【X CHANGE】 漂流する肉体と意識の解離
桜は自分の立場と都合の位置状況を整理する。だが、いつも刈谷が到着している時間より遅れていた。もしかして、刈谷は来ないのではないかと想像した矢先、桜へ近づく車の気配がする。それは少し遅れて来たと感じる12:12。
考えを巡らせる桜にとっては思考を整理するのに都合が良かったが、その反面、到着が遅れることによる、それまでのデジャヴュとの違いを考えたかった。しかし、それほどの時間の余裕はなかった。
――来たわね。
社用の車から開くドアの音と勢いは、気持ち、ゆっくりな空気感であり、そのドアの下から見える足は、落ち着いて地に足をつけた砂利の音だった。フロントガラスは反射により車内をしっかり確認することは出来なかったが、車から出て来たのは想像通りの刈谷である。
Rである刈谷であるはずの人物は、特に焦るようでも罪悪感を滲ませるでもなく、桜に近づく。
――何度同じ芝居をしたことか「お前は今日から専任の春日だな!! 仕事ナメんじゃないわよ!!」
桜の想像では、この瞬間、Rの刈谷が春日呼ばわりされて、とまどうはずであった。
その刈谷の姿は、予想外の言葉を零す。
「どうやらお互い……いや、俺の方かもしれないが、上手く行かなかったようだな……水谷」
その言葉の雰囲気は、Rの桜を知っている者でなければ口に出せないような表現。それでいて、失敗を口に出していても、慌てない口ぶりは、性格や気質によるのかも知れない。その言葉のトーンから想像できる刈谷の姿をした者からの少しだけの言葉の内容に、Rの桜は自分の仲間である者と察し、ごまかすことなく、それに合った返答が自然と口から出た。
「そ、そんな!! じゃあ……三階にいる春日の肉体は今……Rの刈谷!?」
Rの桜が三階からの合図を待っていた仲間が、刈谷の姿で車で現れた事に、愕然し戸惑い始める。それは桜自身、何かミスをしたのではないかと考えればいいのか、それとも、仲間が口に出したように、仲間が何かミスをする事態があったのかとも感じながら、次の言葉を待つ。
「俺がここにいると言うことは、もしかするとそうかもしれないな……春日の姿をした人間である刈谷の始末に、抜かりないか?」
「ない……ないわ!! あの鉄柵に刺さって……あ……窓から見てるわ!!」
桜は、仲間がRの刈谷を始末したと思われるデジャヴュの寸前、自分が春日の姿をした人間の刈谷を間違いなく抹殺したと思いながらも、すでに誰もいない鉄柵に向かって勢いよく振り返り、想像通り誰もいない凛とした鉄柵を見た瞬間、その視界の上の、三階の窓に不自然な揺らめきをするカーテンの気配を感じる。
その桜の挙動を背中で眺める刈谷の姿をした桜の仲間は、三階の気配を察し、桜へ静かに命令する。
「見るな。さっきまでと同じ動きをしろ」
その一言に、なるべく自然に体の向きを変えて振り返ろうとする桜。ひと時の戸惑いは、『桜よりも判断を優先できる仲間』の言葉に従うことの方が間違いないと感じる主従関係。
その仲間は、予定通りに行くことを最優先するように、桜の混乱を防ぐためにも、再確認をするように目的を話し出す。
「防護服に着替えるんだ。予定通り俺が、ANYのバグを利用して、潜入する人間の刈谷に変わり、何事もなく半年間偽装潜入する事が目的だ。今度は俺が奴と『同時に』死ななければならない」
「わかりました」
今にも頭を下げて了解の意を表現しそうなほど命令に従う桜。その言葉通り、二人は防護服に着替え始め、三階から監視されている事を意識しながら、鉄柵に近づかないように、なるべく自然に、警戒されないように、春日の姿をしていると思われるRの刈谷を目的に建物に向かう。
横に並んでゆっくり歩く二人は、口元を大きく開かずに、これからの展開を話し出す。
「水谷、俺はまず加藤達哉の動きを封じる。また、邪魔をされないためにも」
「また? とは」
