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シンクロディピティ  作者: 恵善
17/29

【アントロポファジー】 社会的行為でないカニバリズムは苦悩のノスタルジア

 9:16


「おいおい……桜、これ無理だよ」


「ごめん……微妙に着陸が難しいわね。画像にはあの鉄柵が見えなかったわ」


 加藤の館にヘリコプターで到着する二人。館の後方から写された衛星画像では着陸できると感じられた正面玄関。着陸するにはヘリコプターの最低限なスペースで縦横20m。建物や森林を考えると縦横40mは欲しい空間であった。しかし実際到着してみると、予想外に設置されていた玄関の鉄柵。館を囲む森林によって建物の左右後方が確認できていなかった。そして車も一台駐車してあったため、着陸は出来なくもないが、余裕が少なくも感じる広さに無理をする着陸は出来なかった。


「悪い、俺先に降りて話まとめてくるから、ヘリコプターをどこかに着陸お願いしていい?」


「わかったわ。気をつけて降りてね」


「一人で大丈夫?」


「うん……少しだから」


 桜の目を見て何かを心配する刈谷。操縦を桜に代わり、ヘリコプターから安全具を付けたロープで降下する。ロープが自動にヘリコプターへ戻るのを確認すると、桜は移動を開始する。


――古い建物の型だなぁ……よく復元したものだ 。


 建物はシンギュラリティ世界では珍しい木造の建築。ただし、これはモンストラス世界のデータをこの世界で見た目だけ復元した特殊プラスティック。広さも感じられる建物に、それまでモンストラス世界で生きた加藤達哉の歴史を想像する。


「LIFE YOUR SAFE です!! ご在宅でしょうか!?」


 相手の年齢を考えて、声を張り上げながらドアをノックする。ふと振り返ると、玄関前に駐車してある車には『LYS』とロゴが塗装されていた。先に来ている職員がいる。それはつまり加藤の担当が先に来ていたのではないかと刈谷は考えた。担当は田村であったが、チーフである田村が顧客の解約に直接訪問することは少なく、大抵専任か補佐が事務処理をしていたので、刈谷にとってはやはり下村の思いつきで動かされたと思い、頭をもやもやさせられる気分となった。

 すでにいるのであれば入館することに躊躇はいらないと思いドアノブに触れる。


「失礼します!!」


 玄関のドアをゆっくり開ける刈谷。気配を感じずにいられないその空間に立ち込める甘い匂い。真ん中にある広めの階段を中心にいくつか部屋のドアが見える。玄関のドアを開けたまま、刈谷は一階を見渡すと、右側の部屋に一つだけドアが開いているのに気づく。誰かいればと思いながら近付き声を掛ける。


「すいませーん!! 加藤さーん! え……誰? は!?」 


 北向きの窓が半分開いているが朝陽は届かず、電気もついていない薄暗い空間で目に入った異質な物体。右半身が下に倒れているそれは死体であることを意識するより『何故』という言葉が浮かぶ。一見して顔の判別が出来ないほど荒らされた頭部。腰に収められた拳銃を抜き取る余裕もなく襲われたと感じられる。


――ここで……喰われたのか?


---*---

 ANYが存在し始めてから、公的機関は民間の仕事へと移り変わってきた。民間企業となることで行動の早さと処理能力が増した。LIFE YOUR SAFEは人口増加の抑制力としても役職者以上から拳銃の携帯が許され、それだけ責任も増し、公的機関と責任の重い契約も交わし、半官半民な立場で務めている。

---*---


 自然と拳銃を構え始める刈谷。その無作法な残骸は、野生の存在を警戒するのに十分であった。


――どこだ……そしてこの残骸の服は……俺達の制服。誰だ……先に来た奴は。


 深く調べたい。しかし今振り返るだけでも油断が出来ない状況を感じ、五感を集中させた。視覚には被害者と倉庫に使われていたような部屋。臭覚に感じる甘い匂いは嗜好的な匂いで煙草を連想させる。煙草か葉巻を吸った者の犯行なのか。それともこの職員が顧客宅で口にしたのか。口の中は緊張で乾いていた。聴覚には窓の外から聞こえる自然の音。風で森林は鳴いている。


――いつから開いていたドアだ?


