【クロニック・デジャヴュ】 慢性的な既視感は真実からの逃亡
「新天地……はは、あっはっはー! 面白いよ! 加藤さん! あっははー! なぁ教えてくれよ! どうやったぁ? ハハハ! 俺の携帯を!」
「君 に貰ったんだよ……ハァ……刈谷 くん……どうやら……ハァ……ハァ……意識が芽生えたのは 初めて らしい な……ハァ……だから 疑い深い。 だが いいだろう。 すぐに……ハァ……わかるさ」
「もう……わかった! とりあえず座ってくれょ! まともに聞いた俺も悪かった悪かった! とりあえず保護させてもらうから応援呼ぶよ! あと……他にもいるだろ? この館に、歩ける人間が! が!! が……が!!!? が……あぁ……ぁ」
地下室に響く銃声。刈谷は背後から撃たれる。
引き戸を閉めずに地下室へ入った刈谷。大声を立てた油断にあった、悟られない気配。慣れた忍び足。その人物は三階に気配を感じさせた人物なのか。
外にいる桜は気づかなかったのか。
刈谷の頭に浮かぶものは『三階』『誰』『チーフ』『加藤ではない』『聞きなれない銃声』『誰』『だれ』『ダレ』。
「ぁ……あぁ! あ……誰……だ!! ぐぁ!!」
振り向こうと力むとき、踏みつけられる感触。力強い圧力。桜とは想像できない大きさな靴のイメージ。地下室の冷たい床。聞こえたのは、目の前にいる加藤の言葉。
「『運命を保有』した 者が 自分の……ハァ……本来の世界に 戻る だけだょ」
――くぅ
加藤に見えている人物は誰か。
意識が薄れる刈谷。左手の甲に額を向けながら見えたのは、社用の時計が 12:28 になっていた。
――は!? どこだ!? こ、ここは……さっき見た……三階の部屋!?
意識がなくなったと同時に意識が回復した瞬間の出来事に辺りを見回す刈谷。ここは地下ではなく、桜と眺めた共感覚を最初に意識できた同じ建物の三階だと理解する。
――またか!? くそっ! 時間は……12:05!? 外は! く! 妙に頭が痛い! 殴られたような痛みだ! けれど、俺は撃たれたはずだったのに
刈谷は慌ててカーテンを少しめくり窓から外を眺める。そこから見える光景は、まるで刈谷自身が体験した光景。もしかすると、10分も経過すれば春日が現れる光景かとも。その時、それは正に今、刈谷の姿に向かって口を開く桜の言葉に、今の自分の立場に、刈谷は困惑する。
「おい! お前今日から専任の春日だな!! 仕事ナメるんじゃないわよ!!」
――俺! 俺がいる! 春日と言われてる俺。これは……さっきと同じ状況か!?
桜に叱咤されている自分。それを眺める自分。つじつまの合わない自分の立場に夢だと信じたい心境。加藤の言葉に影響を受けた夢だと。
その後の自分の行動はわかっていた。着替えるために鉄柵に近づく自分。そしてこの窓を見ることも。
――チーフは車で着替える……ん? 俺は鉄柵に近づかない!! 俺を見ようとしない。さっきと違う!
