セレンディピティ 前編
あなたは第六感が欲しいですか?
特殊能力の導く先は 幸運になるはずだった惨劇路
幸福への道を発見する最中
偶然な出来事を知識や経験から感覚により閃き
更なる幸福とする
偶然を察する力
偶察力
偶然の幸運「Luck」な現象ではない
きっと誰もが自分の幸福のために常に道の選択をする
その選択の幸運はただのLuckと思うか
それとも自分で導き出した自負(能力)か
そんな能力を特殊な形で突然持ち合わせた時
オカルトなミステリーが始まる
――戦争、和平、平穏。 誰かが志と信じて、誰かが勝手に怒って、誰かが妥協を見計らって、相手との共存を選ぶ。 それなら最初から共存を選べばいい。 言ってもわからない人が多すぎるから、我儘を突き通したいから、強行する。 少ない犠牲の上に、大勢の平和があると言いながら、お互いが脅威になる武器を奪い合う……そんな事を授業で言ってたかな。 けれど僕には関係ない。 いや、正直に言えばわからない。 特に秀でた能力もない。目立つ事もない。まず、関わる事がない。この物騒なニュースの裏にある、見えない事情なんて、知らなくていい。 普通の平凡な毎日を、誰かに見られてる訳でもないから。新しい朝。変わらない朝。寒い……雨、降ってたんだ……大学休みたい。
いつもと同じ時間に眺める朝のニュース。窓からかざす手には雨を感じない。 部屋の外からドアノブの冷たさに季節を感じ、濡れたサドルを手の甲で拭い、アパートから自転車をこぎ、大学に通う途中の山間。 時折目に映る白い息。それでも目覚めに風を感じられる、お気に入りの長い下り坂。 いつもと同じ速度で軽快にくだる「水谷遼ミズタニリョウ」。 昨夜の雨で路面はまだ濡れていた。
『いってぇ~』
右肩を軽く打ち、大事に至ってないか確認しながら起き上がる。 無意識に振り返ると見慣れない風景。
――あれ? こんな横道あったかな?
帰りは登りになることで、この坂を避けていた。 逆の方向から眺めたことはほとんどなかった。
――きっと気付かなかったんだな
頭をかきながら横道を眺めると、目立たない看板。木彫りでお店らしき屋号。
「偶明堂 ~未来に繋がる先人の書物~」。
――古本屋か? まだ大学の授業まで充分時間あるな……どうせ学食でサークル仲間と雑談する予定だったし。
身近なところで知らない店を見付けたことで湧く興味。 横道を進む。
周りは森林に囲まれた三階建ての大きな建物。遼の町に似つかわしくないまだ新しいその館は、本屋と言うよりもどこかの富豪邸。建物の前に手を後ろにくんで凜と立ち、少し笑みを浮かべた、館に似つかわしくも感じる「老人」が見える。
『あっ こんにちわぁ……ここは……あの……本屋? ですか?』
自分の言葉に自信なく尋ねる。期待する接客。答えの代わりに返る言葉。「転ばなければ」聞けない言葉。
『待ってましたよ』
待っていた。明らかに知っている、遼の存在。必然性を匂わせる、一方通行な面識。
『えっ……僕初めてですよ』
自然に戸惑う言葉に、用意された笑み。
『そうじゃな……でも君がくるじゃろうと思っておったよ』
自信ありげに言う老人。理由を聞かないと進まない会話。
『どういうことですか? 僕を知ってるんですか?』
可能性。小さな町。どんな時に、不確実な約束をしたか。
『初めて会話するが、君がうちを見付けると思っておった』
確証ない言葉。無数に浮かぶ、否定な言葉。
『そんなぁ……ハハ、僕は自転車で転んでここを見つけたんですよ? 僕も知らない出来事ですよ』
正直な言葉に、嘘を臭わす違和感なら、背を向ける理由。
『そうじゃな……君があの坂をほぼ毎日、自転車で気持ち良く下る姿はよくみとった。年寄りの戯れ事だと思って聞いてもらえればよい』
戯れ事。聞き流してもいい。聞かなければ、忘れる会話。理由がないのは、聞かない理由。