 触れようとした部屋のドアノブを見るとホコリが多めに付着している。滅多に開けられないドアとも考えられる。指紋など採取する可能性や臭いで再び死体を荒らされないためにもドアを体で閉める刈谷。


――まずは応援を呼ぶか。


 ドアを閉めて振り向く刈谷。

 人は何か得体の知れないものを見ると動けなくなる。まさに刈谷は硬直した。それは見たものから想像させる情報量のせいなのか。動くことが自分の危険に繋がる気がするのか。理解するまでの判断は対象によって様々なのかもしれない。声がでない者もいるだろうが、刈谷はかろうじて口が動いた。


「加藤……さん?」


 一瞬硬直した刈谷はすぐに拳銃を向け威嚇する。人か獣か、人格が判断出来るまで。

 名前を呼んでいてその判断に悩むのは刈谷自身不思議な気持ちだった。玄関から入った時には感じなかった気配。開けたままの玄関から入ってきたのか、死体を発見して振り向くまでの数秒で気配なく近づく気分は全身の毛が逆立つ気分であった。

 何を掴むために構えた力強い両手の指なのか。口のまわりに散らかった朱い痕跡は、まだ塗り足りないのか。刈谷自身、会話を求められる可能性は少なく感じた。


「がぁぁあぁ……はぁぁあぁ」


「動くな! そのまま……動かないでくれ!! あんた、言葉……わかるか?」


 そこには高齢過ぎる歳であることを忘れてしまいそうなたたずまい。聞いていた年齢は128歳であったが、見た目は70歳くらいに見える。これがクローンの肉体でこの世に生まれ変わった影響なのかと想像させる。動きやすい藍染作務衣あいぞめさむえを着用して身構える加藤達哉の姿。体中の血は深い藍染色をさらに濃くした上半身に更に容赦のない行動を想像させる。言葉にならないうめき声は、何かを求め、何かに飢えた様子。


「何があったんだょ……あれはあんたの仕業か?


「ぐぅ……があぁ……ぐがあぁぁぁぁ!!!!」


「おい!!」


 襲ってくる加藤に対し反射神経で避ける刈谷。転回しながらもすぐに立ち直るため、受け身を床につき起き上がる。すぐに振り向き、加藤の様子を見ると、刈谷のいた場所で立ち止まる加藤はまだ刈谷に背を向けた状態で、閉めたドアの前に向かい合っている。少しずつ、少しずつ、胴体を動かさず、刈谷の逃げた方向に首を動かし、首の軌道を助けるように体もねじり、視界に刈谷が入った瞬間、再び殺気だつ雄叫びを上げながら今にも襲い掛かりそうな様子をあらわにする。


「止まれ!! 撃つぞ!!」


「があぁぁぁぁああ!!」


――じょ! 冗談じゃねぇ!「悪く思うな!!」


 狙いを定める刈谷。しかし、その軌道から逃げるように加藤の体が揺れ始める。肩を狙えば加藤の上体は低くなり、銃口が向く前に一番狙いづらい角度に体が逃げていく。足を狙っても同じだった。理解が出来ない動き。理性を感じない相手に獣以上の無意識な反射神経を感じる反応。


 迷う間に襲われそうな予感。自信の無くなる生還。あの死体も同じ気分を味わったのかと。いや、拳銃を抜く暇もなく襲われたのだと。この一瞬の迷いに沢山の処理できない情報が頭を駆け巡る。しかし時間は変わるものではない。誰にでも平等であり、早くも遅くも感じることがあっても、変わらないものである。


――何故銃口を読まれる!?


