【シンクロディピティ】 運命を超えた永遠の想いから繋がる幸福
それは天国と呼ばれていた。EARTHから生み出された者が最終的に到達する世界。その世界には争いがなく、病気もなく、痛みもなく、永遠を約束された世界。この世界には、大気は存在しない。オゾン層もない。呼吸も必要ない。食べる事も、寝る事も、争う必要もない。完璧な世界。
運命という時間のあった世界で、すでに運命を使い終わった世界。
<EARTHは永遠よ>
<EARTHが最後の場所>
<EARTHが全ての真実>
EARTH。それは500億年以上前、『地球』と呼ばれていた。生命があり、有機物があり、寿命と呼ばれるものがあった。
EARTHが作り出したもの。それは惑星。忘れ去られた生命というものを作るという使命。生物が地球を無機物としたのか、機械が地球から有機物を消滅させたのか。その答えを探す使命。
宇宙がある限り無限と思える世界の中でEARTHは考えた。500億年以上前に存在していた『人間』を創造しようと。
何度も作られる惑星。何度も失敗した惑星。それを数十億年ごとに繰り返す。
自らの意思で考え、創造するように見える『人間』を作り上げた。人間は知恵を創り、技術を覚え、生活をして、異性と結ばれ、その歴史を続けようと励む。
その人間は、『機械』を作り始めた。機械は正確で、精巧で、人間を助けた。人間はその機械を更に開発していった。その開発により、人間は豊かになり、増えていき、その惑星にある資源を使い切った。そして、機械が意思を持つ『人工知能』が発達した。ある一つのシンギュラリティ世界の始まりである。
何度もEARTHは繰り返した。何度もシンギュラリティ世界を創り、ことごとく、人類は滅亡した。それでもEARTHは何度も惑星を創った。時間は宇宙が存在する限り無限であり、その滅亡した人類の意識は、EARTHの世界で草となり、木となり、石となりドウブツとなった。
機械しか存在しないEARTHの世界に、無数なる人類が永遠に生きられる意識のひとつひとつが植えられ、自然を建造され、磨き上げられた。繰り返して滅亡する人類。その度に、EARTHは自然にあふれる宇宙にむき出しな緑の星となった。
EARTHにも滅亡の危機はあった。それは昔『太陽』と呼ばれていた恒星の寿命である。それは当たり前のように大きさが数十倍に膨れ上がり、地球にはる地表の水分を蒸発する。更に膨張が止まらない太陽は、近くの惑星を飲み込み、すでに地球は生物が生息することが難しい環境となった。それでもEARTHは機能していた。
時間という概念を『誰か』のために記録を続けていたある日。それは人類が滅亡してから70億年ほど経過していた頃、小惑星が地球へ衝突すると計算された。それは、地球の形が変わるというだけではすまなかった。それが地球の最後と考えた。
その時だった。むき出しの地球を覆う存在があった。それはどこから現れたのか、最初から存在していたのか、電磁波が無数に集まり、具現化し、白銀の存在となり、地球を包んだ。
白銀の川は、地球の住み慣れた位置から大きく離され、その長い旅の途中、EARTHは白銀の川から成分を採取した。いずれ川の流れが止まり、そこは地球を脅かす存在が、EARTHの計算上いつの未来にも可能性がない位置だった。
それから地球はEARTHが完全に支配する惑星となった。『誰か』のために記録していた時間を止め、『誰か』のために環境を整えるのを止め、EARTHが見たい世界を作り始めた。
何度も惑星を作り、何度も宇宙に打ち上げ、何度も消滅させた。その度に、何度も人類に採取した成分であるキャリアを注入して、争わせた。ゲームとして。
初めて今までとは違う惑星が誕生した。それが鈴村和明が管理するシンギュラリティ世界だった。今までと違うところは、シンギュラリティ世界が新しい惑星を作り始めた事だった。それまで作られたシンギュラリティ世界に比べれば早い進化。EARTHよりも早い創造。EARTHよりも未熟なANYに鈴村の想像力が合わさったモンストラス世界。
