【PERFORM】 心臓の太鼓が教える抹殺への罪悪感
18:07 モンストラス世界。支所裏口。
「馬鹿な!!」
「か、管轄。どういたしました? 何が起こったんでしょうか」
鈴村と桜の二人しかいない支所裏口。桜が目を落とした腕時計は一時間近くモンストラス世界はさかのぼっていた。原因の張本人である桜。鈴村に悟られまいと、何が起きたかわからない雰囲気で接する。
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鈴村にとって、絶対的な原因が特定できない状況。収容室の前で突然苦しんだ咲。それは刈谷に助けを求めた最後。なぜ咲が突然苦しんだのか。何か発作を患っていたのか。誰かが自殺をして時間が戻っただけか。可能性を考えた。その中でも、モンストラス世界でおきる可能性を熟知している鈴村は、桜に備わった、覚えたてのシンクロの可能性も頭に浮かんだ。もしかして、裏切ったのではないかと。それならなぜ裏切ったのか。
桜は咲から暴かれるファクターの正体を知りたかった。だが、鈴村には知られたくなかった。鈴村の知らないところで、咲から聞き出すためにも、口を封じるためにも、桜は鈴村と咲を引き離したかった。
そもそも鈴村が恐れるファクター。それは移住する予定のモンストラス世界を操作される恐れや壊される恐れ。大気が安定した世界を護りたかった。その不安なファクター達を、主に誰が仕切っているのか。春日か、Rの鈴村か。Rの桜は春日から誘われた。それを鈴村は肉体を与える条件でRの桜を寝返らせた。そしてRの鈴村の行方。
咲が刈谷に伝えようとした人物は誰か。この世しか知らない咲。その咲から、春日の事がファクターのリーダーだという言葉が出るとは考えられない。昔の恋人だったRの鈴村とも思えなかった。刈谷の存在を確認して、その後伝えようとした人物は誰だったのか。
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「水谷……今すぐ俺を咲のところに飛ばすんだ!」
予想していた桜。この場で再びシンクロを使う事は、まだ確認できていない咲の精神状態の不確かな危険性。万が一、首を絞めた感触や雰囲気が、桜のイメージで固められていた場合、それを鈴村に知られた時、自分にとってどんな不利益を受けるかと桜は心配になった。今、鈴村を咲に合わす事は出来ない。自分の証拠さえ見当たらなければ、しばらくは大丈夫だと。
「管轄……すいません……試してみましたが、体力が戻ってないようです」
「水谷……場所はわかるだろう。どこだ」
直接咲の自宅に向かおうと考えた鈴村。
表情から感情を読まれたくない桜。下手に息継ぎをすれば芝居と思われるかもしれない。目を泳がせても、直視しすぎても疑われそうな今、冷や汗のひとつでも掻く前に、自然な言葉を探した。
「管轄、それでは今、所内より地図を持ってきますが、お待ちいただけますか?」
「わかった。車も貸してくれ」
少しでも時間を稼ぎ、これからの計画を立てたい桜。それは鈴村を遠ざける方法。そして、今だ待ち続けている『指示』。
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最後に電話で話したRの鈴村との内容は、刈谷を精神病棟へ隔離することによって、Rの桜が出来る全てのことは達成された。精神病棟へ隔離することは桜にとっても待ち続けていた出来事。保護期間の終了までの半年待った今日。180日経った今日。Rの桜は何かを期待せずにはいられなかった。本体の鈴村が今日突然現れたことは、シンギュラリティ世界でその何かが起こる前触れとも感じていた。
---*---
地図と車の鍵を取りに行くため、支所内の共同職員室に向かう最中、ひとつの大義名分な理由が見つかる。その職員室の途中、聞こえてくる先ほど聞いた声。想像通りに熱気高く、数十人の職員に語る田村。先ほどの駐車場での出来事もあり、屋上での出来事もあり、鈴村に対して言い訳をつくるには具合がよかった。
「職員諸君! 私に続いて数人の職員は目覚めた! この不死現象を裏付ける確かな証拠だ! まだ疑う者もいるだろう……だが疑う者に尋ねたい! 不死現象を説明出来るか!! いないだろう……それは我々は! この世のカラクリに仕組まれているからだ!!」
「田村専任! カラクリとはどんなものですか?」
「ハハハ! 専任と呼ぶにはまだ早いが、間もなくだ! そして俺はそのうちチーフとなる人間! 壊れた春日さんより、俺の方が適任だろう」
「はい! 田村さんは自分の葬式の話を所長に話したりしませんので! きっと隔離されてた下村にも刈谷さん病がうつったんでしょう!!」
「ハハハハハハ!!」
刈谷が町田に語った話題に、笑いが飛び交う研修室。町田が刈谷を緊急的に拘束した理由は、春日の葬式話が決定的だった。収容室に連行した新人職員も混ざり、重症患者となった下村の出来事も話題に上がっていた。
「同じ職員ならあいつがどんなに嘘を言わない人間か、知ってるだろう……目覚めていない職員には信じがたいだろう。だが、お前達は見たはずだ!! 俺の死体を!!」
田村が熱弁を奮う職員の研修室前。鈴村と支所の裏口で別れたRの桜は、聞こうとしなくても聴こえてくるその大きく太い声の響く研修室のドアの外で静かにたたずみ、様子を耳で感じていた。
――きっとデジャヴュ前の駐車場での一件を含めて、この世界の違和感をわかる者だけで分かち合っているのね。わからない者には田村と目覚めた職員の神秘に惹かれているほどの熱……仲間に引き込むには危なっかすぎるわ。けれどどうする? 粛清したくても、死なない世界。何度も時間が戻るのは鈴村にまた会わなければならない気まずさもあるわ。Rの鈴村はどうしてるの? このまま本体の鈴村の味方をしているのも、もう、もたないわ。
「この世界は違う! お前らの家族に違和感はないか! 我々は今世界に騙されている! 騙されるな!」
「そうだ!」
「俺は騙されねえ!」
「俺もさっき目覚めた!」
「この世界から抜け出すには自分をこの世から消す事だけだ! 何度か目を覚ました時! お前らは本当の世界で目覚める! 俺についてこい! 今は本部で不死現象会議が始まっている! 今が! その時だ!!」
「田村。あなた……なにしてるの?」
「チーフ……いや、私は……この仕事への団結力を上げようと皆を導いて」
――考えている時間はないわ。少しでも時間を稼いで、もしもRの鈴村が何もアクションを起こしてこないなら……次に本体の鈴村を見た瞬間、人間である鈴村の息の根を止めるわ。簡単よ。今の私なら! 怖がることはないわ! 今の鈴村は無力! シンクロの能力はきっとRの鈴村がそのために私へ備わせた能力! この馬鹿どもの大将を気取っている田村にも、力の差をわからせておいてやる!
