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第1回

 自分の住む城が小指の爪ほどの大きさにしか見えなくなった頃、少年は隠れていたもみ殻の山から這い出した。

 ……やってしまった。

 少年は、次第に遠くなっていく、自分の住まいである城を感慨深げに眺める。

 ……ついに、一人で抜け出してやった!

 肌に触れる外気は、少年が自由な世界に存在する証だ。それを全部飲み込めるよう、胸いっぱいに自由を蓄えるよう、少年はさわやかな空気を大きく吸い込んだ。 


 荷を運ぶ馬車の主は、彼の存在を知らない。馬車主に見つからないように注意し、少年は荷台の後ろへ移動して、そこに腰掛けた。体中にくっついた黄色いもみ殻を、指で一つ一つはじき飛ばす。

 王城から街へと続く一本道は、のどかな丘陵地帯を縫って走る。乗りなれない荷馬車の揺れは不快なほどではなく、乾燥したほこりっぽい空気が彼には新鮮だ。荷板から投げ出された少年の足が、馬車の揺れに合わせてぶらぶらと揺れる。足の間に見え隠れしている地面に、馬蹄の跡が一定の間隔で現れる。そのリズムに合わせて、彼は今にも歌い出したい気分になる。

 少年が景色を楽しんでいる間、彼は一人の人間とも出会わなかった。

 

 そのうちに、木製の低い柵が道の左側一面に出現した。人の姿はなかったが、彼は万一の場合に備え、さっきまで隠れていたもみ殻にもぐり直した。

 しばらくじっとしていると、やがて、澄んだ空気に様々な匂いが混じるようになった。牛や馬ののんびりとした鳴き声が遠くから聞こえてくる。目標の市街に近づいたのだと察して、彼はどきどきしながら、もみ殻から再度這い出した。

 道の両側には、古ぼけた木の柵が続いていた。家畜の逃亡を防止する柵だ。その向こうには、放牧されている茶色の牛や雌鶏、がちょうの姿が、緑の斜面に茶色の点をたくさんつけている。人の姿はあいかわらず目にしなかったが、城にある馬小屋に似た、みすぼらしい建物が木々の近くに建っている。人々の生活の匂いが感じられた。

 もうすぐだ。

 そう思うと、少年の胸は躍った。


 城を出て小一時間経ったぐらいに、馬車は二つの分かれ道に遭遇した。分岐点に壊れそうな立て札があり、右に行くとヴィスコンデール、左へ行くとモローと書かれていた。馬車は、当然のように右への道をとった。

 少年は数回しかない外出の記憶をたどった。幼少時に叔父ラニス公の住む居城へ訪問した時、保養地の別荘へ夏と冬の時期に遊びに行った時。しかし残念ながら、外界から身を隠す風貌の馬車に乗っていた当時の記憶の中に、彼が思いだせる外の風景は皆無だ。

 十三才を迎えた次の日。

 今日が、少年にとって王城の外へ一人で出た、人生で最初の日だった。


 街の外れにたどり着いた馬車は、中心部に続く道とは別の狭い道へと進路を変えた。

 ついに、馬車主との相乗りに別れを告げる時が来たのだ。

 剣を腰布に付け直し、赤いマントを首にぐるぐると巻いて、少年は馬車の後ろから地面へと飛び降りた。その瞬間、軽くなった馬車が大きく上下に傾いだが、荷主は何も気づかなかったようだ。

 のんきな男め!

 少年は勝手に同乗させてもらったことを心の中で感謝し、服に付いたもみ殻を地面へ払い落とした。

 今から、私の名前は“シヴィル”だ。

 その名は、彼が幼い頃に好きだった童話に出てくる砂漠の王の名だ。

 彼の本名は、街では何かと都合が悪い。


 土の道はやがて石畳の整った道に変わった。

 道は舗装されていたが、道の端にはごみが散乱しており、決して清潔だとは言えない。見たことのない黒や灰色の小動物が、我がもの顔でシヴィルの前を通り抜ける。家の窓枠に掛かった洗濯物が風にたなびく。泥だらけの汚い下着姿の子どもたちが、裸足で道を走り回っている。壷や袋を載せた荷車がせわしなく往来し、シヴィルは何度も人々から邪険にされた。子どもたちは、明らかによそ者とわかる彼を好奇の目でじろじろと見つめ、家の中からは、好意的でない大人たちが彼をうさんくさそうに窺っていた。

 街の内部に入るにつれ、泥や木で造られていた質素な家々が、石造りの整った外見に変わっていく。それを、シヴィルは不思議な思いで見た。窓辺には野草に似た花々が飾られ、走り回る子どもたちは下着姿ではなかった。よそ者とわかるシヴィルは好奇の視線を引きつけたが、彼が子どもたちに笑いかけると、彼らもすぐに笑い返してくれた。路地からは、女達が声高にしゃべる声や老人たちがゲームに興じる音が聞こえてくる。街中の全員が顔見知りのような雰囲気で、誰もが初対面のシヴィルに気軽に声をかけてくれた。

