【ジャメヴュ】 完全な未視感は大人の揺り籠
18:03
「春日さん! 僕らも辛いんです! ただ、命令なんで」
「は! お前も昔から刈谷さん刈谷さんって言ってただろ!?」
「か、春日さん……つ、辛いです! 半年前から……どうしちゃったんですか!?」
三名の職員に連れていかれる刈谷。警察署より厳重なLIFE YOUR SAFE。精神病棟の一階まで派遣された警察官により発砲の取り調べ、調書が終わり、精神診断されるまで地下二階の収容室へ連行される。
町田にも桜にも見限られたと感じる刈谷。誰の記憶からも消去された刈谷という名前。
仮の名前で呼んでいたつもりの職員達。世話をした職員からの本気の心配。職員からの悪意のない返事は、心を落ち着かせる理由となった。
「はぁ~……大丈夫だ、もう暴れねぇ……俺も頭ん中整理するからょ……メシ、特別に美味いの用意してくれよぉ」
「あ、はい! なるべくマシなご飯用意出来るように言ってみます! 春日さんは頑張ってましたから今はお休みですよ!」
「春日はやめろよぉ……いゃ、なんでもいいゃ」
終わりの感じない問答は、無駄に体力を消耗すると感じた刈谷。今、刈谷にとって必要だと感じた事、それは冷静な判断力。栄養の欠乏、睡眠不足による気分、記憶、集中力。それらを正常にしなければならないと思った。
「それでは、恐縮ですけれど、この収容室に入室お願いします! くれぐれも他の収容者を刺激しないようにお願い致します」
地下二階。横に並ぶ収容室は比較的軽度な症状の者や、自殺未遂者が一定期間とどまり、主に様子を見るための監視階層である。
何度も塗られた白い壁。白い鉄格子。仕切られた洋式のトイレに洗面所、ベッドが常備されている。
「はぁ。まさか俺がここに入るなんてよぉ」
「きっとすぐに出られますよ! じゃあ室内の配給口から両手の手錠を廊下側にお願いします。外からはずしますね!」
「じゃあ、メシはお願いねぇ」
「はい! 失礼致します!」
敬意を込めて刈谷に接するベテランの職員。刈谷と付き合いの浅い、顔を固まらせた新人の職員二名。態度の違いは家族と罪人ほどの視線の違いを刈谷に感じさせた。
春日と認めれば正常であり、自分の存在否定。刈谷と言い張れば異常であり、自分の存在肯定。その極端な選択をしなければならない両刀論法という逃げ場も居場所も維持できないジレンマ。
打破するヒントは、同じ境遇をした者にしかわからなかった。
「はぁ……どっから頭整理しよっかなぁ~」
立ったまま、白い天井を見つめ、突然の拘留により気が抜けた刈谷。すでに時間が無期限にも感じる空虚。考えることが億劫な一人の時間。このまま眠り、起きた時には全てがなかった事にならないか。やはり加藤達哉の館で起きた事は続いていたことを再認識させられ、町田へ語ったことが頭をする抜ける。
収容室は自室に入っていると、他の部屋を見る事ができなかった。全ての部屋は横に並び、直接触れたり、対面して会話することは不可能であった。それでもすぐ隣に拘留されていれば会話はできる距離感である。
「こんにちは」
「あぁ、こんにちはぁ」
隣の収容室より声を掛ける男。それは今朝、崖で妻と心中自殺未遂をした『下村敦』である。挨拶される刈谷は気の抜けた声で簡単に返した。
「職員との会話聞いてました。同じ職員だったんですか?」
「んー、専任してたんょ……あんたはお客様?」
「はい! 今朝留置されました」
落ち着いた口調の下村。自殺の発端は下村からであったため、妻は昼間の間に症状が軽いと思われる地下一階に移された。
「どうして自殺なんてするかねぇ……ま、俺も人のこと言えねえかぁ」
「専任の方が来られるなんて、余程の事でしょうね」
部屋の真ん中で立ったままでいた刈谷は、下村の部屋に近い壁に近づき、壁に背中を滑らせながらゆっくり座り込んだ。
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半年前に一度は自殺を試みた刈谷。死にたくない自殺。生きるための自殺。矛盾がある自分の行動の原因は、全て加藤の話を聞いてしまったことだろうと思っている刈谷。自分に似た理由の人物はいないか、ここはそんな人間が集まりやすい唯一の場所だと感じた刈谷は、簡単な雑談からヒントが得られないかと考え、自分の現状を素直に話した。
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「なんだろねぇ……俺が存在してないのょ……俺の名前がどこにもなぃ。別の人間らしぃ……頭おかしいよなぁ~。違う世界みたいでぇ」
「わかりますよ! 俺もそんな違和感から……この世から消えようと考えましたから」
「ははは! 一緒にされてもねぇ……俺は死にたい訳じゃないのょ」
「俺もですよ! ただ……ここで死んだら、本当の世界に戻れる気がするんですよ! でも死ねないみたいですね」
「死ねない……か」
刈谷は思う。自分と何が違うのだろうかと。本当の世界。加藤も同じようなことを言っていた。自分の本来の世界と。刈谷にとっては、直接聞いた言葉。それなら下村も誰かから聞いたのか。それとも自分でそう学んだのか。その疑問は、ふと思い出した加藤の質問と同じ言葉を発する事となった。
「変な言い方していいかぃ」
「はい! なんですか?」
「何回死んだ?」