着替える場所が違う自分。三階を見ない自分。違う光景。
記憶は確かにある。桜が館に踏み込む前の慣行的な教訓と覚悟。なぜかそれを言わない桜。
自分の姿が春日と言われたジレンマの中、加藤の消息を案じて踏み込んだ結果。その結果が今の自分かと。
なにを信じて、なにを疑えばよいか。目をつむれば、暗闇の手さぐり。深く考える前に刈谷は、近い未来を想像していた。
――おぃおぃ。自分に出会ったらどうなるんだよ
この世界はなにか。過去か。どう逃げるか。さっきまで誰もいなかった部屋。脱出するべきか。形跡を残さずに。そして一つの考えが思い出される。
――お、俺は今……死ぬことが出来るのか!? 「フ……」
馬鹿馬鹿しい発想だと、考えたそばから鼻で笑ってしまう刈谷。
死ねない世界を認める行為。加藤の言葉の信憑性。今から自分自身と目の前で語るかもしれない複雑性。
――はは! ハハハ……この世界に俺は二人、いらねえ……よ。自分に尋問されちまう。死んだら死んだで……俺が存在するなら、それでいい……もし、死ねないなら
刈谷は外にいる自分が館の中に入った事を確認すると、窓の真下を眺める。そこには館を囲む門の囲い。先端は槍のように尖っていた。
「ハァ! ハァ! ハァ! この世界を……自分で理解……しろって……事……かぁ!? 加藤さんよ!! ハァ! ハァ!」
刈谷は両手で窓を開き、窓際に足を掛ける。鉄柵の槍を眺めると、身の毛がよだつリアリティ。
そして、突然景色が再び共感覚となる意味不明な現象。まるでもう一人の自分との距離が近づいたからかと連想づけさせてくれるように。
全てを理解をしたい。今の自分のおかれた状況。理解するには、自分から飛び込む勇気と狂気。
――は! またか! だがそんなのもう関係ねえ!「ハァ! ハァ!」――馬鹿らしい! 我ながら!「ハアアアァ!!!!」
足に力を込め、すくむ前に、怖気づく前に飛び降りる刈谷。
目を閉じたその一瞬は、とてつもなく長い時間に感じた走馬灯と呼ばれるものかと。これほどまでに長く感じるものかと。あまりにも長い滞空時間に感じるその空間は、まるで宙に浮いてる非現実感。
沢山考えた。今日の出来事。危険な仕事だと、わかっていたこと。覚悟の瞬間はこういうものだと。
目を開けたい。けれど何を見てしまうかと、また違う景色をみてしまうかと。
その恐怖は長く感じる時間と共に、ある違和感から目を開ける勇気と変わった。そして、目を開けた瞬間、やはり変わらない結果。予想通りの場所。そこは刈谷にとって、結果がはっきりとわかる理想とした場所だった。体を貫く衝撃と共に。
「あがぁ……はがぁ……あが……な、なんだょ……普通じゃないかよ……何も変わんない……俺の体」――あ……もう駄目だ……意識が……薄れる……俺の人生
うつぶせに垂れ下がる体、そして両腕。その伸びた腕は肘から手のひらまで、自然と視界に入った。
――12:17 か……もぅ……どうでもいいや……ん、俺……どうして指輪を……エンゲージリング? ちょっ、ちょっと待て……この手……毛の生え方……あ、頭は……髪型
刈谷は震える手で触る自分の体の特徴に違和感を持つ。そして結論が出る。
――春日!? 俺の……この体は春日か!? どう……して
その刹那。
誰の仕業なのか。故意か過失か。館は爆発する。
飛び散る木片に激しい黒煙。その勢いは、刈谷と春日が吹き飛ばされた瞬間を蘇らせる。その爆発と同時に刈谷の意識は飛ぶ。
暗闇と表現してよいものか。暗闇を意識できる自体が不可思議なことではないのか。再び刈谷は、光を感じる。
――え……え!? 俺……生きて……いるのか?
あお向けに目を開いた刈谷は、ゆっくり起き上がる。そして辺りを見ると、館はほとんど原形がない。
爆発の結果を見る事が出来た刈谷。まるで今までが夢のように。
体の支障がないか手さぐりをしながら、自分が自分の体であることを確認しながら、建物の残骸に加藤の安否を気にしながらも、車の横で、倒れている桜と、鉄柵に串刺された春日の姿が見える。
――か、春日……なんで……俺があそこに、墜ちた……はず。意識が……入れ代わった!? チーフは!!
