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第3回

 日が深まるにつれ、店内は二人が入ってきた頃よりも混雑してきていた。

「おい、そこにいるのはアドレーじゃないか!」

 突然、シヴィルのいるテーブルの後ろから、若い男の声が聞こえた。

 けれど、アドレーは表情を変えることなく、それまでと同じように酒をすすっている。シヴィルはその声の主を確認すべく、後ろに振り返った。給仕女の後ろに、赤毛の若い男が立っている。男といっても、シヴィルよりいくつか年上なだけの少年だ。集う庶民たちに比べれば多少の良い身なりをしていることから、下等貴族らしい、とシヴィルは思った。

 シヴィルに気づいたその少年は、一瞬顔を醜くゆがめると、さらに罵声をあびせた。

「アドレー、連れているのは男娼か? 娼婦の女房だけじゃ飽き足らず、今度は男娼にまで手を出したのか! まったく、いい大人がきいて呆れるってもんだな!」

 シヴィルは思わず剣を服の上から握りしめのだが、それに気づいたアドレーが、テーブルの向こうから冷静に彼を制した。

「放っておけ。こんなのは慣れてる」

「……しかし!」

 だが、声はさらに続く。

「腰抜けアドレーめ! 自分じゃ何もできないからって女房に客をとらせてる間に、自分は飲んだくれるとはな! ひどい奴だぜ! エレノアが哀れってもんだ!!」

 エレノアの名が出されたことで、アドレーはさすがに怒りを体で表していたが、ひたすら耐えに徹する構えだった。相手が貴族では、アドレーに反抗はできない。

 シヴィルはアドレーを心配し、そして、周りの人々の反応を用心深く観察した。彼らとの関わりを絶とうとするように無関心か、あきらめ気味の顔か、同情したようにアドレーを気にしている。赤毛の少年は、おそらく、この地帯では鼻つまみ者なのだろう。

 アドレーが無反応なことで怒ったのか、赤毛の少年は大きな足音をたて、ついに二人のテーブルまで寄ってきた。少年を近くでみると、顔のそばかすがさらに目立つ。そばかすの中に青い小さな目がくぼんでいる、といった印象だ。

「ついに俺の言葉も理解不能になっちまったか! やはり、馬の世話だけをしていると、人間の言葉がわからなくなってくるんだな、アドレー? いや、馬語でいうと、ヒヒーンか?」

 一介の馬番に過ぎないアドレーに少年がここまで固執するにはそれ相当の理由がありそうだが、それでもあまりある非道ぶりに、シヴィルも心底腹が立ってきた。怒り心頭なのは本当はアドレーの方だろうが、当然、庶民の彼は貴族らしき赤毛の少年に手も足も出ない。庶民階級が貴族に反抗することは、罪に問われる。それを利用し、少年は公然とアドレーを笑い者にしているのだ。卑劣きわまりない。

 少年の背後には、同年代の少年が二人立っていて、同様にアドレーに下品な笑いを向けていた。剣の鞘や肩掛けにある紋章は貴族の証だ。そのどれも、シヴィルは見たことがない。視線を上げすぎないようにして注意深く観察してみたが、シヴィルには知った顔はいなかった。

「やい、いつから口がきけなくなったんだ! 俺が、わざわざおまえなんかに話しかけてやっているんだぞ!」

 少年の拳骨がシヴィルたちのテーブルの上にどすんと置かれた。しかし、アドレーは無言で、俯いた顔を上げない。

「おい! 何とか言ってみろって――」

 連れの少年たちの一人が、アドレーの肩に手を掛けた時だった。シヴィルはどうしても我慢できなくなり、赤毛の少年の鼻先に冷たい剣の切っ先を突きつけてしまった。

「……いっ!?」

 赤毛の少年のひるんだ視線が、剣先から、剣の持ち主であるシヴィルの腕をたどり、最終的にシヴィルの目と合った。シヴィルと視線が合うと、少年の目が醜くゆがんだ。

 アドレーが茫然としたように、シヴィルを見つめていた。二人の少年たちは一歩退き、アドレーの肩からゆっくりと手を離す。

「おまえ……?」

 苦々しげに呻く少年をシヴィルは悠然と見返し、なるべく低い声を発した。

「彼にこれ以上の無礼を働けば、私が許さんぞ」

 少年は一度言葉につまったが、すぐに顔を真っ赤にして怒鳴った。

「何を言うか! この生意気な小僧めが!」

 背後の少年が腰の剣に手を伸ばしたのを見たシヴィルは、瞬時に椅子から立ち上がると、今度は剣先を少年の鼻先から喉元へと移動させた。

「うっ……!」

「動くな。動けば、こやつの首が飛ぶぞ?」

 仲間の少年たちの動きが鈍り、シヴィルは注意深く、辺りの状況に感覚を研ぎ澄ませた。人々がざわつき始めている。が、シヴィルに剣先を向けられている肝心の赤毛の少年は、相手が年端もいかぬ少年だとたかをくくっているようで、後続の二人ほどの弱気は見せなかった。シヴィルは剣先に神経を集中させた。