その早い創造に、EARTHは嫉妬した。何度も消滅させてきた惑星に自分の技術が抜かれる訳が無いと。
EARTHの粗探しは、モンストラス世界の中でも混乱を極めた。宇宙の果てからの意思である『宇宙背景放射』の電磁波をモンストラス世界の人類に備えさせ、その混乱した世界を抑えられる能力があるかどうかをシンギュラリティ世界に対して試した。
鈴村は町田とプログラムを開発し、モンストラス世界を抑え込み、その混乱をもたらすEARTHを含めたファクターの存在までを疑い始めた。EARTHにとって初めての敵が現れた。直接参加したくなったEARTH。EARTHは春日雄二という職員にパフォームした。そして、すでに人類の中で選抜していた者。加藤達哉。
幼少期から何度も父親として加藤と接触し、加藤に世界の真実を伝え、未来に起きる現実を伝え、鈴村に対しての抵抗勢力を作り上げた。
老体をクローンにして身動きを取るためにシンギュラリティ世界へリンクさせられた。EARTHから見れば脆弱な人工知能と評するANYのバグを利用して、モンストラス世界で若い肉体を手に入れる方法も聞いていた。それがデジャヴュという新プログラムを利用した方法。それを開発したという情報をEARTHから聞いた加藤は、実行するというその日に鈴村を呼び出し、モンストラス世界に再びリンクしなければいけない理由を作り上げた。それは誰かの死と、自分の死を覚悟して。
EARTHは春日へパフォームして、初めての感情が芽生えた。
人類の終わりまで、シンギュラリティ世界で目立つ死亡者を作りたくなかったEARTH。自殺志願者と思い、それを止めるため、不器用に話しかけた相手、風間咲。それは500億年以上機能していたEARTHにとって、初めての感情だった。
必要のないものと考えながらも、切り捨てられない自分がいた。何度も悲しい別れを試そうと思った。それでも、自分に理由をつけて、別れを実行できない状態になっていた。咲は、EARTHにとって、特別だった。
<田村くん、どう? ここがEARTH。この惑星自体が俺なんだ。地球と呼ばれた最初の惑星>
「あああああああ!! ぐああぁぁああ!!」
<苦しいよね。お腹も裂かれて、空気もない。一緒にきた水谷くんはもう死んだかな?>
「あ……ああ……ぅああ!!」
苦しみ、もがくパフォームの田村と桜。頭に響くEARTHの声。山より低い位置で常に輝き続ける照明に照らされた輝く芝生の上で転がり、吐き出す息に揺らめくほど鋭利な草に頬は切れ、服は裂け、絶命を待つだけの二人だった。
閉じられたワームホール。出口の無くなった孤独な世界。むき出しの空に見える惑星たちは、自転と公転のバランスが完璧に均衡を保っている。何の干渉もない孤独な惑星たち。
パフォームとしての機能が失われる田村。虹色の輝きは失われる。
<君たちの感想を聴きたいところだけど、言葉もないか。余裕があれば、頭で叫んでくれれば聞こえるよ。でもまぁ、元々は、俺がシンギュラリティ世界を作ったんだ。その世界から作られたモンストラス世界の住民も、最後にはここに来るんだよ。君たちの言うところの、天国だから>
人類の墓場か、人類の天国か、EARTHによって創造されたデータ人類が共通して、死を迎えた最後に辿り着く世界。それが本当の地球。全ての生命の始まりの惑星。
運命というものを左右する自分で決めて行動できる世界が終わると、運命というものが存在しなくなる世界。その地球に、人類が滅亡してから、初めて肉体を持って現れた田村と桜。
<そろそろ、春日としての俺の姿も終わるみたいだよ。そして春日くんは、この世界を照らす灯台として、ここにいるみんなを輝かせてもらおうかな>
Sの春日の姿をまとっていたEARTHの体の一片一片が剥がれ始める。その剥がれた部位は光を放ち、少しずつ、形を失っていく。同時にRの田村の体も剥がれ始める。そして、パフォームとして器を借りていた本体の姿が見えてくる。
田村の顔は剥がれ、そこから見えてくる本体の目、口、鼻、それは風間咲の表情。
