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The story of Quisalpina  作者: 汪海妹
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32 浄化の炎













   32 浄化の炎












   

「ルシアス、体がまだ本調子でないところをすまないのですが、会ってほしい人がいるのです。」


目覚めた日の翌日、ルシアスにヒューが言った。

ルシアスはまだ寝たり起きたりを繰り返していた。


「誰ですか?」

「それはご本人にお会いしてからでもいいですか?」


ルシアスは少し不安に思った。


「ヘクターも一緒に連れて行ってもいいですか?」


ヒューは少し驚いたようだったが、しばらくするとかまわないと言った。


その日の夜、人通りが減ってから、2人はヒューに伴われて馬車に乗った。本当に久しぶりに薬店の外へ出た。石畳の上をカラカラと車輪が回る音がする。しばらく表通りを行った後にふと裏通りに入り、くねくねと曲がっていく。どのぐらい行っただろうか、とある館の前で馬車が停まる。ルシアスはそっと眺めた。暗くてよくは見えないが、貴族の屋敷のようである。

ふと、自分の服装を見る。こんな汚い恰好でいいのだろうかと気になったが、ヒューに促されて馬車を下りた。


屋敷に入ると、執事が三人に丁寧にお辞儀をした後に


「もう到着されていて、奥でお待ちです。」


二階へと続く大きな階段へと促された。階段を上って、左へと進む。廊下の奥の方に灯のもれている部屋がある。その部屋以外は暗くて、とても静かだった。

屋敷全体がとても静まり返っていた。


きいっと音がしてドアがあく。中にいてひそひそと話し合っていた数人の人間が話すのを止めてこちらを一斉に見た。皆、きれいな服を着た人たちで、ルシアスは一気に気がひけた。ほっそりとした金髪の青年がテーブルに座っている2人のそばに立っている。座っている2人のうちの1人は少し太ったおじさんで、その人と一緒に座っている人は、きれいな服を着て、上品な顔立ちをしているから大人っぽく見えるけれど、よく見ればかなり若い。もしかしたら自分と同じぐらいではないかと思われる。部屋の隅にもう一人男が立っている。おそらく座っている2人の警護の者ではないかと思われた。


ルシアスはそのともすれば少年と言ってもいいような男から目を離せずにいた。相手も自分をじっと見つめている。そして、ふいと視線をはずしてヒューを見た。


「久しぶりだな。」

「ご無沙汰しております。」


ヒューはそう言って、男の前に跪いた。ルシアスとヘクターは驚いた。男はヒューの肩に手を置くと落ち着いた声で言った。


「こういうことは今はしないでよい。見ろ、連れが驚いているぞ。」


ヒューは振り返って2人を見ると立ち上がって2人の横に立った。


「奥からヘクター、こちらがルシアスと申します。」

「その、どちらが……」

「こちらのルシアスが、そうです。」


男が笑顔になった。そして、立ち上がりルシアスの手を取った。


男が立ち上がってルシアスの手を取ったことで、周りの者が動揺した。


「王子……」


男にあわせて思わず自分も立ち上がった年配の男の口から洩れた言葉にルシアスは驚いた。


え?今なんて……


「なにも聞かされていなかったようだな。初めまして。エドワードと申す。」


ぽかんとした。エドワードって誰?


