【デジャヴュ】 既視感は目覚めの始まり
8:59
「ねえ、愛してる?」
「だから今こうしてるんだろ?」
車の中、気持ちを確かめる女。
女は肘より上の体と座席をまとめて太いテープで固定されている。
「俺達はこれで幸せになれるんだよ」
「そう……ね」
男の足首もテープで巻かれている。男の両手首は、女の空いている手によりテープで巻かれ、指は左手の親指しか見えないほど巻かれている。
「じゃあ……行こうか」
ボンネットに照り付けるほどの春の晴天。まわりに柵のない崖。二人の乗った車からの眺めは水平線と、微かな鳥の鳴き声。
ウインドウを閉めた車内には、高さのある崖に衝突する波の音は聞こえなかった。
「うん」
縛った両足でアクセルに触れる男。
車から崖までは10メートル。走り出せばおそらく、止まる余裕のない距離。
「行く、ぞ」
両足に力を入れる刹那。
「は!?」
「何!?」
二人が乗った車のボンネットに、空から車が真っ直ぐ墜ちてきた。
縦揺れに激しい衝撃と、静寂が似合わない鈍い音と共に。それは二人が乗る車と垂直に。横から見たならば90度の形に。
二人は突然の出来事に硬直する。
「な、なんだよ、これ……有り得ないだろ? お、おい! 俺のテープ! はがしてくれ!」
「う、うん! え……キャー!」
女はテープをはがす手を止め、辺りを見回す。
「どういうこと?」
二人を中心に、更に何台も車が空から真っ直ぐ墜ちてきた。音にして四回。そして墜ちてきた車はバランスを崩し、倒れやすい方向に倒れる。
女は急いで男の指に巻かれたテープをはがす。
そして男も女の体に巻いたテープをはがし、自分で両足に巻いたテープをちぎり、車の外に出る。
「どこから……現れたの?」
「む、無理だろ……空には何もないぞ」
困惑する二人は首を大きく振り、辺りを何度も見回す。
そして男は真上を見る。
「ぅああ!」
車のフロントが男の目の前に現れた。
8:59
「ねえ、愛してる?」
車の中で女は体と座席をテープで巻かれている。
「どうして黙ってるの?」
「あぁ、ごめん……考え事してた」
「今更? 笑わせないで! 怖じけづいたの?」
「いや、気にしないで……きっと……なっ!」
「え!?」
二人の乗る車のボンネットに空から車が墜ちてきた。
「なに!? どういうこと!?」
「悪いけど……テープ、剥がしてもらっていいかな」
女は男の指に巻かれたテープをはがし始める。その最中、男の目に映る物。それは再び何台も空から墜ちてくる車。明らかに古く、走行が難しい車体。二度見た者であれば冷静にわかるであろうほどに傷んだ車体。
「なに!? 何が起きてるの!?」
女は困惑しながら急いでテープをはがす。
「これは……デジャヴュってやつか? いや、夢? だけどリアル過ぎるぞ!?」
「え?」
女は男の意味不明な言葉と、動こうとしない様子を見て、自分に巻かれたテープを自分で破りはがし外へ出る。そして運転席側に回り込み、男を車から出そうとする。
「ちょっと! 早く出て! 変だよ絶対!」
男は考察を止めてテープをちぎり、外に出ようとする。
女は車から後ずさり、腕を組みながら男が出るのを待つ。
「なあ……今日はもう止めておこ、お! おい! その場所から離れろ! そこは! 車が!!」
男の目の前で、女は突然現れた車につぶされる。
8:59
「ねえ、愛してる?」
「なんだこれは!」
「は!?」
男は親指でDの位置にあったギアの変換ボタンを押しながら前の方向に力を込め、切り替わると、一気にアクセルを踏み込む。
「え?? 何してるの?」
「がは!」
「ん!」
二人の乗った車は後方にそびえた岩場にぶつかり停止する。
「ん……んん!」
「あ……ああぁ……大丈夫か?」
「大丈夫か? あなた何してるの!? 私達は! 今から! ここで! 墜ちて! 一緒になるって話だったでしょ!? 何怖じけづいてんのよ!」
「い、いや……多分出来ないんだ……一緒になる事が」
「は? 私とじゃ一緒に死ねないってこと!?」
「いや、そういう事じゃないんだ! 説明が出来ない」
「説明出来ないって!? え……この音……え??」
それは車の時計が 9:00 に変わった瞬間。
轟音と共に崖の下から現れる三機のヘリコプター。『LYS』とトレードマークのある機体は素早く車を囲む態勢でゆっくり降下する。
「ねえ! 解約してなかったの!?」
「すまない! 今解約しても変わらないと聞いたんだ! それに、こんなに早く見付かるとは思わなかった!」