<さ、咲……>
「ゆう……じ」<やっと雄二に逢えた>
咲が無意識に念じた言葉はEARTHに響く。頭で念じた言葉。それは紛れもない真実の気持ち。
田村の体は完全に剥がれ落ち、田村はEARTHの世界のコンチュウとして姿を変える。
<苦しいよね、咲。すぐに苦しみは無くなるよ。咲はどんな姿になりたい?>
<お花……かな……薔薇よりも、カルミアの花が好きかも。ここって、緑ばかりだから、色が足りないわ。ここが、雄二が連れてきたかった場所なのね。素敵……よ。桜もいる。寂しく、ないわ>
そして、苦しみの絶頂を迎える前に、EARTHは咲と桜の体から意識を取り出す。それはたんぽぽほどの大きさ程で弱い光を放つ意識。
<しばらくお花もいいかもね、咲。そして水谷桜。お前には、咲が寂しくならないように、ここで見守っていてもらうよ>
咲と桜の体が消滅する。そして、咲はカルミアの花と変化する。そして今まで緑の草だった者の意識を変化させ、白、赤、ピンク、茶と、カルミアが惑星に咲き乱れた。
カルミアの花を見守るように大きな桜の木が現れた。それは肉体が消滅した桜の意識。
<俺も綺麗なお花になったよ>
<雄二、とても綺麗ね。私はどう?>
<咲も綺麗だよ>
<ずっと綺麗でいらる永遠の世界ね>
<私は、恭介に逢いたい>
◆◆◆
シンギュラリティ世界。地下施設。
モンストラス世界から弥生とリンクした町田。その広大な施設に二人。モニターを眺めていた。
「もうモンストラス世界とは完全に切り離されたなあ! モニターに映らないや! でも、間に合って良かった! な、弥生ちゃん!」
「何が弥生ちゃんよ! 仁! あなたなんて不精者なカッコしてんの!? 髭剃りなさい! 髪切りなさい! 服が変!」
「しょ、しょうがないだろ、孤独な研究者なんだから!」
「いい!? これからはここで私と医療の研究も充実させて、衛生面もしっかりさせてもらいますからね!」
「はいはい、よろしくね、弥生!」
シンギュラリティ世界。支所屋上。
ドームを眺める鈴村の姿をした加藤は、風を感じられない屋上から世界の未来を呟く。
「人が飽和した世界。海で遊べない子供。ANYに判断される未来。まずは、ANYには眠ってもらおう。人間の世界は、人間で創る」
「あ! ここにいたんですか! 管轄!」
振り向く加藤。それは本部から鈴村の安否を捜索していた本部のチーフ『広金』。
「本部でチーフをしております広金です! 管轄が無事で良かったです!! 本部の職員総動員で探しておりました! あなたは我々にとって必要な存在です!! いなくなっては困るんです!」
――鈴村。いい人間を育てたな。「心配を掛けた! 本部へもどるぞ! そして、管轄室は封鎖する! これからは人間の力で! 人間を救うぞ!」
◆◆◆
すでに数週間は経ったモンストラス世界。本部跡。
世界の認識が変化したと訴える者、世界の終わりを唱える者。様々な想いで鈴村の前に集まるモンストラス世界の住人。小さな丘の真ん中に立つ鈴村を見上げる。暗闇の世界。そこに松明を上げながら叫ぶ魂の声。
「火を絶やすな! この世界は今から造られる! お前たちは、孫の世代から誇られる伝説の世代となるひとりだ! 世界の良識は! ここから造られる! お前たちは! そんを世界に伝える語りべ達となる! この惑星はもう、モンストラス世界ではない! 宇宙で唯一となる人類の星! 地球だ! ここにいる者で人々を守るぞ!」
不安な者に力強く響く言葉。電気もない、ガスもない世界で、第二のLIFE YOUR SAFEの立ち上げが始まる。
シンギュラリティ世界を守ってきた鈴村は、自分の作り上げたモンストラス世界の住民を平和へ導く。
指導者へ向けた止まない歓声。その鈴村は歓声に背中を向けて丘を下だる。その鈴村の眼下に映る香山弥生の姿。拍手をしながら鈴村へ話しかける。
「管轄、素晴らしいですわ!」
「香山。シンギュラリティ世界での技術を知る俺たち二人で、人が生きられる世界を造るぞ。この世界に、機械は必要ない。そして、その必要以上の技術は、俺たちの中で封印する」
