を、宮に普段から出入りしている人間を使って運び込ませた。赤い花がそれである。術者が料理女にかけた術は、術者が女の体の中に自らの魂を入れて体を動かすような強力なものではなく、一種の暗示であった。暗示をかけられた以外は普段と変わりのない彼女は、防御陣に弾き飛ばされることなくやすやすと中に入ったのである。


「花を使って人を眠らせ、夢の中で誘い出す、こんな術について聞いたことがありますか?」

テルマはカミラに向かって尋ねた。

「それは、夢の中じゃない。死人の通る通り道さ。闇の中だね。死人を呼び出すことのできる巫女はね、その闇に身を浸して死んでしまった魂を呼ぶんだ。そういうことができる巫女は、その通り道を使って、生きた者を呼び出すこともできるんだそうだ。特殊な香りで眠らせて、生きている者の魂を死の闇の中へと呼び出してしまうんだそうだよ。その闇の中を通ることができるのは実体のない魂だけさ。だけど、まだ生きている者は体と魂がしっかりつながっているからね。闇の中を魂が歩くとき、体も現実の世界で離れようとしている魂を追って歩いてゆくのだそうだよ。呪術師にとっても、術をかけられる者にとっても、とても危険な技さ。もし闇にとらわれ、闇から出られなくなれば、やがて魂と体のつながりが切れ、残された体はこちらの世界で朽ち果ててしまうんだよ。」

テルマは少し気になったことがあった。

「それなら、呪術者はどうしてわざわざ少女をこの世界に戻してから、蛇に襲わせたんですか?それよりもその闇の中に閉じ込めて、自分だけこちらに戻れば簡単で確実じゃないですか。」

カミラはにやりと笑った。

「お前は意外と鋭いね。どうやらその首の上にのっかっている物は飾りじゃなさそうだ。さて、お前の疑問だが、そうは簡単に行かないのさ。闇の中に魂が取り残されるとね、体の方は意識もなく動かなくなってしまう。だが、心臓とかは動いているのさ。眠っているような状態になるんだ。そして、しばらくはそのままだ。ずっと眠ったまま弱っていき、ある日心臓が止まるのさ。老人ならいいが、今まで特に病気も何もしていない若者がこんな死に方はまずしない。周りの者は何か悪い毒でももられたのではないかと怪しむだろ?」

「なるほど…。不審な死に方をすれば、まずいというわけですね。」


カミラは静かに猫の毛をなでた。

「この術士はさ、遊んでいるんだよ。」

「なんだって?」

長老が驚いて声をあげた。

「この術士はさ、今回は、ただちょっとやってみて、わしらがどう出るか試したと思うの 初めっから成功するなんて思っちゃいないさ。どうやって知ったかわからんが、ま、もしかしたら、そこの小僧の親父がからんでてさ…」

カミラはテルマのほうを顎でしゃくった。

「わしらのことを教えてて、それでよく知ってるのかもしれない。」

「今回のことはエドガーがしたことじゃない、とお前は言うのか?」

長老が尋ねた。カミラは強く首を振った。

「ユージーン、あんただって今わたしが話したので分かってるだろう?わたしたちの一族の者で、死者を呼び出す術なんか扱えるやつがいるかい?わしだって、聞いたことがあるくらいで見たことはないよ。エドガーが向こうへ渡って、修行をしたとでも?あいつにそこまでの素養があったとは思えないよ。」