「あぁ……Rの刈谷を背中から撃ったあと、加藤は隠し持っていた拳銃で、俺と撃ち合った。今までは、お前がシンギュラリティ世界を理解するために、俺からRには直接手出しをしなかったが、お前もこの世界を理解して、人間の刈谷の存在も確認したお前が抹殺した今、加藤の存在も邪魔でしかない。だから邪魔が入らないように、地下の扉を上から塞ぎ、春日の姿をした者がいる三階に上がる」
「私は何をすれば?」
「お前は玄関ごしで、三階の窓から春日の姿をしたRの刈谷が降りないか監視してろ」
「わかりました」
二人は館の玄関に触れられる距離まで近づき、桜は刈谷の姿をした者を護衛するかのように、ホルスターの拳銃を握りながら後ろを振り返り、三階の窓に目を光らせながら、次の言葉を待つ。
「お前がシンギュラリティ世界で人間として存在するために、刈谷のZOMBIEを使って『お前の本体を襲撃』させた。そして俺もこのままRとして、『本体の指示』を中心に生きていくつもりはない。『俺たちの神となるあの者』の言葉の元、俺達の利害は一致した」
「はい、その通りです。そして万一、人間の刈谷が生きていた場合、直ぐに始末致します」
Rの二人は、自分たちが望む形と世界を手に入れるため、存在を手に入れるため、館の玄関でお互いの計画を語り、行動しようとする。
桜は静かに玄関のドアを開きながら、監視体制をとる瞬間、開ききったドアの先、二人の目の前には、想像もしていなかった存在がいた。
油断が出来ない存在に、その存在から響く笑い声と一緒に、ノイズ(共感覚)が色めく景色に、刈谷と桜のRは同時に拳銃を構え、警戒体制をとる。
その空間で最初に言葉を放ったのは、桜の横に並ぶ、一番驚嘆したと思われる仲間である。
「だれだ!? 『俺の肉体』に……誰の意識が入った!? まさか……」
「は、は……ハハハハハハー!! ハハ……ハ……ハハ……アハハハハハー!!」
高い声で笑うたびに、黒い色が矢のように鋭く広がり、散っていく。止まらない色の主は、二人の目の前で跪いており、階段の脇で、やや階段の影に入りながら、体を横に向けているシルエット。膝をついていても、稀に見るような高い身長を思わせる身形、何度も両手の拳を握り、体の機能を確認するように、まるで自分の目的を完遂した賛美のように、階段の影で高く笑う『鈴村の姿』が在った。
黒くにじむノイズにより、更にかすむ表情。それでも、誰にでも認識できる笑みを浮かべながら、『Rの鈴村の肉体』を持った人格は、玄関で拳銃を構えるRの桜と、隣に並ぶ『Rの刈谷の肉体』に入っている鈴村へ、横顔のまま、聴こえるように語る。
「上手くいった……わしの……いや……俺の肉体から、同時に死んだ事により、意識だけを解離する事が出来た!! 死にたかった……あの『肉体だけ』を!! シンギュラリティ世界で何度もそれを考察したが、128年も経った『老体』をクローンで生まれ変わっただけでは身動き取れんかった……春日に変わった人間の刈谷の姿を見て、奇跡が起きるこの世、モンストラス世界なら、肉体のチェンジが可能だと思った!! シンギュラリティ世界で問題を起こせば、人間の鈴村がこの世に再び送るのではないかと踏んでな!! 上手くいった!! ハハハハハ!! お前……見た目は刈谷だが、中身はRの鈴村……だろう?」
「か……加藤? そんな」
鈴村より先に、桜から零れる名前。
横顔から、真っ直ぐ桜と刈谷の姿へ顔を向ける『鈴村の姿をした加藤』。
鈴村。それはモンストラス世界の管轄であるR。本体である鈴村に謀反をたくらむ者。その計画をシンギュラリティ世界で『ある者』に聞かされたRである桜。
言葉を一番失うのは、本体を裏切ったファクターであるRの鈴村であった。
「無言は答えだな!! 鈴村!! お前のお陰だ!! お前がRの刈谷を背中から撃った後、俺は人間の刈谷より貰っていた拳銃で、お前を撃った。そしてお前も老体の俺を撃った。先に撃たれたRの刈谷が、死に絶えるまでのカウントダウンが終わる間際に、うまい具合に俺たち三人は、同時に死んだ!! Rの刈谷、Rの鈴村、そして、クローンとなり、それでも変わらず老体だった、この加藤達哉が!!」