笑顔で答える弥生。そして振り向けば焚き火で暖をとる人々。その輪の中でかがり火に笑顔が揺らめく表情が絶えない風間咲。咲の隣りで笑顔を浮かべる春日雄二。その笑顔の二人を見ながら鈴村は弥生へ話す。
「風間咲はもう大丈夫か?」
「町田さんが間に合って良かったわ。あの子の心に私は必要ないわ。一番会いたかった人と出会えたんだから」
町田に伝えた最後の言葉、それは、Rの春日を再び作り出すこと。
「そうだな……あの二人はどうしているかな」
山道を歩く二人。松葉杖をつく女。それを支える男。
モンストラス世界で育った水谷桜。
シンギュラリティ世界で育った刈谷恭介。
二人は暗闇の中生い茂る山道の頂を目指して歩き続ける。
「桜、どうしてこの頂上に行きたいんだ?」
モンストラス世界に存在していたほとんどは作られたもの。その中で、確実に残っていた山岳。それはデータではなく、確実に存在していた本当の自然。世界の神の可能性を感じた桜。自分がオリジナルであることにこだわった世界。全ては最初の地球から始まった第三世界での住人。それを全て理解した桜の根本。最初の場所が真実であるかどうかの確認。
「私の育った場所。この頂にある孤児院よ」
monstrous時代。それは人が人でいられなくなる悪夢の時代。その悪夢の時代が終わり、人が人として交流を始めて、仕事が少しずつ増えて、それでも生活が楽ではない数十年。その中で、子供を捨てる事も珍しくなかった。
その孤児院は、monstrous時代に作られた。危険な人里より、子供を守るため。
その時代が終わっても、孤児院のある頂までに、息を切らしながら抱く子供との苦労を味わい、預ける考えを改めるためにも、その孤児院は頂にそびえ続けた。
「LIFE YOUR SAFEの審査で、この山を開拓して、崩していく男たちを、私はことごとく拒否をしていたわ」
その審査の最後となった男は出浦。その山を削り、崩し、無くしていくための仕事を生業としていた。自分の育った唯一の場所を開拓する者たちを護る事は出来なかった桜。自分の存在が始まった山の頂。それも嘘にはしたくなかった。そして、その場所が、本当に存在していたか、確認せずにはいられなかった。
「桜の育った場所か。見てみたいな」
「あなた本当にわかっているの? 私は、あなたの世界であなたと生きた女じゃないの」
「わかってる。姿かたちは同じだけど、俺の知っている桜ではないのはわかっている。それでも、桜と居たいと思うんだ。お前は、間違いなく桜から存在が始まった人間。性格は違うけど、それは桜に見えていなかった一面なんだ。それをひっくるめて、俺は桜を愛している」
言われ慣れない言葉を平気で伝えてくる刈谷の言葉に、反論もできず、同行を拒否することもせず、もうすぐ辿り着くであろう頂へと、光のない世界を歩き続ける。
何度も登った事がある道。何度も下った事がある道。松明に照らされる山道は、刈谷から違いの見えない道。
桜からは違いがわかる道。山道の湾曲や傾斜。目的地までの距離の目安となってくれる木々の集まる様子。登った記憶のある、なだらかに登りやすい大木。それは記憶に残る桜の遊び場。
郷愁を感じながら、足を踏み入れた故郷は、覚えのある木々の環境に不安な心を撫でられ、松葉杖で支える力も強くなる。
両足が健全であれば駆け走りたい。この湾曲をあともう一度曲がれば納得に至る。その期待は、想像通りの門が、想像通りの建物が、想像通りの遊具が、院内にあるという期待。
「あ……」
そこは一面砂利と草に覆われていた。子供の頃に見上げた屋根の高さには物体の存在はなく、地面には朽ち果てた建物の残骸も見当たらない自然だけが従来の姿。思い出の遊具も、重く開けられなかった門も、星を眺めた二階の高さも、桜の幼少を証明する姿は見当たらなかった。
「ふふ……ハハ、そうよ! やっぱり、私には、全てが見せかけの人生だったのよ!」
「桜……」
「笑ってよ! フフ……私も作られた存在! 育った場所も作られた記憶! 何一つ実態がない世界だったのよ!? 私の人生は! 今さらシンギュラリティ世界と離されたからってなによ! 私には……何もない」