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言っていて我ながらおかしな質問をしていると思う刈谷。死んだ記憶がある自体、認めてはいけない現象を認める質問。ただ、刈谷からすれば、半年前から始まった、毎日のようにおこるデジャヴュ。なるべく気にしないようにしていた。たまには感じていた。もしかすると、自分と同じように何度も同じ時間を違う自分が彷徨っている現象が起きているのではないかと。けれど考えるのをやめた。それは普段から、そのことを忘れようとしている桜の振る舞いもあったから。
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人に語れば疑われる神経。何か違う目で見られてしまいそうな恐怖。語らなくても、共感者がいるという暗黙の了解で満足だった。今日までは。
「はは、あなたもおかしな体験されたんですね! 俺はここに留置されるまでは一回ですね! でも一緒にいた妻が死んだ瞬間も世界が戻りました! そして彼女には死んだ記憶がない……どうしてでしょうね」
「あんた、いつから違う世界って感じた?」
「何かおかしいと思ったのは半年くらい前ですね」
「じゃあ……あんたは既に10回くらい死んでるのかもなぁ」
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自然と口からでた刈谷の大まかな回数。その根拠となったのは加藤の経験談。50回くらい死んだと話していた加藤。刈谷と話したのは12回くらいとも言っていた不可思議。刈谷の中で初対面であった加藤から、何度も語り合ったという戯れ言。真に受けられない刈谷。だが今、この拘留状態となって、全てを否定しきれなくなった。
加藤の言葉が本当なら、下村が感じた違和感な世界から、10回は試したのではないかという、加藤の所感に合わせた不確かな根拠。
まるで加藤からバトンを渡されたように、反応を見るように下村の返事を待った。
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「どうしてそう思うんですか? 確かに色んな死に方考えましたが、どれも何故か失敗する気がして」
「いゃぁ、なんとなくねぇ」――はぁ~……なんだょ、加藤の言うことに真実味が出て来たなぁ
「今回は崖からジャンプを試みたんですが、車が墜ちてくるリアルな幻覚が見え、駄目でした」
――幻覚? 「じゃあ、また自殺繰り返すのかぃ?」
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刈谷と違う光景を見てきた下村。刈谷の中で幻覚と考えられる事があるとすれば、自分の肉体が春日となり、別の自分がいた現象。人によって見て感じたものが違う発見。自殺を繰り返してきた者から聞ける類似現象。もし多発している自殺未遂者が、全て同じような所感を受けているのであれば、何か大きな力が働いているように感じた刈谷。
刈谷から質問を続ける話の流れ。その話に食いつく下村は、期待に応えたい性格が強かった。人に話して信じてくれたり、会話が続いた事が半年間なかった。聞いてくれる人が現れて嬉しかった。そして、この流れを止めたくなかった。止めないために、話を具体的にしたいために、刈谷が望まない行動を始める。
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下村は布団のカバーを細く絞り、ベッドを静かに立て、パイプに布で輪をつくる。刈谷から見えない下村の行動。若干、声が遠くなったり、引きずる気配があったり、次に聞こえた言葉の終わりに、刈谷は立ち上がり声を大きくする。
「実はもうこの収容室で昼間に何度か試しました! そうすると、記憶の中では四回死んでます。でも戻っちゃうんですよね……例えばこんな風に」
「おい!! 何してる!? こっちから見えねえ!! 馬鹿な事すんなよ!?」
「すぐ……です……ぐ……ぅ」
「おい!! 守衛ー!!」
刈谷は大声を上げる。そして声に気付いた守衛が駆け付ける足音がする。一瞬、下村の部屋に目をそらしただけだった。もう駆けつけたのかと正面を見ると、先ほど連行してきた職員三名が目の前に現れた。そして刈谷自身、収容室の外に立って、これから入室する瞬間だった。
「じゃあ室内の配給口から両手の手錠を廊下側にお願いします。外からはずしますね」
「は!?」
「春日さん! お願いします! ちゃんとご飯の件は言っておきますから」
18:06 廊下のデジタル時計をちら見した刈谷は配給口より両手を出して、手錠は外される。
「では、失礼致します」
刈谷は職員が見えなくなる事を確認して、時計を再確認した。そして理解したことを伝える。
「わかったょ……確かに死ねない。そして昼間に何度も時間が戻った気になったのは、あんたの仕業だったんだなぁ……仕事に集中できなくて運動してたよ」
「どうですか? わかっていただけました?」
間近で実演されたデジャヴュ。疑いようのない現象。死に躊躇のない下村。言葉に気を付けなければならない猪突猛進な性格。好奇心をあおるのは危険だとも判断できた刈谷。下村は刈谷に見えない隣の部屋で、自分の見えている世界観を共感できた喜びで血色よく声にも張りがあった。
「デジャヴュなんて生易しい現象じゃないなぁ」