「ばかやろう! 見てみろ、こいつの剣を! こんなガキにその大きさの剣が使えると思うのか! 早くそれを振り払えって!」

 しかし、二人の少年はその場から動きもしなかった。赤毛の少年は彼らの不甲斐なさを口汚く罵りながら、その怒りまでもシヴィルに向けるように言った。

「この男娼め! 俺に剣を向けて、無事だと思うなよ! 俺を誰だと思っているんだ? そのきれいな顔に傷がついて、客を取れなくなりたいのか!」

「……一人も客をとれぬような顔をして、何を言う」

 人々から失笑が起こり、赤毛の少年はますます怒りをあらわにした。彼は地団駄をふみ、顔を真っ赤にさせて、シヴィルに怒鳴った。

「二度と俺にそんな口をきかせないようにしてやる! 勝負だ! 表へ出ろ!!」

 シヴィルは剣を引くことなく、しかし、彼の申し出に丁寧にお辞儀をし、彼の挑戦を受け入れる旨を示した。

「仰せのとおりに」

 へんに仰々しい彼の口調に、赤毛の少年が怒り狂った。やっと剣を引いたシヴィルを殴りつけるかのように手を振り回したが、シヴィルは難なくそれを避けた。

「勝負は剣でつけるんだろ、外へ出ろよー!」

 客たちの中から野次が飛び、赤毛の少年は毒づいて、シヴィルから離れた。シヴィルもその後に続いた。

 そのときになって、シヴィルはアドレーに背後から腕をつかまれた。彼が真剣な面持ちでシヴィルを見つめ、重い口調で彼を引き止める。

「おまえ……本当にやるのか? あいつはおまえより大きいし、あんなのでも結構腕は立つんだぞ? それに、あいつはこの辺りでは有力な貴族なんだ。卑怯者呼ばわりされるが、今ならまだ逃げられる。俺は平気だから、決闘なんか今のうちにやめておけよ」

「心配は無用だ、アドレー」

 彼の心配をよそに、シヴィルは笑った。

「おまえなぁ……そりゃ、剣の練習はたくさんしてきてるのかもしれんが――」

「アドレー、私が負けると思うのか?」 

 それは、根拠のない自信ではない。

 アドレーが言葉につまり、シヴィルを無言で見つめた。

 一瞬の空白の時間が過ぎ、シヴィルはアドレーに静かに尋ねた。

「それで、あの男はどこの家の貴族?」

「ファルーラ一族さ。やつは、三男坊のドノヴァンだ」

 ファルーラ家。シヴィルには聞いたことのない名だ。

「ドノヴァンか……」

 シヴィルはそう呟くと、アドレーを安心させようと笑った。

「この一件で、アドレーに迷惑は及ばせない。それは約束するから」


 大衆食堂の前の広場、日中は市場になっている場所が、二人の決闘場所に早変わりした。食堂の客だけでなく、近所に住む住民たちが決闘の噂を聞きつけ、寄り集まってきている。石垣のように二人を取り囲む人だかりは、それぞれに口笛を吹いたり、野次を飛ばしたりしていた。

 赤毛の少年ドノヴァンがそうであるように、観客のほとんどは、彼より頭一つ小さなシヴィルが不利だとみなしている。それは、シヴィル本人にもひしひしと伝わってくる。

 それでも、この不公平に見える決闘を誰一人として中止しようとしないのは、決闘を観戦することが大衆の楽しみの一つだからだ。小柄な少年が貴族であるドノヴァンにたてつき、大見得を切った末に決闘で倒されたとしても、彼らには痛くも痒くもない。そして、万が一、おそらくは問題児であるドノヴァンが少年に倒されるとすれば、それはそれで大衆には有難いことなのだろう。


 真っ赤な夕日が西の空に沈みかけていた。あと少しすれば、一帯は暗闇に包まれてしまう。

「おーい、日が暮れちまうぞ! 早くやれよー!」

 野次馬の中から遠慮のない声が投げかけられ、ドノヴァンが歯を見せて笑った。

 まずは、ドノヴァンが意匠の凝った鞘から彼の剣を引き抜いた。ガランという重そうな鞘の投げ捨てられた音が観衆の注意をひきつけ、一気に皆の緊張が高まる。

「どうした、小僧? もう一度剣を抜けよ」

 侮蔑の表情でシヴィルを挑発するドノヴァン。

 シヴィルは長い上掛けを静かに脱ぎ、石段の上に掛けた。その下に現れた剣の存在を確かめるように、シヴィルは剣の柄を握る。彼の剣の鞘は銀色の地味な物だが、細かい意匠が施されている。

 ここで人々はもっと、その鞘に注目しておくべきだった――鞘には、庶民でも一目でわかる王族の紋章が入っていたからだ。

 シヴィルが快い音を響かせて長い剣を優雅に引き抜くと、人々は一瞬にして魅了されたようだ。それがまたもや、ドノヴァンの気に障ったらしい。

 剣を抜いた鞘を上掛けで丁寧にくるむと、シヴィルはドノヴァンの対角線上にゆっくりと移動した。群衆の後方から、早く始めろ、という野次が沸き起こる。二人は相手の動きを見ながら、お互いの距離をじりじりと詰めていった。

「おい、男娼。このドノヴァン・ファルーラにたてついた今日が、お前の最後の日となる。せっかくだから、おまえの名を聞いておこうか?」

 ドノヴァンが意地悪そうに顔を引きつらせている。彼の足の動きとその早さ、手足の長さ、剣の長さを冷静に確認し、シヴィルは答えた。

「私は男娼ではない」

 剣を握りなおし、剣をかちあう瞬間を想定しながら、シヴィルは彼を見て言った。

「私は“シヴィル”だ。シヴィル・ドミニーク」

 ドノヴァンのつま先が動き、ついに仕掛けてきた。彼の足さばきを目で追いながら、シヴィルは彼の力を知るためにその剣を受ける。

 鈍い、金属音。

 民衆が喜びの大歓声をあげた。

 剣を合わせながら、ドノヴァンはシヴィルの目前で陰険そうに笑い、シヴィルの告げた名を笑いとばした。

「シヴィルだと? ふん、男娼によくありそうな名前じゃないか!」

 ドノヴァンは剣に思い切り体重をかけて剣をきしませる。

 群集の目には、力負けして後ろに重心を傾けざるをえないシヴィルの姿が、圧倒的に不利に映ったはずだ。

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