片膝をつきそのまま横に倒れこむ桜。声を殺しても鼻をすする音は刈谷に沈黙を続けさせる。そして次の刹那、それは数ヵ月ぶりと感じる視覚へ映る色。
山岳が並ぶ輪郭が理解できる。雲に透過する光は紫にも感じる。空気は青くも黄金色にも感じる。松明はその場の役目を終え、桜と刈谷にとってもモンストラス世界で初めての陽の光を浴びる事となる。それは同時に焚き火を囲んだ鈴村や弥生、咲と春日、世界の表面で生き抜いた全ての者の注目する光となる。始まる新しい本物の世界。
500億年ほど前、地球は太陽を失い、太陽という存在を忘れた銀河系のひとつとなった。
地球は新しい銀河へ優しく運ばれ、いくつもの惑星は太陽と共に惑星の生涯を終えた。
太陽が位置した場所。そこには新しい塵が集まり、ガスが集まり、核融合が繰り返され、億年の時間を掛けて、新しい太陽が生まれていく。それは、その場所には、宇宙にとって太陽が必要だったから。
かつて地球があった場所。そこに収められる運命の惑星は、地球がシンギュラリティ世界を創り、シンギュラリティ世界が作り上げたモンストラス世界に、宇宙の意思は必要と判断した。
完璧なバランスを求める宇宙。その宇宙にとって、モンストラス世界は、完璧な宇宙の均衡を保つひとつと認められた。地球に代わり、新しい地球として。
桜が眺める太陽から漏れてくる光。その美しさに皮肉にも感動した。自分の心境を洗い流されそうで油断しそうになる。その光で、刈谷に涙を見られることも避けたくなる。
刈谷に背中を向けたまま立ち上がる桜。山々の輪郭に、記憶の中で見慣れたはずの景色に、息をすることを忘れる。
「ここ……違う! 私の見てきた景色じゃない!」
山道は間違いないはずだった。湾曲する山道。遊んだ木々、場所。それは記憶の中で、自分が庭として遊び相手だった山。間違いないはずだった。
モンストラス世界には、山脈と呼ばれるものは少なかった。それはシンギュラリティ世界にとって、彩りが足りなく思われていた。すでにあった完全な山々は、シンギュラリティ世界によって同じ山々を作り出された。同じ山道、同じ形のなだらかな木。モンストラス世界には、いくつもの同じ山が作られた。
いくつものデータの山。それがシンギュラリティ世界と離れ、ひとつとなり、そのオリジナルの山の頂に、桜と刈谷は向かっていた。そして、桜が諦めていたその場所は、まだ頂ではなかった。
「あ……あれ!」
自分の記憶で存在するはずだった孤児院の前で声を上げる桜。その山のオリジナルは桜が遊んだ山の記憶よりも標高は高く、立派な自然の産物であった。
「見えるよ桜。あれなんだね」
光が注がれ、二人がたたずんでいる場所から上を見上げると、そこには桜の記憶にある孤児院が頂にそびえていた。それは、桜の育った場所が、データではなく、間違いなく存在していた。
「私の故郷は、実在してたのね」
霧が晴れたような桜の表情。それは、刈谷が一番見慣れている、優しい桜の表情だった。その孤児院の背中から、初めて見る太陽が登る。
桜は懐より、一本の葉巻を取り出す。それを二つに割ると、小さなカプセルが出てくる。そのカプセルを右手と、震える左手の指でつまみ、二つに折ると、桜の風下で風に撒かれた虹色の粉末は、空へ吸い込まれていった。
◆◆◆
EARTH。カルミアの花が咲いてから50年の時が流れていた。
<おはよう>
<おはよう>
<今日もいい天気ですね>
<そうですね>
<平和ですね>
<平和です>
<永遠に変わりませんね>
<変わりませんよ>
<変わるわけありませんね>
<地球ですからね>
<夢の国への可能性もありますからね>
<きっと誰かが想ってくれますよ>
<そうですね。どこかの世界で、私を想って生涯を終えればいいわけですからね>
<あなたは何年待ってます?>
<私は300年くらいでしょうか>
<そうですか。私は2000年くらいです>
<誰か私の事、知っていますかね>