『いつもスピード出してそこのマンホールの上を必ず通ったじゃろ。そのうち転ぶと思っとった。今日はもしかして見れるかと。雨は偶然じゃが、今日転ぶのは わしの読みじゃな。転ばずにこの場所を見つける理由も中々見当たらんもんでなぁ。小さい子供のいる母親は自分の子供の行動先読みして、危険がないように考 えるじゃろ? ハッハッハッ』
難しい解釈。疑いたくなる神経。まだ返す言葉は浮かばない。
――なんだか僕が転ぶのを願ったようだな……。
願われた転倒。願われた出会い。
『わしは君を待っとった。わしにとっての幸運の始まりじゃ』
おかしな事を言う老人。けれどその真意も気になる。いつでも振り返って去る事も出来る間合い。遼は生唾を飲み込み、耳を傾ける。
『どうぞ』
館のすぐ前には丸いテーブル。読書を外で楽しめる為か、自然を愉しめる空間。テーブルにはお茶の用意。湯気の上がるポット。痛めて冷えた身体に、温かさは自然な欲求。
『あっ……じゃあ、いただきます』
軽く会釈し、不安が多少ありながらも、席に座った。老人は立ったまま話し出す。
『君は運命とは何だと思う?』
老人の長話か、繋ぐ言葉に深さはない。
『あ~運命の出会いとか偶然とかですか?』
老人は軟らかい笑み。レモンティーは口に合う。
『偶然は一つの閃きで自分のものに出来るけれど、普通は気付かず、結果的に運命と言う人は沢山いるんじゃ』
『はぁ……』
唐突な結論に言葉が出ない。普段の軽い会話なら、会話を避けられる深さ。
『運とは結果のかたより。そのかたよりを自分で掴んだ時、運命は自分に転がる』
『はぁ……』
零す相槌には、白さの増す吐息。考え方が複雑。疲れてくる解釈。永い人生の結論。永い人生をこれから見る者。軽く返したい。その場しのぎが調度いい。理解しているつもりで。
『つまり運命って自分でつくるっていう……精神論ですか?』
『偶然で思いがけず幸運が訪れると人は「LUCKY」と言う。君にはこれから「LUCK」ではなく「セレンディピティ」が始まるであろう』
真面目過ぎる講釈。聞き慣れない言葉。決め付ける言葉は、自然な拒否反応。
『あの……何かの宗教とかの勧誘ですか? そういうのはちょっと』
テーブルに寄る老人。歪む表情は、叱られる覚悟。次の瞬間は、体調の気遣い。軽くよろける体。間に合わない心配な言葉。先に言われた意味深。
『もぅ……君に譲った』
立ち去りたい。会話が合わない。素っ気なさは、願う無関心。
『あの、もぅ意味がわからないんで……もぅいいですか?』
尋ねたい。角も立たない立ち去る許可を。理解出来ない。その意味も。
『わしはもう「能力」のないただのじじいじゃわぃ! ハッハッハ……一階は古本屋として利用していたがの、ほとんど客もこんからもぅ閉めようと考えとったわぃ』
老人はゆっくり振り返る。老人の深い息は、罪悪感を感じる。来ては行けなかったのか。話し相手に相応しくなかったのか。館に向かった老人の背中。再会の予感はしなかった。腑に落ちない気分。引きずりながらも公道へ。遼の背中から、静かに聴こえる声。
『ありがとう』
ごちそうになったレモンティー。軽い会釈が精一杯。明日から気になるのは、看板の無くなる日。
駅に到着した遼。いつもの場所に自転車を停めようとする。不特定多数並ぶ自転車。いつもの場所が、乱雑に置かれた他の自転車。少し機嫌が悪そうに、乱暴に自転車の間へ突っ込むように自分の自転車を置く。その機嫌の悪さは他の自転車でも、本屋の老人が理由でもなかった。
――あの危ない運転の高級車……あんな運転するなら自転車乗ればいい。
駅に着く前の小さな憤り。ありそうな出来事。遼の進行を妨げた荒い運転がいた。いつもと違う事が重なったからか、駅のホームで電車を待ちながら愚痴る。そしてふと感じる。それは、ざわつく心はストレスからの緊張か、体調の変化は、メンタルの弱さからか。
