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一、九十九堕ちと神喰い人・詰草伊吹


 ガタンゴトンと電車が揺れる。満員電車のなか、運良く座席に座れた少女は、なにをするわけでもなく、ぽうっと窓のそとを眺めている。

 その傍ら、座席に座れなかった女子高生二人組が、ひそひそと噂話をしていた。


「ねえ、また通り魔が出たんだって」

「かわいそう。でも、言って隣町だし私らには関係ないよね~」

「ね~!」


 女子高生の会話を聞きがら、同じく女子高生である――座席に座りそとを眺めていた少女――皐月翠(さつきすい)は、内心で思う。


(まるで他人事みたいに……)


 そうして翠は、その場で眼を閉じながら、どうか来世では幸せに、と願わずにはいられなかった。




 今思えば、今朝の自分もまた、通り魔など、ひとの死など他人事だったに違いない。どこかでその出来事は自分とは無関係だと思いこんでいた。

 それなのに、今目の前で起こっている現実に、翠はどうすることもできない。

 真っ青な顔で立ち尽くす翠の眼前には、荒らされた部屋と血まみれの家族の死骸。

 そして特筆すべきは、謎の青年と化け物が、対峙しているということだった。


 青年は綺麗な黒い髪と、切れ長のややつり上がった目をしており、黒いスーツを見にまとっている。そしてなにより、その手には青く光る刀が握られていた。

 ガリガリガリ、と青年の刀と化け物の牙がつばぜり合いになる音が部屋に響くなか、逃げねばと頭ではわかっていても翠の体は動かなかった。翠に気づいた青年が叫ぶ。


「逃げろ!」


 そこでようやく翠の体に感覚が戻り、思考と体が合致する。逃げなければ自分は死ぬ。あの青年が何者なのか、あの化け物がなんなのか。疑問を抱く余裕すらない。翠はようよう足を動かす。しかし、走るために出された一歩は、呆気なく崩れ去った。

 恐怖から体が悲鳴をあげた。どうやら人間は、恐怖の度を越えると本当に体に力が入らなくなるらしい。


 カタカタと震えてその場にへたり込む翠に、不運は重なる。今まで青年に気をとられていた化け物が、翠に気づき標的を変えた。

 青年の刀から逃れるように、化け物はぐるりと体を翠に向ける。そのままバタンバタンと音をたてながら、翠のもとへと一目散に化け物が走る。


 殺される。


 翠は眼を閉じるも、青年のほうが速かった。

 化け物よりあとに走りだした青年は、化け物より速く翠までたどり着く。青年が今一度叫ぶ。


「逃げろ!」


 だが、たどり着いたからといって青年が化け物に対して構えをとる余裕はなかった。翠は今度こそ化け物から逃げ走るも、後ろからなにかが壁にぶつかる音と、青年の呻き声が聞こえる。青年は化け物に弾き飛ばされ、唯一化け物に対峙できる刀もまた、手から弾き飛ばされた。


 壁に打ち付けられた青年は、かろうじて化け物の牙に素手で抵抗している状態だった。

 翠はちらりと青年を振り返り、青年の状況をすぐさま理解した。

 だからといって、翠になにができるはずもない。


(見殺しにするの? あの人を)


 逃げる翠の足が止まる。


(でも、逃げなきゃ私も死ぬ)


 翠は家の中を見渡す。父、母の死骸を見て、思わず目に涙が溢れてくる。


(死ぬ、死。死ぬの……? 私が? あの人が……? あの人を犠牲にして、私だけ生き残るの?)


 その時翠の脳裏に走馬灯が走った。

 遠い遠い記憶だった。まだ翠が幼い頃、大好きな母親にいだかれている。母親は翠の頭を一撫でして、笑った。


「翠、あなたは優しい子だから。あなただけは絶対に生きて」


 なぜ今、そんなものを思い出したのか、翠にもわからない。わからないが、きっと自分は、このままこの青年を見殺しにしたら、一生後悔するということだけはわかった。


(お母さん、ごめん。私は、私は)


 迷ったのは一瞬だ。次には翠は、しっかりした足取りで、自分の意思で、弾き飛ばされた青年の刀に走っていた。


「馬鹿が! 逃げろ! オマエじゃ役に立たん!」


 青年が叫ぶも、翠は足を止めない。


(そんなの私が一番分かってるよ!)


 一歩、二歩、三歩。

 助けられるかもしれないのに、見捨てられるはずがない。翠はそう思いながら、死に物狂いで走る。

 化け物はいまだ青年に夢中で、翠には気づいていない。

 たった数歩が果てしなく長く感じた。

 翠はやっとの思いで刀を拾い上げると、その勢いのままに化け物に走る。


「うわぁあああ!」


 そうして無我夢中で刀を振り抜き、化け物に傷を負わせる。

 ざしゅ、と化け物を切り裂く音がする。


「ぐぁあぁあ!」


 耳をつんざくような化け物の叫び声とは裏腹に、青年は翠を見て眼を丸くしている。


(振り抜いた、だと?)