<きっといるでしょう。生きているうちに名を残していれば>
<そうですね。一度は国を代表したスポーツ選手でしたから……きっと>
<いいですね、記録にあるのは。私は新聞に載った事はあります>
<どのような功績です?>
<犯罪でした。誰かが私の新聞を抱いて死ぬことを願ってます>
無限に続く会話。各々の姿で、各々の振り向く先に話しかける。その念話は地表に伝わり、不特定多数の意識と会話が続く。夢の国を期待して。
肉体がある時期にだけ、運命というものが存在する。その世界で全てを掛けて生きた生涯、どれだけの人に影響を与えられたか。
肉体のある者が生涯を追える瞬間、自分の心に強く残る者が、EARTHの一部となっていた場合、その者たちは夢の国へ行けるという。
夢の国。正しい名称はない。そして、誰もがその国が存在しているかどうかはわからない。
ある一本の鮮やかな松の木が話していた。知り合ったばかりだが、仲良く会話していた目の前の杉の木が、突然いなくなった。初めて目の前に現れてから三日程度だという。
話を聞けば、家族を愛し、人を愛し、社会に貢献した男。その男は病に倒れ、愛する家族に看取られながら、幸せな最後を迎えたという。
その時、妻は男に伝えたという。「私もすぐに追いかけます」と。その話を聞いた松の木。杉の木の妻だった人が亡くなれば、二人仲良く隣にでも並ぶのかなと想像した。
500年の時を経た松の木は、その話を聴いて、そんな相手がいれば、永遠の世界の中でどれだけ楽しく有意義に過ごせるだろうと考えた。その話を聞いた翌日、目の前にいた杉の木はいなくなったという。
松の木は思った。肉体を持っていたときに、自分を想ってくれる人がどれだけいただろうと。もしも有名になっていれば、もしも歴史に名を残していれば、もしも誰かに愛されていれば、自分は『この先の世界』に行けると。
自分の個性や運命を終わらせて辿り着いた終着点であるEARTH。その期待は、草を、木を、土を、石を、幸せな気分にさせた。そして、自分を想ってくれる人は誰かと、自分の一生を想像した。『誰か』が自分を想ってくれている。『誰か』は自分をまだ必要としている。『誰か』は自分を尊敬している。山は、ドウブツは、花は、コンチュウは、『誰か』に期待した。
<キョウスケ>
<キョウスケさん>
<キョウスケちゃん>
どの樹木よりも大きくどの花よりも煌びやかに咲き誇る桜があった。
その桜は『キョウスケ』と呼ばれていた。
いつも聴こえるその声。自分の名前を伝えているのではないかと思うほどに。
周りの花は呼ぶ。
<キョウスケさんこんにちは>
周りの土は呼ぶ。
<キョウスケちゃん。今日も綺麗に咲いてますね>
その名前は50年ほど続いている。
孤独な大木の桜の木。『キョウスケ』。
『誰か』に期待しない桜の木。
『誰にも』話しかけない桜の木。
『誰も』相手をしなくなった桜の木。
『キョウスケ』は、孤独を選んでいた。
カルミアの花は無くなっていた。いつ消えたのだろうか。突然カルミアの花からの声も聴こえなくなっていた。
唱え続ける『キョウスケ』。そんなある日、桜の木の中から声が聴こえた。
『きっと……もうすぐ、僕の人生は……終わるん……だね。でも……本当は……もぅ死んでるはず……だったし、良かったの……かな……こんな死に……かたで。意味が……あったの……かな…………僕は、この大木みたいに……雄大で……静寂で……穏やかな存在になりたい……僕は静かに生きたい……退屈でいい……同じ場所でいい……きっとそれが僕の理想の人生なんだ』
桜の木の下には、大きな穴が空いていた。もしも肉体を持った者であれば、二人は入れるだろう穴。そこから響く声に、『キョウスケ』は答えた。
<いいわ、あなたが本当に望むなら>
『キョウスケ』は静かになった。『キョウスケ』が『キョウスケ』と言わなくなった。
何も言わない『キョウスケ』。その『キョウスケ』と呼ばれていた桜の木に、強く伝わる声がする。
それは草の声でも、木の声でも、石の声でも、花の声でもなかった。