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目の前にバツの悪そうな田村を睨みながら思考する桜。田村へ能力を駆使して服従させて、自分の手足として動かそうと企むと同時に、もしも時間が戻った刹那には、本体の鈴村をこの世界で刈谷同様に存在を終わらせようと考える。本体であれば、二度と復活することの出来ないという不利な環境を利用して、今であれば本体の鈴村からの影響力におびえず、誰にも知られずに抹消できると。
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田村を前にしても緊迫感なく笑みが出てきそうな気分の桜は、その表情を殺しつつ、上司としての当たり前な指導をぶつける。
「この支所では集団自殺に追い込むような講習過程はないわ!! あなたたち! 田村の言葉は忘れなさい! そしてここで待ちなさい! 田村! ちょっと来なさい!」
職員からすれば叱咤されている自分たちの神。桜からすれば、すでに自分には誰も想像が出来ないほどの能力を身につけた神。その通じ合わない思考は桜には想像もつかないほど、田村のプライドという逆鱗に触れていた。
「皆!! 現れたぞ!! 我々の心を操り! 人類の未来を妨害する! 世界の元凶のひとりが!! 拘束しろ!!」
「おお!!」
「捕まえるんだ!!」
「正体を暴け!!」
18:14 モンストラス世界。支所裏口。
葉巻をふかしながら、そしてつかむ葉巻の中にあるカプセルの感触を確かめながらRの桜を待つ鈴村。再び沈む夕日を眺めながら疑念を拭えないでいた。
――Rの桜が裏切っていた場合、すぐに考えられることは、俺の抹殺。自分が神と認識した慢心から、すでに重要度が薄くなった俺への反逆。それは可能だ。人間である俺を殺すことは可能だろう。ならば、すぐにシンギュラリティ世界へリンクするカプセルを使うべきか。だが、まだファクターのメンバーの確信が持てていない。それが確認できればシンギュラリティ世界の『エンジニア』の力を借りて一時期はモンストラス世界を行き来できるだろう。次にRの桜が顔を見せる時に、その判断を……。
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Rの桜に対する疑念への対処。それは桜と同じタイミングで判断を下す紙一重な思考。油断を見せられない現状の立場は、いつ桜に狙われてもおかしくない立ち位置を悟られないように、警戒心をあらわにしないたたずまいで桜を待った。
Rの咲が知っているファクターのメンバー。そして、そのメンバーが密談していた内容を知る唯一の存在である咲の安否は、田村を相手に時間稼ぎをしている桜によって伸ばされている。
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田村との立会いの現状を知らない鈴村の目の前。すでに陽は落ちていたが、建物の影から近づく、ひとりの何者かが近づいているのがわかった。
「なんだ、ここにいたんだ」
悪寒がよぎる鈴村。その声はシンギュラリティ世界で聴いた声。馴れ馴れしくも感じるその声は、鈴村にとって桜よりも葉巻に巻かれた葉をねじり折る理由を強くした。その者は、言葉を返さない様子の鈴村へ、もう一言、言葉を投げた。
「今、ANYに聞いたよ。ねえ、やっぱりお前、邪魔かもしれない……シンクロ」
18:15 モンストラス世界。職員研修室。
田村の率いる職員に囲まれたRの桜。明らかなチーフである桜に対しての謀反をあらわにした田村に対して、拳銃を構えながらどのような方法でこの場を治めるか考える。
――ハッ……面倒ね。どうする? どこかに飛ばす? 撃つ? 私が飛ぶ? 選択肢がありすぎるわ。でも、ここでこいつらを飛ばしたら、私の能力を知られる可能性がある! それなら……。
「撃たせるな! チーフを止めろ!」
自分の頭に拳銃を向ける桜。その瞬間、桜の影が四次元を浮遊する。20本の手が桜に近づく中、田村より後方で、目覚めてもいない、この世界を理解していない、どうして良いかわからずにたじろいでいる職員の目の前に桜の影が立つ。
「田村……また近いうちに会うだろう」
桜の持つ拳銃の引き金は引かれなかった。桜の影は、誰も注目していない職員の口を塞ぎながら、その職員の持つ拳銃を奪い、胸に当て、引き金を引いた。その拳銃の衝撃の反響音を、桜の拳銃ではないとは、誰も思わなかった。撃たれた職員は再び新しい世界には目覚めなかった。自分を傷つけるリスクを負わず、職員をひと時殺める罪悪感もなく、緊張もなく、鈴村へ出会っても時間を稼ぐ理由を持ったまま、時間をさかのぼる。
「お前ら、俺は見えた……この世界の敵が! 水谷桜!! チーフをさらえ!! その先に我々の進む道が見える!!!!」
「おおー!!」
「俺も見たぞ!!」
「覚えてる! やはり俺は目覚めたー!!」
18:10 モンストラス世界。支所内廊下。
すでにRの桜と鈴村が別れた直後の立ち位置。桜は職員研修室へ向かう途中の廊下にデジャヴュすると、すぐに振り返り、田村の謀反という大義名分を持って鈴村の元へ走り出す。
――これで車や地図に近づけなくなった理由を作れた。体力の回復を理由に時間を少し作って、鈴村を……暗殺する!