「くそ、加藤達哉……水谷!! 加藤は俺が抑える……春日の姿をしたRの刈谷の確保を優先しろ」
「は、はい! あ……か、管轄!! 春日の姿をした者が……三階の窓に足を!! 飛び降りるかも知れません!!」
玄関ごしから春日の姿をしたRの刈谷を確認した桜。
その頃、三階の窓際で自分の意識と戦う春日の姿をしたRの刈谷は、自分に唱えていた。
「ハァ! ハァ! ハァ! この世界を……自分で理解……しろって……事……かぁ!? 加藤さんよ!! ハァ! ハァ!」
加藤によりこの世の理を聞かされたRの刈谷は、自分自身の姿に捕まる事や、ややこしい尋問に合うことも避け、三階から目で見てしまった自分の姿への世界のあり方の答えを見つけられるような気分で、レミングのように新しい世界へと飛び込もうとしている。そして、つじつまの合わない現象のエクスチェンジが起きたことも知らず、加藤と鈴村と桜のやり取りにより世界がひび割れるような空に舞う共感覚現象を三階で目の当たりにしながら、飛び込んだ。
一階では鬼気迫る空間。鈴村が桜へ命令を発する余裕を与える前に、加藤が咆哮する。
「俺は自由だ!! 目的は達成した!! デジャヴュは起こさせん!! 死なない程度に相手してやる!! ぐがぁぁぁあああああ!!」
「刈谷が!! 飛び降りた!!」
黒いノイズを吐きながら、Rの鈴村に向かい突進する加藤。
鉄柵に向かい飛び降りる刈谷を確認した桜。
その刹那、無駄に言葉を発しないRの鈴村に『ZONE』世界が発動する。
――加藤の能力……monstrous時代の産物。フェム……聴いた話だけなら、残忍で狂暴。それだけなら、それ以上の暴力で押し潰せる。monstrous時代の記憶情報が本体の鈴村からは少ない。何故モンスターとまで呼ばれる? 人を喰らうのか? だがな、このスローモーション世界となったこの空間では、こっちのフィールドだ!!
鈴村がZONEであるスローモーション空間の最中考察していると、すでに加藤は最初の地点より、鈴村まで半分の距離まで来ていた。
――速い……異常に筋力が発達するのか? しかし、それだけでは、この空間では無意味だ。今、加藤を殺してしまったとして、もしデジャヴュの戻る時間が、すでに肉体解離後の世界なら、俺の姿のままの加藤を逃がしてしまう。確実に加藤を戦闘不能にし、ここで抑えなければ。加藤が襲いかかってくる体の角度……ここに届くまでの踏み込む足、利き腕……余裕を持って右側に回り込み……足を払い、上から叩き、押さえ込む。
鈴村が『ZONE』空間の中、加藤の行動全てを想像して、加藤が回避しづらいであろう行動を、長い思考時間で、丁寧に押さえ込む方法を計算し、それを積み重ねることで、加藤の能力がそれほど脅威とは感じなかった。
つまり、Rの鈴村は知らなかった。monstrous時代の脅威を。
なぜ、寿命が伸びるのか。
なぜ、常人では考えられない反射神経があるのか。
なぜ、意識が無くなるほどの獣な人格となるのか。
なぜ、人を喰うのか。
Fortune(幸運)Electro-Magneticwave(電磁波)という、言葉の話を先人より聞いていたFEMとは何か。
それら全ては、『なぜ』と思ってわかるものでもない。それを体験することで、味わうことで、襲われることで、少なくとも、一度は衝突しないとわからないものだった。そして相手は、老体の加藤ではなく、若い肉体を取り戻した、狡猾な歴史をもつ全盛期のmonstrous(奇怪で恐るべき怪物のような存在)である。
加藤は鈴村と対称的に、突然床を蹴り、鈴村が回り込む先に、ショートカットするように軌道を合わせる。
――ばかな!! 俺が行動する前に!! こいつの能力……先が読めるのか!?