刈谷は気絶している桜に駆け寄る。頭に血のにじむ負傷はあるが、指先が自然と動く反応に、今一番の理解者であろう桜を揺さぶる。
「チーフ! チーフ!! 大丈夫ですか!?」
「ん、お前……か……もう一人は」
「良かった! 頭以外の怪我はないですね。春日は……残念です」
「か、春……日?」
桜は起き上がる。そして串刺しになった者を見た瞬間、名前を叫ぶ。
「か、か……刈谷ー!!!!」
「はぁ?? 刈谷?」
抱き抱えられた刈谷の手を払いのけた桜は走り出す。その凄惨な春日の姿に激しい慟哭、手首を握りながら、頭部を強く抱える。まるで今まで背中を預けた戦友のように。自分が原因で、その結果の惨劇かと思わせるほどに取り乱し、その者を刈谷と叫ぶ。
「刈谷!! なんてことに!! おい春日!! 刈谷の体をここから抜く! 手伝えー!!」
刈谷の困惑。春日の悲惨な姿はつい先ほどの自分。自分が飛び込んだ場所。自分がこの不可思議な理解の及ばない空間を打破しようとした結果。わが身におきる出来事であった刈谷の体が春日の体となり、本来の春日に戻った結果。腹部を貫通させた悲劇の不幸とは素直に感じられない罪悪感も混じりながらも、自分の存在を証明したかった。
「ちょっ! あの! 彼は残念ですけどぉ! 刈谷は俺です!!」
桜は刈谷に顔を向け睨みながら近寄る。その手は力強く握られている。
「ぐぁ!! チ、チーフ」
桜は刈谷の顔を殴る。殴りたくなる気持ちもわかる。普通なら。目の前の悲劇の主の名前を、空気を読まずに自分の名前だと言い張るなら。
刈谷から見れば、悲劇の主が自分以外の名前であるなら、嘆くであろう。
殴る気配を感じていた刈谷もまた、桜の行動を見極めるために、甘んじてその拳を受ける。
「おい!! ふざけた事言ってんじゃねえぞ!! 早くしろ!」
「くそ! どうなってやがる! チーフ! おかしくなっちゃったんすか!?」
「手伝わないなら帰れ! 状況を読め!! 無能野郎!!」
言葉を失う刈谷。これだけ堂々と、慣れ親しんだ上司が、叫び、悲しまれ、自分の名前を本気で尊び、侮辱に聞こえる刈谷の言葉に怒り、罵倒される。
頭がおかしくなったのは、自分が刈谷だと言い張る、自分自身なのかと。
刈谷は桜の形相に押され、春日の体を二人で持ち上げて門の囲いから、持ち上げながら抜く。そして丁寧に地面に置くと、桜は、顔色だけなら息を吹き返す事を期待したくなる春日の顔を、叩きながら声を掛ける。
「おい! 刈谷! おい! あ゛あ゛あ゛ー!!」
うなだれる桜に、刈谷は声を掛ける。丁寧に、声を張らず、わかりやすく、また殴られる覚悟で。
刈谷にとっては、今しっかり自分の存在を確認しないと、自分でいられなくなる気がした。
覚めたい夢が悪くなるばかり、三回死に、三度も時間をさかのぼった結果、失った名前。失った部下。
もし、また自分が死んだら、どうなるものかと。変わるものかと。
「チーフ……俺……何がなんだか……俺は……春日じゃ……ない」
桜は嘆く言葉を止め、少しずつ顔を上げ、執拗に訴える刈谷に向かい疑念を尋ねる。
「おい! その根拠はなんだ! お前が・カ・リ・ヤ・と言う根拠は!」
「それは! 支所に帰ればわかりますしぃ! 全ての報告書のデータとかで証明出来ますよ!」
自分への疑念を晴らす為にも、刈谷は桜の目を真っ直ぐ見つめ訴える。そして少しでも耳を傾けた桜へ自分の本気を伝えられたことで、自分の存在証明を確認できると思い、多少の安堵感が湧き上がる。
「じゃあ確認してやる! おかしな事を言っている奴と仕事は出来ないわ! ここで待ってろ!」
桜は携帯電話を出し操作しながら車に向かう。その行動に刈谷は安堵の気持ちから、また不安が襲った。万が一確認されても刈谷と言われなかった場合。また時間をさかのぼらなければならないかと。けれどそれなら、どちらにしても確認したほうがいいと。そして自分の存在の裏付けがあるのかと。
――あの地下室はどうなってる
刈谷はまだ煙の立ち込める館に近付き、階段付近を眺める。
階段は上階から崩れており、積み重なる瓦礫に加藤の安否が気になった。
――駄目か! 瓦礫をどけないと確認出来ない! 生きてろよ加藤!