支所の裏口へ走り向かうRの桜。その走りは職員研修室から逃げる姿を思わせながらも、顔は笑みで歪んでいた。
裏口のドアが見える。そして勢いよくドアを開けた。それはほんの一瞬だった。鈴村が七色の光に包まれて、このモンストラス世界から消える直前の姿。
「え! か、管轄!!」
鈴村も、Rの桜が勢いよく支所の裏口から出てくる瞬間だけは確認していた。そしてお互いがまばたきをした一瞬、桜の前から鈴村は消えた。
◆◆◆
18:42 シンギュラリティ世界。海岸沿いの森林。
春日雄二の姿をした者の誘導により車で走行する咲。ほとんど車の進行方向を見ていない男は導かれるように「こっちです」「あっちです」という声と顔の向きで意思を咲へ伝える。
「ここ、もう進めないわぁ! どうするの?」
「お、降ります」
車の鍵も解除せずに何度もドアのノブを引っ張るように開けようとする。それを見た咲は軽くため息をつくとすぐに作ったような笑顔で後部座席に振り向き、思いを伝えた。
「もう! わかったわよ! 一緒に行くから! 雄二とそっくりな怪我人をひとりで行かせられるわけないでしょ!」
そのように言葉を伝えると、男からの答えを待たずにドアの鍵を解除して、後部座席のドアを外から開けるために運転席から出る。
「だいじょうぶ……です。ありがとう……ござい……ました」
自分でドアを開け、咲に目も合わさずに森林の中に進む男。咲も放っておく事が出来ない。後ろからついて行くように、森林へ入っていく。
その森林は人工的な部分が大部分であったが、ドームより外であり、日陰で湿度が保たれ、天然の草や花も所々あった。砂漠化していくことを防ぐため、太陽の直射日光を避けるためにも大掛かりな工事により人工樹木を増やしていく工事はシンギュラリティ世界において終わる事のない作業ではあったが、二人の迷いこんだ森林は必要以上に人の侵入を拒むかのように茂らせていた。男の歩みは道を知っているかのように止まる事を知らず、ほんの数分が数十分も歩いた気分にさせるほど帰路を不安にさせた。
「ちょっ! どこまで行くわけ!? もう! 死んじゃうわよ?」
「ハァ……ハァ……ハァ」
「もう! 私帰るわよ!?」
「ハァ……ハァ……ハァ」
うなだれそうな姿勢で、今にも前に倒れそうな足取りで進む男。耳を貸さない男に対して帰る意思を伝えた咲も、言葉を投げるだけで帰ろうとはしない。帰路の心配と、春日の姿をした男の心配と、その男の怪我の心配や目的地への興味が入り混じる状態で、咲はすでに後ろからではなく、ほぼ真横に付いて歩いていた。
「ハァ……ハァ」
「え……ここ」
森林の中、草木のない場所。それでも周りの樹木が内側に垂れ下がり上空からの確認は出来ないような空間。その空間の真ん中には地下への階段があるのであろう片手分のノブが付いた扉が一つ。一見して頑丈だと感じる古くない扉を守る厚みを感じるような10秒程度で一周できそうな外壁に守られてそびえていた。
「え、これ、入っていいのかしら……普通に鍵が掛かって……」
無用心である意味を感じないほど立派な扉。それは開けられる代物ではなかった。内側から開錠されない限り。そのように思わせた扉は、音にして5回の開錠音と共に、ゆっくりと扉が開いた。
◆◆◆
18:46 シンギュラリティ世界。林道。
眠っている咲と別れた林道で頭を掻きながらたたずむ春日の姿がある。
「あれ~。めんどくさいなぁ。デジャヴュで戻されちゃったよ……せっかく鈴村を『あそこ』へ連れて行ったのに逃げられちゃった」
同じ時間。18:46 シンギュラリティ世界。支所。
モンストラス世界は何度かのデジャヴュにより時間の差が生じているシンギュラリティ世界に現れる鈴村。
「ハァ、ハァ……なんとか逃れられたか」
シンギュラリティ世界にリンクした鈴村。
モンストラス世界で春日と突然出くわした鈴村は、春日がシンクロを操り、ある場所へ飛ばされた矢先、Rの桜が起こしたデジャヴュにより時間がさかのぼる。その瞬間を逃さず、葉巻の中にあるカプセルを割り、シンギュラリティ世界に逃げ込んだ。そのリンクした場所はモンストラス世界と同じ支所の裏口ではあったが、人口が飽和した世界では、たたずむ鈴村を避けるように支所の職員が行き交い、立ち尽くす鈴村に声を掛けようとする職員もいた。
「あの、大丈夫ですか? 助けが要りますか?」
鈴村の顔を知らない職員は親切心で声を掛けるが、目立つことを避けたい鈴村は声を返さずに軽く手を上げて心配ない様子を伝える。そしてすぐに声を掛けた職員には背中を向け、目的を持って歩き始める。
――誰の起こしたデジャヴュか知らんが、助かった。水谷が一度戻ってきたが、ここではその理由がわからない。とにかく、今はこの支所では駄目だ。助けがいる。あいつは、春日は、『あの場所』へ俺を放り込もうとした! シンクロを使いこなしている春日! お前は……まさか……ANYの一部なのか!?
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鈴村をモンストラス世界へ放り込み、ANYへの権限も鈴村より高く、モンストラス世界でシンクロを操る春日。その自由な行動力に鈴村はANYの化身ではないかと思考する。何が原因でどのようにすればそのようになったのかもわからない状態ではあった。けれど、一番納得しやすい理由でもあった。
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今の鈴村が一番求める場所へ走る。それはシンギュラリティ世界の支所と本部のおおよそ間にある研究施設。しかし、本部の重要施設であるため、おおやけには公開していない場所。本部の職員にも悟られないために秘密裏に開発を行っている『エンジニア』のための地下施設。本部にも戻れない鈴村。そしてANYに対してまで疑念を持ち始めた状態で命令を発動することも出来ない今、明らかにその原因がわかると想像できる、ANYを開発したエンジニアに直接尋ねるしかなくなった。
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人口の飽和の原因から住宅地の飽和へとなり公道は狭まり、縮小され、自動車によるハイヤーは需要が無くなり、ほとんどが3人乗りのハイウェイスクーターハイヤーとなっている都市部。
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スクーターの座席が指紋認証による料金体系のハイヤーの座席に断りもなく乗り込むと、たまにいる強引な客だと認識した運転手は耳を傾け、「進ませろ」と聴こえた矢先に低速で走り出した。