「加藤の左側を撃て!!」


 突然聴こえる男の声。刈谷は確認する前に発砲する。刈谷の耳に入ったのは自分の放った銃撃音の他に火薬を使われていない発射音が聞こえた。


「があぁぁああ!! がああ!!」


 左側に発砲した銃弾に反応した加藤。右側に避けたが、挟まれるように同時に右側に発砲された薬弾は加藤の左腕に当たる。しかし加藤の動きは止まらず、低くかがみながら、刈谷に声を上げた男に向かって走り出す。左腕を刈谷に向けて走り出す加藤の腕には細い注射器に羽がついたような代物。一見して麻酔弾にも感じるものであったが、効き目がないのか、注射器の銃弾を抜き取る事も考えない。その思考を感じない動物的行動に刈谷は再び拳銃を構え、加藤の背中に銃口を合わせる。


「撃つな!! 薬の効果を待て!!」


 葉巻をくわえた男。その男に襲いかかる加藤。男は加藤の掴もうとする力強い指を目をつむらず冷静に見定め、ボクシングの防御方法なのか、上体を後ろに逃がし加藤の攻撃は当らない。

 くわえた葉巻が加藤の指に引っかかり、火の粉を一瞬散らしながら階段の一段目の角に落ちる。

 なるべく距離を空ける男。飛び掛かろうとされたりしても、組み付かれない角度に体を常に置き、次第に加藤の動きが悪くなることに薬の効果を感じる。そして加藤が膝をついた。


「ぐぅ……があぁ」


 薬の効果が表れたのか、加藤は腕を上げることもできなくなり、その場に倒れこむ。その男は脈を確認し、加藤の表情を確認する。その表情は先ほどまでの形相と違い、意識は感じられるが声が出せない様子。一旦その場であお向けに寝かせ、次の行動を何か始めるのか、辺りを見回す。

 その男は黒いオールバックな頭髪で刈谷より20センチは高そうな長身、スーツは黒めに赤く滲んだ光沢ある高級感。職員に見えないが、目的を感じるその手慣れた姿。胸から葉巻を取り出し火を着け、一息し始める。そして刈谷は素朴に尋ねる。


「あ、あなたは……誰ですか?」


 刈谷に振り返る男。特に威圧的でもなく、気まずさも感じない。むしろ堂々とした雰囲気で刈谷を真っ直ぐ目を合わせながら口から葉巻を離し、煙を向けない方向に吐き出し、名乗り始める。


「管轄をしている鈴村和明だ」


「管轄!? お疲れ様です!! 支所専任の刈谷恭介です!!」


 刈谷は体を真っ直ぐ背筋を伸ばし頭を下げる。

 組織をまとめる鈴村と対面することは職員にとって通常ほとんどなかった。メディアに出る事すらなかった鈴村との突然の対面に、加藤の重要性を感じさせる。この世界で唯一ANYを動かせる人間。その重要度はここに一人で危険を冒してまで何かをすることの違和感も刈谷にとって払拭できないほどであった。


「加藤は筋弛緩剤でしばらく動けない。少し、俺も来るのが遅れた。部下を失ってしまった」


「管轄、加藤はいったい……それと! あの死体は」


「来る予定だった者の名前は補佐の春日雄二。加藤の担当補佐だったはずだ。刈谷恭介だったか? 聞き覚えがあるな」


「あ、おそらく、最近ANYの判断した詳細不明の人選に、自分が候補に入っていましたが、断りましたので」


---*---

 刈谷にあった最近の出来事。本部からの通知があった。本部で何かの計画を起こすとき、その人選をANYに尋ねることが通例であった。職員の環境や性格、役職、総合的な面を計算してその計画にあう人物を何人かリストにし、上位から職員に通知をしていた。

 積極性を重視していたので、断ることもできた。しかし、ほとんどの場合、断る者はいなかった。それは本部への昇進を約束されたようなものであり、その通知を心待ちにする者も少なくなかった。しかし刈谷は何番目の候補かは不明であったがそれを断っていた。桜との今の生活に満足していた刈谷は今以上に上を目指す理由がなかった。その後、候補だった春日に決定したと下村から聞いていた。