「はい! 俺は、何とかしてこの世界を抜け出します!」
「でもよぉ……その先は何が待ってるんだ? 変わんない世界ならこっちの方が都合いいんじゃなぃ?」
「都合が良すぎるんです! この世界は! まるで造られたような」
「造られた、か」
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今まで生きてきた世界。刈谷にとって都合も環境も悪くなかった世界。せめて自分の存在さえ認識されるのであれば、それで良かった。ただ、それは刈谷だけの希望だった。渇望する、存在すらわからない別世界。死を実感できない者にとって、答えを探したかった。知らない世界を知りたかった。その欲求は、死をも乗り越えていた。
それは刈谷にとって、異常な感覚に思えた。死を乗り越えるには、相応な理由が必要だと感じた。ただ世界を追いかけるだけでは、何かを超越したものになるような、逃げにも思えるような、どの世界があっても同じもどかしさの繰り返しになるものではないのかと。
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落ち着いて考えてみたい刈谷。興奮した下村は、何かまだ考えがあるかのように話し始めた。
「専任さんは名前が存在しなくなった! ほかの全ての事は何もなかったように、綺麗に痕跡を残さない! 人の頭の中まで! けれど本人に限ってはつじつまの合わない違和感に襲われる! こんな気持ちの悪い世界は自然と抜け出したくなります!」
「まぁ、気持ちは悪いけどなぁ……気持ち悪い程度で死んでたらキリないぞ?」
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一般論で収めたい刈谷。軽はずみな行動はさせたくなかった。深い理由がないのなら、一旦落ち着いて、もっと情報を集めたいと。この階には二人しかいない。軽度な症状と思われれば、地下一階に上げられ、もっと情報を集められると。
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熱が上がらない刈谷に、下村は自分の理由を話し出した。
「俺が心中しようとした女性……妻は……俺の認識では娘です」
「そ……そうか」
「娘に夜の営みを求められる気分わかりますか? 俺の中ではまだ小さい、愛してやまない大事な存在……その娘の名前と成長した顔で! 俺の妻という存在となっている! そして、本来の妻の存在がない……子供もいない。悪い夢を見てるようです!」
自分の小さな会社を倒産させた下村、借金に追われる理由をつくり、娘と認識する妻に、どんな世界でも愛しているという気持ちを何度も伝え、自殺願望を語り、心中の道を選択させた。
「目を覚まさなければ!」
後に引けなくなった下村。理由を聞いてしまった刈谷。目標の再認識をした者を、無下に止めることはできなかった。せめて心にたまったものを吐き出させたかった。下村の考えを聞いて、同調して、慎重さを吹き込みたい。
刈谷は下村の考えを尋ねるしかなかった。
「理由はわかった……方法はあるのかぃ?」
「はい、今あなたの存在含めて考えた限り……二人で死を繰り返すんです!」
「死を繰り返す?」
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下村の話を聞き始めて後悔する刈谷。下村を止める事ができない空間。この階を仕切る守衛の距離はコの字に二度曲がる距離。奥から詰められた二人。問題が起きれば、即断で地下三階に連行される恐れ。地上が遠くなることは避けたい刈谷。
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下村は、簡単には出来ない事を簡単に話し出す。
「はい! 俺が死ぬと少し前の世界に戻ります。そして今の状況になる前に専任さんが死にます。繰り返す事によって少しずつ過去に戻ります! 二人の方が早いです!」
「おいおぃ……そんなにタイミングよく死ねるか?」
「常に持っているもので死ななければなりません! 専任さんは拳銃を手に取るまで戻れば楽でしょう」
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焦る刈谷。何も結果が見えない計画に青ざめる。すでに昼間に三回も自殺を図った下村。それでも見えなかった成果。連行される前まで戻るつもりかと、娘という認識の妻も利用して死を繰り返すのかと。何か間違っていると感じる刈谷は勢いを収めるのに必死になってきた。
---*---
「で、でもよ! それでどこに行けるんだ? 戻るだけじゃ!」
「どこかにヒントがあるはずです! やってみましょう!」
すでに準備を始めている下村。同じようにシーツを細く丸め、ベッドを立て始める。先ほども聞いたその狂気の音に、刈谷は自分が断ることで今はやめてくれると思った。
一時間戻るのに、何度自害するのかと、朝まで戻る時まで心がもつのかと、当たり前の事を下村と語りたかった。
「悪いがぁ……パスしておくよ。目的なく死ぬなんて」
「あ゛! あ゛ががが……ぅ……ぅ」
「ば! ばかやろう! 始めたのか!?」
18:06
「じゃあ室内の配給口から両手の手錠を廊下側にお願いします。外からはずしますね」
――戻った……あ!