 この辺りはとても平和で、安定した生活のある界隈だった。シヴィルは、貴族と庶民という身分の区別があるのは知っていたが、一般庶民の間にも生活レベルによる階層がある事を知りもしなかった。


 周りを興味深そうに眺めながら歩きすすんでいたシヴィルの視界に、一際賑わいを見せる一角が現れた。そこは元々がひらけた場所のようだったが、どこもかしこも、大勢の老若男女と物売りの店で埋め尽くされていた。青空市だった。

 通りの両側に店がずらりと構えられ、道の真ん中を人々が重なるように行き来する。日除け屋根のかかった、小さな板店の列。豊富な種類の果物や野菜、新鮮な肉と魚、様々な素材の生地、薪などの日用品が、木板の上にところ狭しと並べられ、店主がそれぞれの客と値段交渉をしている。迷子になったらしい小さな子供が、母親を求めて泣き叫ぶ。品の出来をこっぴどく評価する女たちのやり取り。世間話に興じる常連客。

 今まで目にしてきたどこよりも、活気と熱気がある。腹の底からの笑い声がはじけ、あらゆる種類の人間がそこにいる。

 混雑した市場で押しつぶされそうになりながら、シヴィルは店先でのひとつひとつの光景を、目に焼き付けるように見てまわっていた。


 突然、人込みの中でシヴィルは後ろから衝撃を受け、危うく地面に転倒するところを何とかおしとどまった。シヴィルがむっとして背後を振り返ろうとすると、同世代の少年が脇をすり抜け、顔を確認しようとする間もなく、走り去られてしまう。

「おい、待てっ!」

 シヴィルの声が追いかけた少年は、あっという間に人々の合間にまぎれて消える。

「なんて無礼な……」

 条件反射で剣の位置を確認し、その存在を確認できて安堵したとき、彼の前に大きな人影が立ちはだかった。赤茶けた短いチュニックを着て、裾から伸びる足は太くたくましく、右腕には大きな傷跡がある。二十代半ばの男が、そこで彼を見下ろしていた。

「よお」

 男は馴れ馴れしく、シヴィルに笑った。彼は警戒し、男を睨みつける。

 男はまったくひるまず、肩にかかった麻袋を持ち直しながらシヴィルに言った。

「ぼうず、おまえ、今何か盗まれなかったか?」

「……盗られた? いや、私は特に――」

 彼は剣以外に取られる持ち物がなかったので、首を左右に振った。しかし、何となく気になり、自分の体を触ってみて、はっと顔を上げた。

 金縁の紋章入りの帯止めがなくなっている。

「……帯止めがない!」

「はは。やっぱりな」

 男ののんきな笑い声に、シヴィルはむっとした。

「あの子どもはおまえの知り合いか? あれはとても大事な物だ、あれがないと困る! すぐに追って取り戻してくれ!」

 男はシヴィルの反応にきょとんとし、そして、豪快に笑い出した。

「何がおかしい!  失敬な男だな、私が盗みにあったのがそんなにおかしいのか!」

「あっはっは! いや、そうじゃないさ! まあ、こっちへ来いよ。そこにいると往来の邪魔だ」

「なっ……な――何をする!?」

 男は、ふてくされているシヴィルを軽々とつまみ上げた。シヴィルは男の腕の中で暴れてみるが、一向に効き目がない。

 男はその賑やかな通りから裏通りへ抜け、水飲み場のある洗濯場へと移動した。洗濯の時間には遅すぎるので、そこには人がおらず、閑散としている。男にやっと地面へ降ろされると、シヴィルは男を挑戦的に見上げた。

「無礼な! 私を荷物のように扱うとは、何て男だ!」

「……やれやれ、のん気なご子息さんだ。大方、共の者とはぐれたかなんかだろうが……」

「はぐれてなんかいない!」

「はいはい。自分の意志で出てきたって言うんだろ? ま、そんなことはどうでもいい。それより、さっきみたいに街中でぼやっとしてるんじゃない。そんなことをしてりゃ、スリの標的になることぐらい、おまえにも想像がつくだろ?」

「“スリ”? ……スリとは何だ?」

「ははは。なんだって?」

 男は笑いながらシヴィルを見返した。からかうような男の態度に腹が立ち、シヴィルはますます男を睨みつけた。

「言え。スリとは何者だ?」

 シヴィルが言うと、男はまじまじと彼の上から下までを眺め回した。シヴィルは普段から人々の目に晒されることに慣れているが、この男のようにうさんくさそうに見られることは初めてだ。