---*---


「珍しい奴だな。今が満足か」


「そう……ですね。あの、加藤は何者ですか」


「モンストラス世界の由来は知ってるか?」


「えっと、突然変異とか……聞いたことありますが」


 鈴村が話すモンストラス世界は一般的に公表されている内容。


---*---

 加藤の故郷でもある世界。それは突然変異のモンスターが現れたことからと言われていた。モンストラス世界が創られたのは、つい『15年前』。おおやけに言われている創られた理由は、『仮想的な世界で人間の進化を計る』という理由であった。全てがANYによって創られたものであり、全てがデータの産物。その中で自分たちシンギュラリティ世界で生きる人類の亜流を置くことによって、どのような未来が見えてくるかというシミュレーションをしているという内容。

 レプリカやコピーである亜流ありゅうという言葉は造語となり、アールと呼ばれるようになった。そして、『仮想的な地球』を通常の数万倍の速さで進化させた中で、オゾン層が出来上がり、人が生きられる環境に造り上げたところで時間を緩め、最初は一般人から選出したRを出現させ、その後職員のRを造り上げた。進化の過程を見ていたが、原因不明の能力が発現され、その能力によって戦争が起きたとされていた。

---*---


「加藤の生きていた時代、人間では通常考えられない能力を身につけ感染させ、『monstrous時代』と名がつくキッカケの戦争が起きた。彼らの能力は『フェム』と呼ばれていたらしい。それが加藤にも備わっていた訳だ」


「そ、それが人喰いになるんですか?」


「深くはその能力を手にした者にしかわからんが、その進化した状態で人間界に現れてしまった結果だ。そんな異質な力をシンギュラリティ世界に持ち込む訳にはいかない」


「進化……ですか? どうして今頃になってそんな能力があるとわかったんでしょうか」


「加藤自ら、本部に連絡してきた」


 通常であれば顧客と鈴村との直接の連絡はできない事が通例であった。しかし鈴村にとって最重要人物であった加藤。


---*---

 加藤がこの世に現れた事は、その時22歳の鈴村にとって興奮の冷めやらない可能性を感じた。『仮想的な地球』は鈴村がまだ17歳だった時に創造した。先代である父親が急病により亡くなり、当時16歳の鈴村に管轄を任せるには若すぎると言われていた。しかしこの世界を一番に考えた思想と想像力と統率力は、先代以上に『未来』を感じられた。鈴村がANYに初めて尋ねた質問は『地球をつくりたい』。


 この世界でわかっている宇宙の誕生。宇宙は元々『無』であった。無とは何もない無ではなく、膨大な、無と呼びたくなるほど小さすぎる、小さすぎるエネルギーが揺らいでいた。そのエネルギーが時間という概念もない別の次元で、そして時間という解釈があるのなら、それは計る単位も見当たらないほどの空間の中で、時折揺らいだエネルギーが触れ合い、結合して『有』となり、用を成さなければ、分解されて『無』となった。

 一瞬、条件が満たされた。限りなく有りえないと考えられるほど、可能性の低い結合。その条件の瞬間にプランク(宇宙誕生の瞬間)からビッグバン。今の宇宙ができたとされている。その宇宙は膨張し続け、いずれ収縮し、宇宙はなくなり、またプランクが起こり、繰り返す。その一時期に生物が生きられる星が存在する。

 宇宙を創るという考え方もあった。今の宇宙を『親宇宙』とするならば、人工的な『子宇宙』として。しかし、それでは『惑星を管理』できなかった。

 そして、『宇宙を創ること』に比べれば、『惑星を創ること』の方が簡単だった。

 光速加速器を用い、円形の筒の中で、必要な粒子を人工的にぶつけさせ、『ビッグバンを創ること』より、重力のある世界で人工的に遠心力を利用した『無重力空間を創ること』の方が簡単だった。