軌道を合わされ、すでに目の前にいる鈴村の姿をした加藤。そして加藤は、鈴村の顔で形相を見せる。その顔を目の当たりにする刈谷の姿をした鈴村。鈴村本人であれば、このように思うであろうか。自分にはこのような顔をすることが出来たのかと、自分の元の体に何が起きているのだろうと、毎日鏡を見てきた自分の姿が、今まで見たこともない顔つきで迫ってくるような気持ちであろうか。
体より顔が、前に前に突出したかのような自分の姿に威嚇されている鈴村。
鈴村の中では、加藤が走り出してから一分は経過しているのであろうか。加藤からすれば一秒か二秒のことであろうか。数秒、自分の姿に怯え、数秒、加藤の能力の分析に追われ、数秒、これからの攻撃方法を考え、それらを含めて、鈴村は完全に『ZONE』の世界に自分を油断させていた。
明らかな突出してくる首に、鈴村は加藤の喉を狙い、硬く握った拳を下から突き上げる。しかし、すでに加藤は姿はそこにはない。そして鈴村も、それが当たらないことは長い空間の中、理解していた。
鈴村が力を込め、叩き込もうとする前の、助走のような行動は、加藤にとって、次の行動へ移れる時間。
勢いを持って振り上げた拳は、その勢いに体を持っていかれる。それは遠心力のように、どれだけ時間があっても避けられない自分自身の所作。
――駄目だ!! 読まれてる!!
その固く握って天に突き出した拳を、加藤より大きく軌道から外している間、見えていながら見失いそうな、無駄な動きがなく、当たり前のように、鈴村の懐に入り込んでいる加藤は、腹部に狙いを定め、両手で掴もうとする。
――クッ!! 離れなければ!このまま体を掴まれたら勝ち目がない!! くそ、なんだこれは!? 何故動きを読まれる。monstrous時代は全員がこうだったのか!? 『ZONE』空間でも先に読まれる方が早いなら、かなう者がいるはずがない!!
ゆっくりと口元が笑みに変わる、鈴村の容姿をした加藤。振り上げた拳を防御に廻す姿勢に間に合わない、刈谷の姿をしたRの鈴村。壁際に攻められた体は足を使って逃げる事を躊躇する。逃げる道が既に読まれているだろうという疑念。
加藤より数十倍の思考時間があるにも係わらず、monstrous時代の産物である加藤の怪物的な能力を軽んじた油断により、その永い時間は自分を戒める皮肉な時間と変わる。
その戒めの時間に、加藤の笑みは喜びに変わり、懐に居る狂気の怪物は、刈谷の姿をした鈴村の防護服をスーツごと引き裂く。その引き裂く腕力に、鈴村の心は覚悟する。
見当たらない弱点。理解出来ない程の先読み。普通の時間の流れよりも1/50(一秒経過するまでに50秒)で進む『ZONE』空間の脆弱。
鈴村は考える。普通の人間より何倍の身体能力があるのかと。別の部屋にあった残骸、やはり喰うのかと。そしてこの空間でゆっくりと、予感する次の攻撃。引き裂かれる勢い、だが死ねば発動するデジャヴュ。死なない程度と言った加藤。どこまでいたぶられるものかと。
Rの鈴村の心は、人間の鈴村である本体と同じようにみえて、環境により変わる思考なのか。信念の弱い思考なのか。心で認めた敗北。
鈴村が諦めそうな刹那、加藤の姿勢が変わる。永遠と感じさせる恐怖の怪物は、突然、想像よりも体を低く構え、態勢の変化のあとに確認するかのような目線、それは桜のいる玄関に向けられた。その加藤の目線を感じた鈴村の目の前には、狙いの集中した銃弾が加藤の頭の上と、鈴村の目線のすぐ下を通過する。