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備えてあるヘルメットの内蔵マイクとスピーカーにより直接運転手へある程度の道のりを伝えると、加速を始め、軽快に細い道を走り抜ける。その先はドームの外へ出る道のり。運転手の操作により座席の上で光る収納口。その中には強い紫外線を避けるためのコートを着用される事を義務付けられている。ひと時の停車時に、マントにフードが付いた銀色のコートを羽織ると、それを確認した運転手はまたスクーターを発進させる。
ANYからの通信を遮断している地下施設。それでもネットワーク経由で侵入できなくもない危険性もあるが、そのセキュリティだけは破られないような施設であることを前提に考えて作られた空間。唯一のANYに対抗する手段でもある。
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――ANYが誰の味方か確認しなければ。春日がもしもANYの化身であるならば、すでに味方は有り得ないか……しかし、正体がわかれば対応は出来る。
考察する鈴村。その目的地だけは悟られたくない最後の砦。ほんの数十分で到着する道のりだけは邪魔が入って欲しくなかった。
ハイウェイスクーターハイヤーは三人乗り。乗客は二人まで可能だった。それぞれに備えられたヘルメットは乗客同士会話することができ、運転手には、乗客から任意で通話ボタンを押さない限り、乗客の会話は運転手には届かない。鈴村が被るヘルメットには、運転手の声ではないものが聴こえてきた。
【逃げられると思った?】
◆◆◆
18:11 モンストラス世界。支所裏口。
鈴村が消えたあとに残されたRの桜は影で四次元を漂う。
――鈴村は、いない。どこにも感じない。あれは、やはりシンギュラリティ世界へのカプセル。どうして? 私の考えを見破られたの? 警戒された? まずいわ……もしも、鈴村がシンギュラリティ世界で人工知能に私の消去でも命令されたら……いえ、きっとそこまでバレてないはず。きっと、何か別の理由よ。そして、見つけたわ。風間咲。やっぱり家で震えていたのね。いい子にしててね。すぐに向かうから。
震えているRの咲。それは影で眺めるRの桜からでも様子がわかった。膝と肘を床につけ、這いつくばりながら両指を絡めて自宅の床で震える咲。それはもう、誰にも関わりたくない構え。誰にも干渉されたくない願い。その震える咲の真横で笑みを浮かべる桜の影。撫でるように、それでいて触れない程度に髪から背中のラインに平行して影の手のひらを滑らし、いつでもその願いを断ち切れるかのように、握った両手の指の上で指を大きく広げて鷲掴みできるような構え。角度を変えて下から表情を眺めれば、瞑った目の周りのまつ毛は小さく光り、鼻や口に向かって滴っていた。
【あなたの知っている秘密はなんだ】
「キャー!! イヤー!!」
【あなたの知っている秘密はなんだ】
「いや……私は何も知らない……いや……イヤーーー!!!!」
【話せば……あなたは自由……】
咲は自宅に誰もいない事を確認しながら、それがこの部屋から聴こえるのに、その存在が見えないことから、いつ、また苦しめられるだろうという恐怖と、気を失いそうなほどの混乱は髪をかき乱し、耳をふさぐ。
四次元の声を伝える桜。支所の裏口から瞬間移動をせず、触れることもなく、言葉だけで目的の情報を手に入れたい桜。姿を見せれば更に混乱する可能性。情報と共に存在を抹消するには弱すぎる存在。情報次第では、生かせられ、存在を遠くへ置き去りにすることもできる。けれど、その状況を本体の鈴村に知られた時、Rの桜の裏切りが明らかになる可能性。万が一にも鈴村への言い訳を作れる可能性が、シンクロを利用した神の声だった。なるべく桜のような口調ではなく、女と思われない事を願いながら。
【あなたは大事な秘密を……ひとりで抱えすぎた】
「いや……いや」
【話せば……苦しみはもう無くなる】
---*---
苦しみは終わらない。咲はそう思った。けれど、言わなければ、結局、苦しみは終わらない。誰も助けてはくれない。この世界では、もう味方はいない。視野は狭く、逃げられない距離からの見えない声。桜の仕業と思った。けれど、それさえもどうでもよかった。春日がいなくなってから、世界に味方はいないと心から思えたから。本体の鈴村の存在を前にした時からはっきりと理解できた。自分の知らないところで、違う世界があるのだろうと。それまでは、交際していた春日の残した言葉の真意が受け止められなかった。けれど、別の世界があると感じられた今、春日の残した言葉は、言葉通りであると理解できた。
---*---
「ゲ……ゲームよ!!」
【ゲーム……どういうことだ】
「刈谷さんを殺した人が……殺した人が、運命の保有者っていう……」
【それは……誰もが想像できること。運命の保有者とは、どのようなものだ】
「わ、わからないわ!! ただ、刈谷さんを殺した人が……その、体に入れたキャリアっていう物質が手に入るって、そして、手に入れた人が、好きな世界に行けるって……残った世界は壊れる……それだけよ!! バカバカしい話よ!! こんなのゲームだわ!!」
【そうだ。世界はひとつでいい。そして、いらない世界は、無くなればいい……そのゲームに参加している者の名は誰だ】
「雄二が言っていた人は……和明以外には、マチダとカヤマって呼んでいたわ。雄二は、和明……管轄としての立場で人を殺す計画をしているという弱みを握ったと……」
【そこまで聴いていない。もうわかった……だから】
「桜さんでしょ? ねえ」
言葉につまる桜。『だから、もうおとなしくしていろ』という言葉を言い切れなかった。そして、桜ではないと否定すれば良いか。やはり咲の存在を遠くにするべきか。桜と知ることで、どのような不都合をぶつけてくるか静かに言葉を待った。罪悪感を持たない桜。心臓の鼓動も感じない。そして、その言葉に、影を遠ざけた。
「ねえ……お願い、殺して」
【もうすぐ……死ねるわ、きっと】
◆◆◆
18:46 シンギュラリティ世界。
ハイウェイスクーターに乗車している最中、ヘルメットのスピーカーから聴こえる声。それは直前まで鈴村が逃れようとしたファクターである春日の声。逃れられないと予告した春日の言葉。その言葉だけで、鈴村はこれより先に進むことが出来ず、逃げることの意味がどこまであるかわからない。それでも、この世界ではモンストラス世界のような能力は使用出来ないと考え、ヘルメットのトランシーバーへ周波数を合わせられて都市の監視カメラから常時監視しているものだと推測する。
【お前の作った世界は、俺の望むものには遠すぎるよ】
