【ドッペルゲンガー】 愛の幻視と真実は見えない世界との境界線
18:25
---*---
刈谷は時計を眺めながら鈴村を待つ。その間に時間のさかのぼりを感じた。刈谷にとって、それは自分の知らないところで、まだ頻繁に起こる自殺志願者の行動の結果かと。今まで時折感じていた微妙な時差の変化を、今は意識をしながら想像できる背景は、この世からの目覚めか、現実と思う世界への、夢心地な世界からの脱出か。
今は、鈴村が与えてくれた希望と、今の世界を理解して、自分の名前を取り戻す可能性に期待をしていた。
---*---
――管轄が現れたのが18:40頃……もうすぐか。ん? 景色が! また共感覚か?
暖色的な雰囲気の色。自分についてきているものなのか、何か意味があるのか。耳に聞こえるほどの気配はしなかった。けれど、自分ひとりと思えない、どこか近い場所に圧力が集まるような空気感は漂った。誰か近づいてきているのか、はっきとした足音は感じられない。けれど、隠れるのも無意味な収容室では、特に動じず、驚く出来事はこれ以上おきないとも思っていた。
その声は、刈谷本人か確かめるような、柔らかい口調だった。
「き……恭介?」
「誰だ!?」
「恭介……逢いたかった」
「チ、チーフ!?」
突然現れた桜。当たり前に驚愕する刈谷。ベッドに寝転がっていた刈谷は上半身を勢いよく起き上がらせ、恐る恐る鉄格子に触れながら、自分を閉じ込めたはずの桜を凝視した。その桜は、見慣れないダブルのベストスーツを身にまとい、普段の隙を見せない顔つきとは違い、目元が柔らかく微表情が変化する人間味は別人かと思わせるほどだった。よく見れば、髪色も黒ではなく、ブラウンベージュな女性らしい明るさでボブレイアーが似合うその雰囲気は、今まで様子を見ていた桜とは明らかに違いを感じられた。
そして桜は、現状の理解がまだ弱い刈谷の両手を握り、涙ぐんだ眼差しで刈谷を見つめる。桜の全てのしぐさ、行動は、刈谷を混乱させるしかなかった。
「恭介……もう少しよ」
「ちょっ! チーフ! どうしたんですか!? 恭介って」
手を払い、後ずさる刈谷。これもこの世界が造り上げた幻想かと。
目の前の桜はどこか悲しそうに、そして払われた手は、簡単に手を下げず、うつむきながらゆっくり握りしめ、再び刈谷を眺めて話し出す。
「私に見付かると話がおかしくなるけれど、この世であなたの味方は私だけよ」
「私に見付かる? 私って、あんた……誰だ? どこから現れた」
「今説明は難しいわ。けれど、モンストラス世界から『singularity』世界に帰れれば! あなたは自我を壊されなくてすむわ!」
「シンギュラリティ世界!?」
「そう、そして自分から死ぬ真似はしないで。壊されるから」
「壊される? 誰に!」
掴みどころのない桜の言葉。相当な情報量と、全ての出来事を知っていると想像できる内容。壊す存在。それは下村のようになることを防ぐ意味かと理解もする。
この階層は下村がいなくなったあと、刈谷だけが収容されていた。この階層で気配が感じられるとすれば、それは刈谷に訪問する誰かだった。
――鉄格子が開く音。「管轄か? 予定より早い」
「管轄……鈴村。まずいわ! それじゃあ……無事でいてね! 愛してるわ!」
刈谷の理解を超えた桜の慕情。心当たりのない刈谷の戸惑い。桜は立ち上がり、躊躇のない動きで拳銃を取り出す。そして静かに刈谷へ向ける。
この収容室に入ってからの刈谷は、全てが非現実であり、刈谷だけにわからない周りの事情。自我を狂わせた下村。世界を尋ねる鈴村。苦しみ消えた謎の女性。愛を語りながら銃口を向ける桜。
「言ってる事とやってる事が違うじゃねえかぁ!」
「刈谷!!」
――この声は……チーフ!!