テルマも口を添えた。

「料理女に花を渡したのも、エミリア様が見た術者も女ですし、エドワード様も女の声を聞いています。それに…」

テルマは昨日自分を呼び出した娘の話をした。長老は難しい顔をした。

「お前が従者だということも向こうに分かっているということか?」

「わかりません。でも、相手はわたしの名前を知っていました。やはり王宮内に協力者がいて、衛兵の名簿を見たのでしょう。」

「呼び出してお前の顔を確認したということか…。やりにくいのう。」

テルマは話題を変えた。

「エドワード様が闇の中で見た青い炎についてはどう思いますか?」

「それは、きっとシュバルツがやったことだ。」

カミラは迷わずに言った。

「だが、シュバルツがそんなことをするか?あまり聞いたことはないぞ。」

「そりゃ、普通はシュバルツは見ているだけで何もしないだろうけどさ。今回は何かエドワードを守りたい理由でもあるんだろ。」

テルマにはもう一つ不思議に思っていることがあった。

「シュバルツが術を無効化したときに、なぜその術がエミリア様にかかってしまったんでしょうか。それにその後、シュバルツがエミリア様のもとにエドワード様を誘導しようとしたような様子が見られるのも不思議で…。」


カミラは暖炉の炎をぼんやりと見つめていた。

「わからない…。わからないね。偶然じゃないかい?」

「お前が偶然なんて言葉を使うのをはじめて聞いたわい。」

長老がカミラをからかう。カミラがにやりと笑う。

「こういうことを聞いたことがあるよ。ま、信じるも信じないのも自由だがね。人というのは、いろいろな人とつながって生きている。血のつながりなんていうのもある、あとは前世からつながっているなんていうのもある。普段の生活ではあまり意識されないが、こういう目に見えない人と人のつながりというのは、実際にわれわれの生活にさまざまな影響を与えているもんだ。そして、このつながりがもっと濃く強く作用する世界がある。テルマ、どこだと思う?」

カミラはテルマの思考力を試した。テルマはあっさりと答えた。

「さきほどおっしゃった死人の通る道、闇の中のことですか?」

「ご名答だね。巫女はね、死者を呼ぶときに、死者と関係の深い者を傍らに起き、それから自らの身を闇の中にひたすのさ。闇の中では血のつながりというものが死者をひきつけるのに強い効果があるからね。」

「ということは、つまり?」

長老はカミラが何を言いたいのかいまいち分からない。

「にぶいじいさんだね。エドワードとエミリアになにかつながりがあるのさ。前世からのつながりか何かは知らないが、そのせいで、シュバルツがエドワードをこっちへひっぱったときに、エドワードとつながっているエミリアがひきずりこまれちまったんだろう。」

「それで、シュバルツが慌ててエミリア様を助けるために、彼女を追わせたんですか?」

テルマが聞くと、カミラはまたにたりと笑った。

「そればっかりは、本当に分からないよ。普通は、シュバルツはそんな自分の利益と関係ない人間くさいことはしないんだけどねぇ。」

「しかし、もし、あの時シュバルツがエドワード様を誘導しなければ、エミリア様は誰にも発見されずに死んでいたかもしれません…。」

「ま、そのうち分かることさ、気にすることはないだろ。」

長老が口を挟んだ。


3人はそれから、今後いつ彼らが手を打ってくるかについて話し合った。新年の儀の間は宮中にも外から入り込む人が多く、エドワードが人前に姿を現すことも多い。この時期に狙われる可能性が高い。新年の行事といえば、国中の武人が集まり武技や馬術を競い合う会がある。バルフォルト中央を流れるアブハン川にボルカンと呼ばれる細長いボートを浮かべ、漕ぎ比べて競争をする会もある。武技や馬術を競う会では、形だけだが王子も参加する。

「その機会を使って、ということは?」

「ああいった大多数の者が見ている前で、怪しまれずに殺害するなどということが可能でしょうか?」

テルマが言った。ただ殺すのであればわけはないが、事故に見せかけて殺すのは至難の技に思われる。

「確か、春ごろにもう一つ何かなかったか?」

カミラが口を開いた。

「あのたくさんの犬と馬で猪を追い回すだろ?」

「ああ、狩り解禁の際にやるあの祭事ですね。」

四月に入って、王領の森で行われる王室の行事である。バルフォルトの東へ馬で30分ほどかけると、モンブレウという山と山の麓にブレウの森がある。この森は代々ブレスト王家の者が狩りを楽しむ森として、普通の人間が入ることを許されていない。

