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真夏少女。

作者: 濃紺色。

夏の終わりに、真夏の懊悩を味わってくれたら幸いです。

青空広がる真夏の朝、意味のない旅に出た。

旅、と言っても、電車で地方に行くだけの小旅行だ。


『彼女でも探してくるわ笑』


親友の涼夜りょうやには適当な理由をLINEで送って、不在を伝えた。


『おう。ゲット出来たら連絡して。飲み行こう。奢るよ。』


1日分の衣類、あとは財布やスマホ等の必需品をリュックサックに入れ、最寄駅の電車に乗った。

電車を何度か乗り換え、3、4時間が経過した。

流れ行く窓の外には、青と緑が広がっていた。

電車が駅で停車する度に聞こえる蝉の鳴き声、夏特有のむわっとした暑さ、仄かに香る田舎の匂い。普段、都会では触れられない夏が、そこにはあった。

全身で感じる夏の存在に、ワクワクした。

この気持ちを何とかしたくて、景色をスマホで撮影したり、それをSNSにアップしてみたりした。それでも、完全にこの感情を満足させることは出来なかった。

何かが足りなかった。この夏を受け止めるには、僕だけじゃどうしようも出来ない気がした。

再び、電車を乗り換え、2人用の座席が向かい合わさっているところで、電車が進んでいる方を向いて座った。殆ど乗客はいなかった。段々やることがなくなり、イヤホンを付け、音楽を聴きながら外を眺めていた。