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春日が鈴村へ語る主観。それはモンストラス世界が春日にとって失敗作と思わせる言葉。それはANYの意思なのか、代弁者といて現れた存在なのか。すでに鈴村の存在をロックして言葉を投げている春日。目的地まで知られてしまっているのか、下手に進路変更をしてごまかすか、それでも鈴村からすれば、春日の意思ひとつで自分の行動を制限させられたくはなかった。
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【春日……お前は、何者だ】
【俺か? ひとつのゲームと、確実な真実を、もう一度知りたいだけだよ】
【真実? お前は何が知りたい】
【お前には想像の出来ない、光や次元を超えたものを、再び届けるためだよ。必要なものを、選んでもうためのね】
【光や次元を超えたもの? それは、情報のことか?】
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光を超える存在。それを聴いて鈴村に浮かぶもの。それは出来事や物事を伝える『情報』。情報とは、その情報を利用して、何かを判断するための材料。光を超える情報は、中身のわからない二つの箱の中にある、色の違う物体を確実に認識するようなもの。
二つの色、赤色と青色の物体を別々の箱に入れると、入れた者でなければ、どちらが赤色か、どちらが青色かわからない。箱に入れていない者に、箱を渡して、どちらかひとつの箱だけを持って、世界の反対側で開けた場合、それが赤色であったとき、その瞬間に、世界の反対側にあるもう一つの箱に入っている物体の色が青色であると理解できる情報。その理屈はどれだけ距離が離れていようと、遠い彼方の情報が手元に入るもの。光や次元を超えたものと耳にした鈴村が思う唯一の言葉は、『情報』であった。
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【さすがだよ鈴村! あはは! 良くわかっているじゃないか!】
【その情報をどこに届ける!】
【そうだなぁ~。とりあえず、お前はさっきの場所に入ってもらうよ】
鈴村を乗せるハイウェイスクーターの運転手は、聴こえていないその言葉と同時にサイドミラーを覗き込む。それはスクーターに負荷する重量の変化から。そして、サイドミラーの角度を変えて見えたのは乗客の足の数。誰かが突然乗り込んでいる。それは速度を落とす理由となり、停車した瞬間に振り向くと、ハイウェイスクーターには誰も乗客がいなくなっていた。
18:54 シンギュラリティ世界。本部管轄室。
管轄室では、情報が響いている。それは、通常のデジャヴュであれば一度で終わるANYのアナウンス。2時間前にRの鈴村が『自動更新を解除する』を実行したため、鈴村の声紋で命令待ちをしているANYのアナウンスが続いている。それを聴いているのは、拳銃を握り締めた桜ただ一人だった。
<モンストラス-自動更新不能-田村龍平>
<シンギュラリティ-鈴村和明-リンク-モンストラス>
<シンギュラリティ-鈴村和明-モンストラス-LIFE YOUR SAFE-特別病棟>
<モンストラス-自動更新不能-春日雄二>
<自動更新解除-命令更新環境-継続中>
「今、管轄がモンストラス世界にリンクしたの? 春日雄二? それって、恭介のこと!? 恭介を更新して!! いや、春日雄二を!!」
【命令された時の声紋が一致しません。認証されません】
「刈谷恭介をシンギュラリティ世界に戻して!!」
【命令された時の声紋が一致しません。認証されません】
「管轄は!! Rの鈴村はどこ!!」
<R-鈴村和明-モンストラス-LIFE YOUR SAFE-特別病棟>
桜がひとりたたずむ管轄室。Rの刈谷がいる精神病棟から戻された時は管轄室にいたRの鈴村。その時にRの鈴村は桜に伝えていた。「モンストラス世界の鈴村が精神病棟にいる。刈谷を危険な目に合わせないように、俺が見張っている」と。それから20分程待っていても現れないRの鈴村。それどころか、ついさっきモンストラス世界にリンクしたという報告アナウンス。さらに響き渡るのは、田村龍平と春日雄二がデジャヴュされていないという報告アナウンス。
---*---
アナウンスに流れる春日雄二とは、認識がRの春日雄二となった白い鉄格子の中にいるRの刈谷恭介。直前まで、管轄室からモンストラス世界へリンクしてRの刈谷恭介と精神病棟で会話していた桜。桜自身がRの刈谷を拳銃で発砲した事実と、発砲したその後は鈴村からデジャヴュにより時間がさかのぼると聞いていた桜は、それが今になってデジャヴュがされていないアナウンスの報告に混乱する。
Rの鈴村によってデジャヴュの自動更新は2時間前の命令により準備が終わったANYによってほんの数分前に解除され、命令更新とされている。それを解除できるのも命令した鈴村。本体の鈴村と思って接していた桜は、本体の鈴村が今になってモンストラス世界にリンクしていることを知り、混乱が増す。
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「どうして!! どうして恭介は戻ってないの!! 鈴村!! どうして!? 私が恭介を殺したの!? いや、イヤーーーー!!!!」
管轄室に発砲音が反響と共に轟く。何度も撃ち続ける桜。ANYのスクリーンモニターへ、スピーカーへ、監視モニターへ。銃弾が跳弾として壁を跳ねる。頬をこすり、太ももに埋まり、痛みを感じさせない奇声を繰り返し、全てを否定する。
<モンストラス-自動更新不能-春日……>
「嘘だ!! 嘘だ!! 嘘だ!! イヤあああー!! 恭介!! 私が!! 私が殺した!! 鈴村!!!! どこだあああ!! あぁぁ……はあぁ……ハァ……助けて……恭介ぇぇ……苦しぃょぉ……」
刈谷の本体とRの区別がつかない桜。刈谷を殺したと感じている桜。鈴村に裏切られたと感じる桜。どちらの鈴村が正義なのか、悪なのか、理解ができない。
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広くない空間である管轄室に独り。思い出すことは、工場に閉じ込められた苦い思い出と、初めて刈谷と出会って救われた輝かしい思い出。