 その考え方から創られたもの。それは『ブラックホール』だった。

 ブラックホール。それは光ですら吸い込む存在。太陽より膨大な大きすぎるエネルギーを持つ存在が寿命を迎える時、ブラックホールはつくられる。星をつくる材料を集める自然現象。一番の問題だったのが、重力をつくることだった。重力の解明、それは出来なかった。なぜなら、重力には質量のない自然現象だったから。

 ブラックホールの引力を利用して、『人工的に重力という自然現象を創った』。不安定な引力を利用した惑星。生物が住めない惑星。その引力の安定を眺めるためのデータが必要だった。

 データであるRを用いることによって、モンストラス世界は一般的に仮想的な地球とされていたが、実際には『存在する惑星』である。それは鈴村が青年期に創造した世界であり、本物の惑星である。

---*---


 データであるRの記憶は全てANYによって操作されていた。惑星の年齢が一年進んでも、Rの記憶や出来事を1000年進める事もできた。


 惑星は大気を形成する必要な成分を常に与えられ、人類が過ごせる地球が出来上がった。それは環境破壊がされていない星、満たされた空気。その世界で、モンスターが生まれた。


「解約の連絡が本部に届き、俺が直接理由を尋ねた。そして加藤は言った。『モンストラス世界の能力を保有したままでいる』と」


「能力を保有……ですか」


---*---

 鈴村はモンスターの原因を調べたかった。本当に突然変異なのか、造り上げた惑星に問題があるのか。何かの細菌から感染したのか。そのヒントがモンストラス世界からシンギュラリティ世界に現れた。しかし、その男、加藤達哉は口を閉ざしていた。何も知らないと、自分はひっそりと暮らしていたと。

 モンスターが現れてから、造り上げた地球をモンストラス世界と呼び、それまで世界を早送りするように眺めていた速度を、今まで数万倍の速度で見てきた世界を10倍程度で様子をみるようになった。つまり、モンストラス世界の100年は、シンギュラリティ世界では10年だった。

---*---


「加藤は証拠を見せると言った。昨日下村に連絡し、春日を8時半までに来させるように、今日の解約手続き前に話を聞きにきた」


---*---

 加藤からの証拠の提示、それはどのようなものかわからなかった。物体なのか、その能力を保有した姿なのか。当たり前に警戒した鈴村。どのような姿でいようと、最低限自分の身を護る武器。それが小型注射器に入れた筋弛緩剤だった。筋肉の動きを弱める薬。野生の猛獣などに使われる麻酔薬。小型の麻酔銃を胸に忍ばせた。

 鈴村は8時すぎに到着していた。それは春日と待ち合うための時間。だが、その前にひとつ問題があった。ANYにより選ばれた春日雄二。元々加藤の専任補佐をしていた職員でもあり、解約時間より早めに訪れる予定であったが、朝になっても連絡がとれなくなった。担当をしていたチーフの田村と共に。

 通常業務として加藤のそばで警護しているという考えが妥当でもあったので、鈴村は加藤の館の敷地より少し離れた車道で社用車を停め、葉巻をくわえながら館に近づいた。するとすでに職員の車が敷地内に駐車してあった。通常の解約手続きであれば、早くても9時から10時の慣行があったため、早すぎる到着に、おそらく春日が先に到着しているものだと判断しやすかった。


 刈谷は使用しなかった玄関に付いたノッカー。鈴村は簡単に二回叩き、すぐに扉を開けた。中央の階段まで近づき、すぐに異変には気付いた。右側のドアが開いた部屋で倒れている者。そして上階に何かが駆け上がる気配。その足音は階段に靴が接触するような高い音ではなく、柔らかい足音。それは裸足であると感じさせる。異様な人間味のない気配。すでに鈴村の存在はわかっているはず。それならばと、鈴村は特に気配を消さず存在感をあらわにして階段を上り始めた。麻酔銃を握りしめ。