 シヴィルを一通り観察し終わると、男が、大きく息をついてみせた。

「おまえ……どこの貴族さまの坊ちゃんだ? なんで一人でここにいるか知らないが、さっさと自分の家に帰るんだな。こんなところをうろついていれば、そのうちに身ぐるみ剥がされて、泣きを見ることになるぞ? 最近は諸外国からの往来も増えて、街は危なくなっているんだ。おまえみたいな子供は、奴らの格好の餌食だぞ?」

 だが、シヴィルはそれを聞いてますます街に興味を持ち、紋章を取り戻さなければならないことも忘れて、興奮して言った。

「それは面白い。私なら、いつだって受けて立ってやるぞ」

「なんだって? ……このガキは、まったく」

 彼の面白がっている様子に腹を立てたらしい男は、シヴィルをまたもやむんずと腕に捕まえた。

「おまえ! この私に何をするっ!?」

「俺の手でもこんな簡単に捕まえられる小僧に、盗賊の相手なんぞ、できると思うのか? 言ってわからんようだから、こうするのさ」

「待て、私をどこへ連れて行くつもりだ? お、おい、私を誰だと思っているんだ! 離せ! 離せと……!」

 男は彼が暴れようと一向に介せず、シヴィルを肩にかついだまま、そこからさらに奥まった裏通りに歩いていく。

 何回か路地を曲がった後、男はある大きな館の裏口に到着した。そこにはちょっとした小さな庭があり、ハーブや花が植えてある。シヴィルを肩にかついだまま、男は裏口の横にある用具小屋に、一緒に持ってきた麻袋を放り入れた。

「おい、ここはどこだ?」

 シヴィルの質問には答えず、男は裏口の扉を勢いよく開けると、部屋の奥に向かって大声で叫んだ。

「エレノア! エレノアはいるか?」

 白い壁、質素なテーブル、種火が点る竃、部屋で混じり合う色々な香水の匂い。シヴィルが物珍しそうに部屋をきょろきょろと見ていると、アドレーがいきなりシヴィルを降ろした。

「アドレーかい?」

 部屋の奥から声がして、痩せた小さな女が二人の方に姿をのぞかせた。笑うと、顔中に皺が増える。

「ああ、アドレー、あんたかい。エレノアなら奥にいるよ。ちょうど今、二階の掃除が終わったようだから、行ってやりな」

「そうかい。ありがと、ばーさん」

「あたしゃ、ばーさんと呼ばれるほどの年寄りじゃないよ! まったく、これだからアドレーは……」

 女の苦りきった反論に“アドレー”と呼ばれた男は、大口を開けて豪快に笑った。そして、シヴィルの首ねっこを引っつかむと、大股で家の中へと入ろうとした。

 女はその時初めてシヴィルの存在に気づいたらしく、眉をぴくっと跳ねさせた。

「……おや? どうしたんだい、その子は?」

 そう言うが早いか、女はそれまでとは反対の機敏な動きで二人に寄ってきて、シヴィルをあけすけにじろじろと見た。シヴィルは面食らって、皺だらけの老女を見返す。アドレーは、彼を守るように背中側にシヴィルをまわそうとしたが、女の乾いた細い手がシヴィルのあごをつかむ方が一瞬早かった。

「あれ、まあ! 見とくれよ、なんてきれいな顔をしてるんだ! 年の頃は十二ってところかねえ? アドレー、あたしは、こうゆう子がずっと欲しかったんだよ!」

「おいおい。ばーさん、こいつはそんなのじゃないんだよ」

「ちょっと見ておくれよ、アドレー!」

 彼の言葉など聞こえないかのように、彼女は惚れ惚れとしてシヴィルを見つめた。シヴィルは気色悪く思って女を見て、アドレーを恐々と見上げた。

「この澄んだ緑の目! それに、何とぬけそうなほどに白くて……まあ、なめらかな肌だこと! 世の中には、こんな綺麗な子もいるんだねえ……」

「だから、こいつはだめなんだって」

 アドレーは彼女の指をシヴィルから引き剥がし、彼の体を乱暴に持ち上げて、彼女とは反対側へと移動させた。

「また後でな、ばーさん」

「……お待ち、アドレー」

 女はアドレーの服の裾をきっちりと掴んで彼を引き止め、獲物を逃がさないといった形相で彼をじろりと見た。アドレーは図体の大きい男だが、老女の迫力はちっとも負けていない。

「こいつに手は出させないぜ、ばーさん。この子は大事な預かり物でな。ちゃあんと帰るべき場所があるんだよ。だから、ばーさんの考えてるようなことは絶対にだめだ」

「預かり物って、誰のだね? このコは、おまえとは到底、縁のなさそうな見てくれをしてるじゃないか……」

「ともかく、あきらめな。他をあたってくれ。こいつは、俺が責任をもって家に帰さなきゃならないんだから!」

 アドレーの迫力に気圧された女は、渋々、彼らに道を譲りわたした。

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