走りながら刈谷と叫ぶ声。聞きなれた声質。それは目の前の桜とイメージが違う桜の声。
その声が最後の角を曲がったかどうかの瞬間に響く銃声。
そして支所内で起きたスローモーションは、起きなかった。
「が! ぎゃあ!! あ? そうか」――18:25……ほんの少し、戻ったか……何だったんだ? チーフが俺に愛を語る? どうなってる……シンギュラリティ世界? なんだってんだ
桜に撃たれた刈谷は、時計を眺めていた時間にさかのぼり、この数分間の出来事を振り返る。
その時、考える暇もなく、再び守衛室の鉄格子が開く音がする。
「来た……どちらだ?」
「刈谷!!」
――チーフ!
再び気配を近づける、刈谷が知っている桜。張り上げた声質は、聞き慣れた雰囲気。
---*---
そして刈谷は思う。今、時間がさかのぼったことは、きっと桜にも認識できているはずだと。
半年前に刈谷と春日の認識が狂い、この半年間、桜を監視していたつもりが、桜に監視されていた刈谷。その日から、何度も体感してきたデジャヴュ。今朝、初めて感じたスローモーション現象。突然現れる共感覚に感じさせる色。二人の桜。ここに閉じ込める証言をした桜が、落ち着いているとは思えないほどの響く足音、何を語りに訪れたのか。刈谷は、誤魔化しのない、初めて本音を語れると身構えた。
---*---
最後の角を曲がって気配が間もなく感じられる桜。その最初の言葉はやはり説明を求めたい一声だった。
「モンストラス世界に限界が来た! すぐ行かなくては!! そして、さっきの銃声は何?」
「限界!? え!? どこに? あの、チーフ! どこまで何を知っているんですかぁ!? さっきのチーフといい」
「さっき……来たのか? 私が」
「はぃ、別のチーフと対面しました」
「わかった……それはとりあえずいいわ! 今はシンギュラリティ世界に行くのが先決! そのためには……この世界の歯車が合わない『人間』を捜さないといけないの」
「歯車の合わない人間!?」
「明らかにこの世の違和感を知っていて、この世の『Rアール』じゃない『本当の人間』よ」
「アール!? ちょっ! ちょっと待ってくれぇ! 俺は……この世の人間か?」
「違うわ……この世の人は『R』と呼ばれている。シンギュラリティの住民は人間よ! あなたはこの世の『亜流』とはつじつまが合わない本物の人間」
---*---
亜流。レプリカであり、偽物と解釈できる言葉。桜の口から出る言葉は、今まで起きていた現象、今まで起きていた不可解、それら全ての事より次元の違う内容。もしもこの世とは違う世界があるのなら、少しずつかみ合ってくる不可解の出来事。ただ、刈谷にとって、それら全てを真に受けて良い事かの区別がわからない。今まで生きてきたこの世界が、全て嘘に思わなくてはならないのか、なぜそんな世界が存在しているのか、そして必要なのか。
---*---
「じゃあ……さっき見たチーフは」
「さっきの私は、きっと人間……私はRよ。加藤達哉の館が爆発した時から、私は何度も時間が戻り、目覚め、理解した。意識が目覚めてからシンギュラリティ世界に行ったから」
「なんなんですか? シンギュラリティ世界ってとこは……え、チーフ!!」
銃声が響く収容所。横から腕を撃たれた桜。その衝撃に、白い天井を見上げながら、刈谷の目の前で倒れこむ。
「あああ!!」
痛みにのけ反る桜を確認したのか、階層の角より見えてくる影。数人の足音。歩きながら聞こえてくる声は、刈谷もよく知っている者。プロテクトルームで刈谷と一番競り合える有段者でもあり、派閥的な職員をいつも連れて歩く、野心と野望が歩いている存在。そのような人数が守衛室を通って、入ってきた気配を感じなかった刈谷。
目の前で起きる桜と田村との強い因縁を感じる。
「春日さん……俺もそこんとこ気になるんですよ?」
「田村!? お前……何してる!!」
田村が腕を上げると、後ろに付いていた三人の職員が桜に駆け寄る。携帯している拳銃と手錠を取り出し、桜の動きを制限できるように囲む。