 翠が自分の刀を危ういながらも振り抜いたことに、青年は心底驚いた。そんな人間は前代未聞だ。なぜなら青年の刀は普通の刀ではない。

 だが今はそれよりも、化け物を倒すほうが先だった。

 化け物が怯んだ隙に青年は化け物から退き、翠の手から流れるように刀を取ると、目にも止まらぬ速さで化け物の胸を突き抜いた。


「ぎぁあぁああ!」


 ビリビリと空気が振動するほどの断末魔に翠は耳を塞ぐ。

 青年は渋い顔をしている。『痛み』をこらえているようにも見えた。

 一瞬の決着に、翠はその場に立ち尽くす。あれはなんなのだろうか。

 そうして化け物はハラハラと姿をフランス人形に変えていく。


(人形……?)


 翠には訳がわからない。だが、青年はそのフランス人形を拾い上げると、翠のほうをちらりとみやる。青年の手に、先ほどまで握られていた刀がなくなっていることに翠は気づいた。


「すまない。オマエの家族は皆死んだ」

「え……」


 青年の言葉に、翠はようやく状況を思い出す。ハッとしたように死骸に走り、動かない血だまりを見たとたん、家族の死を受け入れざるを得なかった。翠は、胃を押さえ、その場に膝をつき、胃のなかのものを吐き出した。


「お父さん、お母さん……」


 嗚咽を漏らしながら涙を流す翠に、詰草は無表情のままに、


「娘、神喰い人は知っているか?」

「……」


 唐突な問いかけをする。だが翠は、傷心でなにも言えなかった。青年は、淡々と続ける。


「俺は『神喰い人』の詰草伊吹。九十九堕ち――先程の化け物を斬ることを生業とするのが、俺たち神喰い人だ」


 だが翠は、無言のままだ。今はなにも考えることができない。状況をのみ込めない。だというのに、詰草という青年は薄情だ。翠の置かれた状況を目の当たりにしてなお、顔色ひとつ変えない。

 詰草はフランス人形を見詰めている。


「この人形が、あの九十九堕ちの本当の姿だ。これらは本部で丁重に奉り燃やされる」


 淡々と説明をする詰草に、翠は聞いていないようだった。

 しかし詰草は構わず続ける。


「神喰い人にならないか?」

「……いまさら……」


 あまりにも他人事な詰草に、さすがの翠も腹がたってくる。翠はゆらりと立ち上がり、詰草の胸ぐらを掴む。


「今さらそんなのになったって! 家族は戻らない!」

「オマエには才がある」

「はっ。だから私と同じ思いをするひとを減らすために、私に神喰い人になれって?」


 ふたりは真正面からにらみ合う。ジリジリと翠の胃はいまだに痛む。吐き気だって治まっていない。だというのに、追い討ちをかけるような詰草の言葉に、腹が立たないほうがおかしいというものだ。


 才があると言われて、はいそうですか、と答えられる状況でもないことは、詰草もわかっているはず。わかっていながら翠にそんなことを言う詰草が、翠にはわからなかった。

 翠は、詰草の胸ぐらから手を離す。そうしてぎゅっと拳を握りしめ、唇を噛み締める。


「私はそんな殊勝な人間じゃない」


 翠は家族との思い出を想起する。楽しかった思い出だ。どれも大切であたたかい、思い出だった。

 だが同時に、詰草のことも思い出された。見ず知らずの翠を、必死に庇う詰草の姿だった。

 翠はよりいっそう強く強く唇を噛み締めた。


(私は……)


 言うだけ言って、詰草は翠に背を向けて歩きだしていた。

 詰草は憂いたのだ。翠が家族の後追いをするのではと。だから、自分が所属する神喰いの本部に連れていって、同じ境遇の仲間と触れあわせて、後追いの気持ちを癒そうと思った。

 だが、翠の強い決意に満ちた瞳をみて、詰草はそのまま去ることにした。翠からは生きる意思が感じ取れた。

 しかし、意外なことに、翠は詰草を呼び止める。


「私は! 家族の復讐のために! 神喰い人になる!」


 叫ぶような翠の決意に、詰草は無言で振り返る。

 その瞳には一切の迷いはなかった。


(復讐……ね)


 詰草は、翠に一歩歩みより、そうして左手の手のひらから刀を抜刀する。翠はただただ目を丸くするしかできなかった。なぜ左手から刀が出てきたのか、まるで手品を見せられている気分だった。


「この刀は『神喰いの刀』。九十九堕ちを斬れる唯一の刀だ」


 詰草はその刀をぎゅっと握りしめる。大切なものを手放さないという意思の現れにも見えるし、刀を憎んでいるようにも見えた。


「持ち主の『魂そのもの』だ。本来ならば、訓練を受けた使い手にしか振り抜けん」


 詰草は刀を翠に掲げるも、翠はパッとしない表情だ。魂だの神喰いの刀だのと、一気に色々な情報を与えれて、なかなか消化できそうにない。

 詰草はふうっとため息をついて、刀を左手の手のひらに納める。体のなかに収まるのは魂だからだろうか。翠はやはり驚きを隠せない。

 驚き目をぱちりとしばたたかせる翠を見て、詰草は顔をしかめる。


「どういう訳か、オマエは訓練もなしに神喰いの刀を振れる。それは歴とした神喰い人の才だ」


 才がある、その言葉の意味をようやく理解するも、翠は浮かない顔だ。そんなものがあったって、家族を救えなかったのだから意味がない。

 翠は暗い表情で家族の死骸を再びみやる。やはり胃がきゅっとして、吐き気がした。


(才があったって、大切な人を守れないんじゃ、なんにも意味がない……)


 赤い月がさんざめく夜、皐月翠は、詰草伊吹に見いだされ、神喰い人の道に足を踏み入れた。

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