その銃弾の軌道元は、人間の鈴村がANYを用い、設定していた、『ZONE』の許可をもらっていたRの桜が、この『ZONE』空間を認識しており、消音機のついた拳銃を構えて発砲が終わった様子。
その桜の目線は、飛び降りているRの刈谷と思われる春日の体が、鉄柵に刺さる瞬間を目撃していた。そして『ZONE』現象は終わる。
「加藤!! 私達を倒すのは無意味よ!! 今、刈谷のRが飛び降り自殺をした!! デジャヴュが始まるわ!! あなたの自由は終わりよ」
言い放つ桜の言葉に、余裕に溢れていた加藤は、顔を歪ませる。
「水谷!!」
「はい!!」
「どの結果に転ぶか予想不可能だ!! Rの刈谷に怪しまれるな!! そして、予定通り、世界を一つにするぞ!!」
「わかりました!! そして、加藤達哉……終わりよ」
加藤は隙を見せた。それは『ZONE』が解かれてからの矢継ぎ早な桜と鈴村の会話と、飛び降りた刈谷によるデジャヴュの可能性、それに対して立ち回る優先順位の思考が一瞬遅かった。
鉄柵に刺さったRの刈谷が死ぬ前に、デジャヴュにより肉体が戻らないと想像できる最低30分以上は、刈谷を生かせるように手当をするべきか、そのために目の前の桜と鈴村を戦闘不能とするか。
そのような面倒を全て省くかのように、加藤の野望を崩したと確信した桜の冷たい口元の笑みと同時に、桜が立つ玄関の真左にある、大量に積まれた爆薬に向かって、発砲する。
「ぐがぁぁぁあああ!! 俺は!! あんな体に戻らんぞおぉぉぉ!!」
木魂するような加藤の叫びと同時に、monstrous時代の戦慄のモンスターは、モンストラス世界より陰を潜める。
館は一瞬で爆発した。飛び散る木片に激しい黒煙。その爆発と同時に、Rの桜と鈴村と刈谷の意識は飛ぶ。その飛んだ意識は消滅せず、揺らぎ、くすぶり……違う場所で目覚める。
「ん! 俺……生きて……いるのか?」
刈谷はゆっくり起き上がる。そして辺りを見ると館は原形がなく、頭から血を流した桜と、門に串刺された春日の姿が見える。
「春日……俺があそこに……墜ちた……意識が……入れ代わった!? チーフは!?」
三階から飛び降りたRの刈谷は自分の体に戻り、それまでの『ZONE』空間の出来事も知らず、気絶しているとみえる桜に駆け寄る。
「チーフ!! チーフ!! 大丈夫ですか!?」
意識がゆっくり戻る桜。頭に響く音は聞きなれた同僚の声と雰囲気。デジャヴュが起きた事を認識しながら自分の立ち位置を考えながら慎重に返答をする。
――この雰囲気は……Rの刈谷。姿も元に戻ったか。「ん……お前……か……もう一人は?」
「良かった!! 頭以外の怪我はないですね。春日は……残念です」
「ん? ………春……日?」
桜は起き上がる。そして串刺しになった者を見た瞬間、名前を叫ぶ。
――刈谷の姿で春日を春日と言った。この世界の認識は……おそらく逆転したままだろうか……刈谷への世間の認識は、まだ春日? く、一貫性を保たなければ。「か、か……刈谷ー!!」
「はぁ!? 刈谷?」
刈谷に抱きかかえられた手を払いのけた桜は春日に向かって走り出す。
「刈谷!! なんてことに!!」
刈谷よりいち早く春日の遺体と思われる鉄柵に近づく。桜にとって、現在の鈴村と加藤の認識の所在がどこにあるかなどの心配もあったが、刈谷に眺められている手前、今、目の前で起きている惨事に対応するしかなかった。
しかし、骸と思っていた春日に触れ、大きく取り乱したかった桜であるが、その凄惨な体躯の右手は微かに反応していた。
「ぅう……」
――これは……春日は生きてる? いや、息を吹き返した? それに……誰の認識?
