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後編「予期せぬ流れ」

「や、安岡くん、どうしてここに……」


 おいおい。


 暇じゃないって、まさか、これのせい?


 俺、この人にとって、この、当たりもしない宝くじ以下なの……?


 俺は頭を掻きながら答えた。


「いや……通りかかっただけです」


 伊藤さん、うなだれて真っ赤になってる……


 へー。


 この人、こんないい顔するんだ。意外。


 ちょっと顔を覗き込んでみる。


 あ、目をそらされた。


 何か……かわいい。


 せっかく会えたし、まだ離れたくないな……


 俺がそう思って佇んでいると、周囲の客から「割り込むんじゃねえぞ」という圧を感じた。すみません。本当、その通りです。皆様の邪魔ですね。


「……ちょっと俺、あっちで待ってていいですか」

「え?うーん……まあ、いいけど」


 伊藤さんは耳まで赤くして困りながらも、ふいと前を向いた。まるで、宝くじの神様に祈るように、真剣な顔で。


(二歳下、か)


 宝くじ売り場で列に並ぶ彼女が、急に幼く、年相応に見えて来る。


 伊藤さんは宝くじをしっかり握りしめて戻って来た。


「……お待たせしました」


 彼女は小声で言う。


「いいえ」

「で、話って何?」


 俺は考え込んだ。


「その……伊藤さんって、なんでこの百貨店に入社したんですか?」


 彼女はぽかんと口を開けている。


「……何だ。そんな話なの?」

「はい」


 雑踏の中で立ち話。急に距離が近付いた気がする。


「そりゃもう」


 彼女は、当然のごとく言い放った。


「お金よ」


 しんとする。一瞬、耳を疑う。聞き間違いかと思った。


「……え?お金?」

「うん。ここは基本給が高いし、売れば売るほど、ボーナスがもらえるでしょう?」

「……あ、はい」


 何だよぉ……高尚な話を期待してたのに……


「安岡くんこそ、どうしてうちに入ったの?」


 俺ははっとした。


「え?俺?」

「私も教えたんだから、教えてよ」


 ああ、そっか。


 勝手にしょうもない話だなんて思ってごめんなさい。伊藤さんからすれば、凄くデリケートな話だったかもしれないのに。


「その……ちょっと前まで、俺、モデルとかやってたんですけど」

「ふーん。安岡くん、背高いもんね?」

「このまま続けられるのかなって。大学生モデルだっていうので、仕事を貰えてる気がしてたし」

「へー」

「その肩書が外れたら、なんか……自分の価値がなくなる気がして。就職した方がいいかなーって」

「……ふーん」


 伊藤さんはこちらを少し斜めに、挑戦的に見上げている。


 あ、そうだった。伊藤さんは高卒だったんだ。やばい。迂闊だった……!


「すいません……」

「……謝るんだ?」


 ああああ本当にすみません!


「あの、だから、ちょっと人生に行き詰まってるっていうか」


 わわわわ。何言ってんだ、俺!


 真っ赤になった俺を見上げ、伊藤さんはくすくすと笑う。


 彼女は俺の目を見据えると、はっきりとこう言った。


「価値なんて、簡単よ。自分の値段ってことでしょ?」


 ……え!?


 そ、そうかな……?


「あなたの稼いだ金額が、イコールあなたの価値なのよっ」


 えええええマジで言ってんの?ソレ!


 唖然とする俺にお構いなしに、彼女は力強く続ける。


「それ以外に何があるの?どんなに学歴があったって、お金を稼げなければ、生活出来なければしょうがないわ。価値を自分で設定しようとするから迷うのよ。あなたの価値は周りが決める!その尺度の一番分かりやすいのが、稼ぐ金額。私はそう思って百貨店ここにいる」


 へー。


 ここまで価値観がはっきりしてると(合ってるにせよ間違ってるにせよ)清々しいな。


「はい、他にご質問は?」


 俺は首を横に振る。なんか……この人には敵わないなぁ。


「……ないです」

「じゃ、ここでお別れね。また明日」


 伊藤さんは、迷いのない足取りで歩き出す。その背中に再び驚かされながら、俺も帰路に就く。


 不思議と、今まで抱いていた迷いはなくなった。


 結局俺は顔にかまけて、自分の価値を見失っていただけだったのだから。


 でも、それに気づいてしまったら──


(超恥ずかしいんですけど!)


 一人暮らしのベッドの中、色々と悶絶する。自分の価値を見失っているナルシストなんて、存在自体が矛盾してるじゃないか。もう本当、気持ち悪いな俺。


 伊藤さんの自信に満ちた顔を思い出す。


(待てよ。っていうことは……)


 俺はふと考える。


(伊藤さんの売り上げを抜けば、俺は伊藤さんより価値がある……ってことなのかな。伊藤さん的に、対等な関係に見てくれるっていうことか?)


 そこに思考が行き着くと、急に何もかもが腑に落ちる気がした。


(もしかして発破かけられてんのかな、俺……)


 その可能性がないわけではない。でも、あの調子だと伊藤さんに他意はなさそうだ。


 それから、彼女の赤い顔を思い出す。


(あの顔)


 次第に俺は眠りに落ちて行く。


(もう一回、見たいな……)


 急に沸き起こる謎の欲望に戸惑いながら、俺はふわふわと奇妙な夢を見る。


 伊藤さんの赤い頬に触る。


 ……熱い。


 それだけの夢。




 それから二週間に及ぶ百貨店での研修が終わり、ついに配属先発表の日になった。


 封筒を渡され、そこに書かれていたのは。


──大阪店。服飾売り場。


(はああああ?服飾!?)