 応援は呼ばなかった。これは鈴村にとっても極秘な任務であった。それは惑星を創った鈴村の新しい試み。『このシンギュラリティ世界より、モンストラス世界へリンクする物体転送だった』。これは17歳の頃、鈴村が描いていた夢であり、容易にこの世界で広まってはならないこと。加藤がシンギュラリティ世界に現れた現象は、逆も可能だと考えられた。職員でもそのような噂は広まっていたが、実際に存在を理解しているのは所長や一部のチーフレベルまでだった。

 単身で鈴村は予想のつかない相手との接触はリスクの高いものであった。上階に駆け上がる足音、それは誰なのか。加藤の基礎年齢や、クローンとしての肉体年齢を考えても、普通では考えにくい俊敏な気配。どのような現れ方をするかもわからない相手。しかし、鈴村には『その者』が加藤であるという確信があった。

 この10年、現在32歳の鈴村が眺めていたモンストラス世界。その世界はANY以外、鈴村と惑星全体のプログラムを管理している『エンジニア』によって見守られていた。その世界の100年の前半は、もしもシンギュラリティ世界で起こっていたのであれば、一言でいえば、地獄絵図。シンギュラリティ世界に存在しない概念の様相。それはまさにファンタジーな世界だった。     

 空想の世界を作り出してしまったものかと感じた鈴村。モンストラス世界が『ただの創られた世界』であれば、消してしまえばいいだけの話に思えた。しかし、鈴村にとって、モンストラス世界は『存在する惑星』。その世界の住民である加藤がこの世界へ踏み入れてしまった責任。地獄絵図をシンギュラリティ世界で再現する可能性。鈴村には、惑星を創った責任があり、感じていた。そして、今日という日が来ることを、エンジニアと極秘に研究を行いながら待っていた。


 踏みしめるように階段をのぼる。気配は、段数や音が消えた位置を想像すると三階まで上がったと考えた。それでも油断をしないように、見えてくる二階に意識を集中し、どの角度からきても対応できるように力を抜きながら身構え、二階まで上がった。

 加藤と掛け声を上げていいものか、全く違う生き物であった場合、危険性が高まるか。加藤であると確信があっても声を出せない鈴村。それだけ上階に上がる気配は異様だと想像できた。

 それならば想像に足りることだろう。きっとここにいるのは、モンストラス世界の生き物であると。シンギュラリティ世界より、神のように眺めてきたモンストラス世界の地獄絵図。その一端がここにいると。

---*---


 鈴村の約一時間以内を一部振り返ると、必要に迫られた任務を刈谷に尋ねる。


「加藤に今後の監視を付けるため、ANYの人選でお前よりあとに選ばれた補佐がいち早くこの館に確認にきたようだが、残念な結果だ。刈谷、春日のあとを引き継がないか?」


「それは……すいません。妻のそばにいてあげたいんです」


---*---

 桜のそば、それには理由があった。

 初めて刈谷と桜が出会った工場の事故以降、桜は時折、動悸や呼吸困難、手足のしびれや痙攣が突然起きるようになった。狭い空間で押しつぶされる恐怖、現れる見込みのない助けへの叫び、刈谷によって発見されるまでに、桜はその恐怖を心に刷り込んでいた。

 それからの桜は、可能性のある場所、似たような空間、狭い空気感と感じた瞬間、自分では抑えきれない症状に振り回されるようになった。周りに悟られてはいけない。職務不能の扱いはされたくない。そう思った桜はプロテクトルームを必要以上に行うようになった。

 プロテクトルームで主に行っていたプログラム。銃撃戦。それは初めて味わった恐怖の出来事から、自分を追い込むことにより、恐怖に打ち勝つという荒療治。桜にはそれしか思いつかなかった。それを眺めていた刈谷。そして刈谷のそばにいるときには、桜の症状が現れることがほとんどなかった。刈谷は桜より一年遅く入所した経験を埋めるように、桜のそばにいられるように、役職を近づかせ、刈谷自身が所内で自由が利くように、仕事に励んだ。それが一番、桜のそばにいられると強く思っていた。

---*---

 