「死んだことになっている皇太子だ。」

「え?」


死んだことになっている人に今、手を握られている。

その顔がよっぽど面白かったのか、ぱっと手を離すと王子はくすくすと笑いだした。


「よほど驚いたと見える。心配するな。幽霊とかそういうものではない。足はついている。」

「あの……」


助けを求めて周りを見渡した。ヒューと目が合う。


「暗殺されそうになったのを我々がお助けしてずっとお守りしていたのです。」

「その、なんで?そんな偉い人が僕に何の用ですか?」

「この、テルマから聞いたのだが……」


王子が脇に立っている金髪の男を指さした。ヒューがそれに続けて言った。


「わたしと同じ村の者ですよ。」

「ああ、ケンソルブリーの?」


金髪の男がそっとお辞儀した。エドワードは言葉をつづける。


「そなたには、その、不思議な力が宿っているのだろ?」


ルシアスはきゅっと口を結んだ。結んでから言った。


「はい。」

「それは、つい最近ウェサルで起こったようなことを防ぐことができる力だと聞いた。」

「あの、黒い風のことですか?」

「そうだ。そう聞いた。それは本当か?」


真剣な顔をしていた。


「実際にやったことはありませんが、おそらく。」


そういうと、少し硬くなっていた顔がゆるんだ。


「どんなふうに防ぐのだ。なにか火を使うと聞いたのだが。」


ルシアスはちょっと躊躇した。この人、どういう人かわからない。それに、ルシアスはずっとよっぽど限られたときでなければ、自分の火術を外の人に見せたことがない。この人は信用できる人だろうか?偉い人だから信用できるというわけでもないと思う。頭の中にヘカトーが別れ際に言った、人に頼れということばとでも頼る相手を間違るなということばがこだまする。

そして、カミラが浮かんだ。手を合わせろと言って、そして、自分のためにいつまでも頭を垂れて祈ってくれた。


自分は間違えるわけにはいかない。


「あなたは僕に何をさせようとするのですか?」


王子を、王子という人をまっすぐに見つめてそう言った。


「おい、そなた臣下の身で……」


慌てて口を出してきた横の年配の男を王子が遮った。


「ハロルド公、そういうのはこの場ではよい。要らない。」

「ですが、王子……。」


王子は横を向いて続けた。


「この者にはこの者の責任があるのだ。それは相手が王族でも変わらないのだよ。」


そういうと、ハロルド公は黙った。ルシアスはこの時、このハロルド公がトランサル領でいちばん偉い人だということを知らなかった。


「わたしはこのわたしの術で人を殺すつもりはありません。」


横を向いているエドワードにそう言い放った。


「うむ。」

「わたしはただあの黒い風、あれから人を守りたい。あんなものでたくさんの人が亡くなるのは間違っています。」

「それは、お前なら、あの黒い風を、黒い風だけを防ぐことができるというのか?」

「おそらく。」

「それで、封印というのはどうするのだ。」

「術を発動している者を倒します。」

「お前は、封印をする際にその術を発動している者を殺さずにできるのか?」


ルシアスは少し言いよどんだ。


「言い伝えでは、かつて封印をほどこした者は、ギディオン王を生かしたと言われていますので。ただ、実際にどうなるのかはやってみないことには……」

「うん。そうか……」


エドワードはルシアスから視線をはずすと、少し黙って考えていた。


「つまり、お前は人を殺したくないと、できるだけ殺したくないとそういうことか?」

「はい。」

「わたしの望みとお前の望みはそんなに変わらない。」

「……」

「わたしの望みも、あの黒い風、あんなもので国の民をもう二度と殺させたくない。同じ国の中であんなものでもって、命を奪うなど、あってはならない。でも、自分の力ではあれを防げない。だからお前に助けてほしいのだ。」


そう言って、エドワードはまっすぐルシアスを見た。


「力を貸してはくれないか?」


その時、エドワードの目に悲しい色を見た。それはきっと、あの惨状を見たときの感情の色。それにルシアスはすんなりと共感した。自分もまた、あれを見た。

あの黒々とおびただしく重なる死体の山を。


「わたしを黒い風から守る以外には戦に利用しないと誓ってくださいますか?」

「誓おう。」


その言葉にふと自らの身のうちでなにかが反応した。

懐かしい何か、しんと静かに冷たく響き渡る感覚。

しんしんとそれが停まることなくわきあがる。あまりにも長い間、それは自分と一体で、自然すぎて忘れていた。もしかして、これが、今まで自分の心を保ち、守ってきたのだろうか?そして、今、より一層の力で自分を守ろうとしている?


