79 行かないで
「さ、さよなら…………」
ズクンと心臓が音を立てた。
――何か、何か言わなきゃ。伝えなきゃ。
そう思うほどに胸が詰まって言葉にならない。カーテンの向こうにはすでに気配が感じられない。静けさが心を引き裂く。
「……や、やだよ。お願い、さよならなんて言わないで。いか、行かないでぇ!」
なんとかひねり出したのに、子供のワガママみたいなことしか言えてない。
行ってしまう。もう、声を聞けなくなってしまう。早く、もっと。
「私の方が、嫌われたと、傷付けたと思ったの。許してくれるなら、行かないで。一緒に、一緒に頑張りたいの……。お願い!」
遅かった? もう間に合わなかった?
なんで私は、こんな大切な時にもうまくできないんだろう。情けなくて、悔しくて、おうおうと声をあげて泣いた。
溢れる涙も、嘆きも。この後悔も。
止められる訳がない。止めようとも思わない。
痛い、苦しい、つらい。
その時、テーブルに突っ伏して、頭の中で自分をなじるばかりの私の耳に、小さく、おずおずと囁くような声が届く。
「……お、俺を……許してくれる、の?」
「……! わ、私を許してくれる……?」
がばっと顔を上げると、カーテンの向こうには、なくしてしまったはずのシルエットが浮かんでいる。
震えを、嗚咽を、力尽くで封じ込めて、すぐさま返事を返す。もう後悔したくない!
「お願い、また、……ここに来て」
「来てもいい……の?」
「私、何にもできない。してあげれないけど」
「うん、これ以上、近づいたりしないから」
「……ありがとう。心は傍に居るから」
「……ありがとう。行かないでって言ってくれて」
また手放してしまわないように、息をするのも忘れて言葉を交わした。
二人して思い出したように、ほお、と大きく息を吐いた。はかったかのように同時で、それがなんだかおかしくて、流れる涙もそのままに声を出して笑った。
「ふふふ、……はあ、あんなに泣いて苦しかったのに笑ってる」
「ハハハ、俺もだ。調子良いな。俺、笑えるんだな」
「私ね、テレビとか見て笑っちゃった時、その後で心がひやっとするの。笑ってる自分にゾッとして。……なのに、今はあったかい」
「俺はもうずっと、ここに来る前は笑ってなかったんだけどなぁ。ここでなら笑えるんだ……」
二人ともきっと、涙で顔はぐちゃぐちゃだ。それなのに、なぜだかスラスラと口から言葉が飛び出して、会話がつながっている。それがじんわりと嬉しい。
「これからも一緒に笑えるよね?」
「うん、ここでなら声を出して笑っても、誰も責めない……よな?」
「責めないし、誰にも責められる筋合いもないよ」
「……! そうだな。俺も自信持ってそう言えるようになる。頑張るよ」
「うん、私もちょう子さんも応援してるからね」
「二人がついててくれるんだ。俺も一歩ずつ進めるはずだ」
「一歩ずつでいいからね。頑張りすぎないでね」
「……!!」
つかの間、たぶんひと呼吸ほどの静寂を破ったのは、もうすっかり冷め切ってしまったであろうお茶を飲む音。
ゴクンと大きめの音を立てて飲み干した彼は、
「そんなこと言ってくれる人、……いるんだなぁ」
どこか寂しそうに、吐き出すように呟いた。
「……?」
「今日は帰るけど、また話したい。愚痴っちゃうかもしれないけど、聞いてくれる?」
「もちろん。今日来てくれて本当にありがとう」
「来て……良かった」
ありがとう、と再び背を向けて歩き出す彼を、今度は止めようとは思わない。ちゃんと何かをつなげられたとわかるから。
ただ、カーテンの隙間から、その背中をじっと見つめて見送った。
「なんかお騒がせしました。すみません」
照れくさそうにちょう子さんに会釈した彼の横顔が、少し大人っぽく見えてドキッとした。
笑顔で手を振って、彼を外まで送り出したちょう子さんは、ドアが閉まった途端、くるりとこちらを向いてニマァと笑った。
目を瞑って、ほおっと大きくため息をついてから、
「ああ、キュンキュンきました。友情? 初恋? これがアオハルってやつですね……」
うっとりしたような顔をした。
その言葉を聞いて、私の顔はボッと熱くなる。
エ? エ? エ?
ユウジョウ!?
トモダチ?
私に…………、友だちができた!?
お読みいただきありがとうございます。
これにてこの章は終わります。
明日から最終章に入ります。
引き続きお楽しみいただけましたら嬉しいです。