『なんだか吐き気がするなぁ……え? あぁ、達哉か』
真後ろから遼を呼ぶ声。
『ふぅ、ふぅ、遼! ふぅ……ふぅ……同じ時間珍しいな!』
いつから後ろにいたのか。同じサークルの「広金達哉ヒロカネタツヤ」。荷物が多いせいか、地面についていた膝を、荷物を持ち上げると同時に立てる。
『遼……』
『ん?』
『いや……いやぁ! 俺もぅ単位やばいんだよなあ!』
『あはは俺も! まぁまた来年同じ授業受けようよ』
『え~……やだょ代返する奴もういなくなるよ』
『あ~リアルにそれ辛いなぁ』
同じサークルに、同じ授業を受けている二人。取り留めのない会話。いつもの雑談。遼は下を見ると、達哉の靴紐が解けているのに気付く。いつもなら、細か い気配りや清潔感も感じる達哉には似合わない。本人も気付かない些細な事。所属するサークルの荷物をしっかり抱える達哉には、足元は見えない。
『だらしないなぁ~、紐どうにかしたら?』
『おぉ! 悪い! 手いっぱいで』
『しょうがないなぁ』
遼は少し気分悪い事もあり、妙にうつむきたかったついで、達哉の靴紐を直そうとしゃがむ。
【黄色い線の内側にお下がり下さい】
黄色い線の上。靴紐を直している遼のすぐ横には、スキー板を持った男女が愉しそうに雑談している。電車の気配。オーバーな手振りで弾む会話にスキー板は 意識の外。手振りの拍子に浮き上がるスキー板。簡単な電車との接触。焦り抱え持つ者を中心に回したスキー板の反動。遼の頭上の先にある、達哉の顔に直撃する。
『ぎゃっ!』
こらえる達哉。靴紐を持っている遼。バランスを崩す達哉。遼が見上げた時には、達哉の顔は電車に接触。反転する顔。気付きはじめる周囲。最初の悲鳴は、 反転した顔の達哉と、目を合わせた刹那の者。その力が抜けた体は、電車へ再度巻き込まれるように、触れて、はじかれて、無気力に飛ばされる達哉。既に真後 ろへ倒れている遼は、達哉を見失っている。遼の後ろから聴こえる、高い悲鳴、低い慟哭。一番理解していないのは、一番身近な友人。叫び声は続く。
初めての実況見聞に警察署での調書。その後は学校へは行かず自宅に向かった。
『なんでこんな事に……達哉……』
大学のサークルへ連絡することも忘れ、全てがいつもと違う今日の出来事を振り返る。
『あのおじいさんに逢ってなきゃこんなことには』
八つ当たりに似た感情。戻ることのない友人の出来事。今朝の会話のどこかに恨む原因の一つでもないかと、遼は自分に対して伝えてきた言葉を思い出してみた。
『運命とかなんとか……どんな運だよ! LUCKY? どこにあるんだよ! くそっ…なんだっけ? LUCKじゃなく? 君にはセレ、セレン? もう一度会ってあのセレ……なんとかってなんなのか聞いてみたいな……』
何かに納得したい。紛らわしたい。これから遼に起きると言った言葉の意味。いつもの帰宅路を変え、通学に使う坂に向かった。
急な上り坂になるため普段は使わない帰宅路。天候の変わりやすい今日。自転車を押して登る。乾いた路面は想像よりも進み易い。
『え?』
自転車を乱暴に置き、横道に走った。
『看板がなくなってる』
木彫りの看板がなくなった事に驚き、奥へと走った。数人の体格のよい「男」が見える。
『すいません! ここの本屋のおじいさんは?』
男は答える。
『あの方はもうここには来ない。帰りなさい』
『あの、失礼ですけど身内の方ですか? あの方って?』
『ここでの用が終わったようなので引き払いです』
聞く耳を感じさせず突き放す口調の男。二階でベランダの物を中に入れる男。関係性を尋ねるよりも、老人の所在が気になる遼。
『あの! 僕、今朝会ったばかりでおかしな話を聞いたんで尋ねたかったんです! 運命とかの話で……』
変わる男の顔つき。