大きくわざと春日の体を揺らし、微妙な春日の生を刈谷に悟らせないよう芝居をする桜。しかし、鉄柵に刺さった春日から、続けて微かな呻きが春日から聴こえる。
「ぅぅう……く」
――息を吹き返した!? くそ……どちらにしても助からない。生きていると認識されてないレベルなら……いや、一度は死んだと認識されて生き返ったなら、もしかしてデジャヴュは起きないかもしれない……それでも、デジャヴュがおこる覚悟で。
刈谷に背を向けた桜は、痙攣を見られない様に体を揺さ振りながら、誰の意識のRか確認する前に、力強く、力強く、刈谷に背中を向けながら、春日の口を塞ぐ。
「おい春日!! 刈谷の体をここから抜く!! 手伝えー!!」
その言葉の裏に、掴んだ腕から、脈拍が感じられなくなった時、春日と呼ばれているRの刈谷は、困惑しながら近づく。
「ちょっ、あの……彼は残念ですけどぉ、刈谷は俺です!!」
桜は刈谷に顔を向け睨みながら近寄る。その口を塞いだ手は力強く握られている。
「ぐぁ!! ………チーフ」
桜は刈谷の顔を殴る。殴る気配を感じていた刈谷もまた、桜の行動を見極めるために、甘んじてその拳を受ける。
――刈谷に様子を探られてる。やり通す!! 「おい!! ふざけた事言ってんじゃねえぞ!! 早くしろ!!」
「くそ!! どうなってやがる……チーフ!! おかしくなっちゃったんすか!?」
「手伝わないなら帰れ!!」
刈谷は桜の形相に押され、春日の体を二人で持ち上げて、門の囲いから抜く。そして丁寧に地面に置くと桜は、春日の顔を叩きながら声を掛ける。
「おい!! 刈谷!! おい!! あ゛あ゛あ゛ー!!」
うなだれる桜に刈谷は声を掛ける。
「チーフ……俺……何がなんだか……俺は……春日じゃ…ない」
桜は少しずつ顔を上げ、執拗に訴える刈谷に向かい疑念を尋ねる。
「おい!! その根拠はなんだ!! お前が・カ・リ・ヤ・と言う根拠は!!」
「それは……支所に帰ればわかりますしぃ、全ての報告書とかで証明出来ますよ!!」
自分への疑念を晴らす為にも、刈谷は桜の目を真っ直ぐ見つめ訴える。
「じゃあ確認してやる!! おかしな事を言っている奴と仕事は出来ないわ!! ここで待ってろ!!」
桜は携帯電話を出し操作しながら車に向かう。どのようにこの場を切り抜けるか考えながら、まずは明らかな人物へ連絡を取りたかった。その桜の背中を眺める刈谷は、自分の存在を疑うことなく、それまでの自分が知り得た情報と老体である加藤の所在を心配する。
「はぁ……何が起きてる!? あの地下室はどうなってる!?」
刈谷はまだ煙の立ち込める館に近付き、階段付近を眺める。
「駄目か!! 瓦礫をどけないと確認出来ない!!」
瓦礫をひとつひとつ退ける刈谷を見ながら桜は、右手に持つハンカチで、頭の傷口を抑えながら電話を掛ける。その番号は、あくまでも記憶の中で知っている番号。繋がれば、今の状況のほとんどが整理できる相手だった。
「管轄……ですか?」
「水谷か……どうやらお互い、自分の肉体に落ち着いたようだな」
「はい……Rの刈谷も自分の肉体に戻ってますが、この世の認識はどうなってますか?」
「今、俺は見慣れない森林の中にいる……一番刈谷に近いお前なら、わかるはずだ。調べるのに一番良いと思える方法は、何だと思う?」
「そうですね……私の声では知られているため難しいですが、匿名や顧客を装って支所の刈谷や春日の名前を呼び出すのはどうでしょう。不在と言われると思いますので、その時に、例えば体格のいい体型の人物だったか、スマートな体型かなどと、あやふやに特徴を伝えて一致しているか尋ねると、返答がくると思います」
「いいだろう……俺が確認する。かけ直す」
桜は着信音をサイレントに変え、Rの鈴村からの返事を待つ。Rの刈谷を観察しながら。電話を掛けているフリをしながら耳にあて、バイブレーションの着信を待つ。そして着信は、想像よりも早く掛かってきた。
「はい……」
「水谷……刈谷という者は支所に存在しない」
「そ、それじゃあ、なら……あの刈谷は……自分を刈谷と信じている春日ですか?」
「春日の特徴を尋ねたところ、細身の体格と言われた」
「細身……刈谷は春日の認識。では、どうします?」
「春日を、刈谷にしてしまうんだ」