ヘリコプターから先駆けて降りてくる者がいる。
照りつける乾いた土に映し出されるシックな影。
黒いジャケットはボタンを締めるとウェストが細く引き締まって見えるシルエット。
状況に応じて動きやすい縦横斜めに布が伸びる4WAYストレッチなノータックスラックスを着こんだ長い黒髪の女性。
女性の平均身長より5センチ程度は高く、低くないヒールはどこまで続くかと思うほどの長い足が更にシルエットを綺麗に魅せる。
美人が苦手な男なら、直視できない者もいるであろう整った顔立ち。
二度目に感じるのは冷たい目線。
堂々とした佇まいで真っ直ぐ男に向かう。
「『下村』様! 奥様! 『LIFE YOUR SAFE』の規約により、あなたを管轄警察署まで連行致します! あなたは当社の『ALL TODAY』のプランにご契約頂いてる為、1時間消息不明により私どもは捜索を開始致しました。当社の判断で自害行為と判断した場合法律に基づき連行致します! これは逮捕ではありません」
LIFE YOUR SAFEと社名を名乗る女性は決まった言葉を淡々と発し、数人の職員により二人を連行しようとする。
「ちょっ! ちょっと! 違うのよ! 私達はドライブに来てちょっとふざけただけなのよ!」
「私と下村様は疑わしい場合には、体の安全を優先に連行してもよいという契約を交わしております。後の判断は警察の判断となります。そして妨害行為がある場合には逮捕権を行使し相応の対応をさせていただきます」
下村の妻は口を閉じ、下村と共に連行されようとする。
「あの」
女性とすれ違う時、下村は口を開いた。
「なんでしょうか」
「この辺り一帯に……車が空から墜ちるという錯覚は……あなた達の仕業ですか?」
「私どもは下村様の車が万一墜ちても最悪の事態は免れる様に、水上ヘリにて近づき、崖の下に海用クッションを一帯に敷き詰めました。ただ下村様のおっしゃる事は、私どもには理解しかねる事です」
「そう……ですか」
真っ直ぐ放つ言葉と動揺を感じない鋭い目線に、下村は落胆の混じった返事だけ発し、下村の妻は下村が語る理解不能な言葉に表情を凝視しながら、ヘリコプターに乗り込んだ。
「ふぅ」
「相変わらず言い方が厳しいねえ『桜』チャン」
目的を終え息ついた桜に、別のヘリコプターから降りてきた者がいる。
ツーブロックが似合うしっかりした顔立ちに、遊ばせた前髪は風に揺れても髪に触れる必要がない程度の短髪な男。桜より頭の等身ひとつ高い長身でXLのサイズに余裕がないほど体格が良く、桜と同じ素材の生地で出来た更に動きにゆとりあるツータックスラックス。ノータイで光沢あるグレーのスーツをまとい、軽い笑みを浮かべた顔で近づきながら言葉を掛ける。
「『町田』所長……私は業務を遂行するまでです!」
「ハッハッハ。まぁ間違ってないからいいんだけどね! まぁ……しかし、さっきの彼も、おかしな事言ってたな」
「はい」
町田は笑顔を沈め桜を真っ直ぐ見て尋ねる。
「今年の自殺防止は全支所で何件?」
「2683件です」
「じゃあ……自殺者の人数は?」
「『0』件です」
「おかしいと思わない?」
「それは! 私達が!」
「おっとと?! それは勿論君ら職員の迅速な対応の結果だよ! けれど……さっきの彼がバックしなかったら、墜ちるのは防げなかったはずだな」
町田は地面に残る硬化した土がえぐれたタイヤの跡を見ながら話す。その跡はくっきりと、そしてその場から急遽後ろに下がる必要を感じさせるように。
「何をおっしゃりたいんです?」
「自殺未遂者の調書……直前に何度も雷に撃たれた、それが晴れた日に。地割れが起きた、なぜかビルの屋上で。今度は崖で車が降ってきた? みんな普通に支障なく仕事して生活してる民間人だぞ?」
「私は体験主義者ですよ? そんな自殺志願者の心理などわかりません!」
「ああ、そして共通する事は……何・も・起・き・て・い・な・い事だ! 自殺者もな」
「結構な事じゃないですか! 130年前に比べて人口が七割も減ったこの世の中! 先人の過ちを教訓にして! 少ない人口でお互い護りあって!」
「オッケー! オッケー! その通りだな! じゃあ帰還して通常業務宜しく! 確か、三時か四時くらいに判断悩む契約希望者の約束あったからたまには接客してくれ!」
「はい……先に戻ります! 失礼致します!」
桜はヘリコプターに乗り込み上昇を始める。
町田は右手を目の上に挙げ、眩しそうに空を眺めている。
「空から車……ねぇ」