「くぅ……田村! 私を殺せ!」
「チーーーフ! 近いうちに会えましたね。そんな事したらまた逃がしちゃうだけでしょ~! さぁ! 俺の話をちゃんと聴いてもらえますか~? こ・こ・に導かれた理由も含めて! そして、シンギュラリティ世界~? なんですか~? その興味の絶えない世界は~! そこが俺達の求める世界なんでしょ~? ずるいなぁ~……拘束しろ!!」
---*---
研修室で桜の自殺により拘束が出来なかった田村。すでに手加減も容赦もない行動。時間を戻せるという周知の事実は、桜からの情報を入手後、桜の命を絶つことで怪我も証拠もなくなるという計算。
---*---
職員が桜を取り押さえ、自殺を計らないように、後ろ手に手錠と、口に猿ぐつわをする。無理やり立ち上がらせ、場所を変えて尋問をたくらむ雰囲気で、入口に向かい、田村が刈谷との会話を終わられるのを聞ける歩幅で足を進める。
「春日さん。あんたも拘束したいが……あんたはあなどれない。ちょっと厄介だ。しばらく留置されててよ! 用があるときに来るからさ?! ハハハハハ!!」
「チーフ!! てめえ田村ー! かかってこいよ!!」
「耳付いてんのかい? カ・リ・ヤ・さん! ハハハハハ! 壊れたあんたから聞いても役立たないでしょ! 撤収するぞ! ん? なんだ?」
刈谷に向いている田村は、職員の反応のない違和感に振り返る。先ほどと違い、甘い葉巻の匂いは漂っていなかった。
手の自由がない桜は、そこに現れた男の行動に、一人の職員へ向いた暴力の反動で倒れこみ、横になりながら行動を眺める。
「がぁ!」
「ぎゃ!!」
「おい! 職員! 誰だ~? あんた!」
18:41 桜を連行しようとした三人のうち、一人は壁に背中をつけ、蹴られたのであろう鼻からは血を滲ませながら倒れこみ、もう一人は、掴まれた胸倉から引き寄せられ、頭突きを食らい意識を失う。もう一人の職員は、その顔を見ただけで、面識があるのか、立ちすくみ、何も出来ない状態にあった。
「鈴村管轄!!」
「か! 管轄!?」
鈴村に倒される二人の職員を見て、刈谷は鈴村の名前を口にする。その名前を聴いた田村は冷や汗をかき立ちすくむ。
---*---
モンストラス世界の絶対的立場である鈴村。田村はその鈴村が主催する不死現象会議に招かれず参加し、自分の見つけた現実を発表し、脚光を浴びようとも考えていた矢先に現れた中心人物であった。
一旦はたじろいだ田村。しかし、強味があった。全ての痕跡を残さないデジャヴュ現象。目の前に倒れている別世界への答えを握る桜。その次元を超えた興味に比べれば、一人の存在は小さく感じた。
---*---
「か、管轄~? は! なんでこんなタイミングで……俺は騙されねえよ! 今日の全体業務は確認してる! 管轄は本部の不死現象会議の真っ只中だ!」
「あぁ……出席してるさ……俺が」
---*---
低く、張りがないような声。それはまるで、会話の慣れが少ない者のようにも感じられる。それは先ほど刈谷が対面した時と同じ声質にも感じられず、突然の出来事に気分や憤りで調子が変わったのかと思うほどに。
その鈴村の口元から、何か漏れるような色が流れる。それは薄黒く、こもった状態で、この場にいる目覚めたといわれる者にはその様子が目に移った。
初めて感じる者には戸惑いが、何度か体験した者には違いが見えてくるものなのか。
初めて感じた者は、色々な情報と混乱の中、ひとつの野心の道へ走り出した。
---*---
「は!? 馬鹿な……ん……俺は目がおかしいのか!? 色が……とりあえず、もう上下関係なんてどうでもいい! あんたも倒れときなあ!」
――共感覚
田村にとって初めて見る共感覚的な色。刈谷にとってもまだ不可解な現象。ただ、現れる日に、平和な日はなかった。
鈴村に襲い掛かる田村。鈴村に向かい、走りながら、躊躇なく田村は拳銃を握り発砲した。
専任補佐が、容易に拳銃を所持できる世界。田村の倫理観とは別の解釈で拳銃の所持は自然な事だった。
---*---
