71 たどたどしい会話
あれからも私は週のほとんどを、ギルドで内職しながらちょう子さんと雑談して過ごしていた。
最初のうちこそ、新しい入り口が開くことになればこんなにのんびりと自由に過ごすこともなくなるだろうと、身構えたり、気合いを入れたり、無駄に力んで身も心も強張った緊張の日々だった。だけど、良く考えてみれば上層部のゴーサインが出るのはまだ先の話。今のところは彼の部屋に開いたという入り口以外はないらしい。
本格的始動には、まだもう少し時間が必要なのだ。
もちろん、嬉しい気持ちやワクワクするような期待があるのも本心だけど、少し猶予をもらえたようでホッとしているのも確かなところ。
その彼だけど、基本的には夕方にギルドを訪れて、ちょう子さん相手にポツリ、ポツリと自分のことを話しては帰っていくのが日課となったようだ。
たまに昼間にも顔を出して、私とも二言三言、話をする時もある。それは大抵たわいもない話で、私もそれに相槌を打つ程度の返事をするだけ。
「今日は暖かい」と独り言のように言うので、「そうだね」と返す。
「昨日は夜、眠れたんだ」
「そうなんだ、よかったね」
「昼間、外に出たのはすごく久しぶり……」
「うん、頑張ったね」
そんな感じ。時々、「犬、元気?」なんて明らかに私に向けて話し掛けてくる時もあるけど、深く関わろうとする雰囲気ではなく、お互いの存在を認識している程度の会話。そのくらい。
「ニンゲンコワイ」は覚悟一つで取り払えるほど簡単じゃない。
今の私は、全く関係ない、二度と関わらない赤の他人となら、すれ違うくらいなら怯えなくなってきた。
買い物に出て、レジの人と交わす必要最低限の会話なら――目を合わせないように俯いたままだけど――できるようになった。
それだけでも、すごく大きな進歩なんだ。
多少なりとも知り合いの彼と、朗らかに笑い合ったり、どうでもいい話で盛り上がったり、突っ込んだ話をしたり、なんて。
そういうのはまだまだ難しい。
彼と話す時も、ある程度距離は離れているし、お互い目線を合わせたりもしない。ポツリと話す言葉に、ポツリと返すだけだけど、私たちにとってはそれでも十分頑張った会話だった。
ある日、彼が不意に言った。
「俺……人が怖い。女の人は特に……」
思い詰めたような声音に、思わずビクリと反射して顔を上げると、彼もこちらを見ていたので一瞬目が合った。
お互い、慌てたように視線を逸らす。少しの沈黙。
「……ごめん、なんでもない」
彼はガタンと立ち上がって、そのまま帰ろうとした。慌てて後ろ姿に声を掛ける。
「あの、私も……! 話せる男性はあなただけ……」
振り返った彼は、瞳を丸く見開いて、少しだけ口元が緩んでいるように見えた。
「……なんでだろ、ね?」
それだけ口にして、やっぱりそのまま出ていってしまった。
後ろ姿をぼんやりと見送る私の傍にやってきたちょう子さんが、やはり彼の出ていった自動ドアを見つめながら言う。
「彼は、ななさんに話したいことがあるのかもしれませんね。私ではなく、ななさんに聞いて欲しいんでしょうね……」
彼が来ると、お茶を出した後は自然に事務所に退散して知らんぷりを決め込んでいるちょう子さんだけど、ずっと気に掛けつつ仕事をしている。
話し掛けられれば明るく優しい笑顔で受け答えするし、彼女の柔らかい雰囲気が、ここを安心できる空間にしてくれてる。
そんなちょう子さんでなく私に?
「だからこそ、頑張って昼間にも顔を出してくれるんだと思いますよ」
「……でも私、一対一だとちゃんと会話にならないし。うまく話せなくなっちゃって会話が続かないです。……聞くだけ、でもいいのかな?」
どうしよう。私で役に立てるなら話してみたい気持ちはあるけど。面と向かって改まったら、きっとどんどん固くなって怖くなって。どちらかが逃げ出してしまうことになりそう。話なんてできるのかな。
かといって、ちょう子さんにも一緒にいてもらうとなると、どちらかが二対一な感じになっちゃって、一になった方はさらにプレッシャーだと思う。
ちょう子さんに話したいなら夕方話すだろうし、昼に来てくれるってことは、ちょう子さんの言うとおり私に話したいことがあるのかもしれない。
でも困った……。どうしたらいいんだろう……。
「ななさんが無理する必要はないと思いますけど……。できるなら聞いてあげて欲しいとも思いますね。少し、話しやすいように工夫してみますから」
なんか、ちょう子さんに考えがあるみたい。
私一人でなんとかできる気がしないから、ちょう子さんの考えに期待してみようかな。
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