『君が……なんとも運命的なことだ。いやあの方が君に近づいた結果か』
何か理由があって出会った。それは核心。知っていれば違う一日。それは、いつもと同じ一日。
『詳しく教えて下さい』
男は軽くため息をついて答えた。
『話して理解することでもない。そして自分が弱い人間と思うなら……極力人に近付かない事だ』
更に気になる遼。しつこく聞いて教えてくれる男にも見えない。遼は語りたい。今日の出来事。聞けば反応するであろう。遼にとって放ってはおけない出来事。重要な出来事に、重要な返事を期待する。
『おじいさんに会ったあと、僕の友達が今日……目の前で死んだんです!』
『そうか、気の毒なことだ……もしかして君が死ぬところだったんじゃないのか?』
遼は愕然とした。あの時しゃがんでなければ、靴紐を手で持ってなければと。
『あのおじいさんが僕と関係があるんですね! 教えてくだ……ぅ』
突然の吐き気。刹那の遼は、なんとなく、というよりも、自然と右側に体をねじりたくなった。動かなければ直撃は免れなかったであろう瞬間。左側には三階 建ての本屋。別の男の過失か、二階にある大きな植木鉢に当たり、落ちてきた。植木鉢の植木側が目の前の男に当たるところだったが、素早い反応で右腕で防いでいた。
『大丈夫ですか?』
『あぁ……けれど君はもう帰った方がいいな』
電車の事故と比べれば大したことのない出来事。だが遼がいることが良くない事に聞こえる。どうかなったのかと不安にかられた遼は呟く。
『僕は……どうすればいいんですか』
助言が欲しい。何かがおかしい。弱い人間であると認める。言葉を求めたい人間は、自然と無意味に自分の顔を触る。
『君にとっての問題ではない。まわりの人間と今は近づきすぎないように、距離をおくといい』
なぜ隠すのかと、遼が感じるのは相当な情報量。具体性のない言葉には、力を入れた目で訴える。そして遼の目力を感じた男の反応は、何も情報を与えない決別。
『これ以上の問答はごめんだ! もうここを去りなさい!』
遼の表情から返された強い口調。これ以上はいられないであろう空気感。涙目に無言の会釈が精一杯。静かに自転車の場所に戻り、自問自答しながらアパートに向かう。
――僕はどうしたらよい? 僕の存在が災いを呼ぶのか? 本当は僕が電車に跳ねられたのか? なら達哉は僕の身代わり? 僕は誰かに近付くと誰かに降り懸 かる? あっ、何か起きる時、僕は調子が悪くなった。あれが予兆? サイン? 誰が? 自分が? なぜそんな身体に? おじいさんは言った。君に譲った と……でもいつ? どうやって? 何を? 今までおじいさんも同じ事が? ならどうやって今まで生きて……そうか……災いが予兆で避ける事が出来たなら、 予兆を感じとって避ければいい。少しワクワクする自分がいる。けどそんな馬鹿な話があるのか? どう確認する? おじいさんは言ってた。運は結果の偏 り……かたより? コインは二分の一だ。けれど二回やって表裏一回ずつくるわけじゃない。何かの授業で聞いた気がする。二分の一の確率は無制限にやればや るほど二分の一に近付くが、少ない回数は偏ると。僕はその偏りがわかるのか? どうやって試す? 携帯……誰? 『はぃ』
『遼? 達哉が死んだって本当!?』
――同じサークル仲間の「加藤陽菜カトウヒナ」。いつもより声が荒いな……。『あぁ』
『はぁぁぁぁ』
――泣きそうな声だな……少し無言にしよう。
『遼、今私そっち行くから家で待ってて』
『車で?』
『そうよ40分くらいで着くから』
――もし車に乗ることになって何か起きたらまずいよ……少し考えなきゃ。『うちじゃなく別で待ち合わせよう! ま、また電話するから! じゃっまた』―― どうする……今は自分に何か得体の知れない「能力」があるかもしれない。けれど認識が甘い。もしないならの考えより、もしあるなら、なるべくひと気の少な い広い空間がいい。今はもう子供も出歩かない時間だな。公園がいい。陽菜に電話しよう……。