それは、かつてイーディスがルシアスに贈った指輪だった。アクアマリンの指輪。それが、反応している。今、この時。ルシアスにはそれが、まるで、今はこの世にいないイーディスからのメッセージのように思えた。今もここにいてこの傍らに。イーディスが自分を守ってくれているような。


迷いも、戸惑いも、恐怖も、なにもかも、全てが消え去ったとは思えない。

ただ、自分は1人ではない。

自分の周りには昔から自分を理解し支えようとしてくれた人たちがいた。その人たちのために、自分は失敗するわけにはいかない。

必ず成功させる。


「お見せしましょう。」


瞬間、ルシアスの顔が変わった。無邪気な子供らしさが消え、ふいに、大人びた表情をして、次の瞬間空中に炎の塊が湧き出た。


「おおっ~。」


その小さな炎は、本当にきれいだとエドワードは思った。白く輝き、すごい速さで炎が球の中をぐるぐると駆け巡っている。いくつもの細かな筋となって廻っている。そこから風が生まれて、周囲のみんなの髪をなぶる。そして、ちりちりとした熱気がこの小さな塊から発せられている。


「小さいな。」


ハロルド公が思わずそうつぶやき、皆がそっちを見た。


「あ、いや、こんな小さな物であんな大きな物が消せるものかと思いましてな。」


そういうと、ふっとルシアスの手のひらの上から炎が消えた。


「このような狭い部屋でそんな大きな物を出せません。」

「え、あ、なるほど。」

「今のは僕の出せる一番小さな物です。」

「ほう。」


ハロルド公は小さいと言ったが、あの炎の塊は実際はぶつけたら相当の破壊力を持っているのではないかとエドワードは思った。力をぐっと中央に向けて集中させているだけで、抑えきれない力がもれて皆の髪をなぶっていたではないかと思う。いや、たしかに人知を超えた力というものは存在するものだ。それはなんと、きれいで魅力的な色をしていたことだろう?

だからこそ、恐ろしいのだろうなと思う。


一向はそのまま、モナチェスターの中央にあるハロルドへの居城へと移動する。エドワードは隠遁を終え、舞台に戻る。ルシアスを携えて。


その夜、1人になってからエドワードはルシアスについて思いはせた。ああいった大きな力を身のうちに抱えて生きるということの大変さを思った。そして、その次にレオナルドについて思った。ルシアスと同様、レオナルドも今、身のうちに大きな力を抱えている。

弟は大丈夫だろうか?

どうして弟があのような禍々しいものを身の内に宿してしまったのか。おそらくダグラス公か、アデルか、周りの者に踊らされたのだろう。だが、これはあまりにもひどい仕打ちだと思った。


あの黒い風。

あの不吉な死。


ルシアスの持つ力というのもきっと強大であるという意味では危険なものなのだと思う。だけれど、あの炎は美しかった。それに、ルシアスの願いは穢れてはいなかった。ルシアスの魂は穢れてはいない。ただ、邪悪なものから守るためにだけおのれの力を使うと言った。では、レオナルドはどうなるのか?王族でありながら、あのような邪悪なものに取りつかれてしまった。そしてあんなにたくさんの人を、民を葬ってしまった。あのような残虐な方法で。


弟の魂はもう穢れてしまったのだろう。

そのことが、ただ悲しかった。


レオナルドとはそんなに一緒にいたわけではない。身近に過ごす時間はそれなりにあったが、2人の間では家族であるにはよそよそしいなにか壁のようなものがあって……。だけれど、それでも近くで見ていたから知っている。弟にはなにか、愚かな部分があるのかもしれない。でも、それを補うさまざまな優れた点があって、何より弟は決して邪悪な人間ではない。もともとのレオナルドは善良な人間だ。それがどうしてあのようなことをするに至ってしまったのか。きっと、今、レオナルドは苦しんでいるに違いない。


どうしてこのようなことになってしまったのだろうか?自分があの場で殺されなければ、あの王宮に居続けていたら、きちんと皇太子として。弟を守ることができたのだろうか?


わからない。

わからないけれど、だからといって、身の内をかけめぐる悲しみがあったとしても、ただ、自らのために涙を流し逃げるわけにはいかない。

自分はもう、逃げない。逃げるわけにはいかない。


前へ進んで、そして、せめて全てをこの目で見ようと思う。起きたこととこれから起きることのすべてを。


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