「本部にくれば、もっと家族を護れる存在になれるぞ?」


「地位や名誉じゃあ……そばにいる事とは違うと思ってますので」


 鈴村から目を離して話していた刈谷は、言い切る直前、鈴村の反応をうかがうように、真っ直ぐ目を合わし、それは懇願するようでもあり、信念とも感じられる決意。言葉で押し切れる様子にも見えない。そう判断したであろう鈴村は、それ以上の問答をしようとはしなかった。


「そうか、わかった。半隔離にするため、この地下に加藤の部屋の物を全部移せ。点滴で栄養を与えれば無意識に暴れたりはしない」


「わかりましたぁ!! すいません……部屋はどこですか?」


「三階だ。あえて自分が簡単に降りられない為に、人を近付けない為に加藤がとった手段だろう」


「わかりました!! 急ぎます!!」


 管轄である鈴村に、願いを聞き入れられた喜びと、物分かりの良い上官への安堵感から、刈谷は声に張りを戻し、活力的に三階に上がり、ベッドを手早く分解して運んだり、二層式冷蔵庫をかついで降ろしたり、重労働ではあったが、ものの20分程度で地下に加藤の部屋を完成させていく。時折、中々館に現れない桜のことを考えながら、心配と愚痴をこぼしていた。


――ハァ! ハァ! 桜は! 大丈夫かな……ハァ! どこまで着陸させに行ったんだ!?  ハァ!


 鈴村は加藤の血をきれいに拭い、かついで地下に運ぶ。作務衣を着せ替え、刈谷が運んできた機材を用い、体に心電図、点滴など的確に処置をする。そして刈谷の作業が間もなく終わると考えられる時間を計るように、その後建物から出て、外観を眺めながら携帯電話で連絡をしている。


「ハァ! ハァ! 管轄! 終わりました!」


「そうか……すぐ向かう。加藤の様子を今一度確認して来てくれ」


「はい!」


 携帯電話のマイクを簡単に押さえながら刈谷に指示を与える鈴村。刈谷が館に入ることを確認しながら、ひと言「実行する」とつぶやき、会話を終わらせる。

 鈴村が携帯電話で会話を終わらせて、ゆっくりと館の玄関に近づき、ふと、足を止めて三階の窓を眺める。窓からカーテンが風に触れて、時折揺ら揺らと生地が外にはみ出す。それを見る鈴村は、まるで何かを思い出しているように。


---*---

 刈谷が館に現れる少し前、加藤と思われる三階の気配を追って二階から三階へ。


 一階のらせん階段中央から真上を見上げれば三階の天井に確認できる古びたシャンデリア。一階からでも、黒ずみ、欠けている部分があることが確認できる。今は二階から三階の踊り場。目の前で確認できることは、揺れていること。

 どこの窓が開いているのか、それは三階の開いたドアからの風であろう。ならば三階の一つしかない部屋の中の窓が開いているのであろうと想像できる。

 鈴村は突然三階に向かって走り出した。それは時間に猶予を持てないと判断した刹那。もしも、加藤が三階より逃げていたら。最悪、三階より自害を図ったら。そのような要素を感じさせるシャンデリアの揺れは、鈴村を走らせた。麻酔銃を握り、少し手前に開いたドアを足で強引に開きながら部屋の中に向かって麻酔銃を構えた。

 鈴村が見たもの。そこには、加藤が主に生活空間として使用していたと思われる設備された空間である。簡素ではあるが、電動式に上半身が起き上がるリクライニングベッド、壁に並んだ本棚の書籍をゆっくりと眺められそうなロッキングチェア、二層冷蔵庫、そして高齢であるがゆえ、心電図と点滴スタンドが配置されていた。そこには加藤の姿がない。ベッドの横から眺められる窓は、想像通り窓が開いており、カーテンの生地が外に引っ張られていた。やはり外に飛び出したかと窓に近づこうとした鈴村。