『遼?』
『うん、あの、うちから駅方面じゃない方に、広い公園あるの覚えてる?』
『うん、わかる』
『じゃあ今からそこいくね』
『うん、いくね また後で』――すぐに向かわなきゃ。公園を確認したい。10分ほどで到着するはず。ひと気の少ないベンチも決めて、話し込まなきゃ……。
遼は安心の吐息。ひと気はゼロではないが、ジョギングの人や犬の散歩の人。ベンチに座って、これからの話す内容の展開を落ち着いて考え始めた。
陽菜と達哉。スポーツ愛好会のサークル。スポーツは先輩が時折草野球の提案する程度。ほとんどサークル内コンパ。出会いと雑談と友達づくりな集まり。そ んなサークル内で、陽菜は達哉がお気に入りだった。他のサークルに比べて目立つ訳でも、流行りに敏感な集まりでもない。その中で達哉は明るくマシな存在。 地味で個性が少ない遼はがり勉タイプに近い。そんな遼は達哉とはウマが合い、陽菜は遼にとっては死語的にサークルのアイドルとよく口にした。
――今回の事故。自分に矛先がいく理由。当事者。人が死んだ。直前まで触れていた達哉の靴紐。理解を求めたい。罵声は覚悟。自分におきている不可思議な出来事は伏せよう。すでに普通の状況じゃない。混乱は避けたい。
暫くひとりベンチに座り、話しの展開を想像しながら、陽菜を待つ。
『えっ!?』
突然だった。遼は身体に違和感を感じる。
――気分がすぐれない。何か危険が迫ってる?
強い緊張感と吐き気を感じる。
『遼!』
違和感の最中、これ以上ないタイミングで、陽菜が現れた。戸惑い、陽菜が自分にとって何かの脅威があるのかと、哀しみを滲ませる表情で近寄る姿は、電話 より謙虚さを感じる。何があったか知りたい。納得したい。色んな言葉を表現したくなるほど、普段と違う陽菜。今はそんな陽菜の雰囲気より、明らかに挙動が おかしい遼。陽菜の言葉は質問より心配から始まる。
『ん? 大丈夫? 顔色やばいよ』
遼の緊張は増す。何か起きるのかと。
『陽菜……近付かないでくれ』
『え? 何言ってんの? てかマジ大丈夫なん?』
気にせず近付く陽菜。遼は体にきつく腕を組み、うつむき始めた。そんな時、後ろから声がした。
『あなた大丈夫?』
犬と散歩中の年配女性。遼の挙動は、心配を生む。女性は声を掛けずにいられなかった。
『うわぁぁぁああ!』
耐えられなくなった遼の固めた腕が離れた。体中に緊張、いや力がみなぎる。意思と反して動き始める体。理解が出来ない。自分の体と思えない。不可能となった、意思と肉体のコミュニケーション。
遼の左肘。減り込む左頬。打ち付けた無罪な女性への鉄槌。どれほど力を込めたのかと、背筋が凍るほどの距離。威嚇する飼い犬。
『キャア!』
陽菜の声と同時に、別の声が聞こえる。
『水谷ー!』
二人の男、それは今日警察署で遭った「町田マチダ」「鈴村スズムラ」刑事である。感じた事のない力。今……意識はあるのか。おそらく遼を尾行していたと思われる雰囲気。町田を先頭に二人の刑事が近付く。
『動くな!』
二人の刑事は拳銃に手を触れる。
『う゛ぐわぁぁぁぁぁあああ』
叫ぶ遼。怯み、逃げ出す飼い犬。町田の声とほぼ同時に遼は走り出す。二人の刑事は即座に拳銃を握り遼に向ける。20メートルは離れている刑事に向かって襲うように走る。形相だけの判断なら、警告も必要がなさそうなほどの緊張感。
『撃つぞ!』
町田は威嚇して距離を空けたかったが、鈴村は発砲した。乾いた音が響く。鈴村は足を狙って発砲した。しかし遼には当たってない。町田も発砲する。遼の動きは発砲前から常に一定しない動きで走る。銃弾が当たらない。狙う箇所が定まらない。的に嫌われた銃口。遼より揺れる拳銃。引き金の度に、失う平静。不可説。繰り返す不可説。転じた思考は白さを増す。すでに遼は目の前。遼は左手で拳銃の向きを変える。