狭く孤独とも認識してしまったこの場所で、その気持ちを忘れられる瞬間は刈谷と一緒にいるか、銃撃をしている時だけだった。苦しみを忘れたい桜。拳銃の残響音に耳の機能は一時的に奪われて、頭に直接響く衝撃音。銃弾を発火させるための雷管へ衝撃を伝える撃鉄はすでに感触が柔らかかった。跳弾される元からはすでに火を噴く事はなく、ただ引き金を引き続けている桜。心の苦しみと、実感してゆく体中に熱く燃えるような傷の痛みだけが走る。血が体中を巡る感触がする。傷口を駆け回る鈍痛。続いて、殴られたのか、焼かれたのか区別もつかない激痛が交互に伝わる。伝わる痛みと同時に冷静が戻ってくる。膝をついて顔を下にうつむかせて、言葉を失う。少しずつ、再び耳に入ってくる情報。雑音が混じったアナウンスは詳細を知ることが出来ない。それはふさいでいない耳に耳鳴りと交互に桜へ認識させる。頬から伝わる心臓の鼓動。肩から教える心臓の鼓動。太ももに伝わる高ぶる血脈は心臓の鼓動。体中に伝わる心臓の鼓動を感じさせる太鼓は、うつむきながらも眼肉に力が寄り、切れ長にすわり始めた眼光は自分に対しての罪悪感を銃弾として吐き出し、決意に変わる。
---*---
<……ル-鈴村……明-モンス……ス>
「ゆる……さない……す、鈴村ぁぁぁあああ!!!!」
◆◆◆
18:18 モンストラス世界。支所裏口。
シンギュラリティ世界より時間が遅れているモンストラス世界。すでに終わった時間。自動的に調整され、少しずつシンギュラリティ世界の時間に近づく。
咲より聞けるだけの情報を聞き出したRの桜にとって、この世界で必要なものと不必要なものが何かを考える。
――咲からは予想通りの情報。いや、知らなかった名前もある。すでに本体の鈴村から言われたクローンの話は問題じゃないわ。キャリアを持っているかどうかが鍵なのよ。私が望めばモンストラス世界が唯一の星にもなれる。本体の鈴村が私を消滅させるかは、きっと対面するまで判断しないはず。次に対面した瞬間、鈴村は私が抹殺するわ。だけど、この星って、どうやってシンギュラリティ世界で管理されているの? 宇宙空間に? シンギュラリティ世界の中に? 仮想空間? わからないわ……けれど、確実に要らないものは、刈谷恭介……あなたよ。けど、まだ人を殺めることができないモンストラス世界。しばらくは、本体の鈴村が言っていたように、この世の真実を教えてあげる。
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精神病棟へ隔離されているRの刈谷。キャリアというものがどのようなものかわからない桜。キャリアを抱える刈谷の体を乗っ取るか抹殺することが条件とされる春日の発案したゲーム。本体の刈谷を加藤達哉の館で殺害したと信じている桜にとって、まだキャリアを保有している実感が沸かない。それならば、可能性として、Rの刈谷も抹殺すれば、消去法のように実感へ近づけると考える。
Rの桜が知らないモンストラス世界の位置。シンギュラリティ世界の地下に実際の惑星として、地上は仮想データとして作られたモンストラス世界。移住が可能となった時点で宇宙に打ち上げられる予定であるモンストラス世界。それは鈴村の最高傑作であり、人類の生存のためだと考えて作られている。
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精神病棟へゆっくり進むRの桜。その収容所の前に立ちふさがる二人の警備員。暗がりの中から現れた桜に気づいた警備員はチーフである桜へ丁重に話しかける。
「水谷チーフ! お疲れ様です! 収容者との面会でしょうか」
「見回りよ。裏へ回るわ」
「あ、それはご苦労様です」
精神病棟の裏側に回り込む桜。桜自身は回り込み、入口付近に影を残した。警備員から精神病棟の入口の鍵を持ち上げると、警備員が気づかないうちに扉の鍵を開錠する。そして開錠の音と共に、影を室内へ潜り込ませる。その影が見た認識色は青。連絡がなく開錠される精神病棟の入口前で、散弾銃を構えながら入口の脇に隠れている弥生の姿。
――居たわね。予想通り警戒心が強いわ。けれど、香山は目覚めていない認識色。どうやってこの世界を理解しているの?
香山がかがんでいる真横に影を近づける桜。外の様子が理解できない弥生。真横の存在に気づかないまま、散弾銃は宙に浮かび、床に投げられる。
「え! だ、誰かいるの!?」
弥生の目には何も映らない。映っていないはずだった。目の前には少しずつ対面する建物のレンガの壁が見えづらくなる。それは影と外にいた桜が同化していく過程。透明な影は形をつくり、立体的に浮かび上がるように、桜の顔を認識できるまで姿をはっきりと現した。
「チ、チーフ……」
「香山弥生、あなた、知っているでしょ?」
「な、何をですか? チーフ、あなたは一体」
理解が出来ない様子の弥生。そして、その空間には桜と弥生の二人だけのはずだった。二人以外の声が、レンガの壁に反響してこもるように響く。
「俺たちはこのゲームを共有した仲間ということだ」
振り返る桜。そこには、壁を背もたれにたたずんでいる鈴村の姿。その一瞬、桜と弥生の二人は躊躇する。その鈴村が本体であるのか、Rであるのか。
「水谷。半年ぶりだな」
「か、管轄! こちらの世界の管轄ですね!」
うなずく鈴村の様子に、その言葉を聴いた弥生は理解する。知らないところでチーフである桜も自分たちの仲間だと。
「管轄、お久しぶりです。今日がその時なんですね。チーフも仲間だとは知りませんでしたよ」
---*---
桜よりも先にファクターとなっていた弥生。しかし、認識色は青。それは目覚めていない証。デジャヴュが実行されても記憶が残らない者。元々は恋人として交際している者からの誘いによる協力者。幾度となく世界が更新されても、世界に目覚めている恋人からの言葉を信用できなかった。
---*---
「お前の恋人は、監視を続けているのか?」
「はい、管轄。町田から最初に話を聴いた時は、頭を疑いましたよ。けれど、専任補佐の田村が自分の死体を半年前に加藤達哉の館から持ってきたことで確信が持てました。もう一つの世界があると理解できましたわ」
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弥生の恋人である町田。それはRの桜と同様、この世界の目覚めた人間を監視する役目。それはファクター同士が裏切っていないか監視する役割でもある。どのような事態でも、お互いがこの世界を唯一だと認識しているフリを続けなければならない。仲間だと聴いていても、知らないフリを続けることで、シンギュラリティ世界からのANYや鈴村からの監視による情報の漏洩を防いでいた。
---*---
桜は所長である町田に対しての懸念を鈴村へ伝える。
「所長は危なっかしいわ。今朝は崖の上でカマをかけるような質問をしてきたり、加藤達哉は存在しないっていうことで通してきたのに、本体の管轄へ加藤達哉は爆発で飛んだと言っていたわ。そのせいで、私は本体の管轄に疑われて尋問されたわ」
「あ、わかるわ。彼はね、危なっかしい事をわざと言って試す性格なの。だから何も知らなかった私なんかを引き込むのよ。基本は真面目で機転も利くから上手くかわしてるつもりみたいだけどね」