瓦礫をひとつひとつ退ける刈谷を眺める桜。右手に持つハンカチで傷口を抑えながら電話を続ける。刈谷に聞こえない程度の声。それはなぜか桜自身がとまどっているような神妙な顔つきで。
刈谷にとって慢性的に何度も同じ体験を味わうデジャヴュ。その度に何かがおかしくなる存在認識。この狂った歯車は、何が問題だったのか。なぜ撃たれたのか。誰に頭を殴られたのか。加藤の言葉を真に受けていいのか。誰かに語っていいものか。忘れた方がいいのか。
刈谷は全ての秘密を握っているであろう加藤に尋ねたかった。もしも、桜の確認から、最悪な結果を聞かされて、自分が壊れないためにも。
「ハァッ! ハァッ! くそ! 加藤達哉! まだ生きてるよな! ハァッ! ハァッ!」
刈谷はひとつひとつ、瓦礫が減るたびに自分の存在に近づくかのように、目に映る形が定まらない瓦礫を投げていく。誰がいるのか。本当にいるのか。
刈谷の必死な後姿に近づく桜。電話を終え、声を掛ける。
「おい。……確認が取れた……お前は確かに書類上は……『刈谷』だ! だけど! 私の今までの記憶は違う……お前、このことは誰にも言うな! いや……言わないで欲しい……私は……このままだと、心身喪失者扱いだ。仕事を失う訳にはいかない。殴った事は謝る。思い出すまで普通に接してくれないか? 刈谷」
刈谷に目を直視しない桜。本気で自分の記憶が違うものだったという自分への恥と自分への疑い。
刈谷から見れば、直前までの自分の状態。
殴られたことや、疑われたことの罵声より、刈谷は自分の存在が戻ったことにほとんどの悩みが消え失せ、桜に対する同情心が沸き立った。
刈谷が味わった、体験したことを細かく説明する気にはなれなかった。それを桜に説明すると、自分のように自殺しかねないと。万が一桜が自殺し、結果、何も起こらなかった場合、自分を許せなくなると。
「あ、いやぁ……もう大丈夫ですよぉ! 気にしないで下さぃ。それと、内密……了解しましたぁ! きっと頭を打ったせいで一時的なものだと思いますねぇ」
この程度に軽い気持ちでいようと判断した刈谷。自分が体験したような出来事が桜の周りでおきないか見ていこうと思った。そして、それを説明できる加藤を見つけたかった。
「すまない……そして刈谷、お前が無事で良かった」
刈谷は桜の謝罪と内密を快諾すると、桜を救う手がかりに近づくため、瓦礫の撤去を進める。
「刈谷! 何を捜しているの?」
「はぃ! この階段の地下室に加藤達哉がいるんですよぉ! まだ生きているかも知れません!」
「二人の効率は日が暮れるわ! 今おそらく応援が来ているが、更に職員増員の要請出す! その方が早い」
「そうですねぇ……解りました!」
瓦礫の量を見て諦めのついた刈谷は、桜の指示の元、職員の到着を待つ。
そしてここまでの回想の詳細を町田に伝えた。
◆◆◆
「所長ぉ! チーフは問題なくこなしてますよぉ! どうか今回の謹慎以外の処分は考えないで欲しいんですがぁ」
桜を庇いたい刈谷。半年前の出来事は、自分を失い、自分を殺し、苦しんだ。一歩間違えれば、今の桜は、精神を疑われている自分の姿。もう少し、桜を監視する時間が欲しい。もう少し、希望を持ってほしい。そして、普段自分が体験している『時間が少し戻る』と感じる不可思議なデジャヴュ現象と、支所内で起きた事件でのZONE現象。
桜への考慮と引き換えに、全てを町田に話したかった。
「そうか……とりあえずわかった……ただこのままって訳にはいかないな」
「どうする気ですかぁ? チーフは仕事に支障なくてぇ、忘れてるのはぁ、俺の事だけですよぉ? それに……おかしいですよぉ……さっきも言った春日の事。職員に思い出話してもぉ……不思議な顔されるんすよ……ん? 何か今、大事な事が思い出せたような……そうそう! あんな盛大な葬式まで支所全体でやったのにぃ」
「葬式……はぁ?……あぁ、桜は問題ない! 良くやってる! 感心する!」
「じゃ、じゃあ! チーフはおとがめなしですね!」
町田は落胆混じりな溜息をつき、おもむろにスーツの内側から何か取り出そうとする。
半年前の全てを聞いた町田。本気で刈谷が話しているのも理解した。刈谷の言いぶんも理解した。けれどこのままにはしておけなかった。このままの精神状態では放置できなかった。
半年間、変わらない症状に、所内でも限界がきていた。職員からも不安の声が上がった。とても見てはいられないと。
所長として、町田は、苦渋の決断のように語りだす。
「そしてお前の身体能力の高さと判断力……勿体ない……残念だ……春日!」
「は?」
町田は刈谷に向かって『春日』と口に出した瞬間、刈谷の手首に手錠を掛けた。