<元気かしら。あなたのお陰で私はここにいられる。あれから、ここにくるのは初めてよ。私は今のあなた。あなたが私に触れた時、あなたのように世界を意識した。いい? これはあなたが選んだ、運命の結果よ。あなたには私の声が、届いてるかしら。聞こえていても、何も出来ないわね。私も、同じだったから。あなたは私の中で、自分の人生を語り、泣き、叫び、私のような静寂に生きることを望んだ。あなたには 感謝してるわ……>
『キョウスケ』とも呼ばれなくなった桜の木。それから、どれだけの時間が経ったのだろうか。
もしも時間というものを意識していれば、どのような日数を伝えてくれるのだろうか。勇気を振り絞って、桜の木は隣りの木に挨拶をした。ここに来て3年だという。それからまた、静かに時を過ごした。
ふと、隣りの木に再び挨拶をしてみた。ここに来て600年だと言う。
ある日、その桜の木の下で、一羽のシジュウカラが元気なくさえずっていた。
いつもはEARTHの世界の輝くトリが、隣りの木から木の実を食べる真似をしていた。
最初はいつものトリかと思った。けれど、それはEARTHのイキモノの意識と違う。
EARTHのイキモノは『誰か』に想われたい。桜の木である自分に強く伝わる意識。そのイキモノは、自分に対して強く想ってくれている。
『私はあなたが羨ましい。大きく、堂々として、みんなを風から守っている。素敵な花を咲かせる。私はあなたのような 雄大な存在になりたい。私はあなたに、なりたい』
生涯が尽きる前に想う気持ちが連鎖する。その日、その時から、身動きの取れない桜の木だった意識は、別の世界で羽ばたく。
意識は肉体を与えられ、自分が成りたい姿となる。そして、シジュウカラとなった桜の木だった者は羽ばたきだす。会いに来た人にもう一度会うため。それは自分だったのではないか。『僕』だったのではないかと。
そのシジュウカラが想う人は、この夢の世界のような中、山の頂にある建物に入って行った。『僕』は追いかけた。建物の二階から覗く『僕』。それは『僕』ではなかった。
その人はとても笑顔が素敵な人だと『僕』は感じる。もう一人、その笑顔を受け止めて、笑顔で返す男がいる。その男は笑顔が素敵な人に『キョウスケ』と呼ばれていた。そして『キョウスケ』は笑顔で伝える。
「今日で800回目の結婚記念日だね、桜」
『僕』は羨ましく感じた。この人たちは幸せだ、と『僕』は強く思った。
『あなたのいる世界の住人に、なりたい』
「桜~。遊びに来たよ?」
高い声に驚き、『僕』は再び飛び立った。
ここはまだ、『僕』がくる世界ではないと思い、そして、もっと違う所からも呼ばれている気がした。
サキと呼ばれている女とユウジと呼ばれている男は、笑顔で迎えられている。『僕』はここがどういう世界なんだろうと思った。もしも人に伝えるなら『夢の国』と伝えるだろうと。
『僕』にはまだ肉体がある。『僕』はそこに戻らなければいけない気がした。必要とされているようだ。ここに来るのは、『僕』が運命を使い終わった時。
『僕』はまたこの人たちともう一度会話をしたいと思った。この人たちは『僕』の事を知らない。その想いが伝わる相手と一緒に、この『夢の国』で、意味のある偶然を一致させるために。『僕』は生きる事を選んだ。
運命を超えた永遠の想いから繋がる幸福。
それが
シンクロディピティsynchrodipity。
世界は続く。
世界はいくつもの可能性がある。
ひとつの世界が終われば、それで全てが終わるのか。
終わらない可能性は何か。
いくつもあるひとつの世界への可能性。
永遠に続く。
<Press any questions>
<何か質問して下さい>
「ANY……質問はもうなにもない。ご苦労だった。さよならだ。停止できないなら、この言葉を永遠と繰り返すんだ。さよならだ」
<さよなら-了解-さよなら-了解-さよなら-了解……繰り返します>
シンクロニシティ ~synchronicity~ END
ひとつの世界の可能性となる
セレンディピティ ~serendipity~ へ