桜と弥生の愚痴ともとらえられる言葉に、鈴村はその不安や懸念を払拭しやすい言葉を掛ける。
「いいだろう。それなら、昇格と称して、本部へ向かわせよう。そして水谷、あっちの鈴村との会話を教えてくれ」
ここまでの経緯を伝える桜。ファクターの密会と言うものか、初めて自分たちが同じ目的を持つ仲間として、自分たちの知っている情報や懸念を共有し合う。その情報を元に、Rの鈴村は判断を伝える。
「水谷、本体の鈴村が言うように、確かにシンギュラリティ世界はもうもたない。あっちの世界よりもモンストラス世界の方が未来がある」
「それなら、この世界に居ろと?」
「都合は悪くないだろう。向こうの人工知能であるANYからお前の情報は得ていたが、お前はこの世界で神となるシンクロを使いこなしているはずだ。本体がいなくなればいいだけの話だ。世界はそれで一つになる。そして、もうすぐでデジャヴュは起こらなくなる」
Rの桜にとって悪く感じない条件。すでにシンギュラリティ世界で未来を感じなくなった今、それでも桜自身は超越した力を保有した存在。その世界の中で、本体の存在がなければ桜自身は唯一の存在になれる。そして、運命のキャリアというものを手に入れた時、自分が絶対的な存在になると。そのような野心を口にせず、今するべき事を伝える。
「本体の鈴村が言っていたように、刈谷へ対しての信用を少し回復してきます」
「そうか。こちらは人工知能ANYへの必要な命令は全て終わらせた。更新待ちだ。この世界がまとまるのも時間の問題だ。あとな、本体の水谷を誘導して、先にリンクさせておいた」
「え? 私の本体ですか?」
「俺を本体の鈴村と信じて、死なない世界という理由で、データを分析するために刈谷を銃撃するように言ってある。出くわしたら、うまく誤魔化せ。デジャヴュが発動すれば、いったん俺もシンギュラリティ世界に戻されるだろう」
Rの桜はうなずくと同時に、影の意識を地下二階の階層へ飛ばす。
18:28 モンストラス世界。精神病棟。地下二階。
収容されているRの刈谷。直前まで鈴村と咲が現れて、自分の存在を確認できる証拠が見つかったと感じていた。その歓喜を味わうまでもなく、突然苦しみだした咲。再び時間がさかのぼったRの刈谷の前に、シンギュラリティ世界の桜が現れる。
「き……恭介?」
「誰だ!?」
「恭介……逢いたかった」
「チ、チーフ!?」
両手を握ってくる桜の行動と表情に混乱するRの刈谷。チーフとして、同僚として接していた上司からの近い接近。目を丸くして聴くことしか出来ない刈谷に対して、桜は言葉を続ける。
「恭介……もう少しよ」
「ちょっ! チーフ! どうしたんですか!? 恭介って」
「私に見付かると話がおかしくなるけれど、この世であなたの味方は私だけよ」
「私に見付かる? 私って、あんた……誰だ? どこから現れた」
---*---
管轄室より刈谷を目掛けてリンクしてきた桜。桜の刈谷への愛情を利用して誘導したRの鈴村は、桜がリンクした直後に、同じ精神病棟へリンクしてきた。その情報をRの桜へ伝えるために、そして全ての指示をANYへ命令してきたRの鈴村は、桜と刈谷のこの面会が、最後の対面であることを知っていた。それを疑わない桜の眼差しは、自分の期待と刈谷の希望を乗せて、言葉を伝える。
---*---
「今説明は難しいわ。けれど、モンストラス世界からシンギュラリティ世界に帰れれば! あなたは自我を壊されなくてすむわ!」
「シンギュラリティ世界!?」
「そう、そして自分から死ぬ真似はしないで。壊されるから」
「壊される? 誰に!」
その瞬間、鉄格子が開く音が刈谷の収容室まで響く。それは守衛室の前の鉄格子の扉だと判断できる距離感。刈谷からすれば、再び本体の鈴村と名前を聴いていない咲の二人が現れたとも考えられるが、予定よりも早い事に、そのままを口ずさむ。
「管轄か? 予定より早い」
「管轄……鈴村。まずいわ! それじゃあ……無事でいてね! 愛してるわ!」
Rの鈴村がファクターと意識を刷り込まれている桜。本物の鈴村と偽っているRの鈴村に言われた通り、刈谷に銃口を向け、刈谷のデータをシンギュラリティ世界で分析するという目的のため、疑いもなく引き金に力を込める。
「言ってる事とやってる事が違うじゃねえかぁ!」
---*---
刈谷を直視することが苦しくなる桜。何人も刈谷のZOMBIEを銃撃してきた。それでも発砲したくない。心臓は高鳴り、それでも、確実に一発で目の前の刈谷を絶命させないと、刈谷を苦しめてしまう責任感。心臓の太鼓が邪魔に感じる。思考の刹那は、遠ざかる刈谷との生活。二人の生活。データの産物と思えない刈谷の存在。そこに勇気を感じた目に映るもの。それは刈谷の白い収容室に見え隠れしてきた共感覚の紫なノイズが、この世界は本物ではないと納得させてくれる現象と感じられた。
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その時、Rの桜が影として移動していた場所は、守衛室と刈谷の収容室の間ほどの位置。守衛室前を肉体で通過していないRの桜にとって、守衛室の方から聴こえる扉の開閉する音は理解できなかった。誰かが階段を通過しているのか気になるRの桜。けれど、わからない誰かに邪魔をされる前に、Rの刈谷と面会して、少しでも油断させるための信用をされるために、急いで現れた雰囲気を出しつつ、走りながら名前を呼ぶ。
――誰か後ろから来た? いや違う。それよりも……「刈谷!!」
最後の角を曲がったと同時刈谷の名を叫ぶRの桜。刈谷の姿と、もう一人である本体の桜。一見は自分だとわからなく、髪型も違う本体の桜の背中を眺めた瞬間、本体の桜の握る引き金は、発砲音の反響が轟きながら、跳ね返る共感覚のグレイな色のノイズと共に時間が戻る。
――私の本体ね。まだこの世界は時間がさかのぼるわ。
18:25 それはほんの少しのデジャヴュ。目の前には世界が更新された事を知らない弥生。Rの桜が弥生の目の前に戻る。
「彼はね、危なっかしい事をわざと言って試す性格なの。だから何も知らなかった私なんかを引き込むのよ。基本は真面目で機転も利くから上手くかわしてるつもりみたいだけど……あれ? 聴いてます? チーフ……管轄もいない」
「記憶がないのね。一度時間は進んだのよ。その先の内容はね……」
目覚めていない弥生には、この数分間の事実はなく、会話をしている最中に戻っていた。Rの鈴村が桜と弥生に伝えていた事の記憶を弥生に説明すると、再びRの鈴村が現れた。
「シンギュラリティ世界に本体の桜は戻った。遅くともあと30分以内には不死の世界は終わりだ。水谷、不死現象が終わったと思えた時、刈谷の存在も終わらせるんだ」
「わかりました。誰かを使って試してみます。あと管轄、ほかにもこの精神病棟を動いている者がいます」