「え!?……どういう形にするんですか?」
「支所全体で、春日が爆発事故により、ショックにより別の人格が現れたとして、解離性同一性障害が起きた事にする」
「解離性……多重人格ですか!?」
「そうだ。皆の意識を刈谷に集中させろ。我々への意識を隠す為にも、本来シンギュラリティ世界からの監視役と思われた人間の刈谷がいたが、Rの刈谷を人間の刈谷だと思わせるんだ。そして我々の管理下に置く。職務不能だと思われる判断でも、半年間の保護義務を利用しろ。そして、俺はシンギュラリティ世界に行き、あえて存在しない者の葬式を職員や本人の記憶として作る。このRの世界なら記憶操作もできるはずだ。そして、暫くして……刈谷が春日の話を露骨に始めた時、お前がチーフとして、様子を見てきた結果、治らず、心身喪失扱いで病院送りにすればいい。本人は刈谷と言い張るだろう。自分で首を絞める事となる」
「管轄……大胆な発想ですが、可能ですか?」
「さっき言った通り、我々は世界を一つにするために、すでに大胆な事をしている。それに比べれば、大した事ではない。そして同時に、シンギュラリティ世界の様子を見なければ。まずは本体の刈谷とお前の生存の有無」
「管轄!! 私の本体はZOMBIEが!! 刈谷の本体は私が始末しました!!」
「始末したはずだが、加藤達哉の件もある。今の刈谷が本体という可能性もある。慎重に事を運ぶんだ」
「わかりました。支所は私がまとめます。シンギュラリティ世界はお任せ致します」
「よし……あと、お前がシンギュラリティ世界に行ける手段は残っているか?」
「いえ……思ったより時間が戻ってしまいまして、鉄柵に刺さったのは葉巻を持っていないRの春日でした」
「葉巻か……わかった。話は以上だ」
認識の解離を体験したことから生まれた発想か、それを元に桜と鈴村は策略を練り、混沌の先にある、Rでなく、人間としての存在の為に、あざむき、実行する。そして桜の言葉を待つ刈谷は、この世界の根本を語った、加藤達哉の消息を確かめるため、瓦礫を掻き分け続ける。
「ハァッ! ハァッ! くそ! 加藤達哉! まだ生きてるよな!! ハァッ! ハァッ!」
策略を終え、亡霊のようなものを追っている刈谷に近づく桜。
「おい、確認が取れた……お前は確かに書類上は『刈谷』だ!! だけど私の今までの記憶は違う。お前……このことは誰にも言うな!! いや……言わないで欲しい。私は……このままだと……心身喪失者扱いだ。仕事を失う訳にはいかない。殴った事は謝る。思い出すまで普通に接してくれないか? ……刈谷」
「あ、いやぁ……もう大丈夫ですよぉ。気にしないで下さぃ。それと……内密……了解しましたぁ。きっと頭を打ったせいで一時的なものだと思いますねぇ」
「すまない……そして刈谷。お前が無事で良かった」
刈谷は桜の言い分を快諾すると、瓦礫の撤去を進める。
「刈谷、何を捜しているの?」
「はぃ! この階段の地下室に加藤達哉がいるんですよぉ! もしかして生きているかも知れません」
「二人の効率は日が暮れるわ! 今、職員に要請出す。その方が早い」
「そうですねぇ……解りました!」
瓦礫の量を見て諦めのついた刈谷は、桜の指示の元、職員の到着を待つ。
――どうする……すでに支所への連絡が滞ったことで、要請を出さなくても、応援として職員が多分向かってきている。職員が到着して瓦礫を撤去する。刈谷はきっと見届ける。私が帰れと言えば、疑念が生まれる。万が一……加藤達哉が生きていた場合、私達の策略を刈谷に伝えた時、Rの管轄と私の計画が邪魔される可能性がある。けれど……鉄柵に刺さった春日の肉体に入っていた意識……すでに春日の意識は消滅したはず。春日でなければ加藤しか有り得ない。なら……意識のない加藤の肉体はある? ………わからない……理想は肉体が消滅してること。けれど……意識がなければ問題ないわ。ここは……やり通せる。そして、新天地へ向かうわ。
未来への希望と策略の先に待つ、自分の新天地を夢見る桜。展開を整理した桜は、平静さを取り戻し、きな臭い館の前でたたずむ。
その桜を森林に紛れて眺める鈴村の姿。意味の深そうな笑みと共に歯を見せながら、その二人の様子を確かめるように、深い森林に身を潜めた。