「ぐ……ぐぅぅう……がぁ」
再び時間が戻る。その時刈谷が気になる事は、隣の男。刈谷が下村のうめき声に気づいたと同時に、職員が隣の男の行動に気づく。
「おい! お前何してる! 開錠だ!」
――また変わる
18:03
「か、春日さん! 辛いです! どうしちゃったんですか!?」
17:56
――どこまでいけるんだ?
「おい! 取り調べは以上だ! お前……心身喪失してんなあ! とりあえず地下で頭冷やしてこいよ! カ・リ・ヤ・さん!」
刈谷は収容所の一階での警察官からの取り調べ最中までさかのぼり、同じ言葉を浴びる。警察官からのすでに聞いた皮肉にも反応せず、次の変化までの心構えをする。だがその時間は、緩やかに、変化なく流れる。
――ここまで……か? あいつ……どうしてる
同じように、職員三名に連行される刈谷。途中何度も鉄格子のドアを開錠され、収容される地下二階まで下り、守衛に階層のドアを開錠される。
「か、春日さん!」
「辛いんだろぉ!? お前の気持ちはよくわかったょ! だからメシだけ奮発してくれ! 俺は今まで頑張ったからきっと今はお休みなんだょ!」
「え!? あ、はい! マシなご飯になるように言っておきます!」
既に聞いた職員の言葉が先読み出来る刈谷は、自分から次に出る言葉を発する。たじろぐ職員を尻目に、自分の入室する収容室の前で立ち止まる。
「ちょっ、ちょっと悪い……あの俺が入る予定の収容室の隣……一言聞きたい事があるんだ。不死現象のヒントが聞けるかもしれない!」
「と、特別ですよ……新人職員さん、ご内密にお願いします」
「はい!」
「あ、はい!」
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職員監視しながら了解のもと、下村の様子をうかがう刈谷。間をつくらず自害を続けた下村。興奮した勢いに限界がきたのか、途絶えたデジャヴュ。何か理由があったのか、都合が悪い事があったのか、入室してから会話を交わす前に、下村の精神状態を目で判断したかった。
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興奮して自殺を開始するまでの話口調は割と落ち着いていた下村。期待したのは、結果を話したがる姿。部屋を覗きながら声を掛ける刈谷。
その姿は四つん這いになってうつむいた後姿の下村。最初に気づいたのは音。一人の室内から聞こえるには、怪しく、考えも届かず、その行為を尋ねていい事か悩む音。その行為は、床をさすったり、引っ掻いたり、いつから始まり、いつまで続けるのか、理性が薄い印象があった。
「おい! どうだった? 俺は隣に入ってた専任だょ」
「はぁ?? どなた……ですかぁ?? ヒャハハハハハァ! 白……白? 白ってなんだあ?? 冷たい、冷たい、この鉄。鉄? 冷たい……ハハハハハー!」
「おい!!!? お前大丈夫か!? 職員! こいつやばいぞ! 医務室へ!」
「え!! あ! は、はい! わかりました! 春日さんはひとまず収容室にお願い致します! 守衛!! 担架だ!」
先程までの口調の面影が感じられない下村。刈谷の存在を忘れ、物や質感の認識が弱まり、記憶のどこかにありながら、はっきりと言葉に出せなく、自我が崩壊した様子。
声が響く地下、守衛室に備え付けてある担架を持ち、駆けつける足音。刈谷は手錠を外され、収容室に自ら入る。
慎重に、うずくまる下村を囲む職員。暴れる危険性を考えたが、意外と素直に、職員の誘導に従う下村。無邪気ともとれる、緊張もなく、好きに表現をしたい表情を浮かべながら、棒と布だけの担架で職員に運ばれる表情は、揺り籠に揺らされた、心地よさそうな笑みだった。