monstrous時代以降、銃刀法の規制が緩くなった世界。平穏を保ちながら、民衆は各々で職を探していた。奪い合う仕事。それぞれが希望する職業に就けるわけではなかった。仕事に就けた者が平穏でもなかった。いつ自分の仕事が奪われるか、自分を護るために武器の所持が許される世界は、自分を護るだけではなく、奪うための武器にもなった。その中で、護られる安心感がお金で得られるなら、自分の仕事に集中しながら護られるなら、そんな気持ちがLIFE YOUR SAFEの組織の需要になった。
組織の最高責任者、鈴村和明に謀反する田村。死なない世界を利用してのことか、力量を計るためか。だが、発砲は威嚇ではなかった。急所を外した気持ちではいたが、当てる気で発砲した。そして、その弾道が外れるとは思わなかった。その動きは、まるで弾道がわかるかのような動き。鈴村はなにを見極めて避けるのか。焦る田村には狙いを定める余裕もなくなっていた。
拳銃は狙って簡単に命中はしない代物。10mも離れれば、素人には命中も困難なもの。だが、桜に次いで射撃の名手でもあった田村。その自信が失われる獲物。発砲するほど混乱する田村。自信が削り取られる前に、拳銃は投げる武器へと変わった。
その動きを見た刈谷。頭に浮かんだのは、刈谷が味わったスローモーション現象が起きたのではないかと思った。刈谷には今は感じられなかったその現象。ただ、その鈴村の動きに理由が見つからなかった。
---*---
拳銃を投げながら自分の身で戦う田村。鈴村にとって、その投げた拳銃で隙を見せるほどでもなかった。繰り出す拳は空振る。そして田村は思う。勝てる気がしないと。赤い色は吐息。
それでも鈴村は田村に対して思った。その常人を超えた運動神経に。
――こいつ……普通の肉体でこの反射神経……だが、今がmonstrous時代なら、通用しない
鈴村は大きく避けながら、一撃、田村の腹部を蹴り、壁に叩き付けた。その重い一撃は田村の体の痛みより、野望に生きた心の筋肉までも貧弱とした。
「がぁ! う゛がぁ! ご、ごの化け物があ゛!!」
「刈谷!」
「え!?」
田村の戦闘不能の様子を見て、鈴村は刈谷に向かって収容室の鍵を投げる。刈谷にとっては、やはり先ほどまでのデジャヴュ現象を含め、全ての事を把握しているのではないかと想像させる行動。口に出さなくても理解できるほど綺麗にこの場を制圧した。
田村についていた無事な職員は一人。その短時間の出来事に硬直し、鈴村の言葉か行動を冷や汗をかきながら待つ。
その中で一番声を掛けるのが自然だったのは刈谷だけだった。
「か、管轄!」
「お前は身元だけ自分に戻れれば問題ないのだろう? 戻してやる……そして今日からお前がこの支所のチーフだ」
鈴村による突然の昇格。簡単に戻すと言われる身元。この全ての現象は、人為的に行われたものだったのかと感じさせる発言。
---*---
何をどうすれば人の記憶や認識を操作できるのか。全く背景が想像できないなかでも、明らかに存在しているのではないかと思わせる名称はシンギュラリティ世界。それがこの世界で、自殺者が求めていた新天地なのか。加藤の言っていたレミングとなって死の先にある世界を信じて向かっていたのか。けれど、刈谷にとって、その世界は興味以上の魅力を感じていなかった。今の世界で満足だった。その満足の世界で刈谷が気になったのは、桜の立場だった。
---*---
「管轄、けれど……それでは水谷チーフが」
刈谷は鍵を開錠し、桜の安否を気にする。そして桜は鈴村により猿ぐつわを外される。その雰囲気は、特に苛立ちも緊張もなく、とても落ち着いた雰囲気。腕をかすめた銃撃に多少の歪ませる表情をするが、刈谷に対しての鈴村の昇格には何も嫌悪感を見せない。そして刈谷が鈴村に対する進言に、鈴村の代わりに答えるように話す内容は、ひとつの愛情さえも感じた。
「いいの……あなたが無事であるなら。私は春日が死んだのを確認した時に芝居をした。あなたが春日であることに否定を続けると、壊されてしまう可能性を感じたから」