ギディオンが現れるよりももっと古い、一番最初にこの地に足を踏み入れ住みついた祖先は、もともとは狩猟を得手とし、獲物を求めて各地を移動する民族だったという。農耕や牧畜が広まり、民族の生活習慣が大きく変化した今でも、自らの起源と闘争的な魂を忘れることがないようにと、ブレスト王家の王族は狩りをたしなむのである。

特に4月と秋10月に行われる狩りには、主だった諸侯も招かれ、狩りの技を競う。秋の10月から翌年の4月まで王室の者は狩りを行わない。これは、動物が冬篭りをし、森に飢えた狼が降りてくるせいでもあったが、表向きには、冬の間は殺生を行わず、森の動物たちを神聖なデュース神に捧げるということになっていた。

故に、4月は、狩り解禁と言われるのである。

この狩りは、王家の皇太子と王子たちが中心になって行い、それを若い貴族がお手伝いする。捕らえられた獲物は一部がデュース神に供物として捧げられ、残った者を皆で分け合う。

「でも、あの行事でも王子に万が一のことがないように、そばには護衛の者や行事に参加する諸侯がついているはずですが…。」

「だが森は広いからな。宮中に協力者がいるとすれば、衛兵の中にあちらの手の者を潜り込ませることもできる。森の中で一瞬王子を一人きりにすることもできるだろう?」

「防ぎきれるでしょうか?」

「ふむ……。」


長老は、カミラの方を見た。

を見てくれんかの?」

「あいよ。」


カミラは隣の部屋から美しい木彫りの箱を取り出してきた。中から羊の皮をなめらかになめした物を取り出して、テーブルに広げた。皮の上には大きい四角、その中に二重の円、その中に三角などの図形が描かれており、図の要所要所に文字のようなものが描かれていたり、数字が書かれている。

「話すんじゃないよ。気が散るからね。」

同じ木箱から、小さい布袋を取り出す。袋の口をしぼっていた皮ひもをゆるめ、片手をつっこむ、小さい石と石がぶつかりあう音が聞こえる。カミラは目を軽くつぶり、口の中で呪文を唱える。目をつぶったまま、袋から手を抜き出し、つかんでいた石をテーブルの上の皮の上にばらまく。青、赤、透明、緑、ピンク、透き通ったすべすべの丸石の他に真っ白な石もある。カミラに投げられて、石は乾いた音を立てちらばった。中には皮の外へ飛び出したものもあった。カミラはじっくりと一つ一つの石を眺めていく。ぶつぶつと何か話している。一通り見終わると、先に長老の耳元に何かこそこそとつぶやいた。長老は、カミラのことばに軽くうなずいた。おばばは、テルマに向かって口を開いた。


「残念ながら、今の段階、敵さんの力とわたしたちの力とじゃ、敵さんのほうが1枚ぐらい上手なようだよ。」

カミラは、ふるふると頭を振った。

「それにね、少し離れた未来にもっと強い大きな力があちらの方に渡るという気配が見える。」

「もしかして、ギディオンの偉大な力ですか?」

カミラは軽く目を閉じてうなずいた。

「エドガーはあの力にずいぶんと魅せられていたようだからな。あいつが関わっているなら、そうだろう。考えたくはないが、力に辿りつく方法を見つけてしまったのかもしれん。どうも、嫌な感じじゃ。それに対して、我々には勝算がない。仮に、その猪狩りの日に、王子を守ったとする。まだ次がある。やつらはしとめるまで、止めない。防ぎ続けても、やつらが例の力を得たとしたら、まず、守りきれない。死ぬのは王子だけじゃないよ。その時はね。大勢死ぬよ。これはそういう相だ。」