地下二階で感じた気配。Rの桜にとっては守衛室前の扉ではなく、階段途中の鉄格子の音と判断していた。
その時、地下へ続く鉄格子が開錠する。開錠する音に反応する三人。地下から誰が上がってきたのか、そして、話を聞かれたのかと警戒する。影を置いてこの場から離れようとする桜。ゆっくりと開く鉄格子。地下の階層ごとにいる守衛であるならば、一瞬で終わらせようと。
「ああ、みんな集まってたんだ。あとね、本体の鈴村は地下三階だよ」
◆◆◆
18:57 シンギュラリティ世界。森林の扉。
春日の姿をした者と咲の前で開かれた扉。それは二人がこの場にいることを知っているかのような招き。意味がわからず男に同行した咲は警戒するが、男はその扉へ近づいてゆく。
「ちょっ! ちょっと! なんか変だよここ!」
「ハァ……ハァ」
咲の言葉に対しての答えはなく、十分に開いた扉から覗ける階段。男は地下へ歩めるその階段を警戒することもなく、急ぐこともなく、一歩ずつ降りる。
歩むたびに左右のライトが照らされる。横道もないその下るだけの階段は、まだその到着する気配が見えない深さで続いている。
「ちょっとー! いいの入って!? もう! ……待ってよ!」
追いかけるように同じ階段を下っていく咲。壁に片手を持たれながら、それでいて頼りない足の運び方を不安に感じた咲は、男がつまずかないように一歩前を先に下りながら体を半分、男の胸側から支える。
「あ、ここから段差が無くなって……真っ直ぐ歩けるみたいね!」
階段が終わり、目の前の道を真っ直ぐ進む二人。支えていた手は背中から腰を持つ形に変わり、左右のライトは到着地点まで全てが照らされた。
その道の突き当たりは、一見扉とは感じない、左右のライトがUターンするように折り返しているだけの壁だった。
「あれ? この先は?」
突き当たりまで到着した二人。ノブもなければボタン一つもない突き当たり。ライトも壁とフラットに面している壁は、凹凸なく、何か発見できる特徴もない。
「もぉ~! 何なのこれ!」
一定時間突き当たりでたたずむ二人。咲は振り返り、帰路に足取りを進めようとしたとき、床は左右に一本の線が引かれた。
「え? あ、これって」
上昇する。それはエレベーターとして機能を始め、早すぎず、そして遅さも感じない程度の、上から下に移動する壁に触れても爪を引っ掻く程度に怪我をしない速度で上昇する。それはほぼ地上に近い場所であろうか、もう地上が見えるのではないかという感覚まで上昇すると、ひとつの空間で停止した。それは天井を見上げれば、森林に囲まれた先ほどの入口が一番奥にそびえ、その入口から階段の形にいったん床まで続き、地下へ潜っている。そこからおおよそ直径が50mほどであろう外の様子がその広い部屋から見える。一見は外かと感じるほどの開けた空間に思えたが、メートル単位に碁盤の目に縦横の直線が張り巡らされていることから広大なモニターだと判断できる。
<モンストラス-自動更新不能-田村龍平>
<モンストラス-自動更新不能-春日雄二>
<自動更新解除-命令更新環境-継続中>
響き渡るアナウンス。それは管轄室で流れるANYの報告と同じもの。壁は全て巨大なモニターが並べられており、その空間の真ん中には一人の男を中心に円形なデスクが囲んでいる。山積みされた書物や電子機器の束の中心にいる男は、アンティークなネルシャツをデニムの中に半分しまい、ベルトで固定した服装の者。大きな体に伸びきった髪。髪をのれんを開けるよう耳に掛け、咲と春日の姿をした男に目を向けた。咲からは資料の山に隠れて見えない男に気づかず、いまだに鮮明に映る外の景色を、まるでハイキングに来た気分で傍観する。
「え! 何ここ! さっき入ってきた入口が下から丸見え! デニム履いてて良かったぁ」
「おお! 来たか! すぐにモンストラス世界に行ってもらうよ!」
「は? あ、すみません、お邪魔して……あの、どういうことですか?」
円形なデスクから唐突な声。何から言葉を発して良いかわからない咲は言えるだけの事を口から慌てて発すると同時に説明を求めた。隣りに立つ春日の姿をした男はその場から動きもなく、話すこともなく、何かを待っている。
「ああ、心配いらん! 大丈夫だよ! 君らのレントゲンや筋肉量を含めた身体能力はあの階段を下っている最中に解析は終わっているからリンクしても問題ないから!」
一方的な言葉を投げる男。その言葉は、この場所まで来るまでに全ての体内環境を調べ終わった結論だけを伝えてきた。
「はい? ちょっと、意味が……」
「そうそう! ついでになるべく安全な環境になるように、『ZONE』と『シンクロ』と『フェム』は備えておくから! ああ、あんたの連れはすでに天然装備してるようだからフェムは君だけね」
「え、あの……なんですか? それ」
「ああ、いいんだよ、知らなくて。全部モンストラス世界に入ったら業務内容をインストールしておくから、じゃあリンクするからね!」
咲と男が立っている床が光りだす。それは七色の光が床から二人の頭部まで飛び上がり、二人を包む。そして七色の膜が体中を覆う。目を隠し、鼻を隠し、口を隠し、体のラインに沿って全身全てを覆う。全身の七色の光は一定した場所にとどまらず、常に体の表面を移動している。
咲も男も、何もものを言わず、抵抗もなく、両腕をハの字に広げて堂々と胸を張ったままのたたずまいでシンギュラリティ世界から消えた。
【インストール-ZONE-シンクロ-フェム-performミッション】
【インストール開始】
【ZONE-完了】
【シンクロ-完了】
【フェム-完了】
【フェム-second-time+10(秒)】
【ミッション-R-水谷桜-削除】
【ミッション-R-加藤達哉-削除】
【ミッション-S-春日雄二-削除】
【ミッション完了-自動リンク】
【エンジニア-町田仁】
【perform-member(任務遂行者)】
【風間咲】
【了解】
【刈谷恭介】
【了解】
「perform の factor退治だ!! さあ! 二人で片付けてくれ!! あいつらは、俺と管轄で作り上げた世界を全て滅ぼそうとしている!! 特にRの鈴村! いや、加藤達哉!!」
<全惑星-500億年-準備進行中-完了再計算-1時間以内-準備完了後-更新予定>
<モンストラス-全R人類-シンクロ-インストール完了>
19:13 町田が叫ぶファクター。Rの鈴村がANYへ命令した全てのアナウンスが流れるエンジニアの施設。リンクさせられた二人。命令を削除するための優先順位を下げる最終手段は虹色にリンクソースへ流れていく。運命に誘われた偶然の戦士。その偶然を必然と察することのできる能力を備えて、それぞれの者が見たい未来を思い浮かべながら、意味のある偶然の一致が始まる。