「水谷。余計な事はしない事だ! だがお前は賢い女だ……二度同じ事はしないだろう。お前にはこの支所の所長に任命する!! 町田は本部への転属。事実上の昇格だ。皆でここの秩序を護ってくれ。田村は職員のマインドコントロールによる職務妨害により警察に連行! その他共謀した職員は追って処分を下す! 以上だ!!」
---*---
桜の心配した『壊される可能性』。それは刈谷に愛を語った別の桜と同じ表現。刈谷自身、全く自分が知らなかった世界の存在を認めるような言葉が自然と行き交うこの場所で、誰に語る事も出来ない実感を味わう。
まだわからない春日の存在や、その婚約者。尋ねたいことは沢山あったが、鈴村のこれ以上ない寛容で申し分のない采配に、言葉を発する事が出来なかった。
---*---
18:51 その静まった空間。最初に言葉を発したのは田村だった。
「はぁ……はぁ……こんな茶番……俺がリセットしてやる!! ハハハハハ!! もう失敗はしねえ! あばよ」
田村は倒れたままの状態で右手をジャケットの内側にもぐらせる。その瞬間に慌てた表情をしたのは桜と刈谷。田村が発言した内容通り、今考えられる事はこの事態をなかった事にすること。全ての証拠はなくなり、身を隠す可能性もある。田村は小銃をジャケットの内側から取り出すと、すぐに自分の頭に突き付け、まるで命が救われる為に安堵するかのような笑顔を浮かべながら自害を選ぶ。そして引き金を引いた。
「くっ!! 田村!!」
――また戻るのかぁ!?
---*---
桜と刈谷は発砲を防ごうと動き始めるが、一瞬の出来事に対処が間に合わない。鈴村は静かな眼差しで田村を見る。
今日何度も響き渡った地下二階の階層。また再び時間がさかのぼったであろうと予想した刈谷。それは桜にとっても同じ主観だったかもしれない。
気密性の高い地下で響く銃撃音。目をつむる刈谷。再びゆっくり目を開いたときに見える光景。
刈谷が収容された部屋の前には、刈谷、桜、鈴村、そして田村。自らの頭を吹き飛ばしても、まだ笑みはなくなっていなかった。まるで田村には、新しい世界が見えているかのように。
---*---
「どういう事だ? 戻らない……管轄、これは」
「田村はこの世の歯車から外された。誰にも、田村を落ち着かせる場所が見当たらなかったんだろう……タイミングでもあるのかもな」
はっきりとは答えない鈴村。その答えがわかるのか、わからないのか。
そこには不死現象と呼ばれる世界となって初めての、頭から血を流した動かぬ存在を目の当たりにする。
「管轄……春日の婚約者は」
「壊されてなければ、どこかにいるだろう……大丈夫だ。もし消えたとしても、消えたのはRであり、本体は生きているはずだ」
一見冷たさでも感じさせる鈴村。刈谷にとって、この世界が生きてきた人間の姿。消えた人間が人間と思われない倫理観の薄さは別の視線でみている景色なのか。婚約者と現れたときの印象とはまた違う雰囲気が感じられる。これが以前から町田から聞いていた鈴村の雰囲気なのかとも思った。
刈谷にはいくつも疑問はあったが、それらをひっくるめて尋ねたい事は一つだった。
「この世界は……造られた世界なんですか?」
刈谷のその質問は、全てを納得できる言葉だった。組織のトップである鈴村から聞く事ができれば、それは大きな説得力でもあり、納得でもあり、別の世界の『何か』であることを理解しながら生活する覚悟でもあった。
「この世界の住人である限り気にする事はない。余計な詮索は本体ごと消えるぞ。ここは戦争の頃から呼ばれ始めたモンストラス世界という地球。事の大きさで勝手に呼ばれてきたが、そのうち……いや、とにかく今の秩序を保ってくれ」
「え……はぃ! 職務は全うします!」
---*---
それはほぼ、納得としていい答え。刈谷にとってはこの世界で満足できていた。けれど鈴村の立場的には、どこまで刈谷が別の世界への興味があるのかはわからず、場合によっては不安な材料となる。場合とはつまり、深く知る事。それは目の前で倒れている田村の運命を辿る可能性。この出来事を知る人物は、鈴村にとって役職的にも近い存在の方が良いともとらえられた。