 カーテンの向きが変わり、生地が揺らいで、外の景色が見えると思った。しかし、その揺らぎの先に見えたのは加藤。震えているのか、痙攣なのか、何かを振り絞っているのか。だが、口から下に広がる血と思わせる残酷な様相と、意識はしっかり感じられる、鈴村を静かに見る目は様相とのギャップを感じた。その姿を見て、鈴村は確信した。これがモンストラス世界の住人である証拠だということを。そして加藤は言った。「これ が……フェム の 力 だ」と。そしてもうひと言、「今の わし には、空 に浮か ぶ 程度しか できん」と。その時、刈谷と桜が同乗する、ヘリコプターの音が響き始めた。音の方向にゆっくり振り向く加藤の隙を狙い、鈴村は麻酔銃を放った。

 カーテンの生地が邪魔でもなかった。風が邪魔でもなかった。まるで、カーテンのように、風に吹かれたかのように。加藤の体が薬弾から揺らりと逃げた。


 まるで背中にある目、いや、目で見ても避けられる距離ではない。不可解な能力は、更なるモンストラス世界を匂わす証拠のひとつであった。そして加藤は、そんな鈴村の行動がわかっていたかのように、慌てず、驚かず、背中越しに漏らした言葉は「もう……自分の 意識で は 限界 だ。わし に、栄養 と 希望 を」と。その言葉と共に、浮かんだモンストラス世界の住人はゆっくりと地面に近づき、館の周りの森林に消えていった。

---*---

 

 それまでの展開を想像していた鈴村のたたずまいであったのか、三階の窓を眺めていた鈴村は目線を下げ、館の玄関ドアに触れた。

 先に入館した刈谷。地下に降りるにつれ、加藤の心電図の音が一定であることがわかり、安心して加藤の顔を覗き込む。


「もう大丈夫だろ? 加藤さ……あ」


 加藤は目を見開き刈谷を凝視する。いつから意識がなかったのか、少なからず記憶があるのか、それは刈谷も加藤も意識の探り合いであったであろう沈黙は、加藤からの言葉で安堵となった。


「君 か……さっきは すまん かった」


「加藤さん、落ち着いたみたいだねぇ」


「この 能力は 危険だ。モンス ト ラス世界に 戻ら ねば ならん」


「まぁ……事態も理解してるみたいだし、でもねぇ……ま、とりあえず、この空間に電話がないみたいだからぁ……俺の社用の携帯電話置いておくよぉ! 地下でも大丈夫! 水ヤガスのように埋め込み式の短波が張り巡らしてるからぁ、しかも他の電子機器に影響しない! 半年は保護義務あるからねぇ」


 そのように言いながら、刈谷は加藤の着用している作務衣さむえの腰あたりにある小さいポケットに、刈谷は携帯電話を差し込んだ。その時の加藤の目線は、そのような刈谷の行動に目もくれず、視線は刈谷より後ろにある。


「早く わし は死なな ければ」


 刈谷から見れば、多少の自暴自棄により、うつろな目線にしか感じなかったのかもしれない。むしろ刈谷から見れば、元気づける言葉を掛けるべきか、皮肉めいた言葉を掛けるべきかと、すでに高齢という先入観からも考えて自分らしい言葉であっさりと言葉を返した。


「まぁ……俺もどんな危険な能力かは見たから気持ちはわかるけど……言っちゃ悪いけどぉ、この先どれだけ長生き出来るかって、そんな先じゃないと思うけどねぇ」


「能力者 は 自分 の 良い運命に 導く……限界まで 生きるんじゃ カニバ リズム(人喰い)をして でも」


「良くわかんないけどょ、あの……はっ!!!! あぁ……誰……があ!」


 微動だにしない加藤の目線の先には鈴村の姿。その姿はまだ刈谷には見えていない。振り返る余力のある刈谷。それは鈴村にとってもわかっていた。すぐに振りかぶった麻酔銃。刈谷の一瞬のうめき声は、意識の飛ぶ瞬間でもあった。


「加藤達哉……願いを叶えてやる」


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