 関東でも、家具売り場でもなかった。この研修期間や勉強と、余りにも畑違いな配属先ではないか。俺は虚空を見上げた。


(大阪……)


 その瞬間、脳裏によぎった言葉に俺は愕然とする。


(じゃあ、しばらく伊藤さんに会えない)


 自分でも驚きの感想だった。何でそんなことを考えたのだろう。


 しかし、こうも思う。


(大阪に行く前に、またあの人と話が出来ないかな)


 俺の心は、転勤を受けて余りにも正直になり過ぎている。それに気づいたからか、俺の心の臓はぎゅーっと絞られるように痛んだ。


 体が率先してこんな感じになるのは、初めてのことだった。


 正直、付き合った彼女の数は人よりだいぶ多い方だ。顔の良さにかまけて生意気に、女の子をとっかえひっかえしていた頭のおかしい時もあった。それでも胸は痛まなかったし、むしろ何も考えなかった。その時が楽しければいいとあの頃は本気で思っていた。


 だが、今回は違う。


 伊藤さんのことを考えると、めちゃくちゃ苦しい。


 やっぱり、これって……


 くらくらしたまま、売り場に出る。遠くに伊藤さんの姿が見えた。


 あの宝くじ売り場での一件以来、業務以外の話はしていない。


 だめだ。俺は多分、ショックで頭がおかしくなってる。


 俺の足は勝手に動き出し、伊藤さんの元へまっすぐに向かっていた。


 そしてはっきりとした声で、何の脈絡もなしに背後から声をかける。


「配属先、決まりました。大阪に」


 伊藤さんが、驚いたようにつと顔を上げた。


「ふーん……大阪?」

「はい」

「頑張ってね」


 伊藤さん、あっさりと前を向いた。予想がついていたことだが、この類の無関心は今の俺にはなかなかにキツい。


「……あの」

「……何?」

「帰り、時間ありますか?」


 すると。


「あるよ」


 これは意外な答えが返って来た。俺は急に体が軽くなるような気がした。


「ほ、本当ですか!?」

「うん。また何か悩み?」

「あ……ええっと……まあ」


 悩んでいるに違いはないのだろうが……


「じゃあ、帰りに宝くじ売り場でね」


 え。あそこなの?立ち話しか出来ないじゃん。


「あの……」


 俺は意を決した。


「帰りにどっか、食べに行きませんか?」


 すると伊藤さんはしばしきょとんとして。


「それって、お金かかるよね?」


 ええー!?やだもう、このヒト何言ってんのおおお?


 くそっ……この際、ヤケだ。


「おごります。俺のおごり」

「えっ、いいの!?」


 何だよ!どんだけ金の亡者なんだよこの人!でも攻略法があっさり分かったぜこんちくしょう!


「後輩におごってもらうなんて、悪いわ。で?どこのお店にするの?」


 何だよそのワンクッション!なのに目なんか輝かせて!己の欲に正直すぎるだろうがああああ。


「あの、じゃあ居酒屋でも」

「知ってる店があるのね?じゃあそこに連れて行ってよ」


 あっさり話はまとまった。


 俺はこれ見よがしにため息をつく。


 でも。


 彼女と話す機会を得られて、どうしようもなく嬉しい。




 帰りがけ、小さな大衆居酒屋に二人で入る。


 なんか伊藤さん、すっごくわくわくしてる。無論、酒と料理に。


 俺の自惚れは、彼女といると粉々になる。けれど、粉々にしてくれたことに感謝もしている。


 この人は、普通ではない独自の哲学を持っているのだ。


「私も大阪店に勤めてたことがあるの。あそこはいいところだから、大丈夫」


 あ、慰めてくれるんですね。


「東京から新幹線で一本じゃない、何も悲観しなくていいわ」


 あのう、そういうことじゃないんですが……


「で、悩みって何?」


 俺の顔が火照って、指先が少し震える。


 のどまで、言葉が出かかる。


 でも、いきなりすぎるし、居酒屋だし、それに。


 仮に思いの丈を告白したって、大阪じゃいきなりの遠距離だし。


 とりあえず行く前にツバつけとけ、なんて最低な奴だと思われるだろうし。


 新人の癖に売り上げ一位の先輩に手を出すなんて、何かアレだし。


 でも離れてる間に伊藤さんに彼氏が出来る可能性もなきにしもあらずだし。


 だからと言って今ちょっかいかければ、軽い気持ちだと勘違いされるだろうし。


 もう、どうしたらいいか……ああああ。


「あのっ」


 俺は意を決した。


「大阪店って、どんなところでしたか?大阪の美味しい店とか教えて下さい──」




 俺は今、新幹線に乗っている。


 行き先は新大阪。


 結局、肝心なことは何も言えなかった。気持ちは無駄に高ぶったまま、空回りする。


 俺は目を閉じた。


 稼ぐ値段が、己の価値。そう彼女は言った。


 くっそ。


「やってやろうじゃないの」


 窓の外を眺める。京都駅を通過したと、アナウンスが流れて来た。


 大阪のビル街。空を覆う電線の数々。それらを見つめながら、俺は心に誓った。


 いつか必ず、伊藤さんの成績を超えてみせる。そうしたら、また居酒屋に誘うんだ。そこで、絶対──



★評価いただけると、作者は泣いて喜びます

(★評価欄はページ下部にございます)ので、応援よろしくお願い致します!


ちなみにこれの四年後を描いた作品が、拙著

https://ncode.syosetu.com/n1362fy/

「猫耳生えたので有給取っていいですか?」

となっております。


読んで頂き、ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[一言] 航平頑張ったな!!!w ここから四年も……! 私には無理だw
[良い点] うふふふ。そういうことだったのですかぁ。うふふふふ。つまりは祥子さんの 顔<<金 なところとかまで、ツボだったんですねー。航平くんたらww [一言] 完結お疲れさまです! 楽しい裏話あり…
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