テルマも長老も黙って聞いていた。カミラは時折、皮の上の石を指差しながら、ゆっくりと口を動かした。

「わたしたちは、このギディオンの力を防ぐために、動くべきだね。うん、エドワード王子の相はね、この石と対峙するようにこちらに出ているこれかもしれない。エドワード王子がこの相を防ぐきっかけとつながってるのかもしれない。だけど、この相に比べてエドワード王子の石は弱すぎる。王子だけでは足りないんだよ。いずれ相対せず、こちらが崩れる。」

カミラは、石をこつこつとたたいた。

「エドワード王子とつながる石があるはずだ。その石が直接、これと対峙すべき石なのさ。どれだい?」

カミラはゆっくりと見渡す。

「ああ、たぶん、これだね。」

勢いあまって、皮の外へはみ出した石を指した。


「今のままじゃ、王子とこの石はつながらない。今のままじゃ、私たちに勝算はないよ。だけど、シュバルツの示した王子に間違いはない。王子の存在は、皆に平安をもたらすものだ。今はまだ力が弱いが、時を経てより大きく輝く存在となるだろう。我々はやつらに王子を殺させてはならない。王子を殺せば、この世の闇が濃くなるだけだ。石全体の流れが、大きな渦を巻いている。世の中が大きく変化するという相だ。王子の生死は、この変化の相を止めるものではない。この変化は起こるべくして起こるものだからね。どんな存在もこの相は止められない。王子の生死と、この邪悪な石が握っているのは、この世が明るく進むか、死のにおいに包まれた陰惨な様子で進むか、そういったことだろう。」

「おばばの言いたいのは、王子の生死に限らず、我々の行き着くところは同じだということなのか。」

「ちょっと違うよ。もともと、我々は、変化の渦の中を生きてるのさ。我々の使命はね、渦の流れる向きを変えることじゃないのさ。渦を流れる水の質を変えるとでもいうのかな?行き着くところは同じでも、きれいな水の中を流れるのと、汚い水の中を流れるのは違うだろう?過程とでもいうのかね。それが、我々の領域さ。」

「そこへ行き着くための方法を考えるということですか?」

「ま、だいたいそういうことだ。」


カミラは、石を袋に戻し始めた。テルマはユージーンに尋ねた。


「具体的にはどう動きますか?」

ユージーンは目をつぶって、考えていた。ゆっくり目をあけると、逆にテルマに聞いた。

「お前は、どう思う?」

テルマは腕を組んだ。

「真正面からの戦いを避け、一旦王子を安全な場所へ隠す。それしかないのでは?」

「同意見だ。実際にどうする?」

「そこまでは、ちょっと・・・。」

ふん、とつぶやく。ユージーンは腕を組み、片手で自分のひげをなでながら口を開いた。


「レイラに手を借りろ。」

ユージーンは一部の者だけが知る、巫女の名前を挙げた。テルマは目を瞠った。

「とても危険です。成功する保証はありませんが・・・。」

「それでも、いちかばちかやってみるしかないの。シュバルツがついてる王子じゃし。大地の女神が、この世に平安を与える存在をむげに見捨てるとも思わないしのう。」

ユージーンののんきな様子に、テルマはあきれるよりもかえって感心してしまった。

「なあ、テルマ、とても重要なことなのじゃ。中途半端な策で、相手に見つかり殺されるわけにはいかん。危険な策にかけてみるしかないじゃろう。」

ユージーンは諭すように言った。

テルマは長老の顔を見て、それから、カミラの顔を見た。暖炉のちろちろと揺れる火を眺めた後に覚悟を決めた。


「わかりました。で、その後は?シュバルツの子孫、ですか?」

「もし、敵さんが、本当にあれを復活させちまうなら、な。詳細は、ヒューと相談して決めろ。人がほしければわしに言うことじゃ。口の堅いのを選ぶ。このことは、あまりたくさんの者には知らせたくないのでな。」

テルマは頷くと、立ち上がった。


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