電車が停車した。ボロボロの椅子が複数並べられただけの、小さな駅。ジャージ姿の女の子が1人、ホームに立っていた。電車のドアが開き、彼女が中に入って来た。

僕は、彼女から目を離せないでいた。

どうせ、気付かれないだろ、と思って、ボッーと眺めていた。

目が合った。

彼女がにこっと微笑むと、ポニーテールが少し揺れた。


「ここ……いい?」


彼女は、僕が座っているところの向かいの座席を指差した。

僕は動揺しながらも、


「え、えぇ……いいですよ」


右耳のイヤホンを外して頷いた。

彼女は僕の斜め前、僕がリュックサックを置いている座席の正面に座った。

電車が動き出した。

どうしていいのか分からず、僕はイヤホンを右耳に付け直し、窓の縁に左肘をついて外を眺めようとした。


「君、遠いところから来たの?」


突然、彼女が喋り出したので、驚いて彼女の顔を見ながら、少し固まってしまった。彼女の白い肌は太陽の光を浴びて、輝いているように見えた。


「え。大丈夫?」


彼女は微笑みながら、顔を覗き込んできた。

そこでやっと僕に話しかけているのだと気が付いた。

僕はイヤホンを外し、音楽を止めた。


「えぇ……まぁ、一応、東京から」

「えぇ!? 東京? そんな遠いところから」


彼女は目を真ん丸とさせた。


「何で……遠いところからって分かったんですか?」

「いや、だって」


彼女は僕の大きなリュックサックを指差した。

あぁ、そういうことか。


「あなたは、これから部活ですか?」

「そうだけど。何で分かったの? ……もしかして、ストーカー?」

「いや、だって」


僕は正面に置かれたテニスラケットのケースを指差した。


「あぁ。そっか」


彼女は柔らかい笑みを浮かべた。


「ずるいなぁー」

「ずるくないです。僕の高い推理力」

「はいはい。そうだねそうだね」

「馬鹿にしてます?」


初めて会ったのに、会話がとてもスムーズだった。お互いがお互いのリズムや距離感を分かり合っているようだった。

彼女が不思議そうに首を傾けた。


「でも、何で東京からこんな遠い街まで? 何もないよ、ここ」


何で、か。

意味なんてない。行きたくなったから。都会で過ごす、何もしなくていい贅沢な日々に、少し嫌気がさしたから。嫌気が……。そう、そうだ。そうか、僕は……。


「……内定貰って、就活終わって、学生最後の1年なのに、毎日何もしてなくて、何か……何かしたかったから。じゃないと、頭がおかしくなりそうだったんです」


上手く言葉を纏められなかった。けれど、今言ったことが全てだった。死にたくなるぐらい暇な日々に、何か意味を見出してみたかったんだ。


「大学4年生?」

「そうです」

「ふーん。年上かぁ」


彼女は馬鹿にしたように微笑んだ。浮き彫りになる涙袋が可愛らしかった。


「……何ですか」

「ううん。ちょっと子供っぽいなぁ、って思っただけ」


彼女にそんなことを言われても、全く怒りや苛立ちは湧かなかった。むしろ、どう言い返してやろうかとワクワクした。


「高校生?」


僕が尋ねると、彼女は頷いた。


「うん。高校2年生。可愛いでしょ。ピチピチでしょ」

「高校生なら少し、年上を敬ったらどうですか?」


そうだ。何故、僕だけが敬語を使ってるんだ。


「君が勝手に敬語を使ってるんだよ? やっぱ、私が大人に見えちゃう?」


僕は少しムッとした顔をして、


「見えない」


ぶっきら棒に答えた。


「あー怒ったー。子供ぉー」

「子供じゃないし」


会話をこんなにも心地よく感じたのは、初めてかもしれない。


「いいなぁー。東京って何でもあるでしょ。飽きないよね、絶対。ずっと楽しく暮らせるよ。行ってみたいなー」


ふん、と僕は鼻で笑った。


「何?」


今度は、彼女が少しムッとした。

その反応が実に愉快だった。


「子供だからまだ分からないよね。何でもあると、逆に何もしたくなくなるんだよ。人間って、そんなもんなんだよ」

「はいはい。贅沢な悩みですねー」


彼女は白い頰を膨らませた。


「何もないから、何かしたいんですー」


彼女の声が、少し切なく聞こえた。

可哀想になって、話題を変えることにした。


「もし、東京行ったら、何したい?」


彼女は急に目をキラキラと輝かさせた。


「原宿に行って可愛い服買ったり、渋谷に行って綺麗な街を撮ったり、あー高円寺とか南沢寺みなみざわでらで古着買うのもいいなー」


やりたいことを語る、その可愛らしい顔を見ていると、何だか羨ましく思えた。


「いいな。やりたいことが沢山あって」


僕は来年から就職して、お金稼いで、それなりの人生を終えていくんだ。きっと。彼女みたいにこんなにも夢なんて語れない。


「何言ってるの?」


彼女は首を傾けた。


「私は君が羨ましいよ。何でもあって、何でも出来て」


急に窓の外が暗くなった。電車の走る音がやけに響く。トンネルに入ったんだ。


「だから、何でもあるから、僕は」

「君は楽しい?」彼女は僕の言葉に被せるように言った。「君は今、楽しい?」


質問の意味は分からなかったが、僕は正直に答えた。


「うん。楽しいよ」

「よかった」


彼女の安堵したような笑みが、どこか儚く見えた。


「私も、楽しいよ」


彼女は続けた。


「夏って、ワクワクするじゃん。青くて、緑が濃くて、暑くて、うるさくて。どうしようもなくワクワクするのに、何かが足りたいような気がするの。だから、この感情をどうすればいいのか、どうしても分からなかったの」


彼女の言いたいことが痛いぐらいに分かって、言葉にならず、彼女の話を聞き続けることしか出来なかった。


「君が毎日を無駄に感じたように、私もこの街の夏を感じ続けるだけの毎日を、勿体なく感じた。何かが足りなかった。この夏を受け止めるには、私だけじゃどうしようも出来ない気がして……」


トンネルの暗さに胸が苦しくなった。


「でもね」


微かだが、向こうに光が見え始めた。


「今は、こんなにも楽しい」


トンネルがもう少しで、終わる。


「君がいるだけで、夏のワクワクは私のもの」


彼女の笑顔が、美しかった。



ゴォォォォォオオォォォオオオォォォッ。



電車の中を、君の顔を、僕の視界を、目一杯の光が包み込んだ。

窓の外に、圧倒的な夏が広がっていた。

淡くて、蒼くて、輝いていて、僕だけじゃ受け止め切れないぐらい、大きな海だった。

でも、僕はもう、スマホを取り出さなかった。目の前に存在する驚異的な夏は、僕の、僕達のものだった。

彼女は、うるさいぐらいの青を、両目で必死に受け止めながら、


「こんな何もない街は嫌だけど……それでも、ここだけは、ここから見る景色だけは大好きなんだ。それだけは、大切なんだ」


嘘偽りない表情で言った。

彼女は僕なんかより生き方を知っている。大切なのは、年上とか東京とか田舎とか、そんな目に見えた事実なんかじゃない。上下関係に支配された中でも、何でもある中でも、何もない中でも、1つだけでいい。何か、大切なものを見付ければいいんだ。それが今の自分にとって、受け止め切れない大きなものでも、いつか必ず、自分のものになる日が来るから。今の、僕と君のように。

もう、いいんじゃないか。

僕の、いや、僕達のこの感情を伝えても。

言葉にすることで、大切なものになるのなら。


「ねぇ、僕は君が」


時が止まった。

窓の外を夏が勢いよく流れていく中、僕と君の間に流れていた時が止まった。

ゼロ距離になった唇と唇、鼻と鼻が、お互いの体温を残して離れた。


「ありがとね」


気が付くと、電車は止まっていた。

どこかの駅に停車したみたいだった。


「楽しかったよ」


それだけ言い残すと、彼女は蒸し暑い駅のホームに降りて行った。




僕は、うるさ過ぎる蝉の鳴き声とホームを照らす光と、遠ざかっていく彼女の背中を眺め続けることしか出来なかった。

触れたら消えてしまいそうだった。今にも崩れてしまいそうだった。彼女の背中が夏の街に溶け落ちる前に、電車が動き出した。

彼女の言葉を遮ってでも、気持ちを伝えるべきだったんだろうか。彼女の手首を掴んででも、引き留めるべきだったんだろうか。彼女は本当に、テニス部だったんだろうか。

結局、何も答えが出ないまま、目的地に辿り着いた。しかし、旅館に泊まる気になれず、キャンセルして家に帰った。




この出来事を涼夜には伝えなかった。誰かに話したら、自分の中にある大切な何かが消えてしまうような気がしたから。




彼女の名前も聞けず、僕の名前も教えていない。彼女が降りた駅名すら覚えていなければ、連絡先すら交換していない。

けれど、一瞬だけでも僕達のものになった、あの夏を、電車を、光を、青い蒼い海を、彼女の唇の感触を、目一杯開いた両目が鮮明に覚えている。

ずっとずっと、僕を掴んだまま離さない。

ありがとうございました。

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