---*---
「水谷、次するべき事はわかっているな? 後の事は任せる」
「はい、承知してます。お任せ下さい」
鈴村は桜と目を合わせ、軽く笑みを浮かべ振り返り、その場を去る。
倒れていた職員は別の職員に起こされ、鈴村に何度も会釈しながら走り去る。
「チーフ……いゃ、所長。ここから消える理由がないんじゃないですかぁ?」
「ふぅ……綺麗にまとめられたものね。立場も処分も目覚めた者の混乱も、全てを静めた……あれが鈴村和明……モンストラス世界の管理者として適任ね」
「はぃ……まあ、悪くないですねぇ……ん……共感覚が消えた。これって、何か意味があるんですかねぇ」
少し間を空ける桜。隠す理由も見当たらないためか、そして全てを話すつもりなのか、簡単に話し出す。
「本体とRが同じ世界に現れる時、本来あってはならない情報が近い場所にいることで、同じ情報があるために、この世界に負荷がかかる」
---*---
情報、負荷。それは明らかな機械的表現。
その情報はまるで、データ入力された内容だけで人の人生の記憶を作られるような、世界と人間関係まで操作させられているかのように。
その負荷はまるで、音をマイクとスピーカーの距離感で耳へ悲鳴のように響き起こるハウリングを感じさせる。それが視覚されるような現象が起きたのかと。
それならば、人間と言われた刈谷自身のRはどこにいるのかと、春日はその影響で消えてしまったのかと思わせる。
---*---
「じゃあ、管轄はこの世界に2人?」
「そうね……そして、負荷が掛かり過ぎると何かを削除、又は最適化され存在の一貫性を保つ事になるのよ」
---*---
桜の詳しい説明。同じ時期に目覚めを感じたとは思えないほどの情報量。この半年間、刈谷が知らないところで世界の秘密を抱えていたのかと思わせる。
それだけ非現実的なことを聞けば、今の自分自身の存在を更に詳しく尋ねたいことが自然ではないだろうか。しかし刈谷は安堵していた。鈴村の言葉通りであれば、自分の身元が戻り、今までの生活に戻れることで満足していた。
桜の言葉を聞いて刈谷は、昔話のようなオカルト的に伝えられている現象で簡単に例えた。
---*---
「昔から、ドッペルゲンガーを見るとぉ、早死にするっていう理屈な訳ねぇ」
「管轄以外で見えはじめた時には、何かある時よ。用心しなければ」
---*---
桜が知っているなら、鈴村は知っていて当たり前にも感じる。鈴村は言った。不死現象会議に自分が出席していると。幻視ではなく、自分以外の者がはっきり存在している不思議。それがどこかで誰かの前で言葉を発し、何かを説明をしているという、その事実を見比べた者ならば混乱をする出来事。それを簡単に発言した鈴村。知られる事に恐怖はなかったのか。知られても、信じる者がいないと軽んじたことだったのか。監視カメラもあるこの収容所。簡単な改ざんでその証拠もなくなるだろう。証拠そのものであれば、先ほどまで頻繁だったデジャヴュ現象が起きれば一部の記憶だけに留まる。そして、その現象が起きなくなった田村の死。それら全てが鈴村の意思によって操作できるのであれば話は簡単にもなるであろう。
---*---
桜の懸念。その鈴村以外で現れる自己像幻視。それが現れた時、それはどんな脅威が起こる前触れなのだろうか。
「ありましたよねぇ、共感覚見えた事。あの館で。そしてぇ、これで平穏なんですよね。今まで通り、自分の世界でいられるんですよね」
「そうね……そして、さよならよ刈谷」
後ろを向いている刈谷の襟をつかみ、拳銃を後頭部に突き付けた桜。避けられない距離。桜の眼光は見開き、口元は片方だけ吊り上っている。それは目的を達成した表情。その狙いは何か。その先には何が待っているのか。この世界だけでは語りきれない凶行は、別の世界の同じ時間に明かされる真実。この世界のあらすじは、血が舞い散る空間で終わる。
「やっと……殺せた。始まるわ、私の新天地」