『ぐぁ!? な!?』
町田は遼の力に逆らえず、その向きに発砲する。
『ぁあ!』
鈴村の顔に銃弾。顔でおきる小さな破裂。陽菜の視界の片隅で倒れようとする鈴村。視界の中心は遼の現実味のない凶行。遼は右手で町田の顔に当て、二本の指は、町田から永遠に光を奪う。
『ぁああがががぁ』
遼の指の根元まで。
『はぁ……ぁぁぁ……』
膝をつく陽菜。遼はまだ指を離さない。
『はぁ……はぁ……はぁ』
指を町田から抜く。
『ぁあ……ぁあ……ああああああーー』
左手は白い。右手は赤い。自分の両手を眺めながら叫ぶ。
『キャアアアアアアアー』
陽菜の叫び、通行人は近付く。遼はゆっくり辺りを見回す。
『陽菜……』
陽菜を見る。その表情は、見たことのない陽菜の顔。初めて表現する形相の陽菜。
『いやぁ……いや……いやぁぁあぁあぁぁー!!』
恐怖からの逃亡。恐怖の対象である遼は、うつろな目で逃げる様を眺める。自分はどこにいる。ここにいる。夢ではないのか。まだ感じるであろう右手の温も り。体中が妙な痛みがあるのか、理解の出来ない動きのせいか、痛がるように両手で体をさする。筋肉の極端な膨張と収縮。撃たれていない理解。罪を犯した手 を拭いたい。ゆっくりと公衆トイレに向かう。手を洗う。取れない。爪に残る証拠の朱。拭えない心の垢。遼は呟く。
『僕は何をした……人を殺した!? 人を殺した!!!? 人を殺した!!!!』
公園内の通行人が騒ぎ始めている。一気に恐怖が身体中走る。何をどうすればわからない。逃げたい。すぐに自分の自転車に乗り、無我夢中で走り始めた。体 中に血しぶきがついたまま走り続ける。無意識に自宅方向に向かっていた。遼は困惑しながら考える。頭が真っ白になってきた。今日の出来事。自分のした事、 罪の意識、どれも頭の整理が出来るものではない。遼は今までの事の混乱よりこれからどうなるか考えた。
――僕はどうなる! 捕まる? 当たり前だ! 目撃者もいる! 陽菜に関しては始終見られてる! 僕に起きてる事を説明できるか? いや、ただ頭がおかし い奴にしか見えない! 僕のしたことは異常だ! 僕は捕まる! 今日? 明日? なら早く自首したほうがいい! 動機? そんなのない! 僕が聞きたい! もう暗くて良かった……返り血が目立たない。けどすれ違えばすぐわかる。まずどうする? 家に帰る? もし家に警官がいたら? ゾッとする……また公園 と同じことが? 駄目だ! 今は誰にも逢えない! 僕は僕を制御出来ない! また被害者を増やすだけだ! 僕は僕がしたことは覚えている……でも余りに理解出来ない。僕は銃弾をかわした? いや、どんなに反射神経があろうと、普通に扱いを知ってる刑事の弾が避けれるわけがない! 僕の身体が僕の意識より先 に反応したんだ……これから発砲されるだろう軌道より先に、避けられるスタイルに身を動かして、発砲された時には次の危機に身体が反応している。けれどそ れを判断するのはきっと僕の目と脳だ……僕の頭の中があんなに激しく揺さぶられた気分になった事がない……何が正解!? 僕は捕まって成り行きに任せられ るなら、もうそれでも良い! でも僕の身体がそうさせない! きっとまた誰かを傷つけるだろう……今はまだ身を隠して自分を理解しなきゃ……。
自問自答を繰り返す遼。今の自分を少し理解しながら、自転車をこぎ続ける。家には向かわなかった。
今の場所から近く、身を隠せるところを考えた。その場所はすぐに浮かんだ。
『あの本屋だ』
引き払ったと思われる館。しばらく身を隠して考えるには、絶好な場所に感じた。自分のアパートを避け、少し遠回りに本屋のある坂に向かった。パトカーと 救急車。サイレンを鳴らしてすれ違う。遼は道路脇に身を隠した。公園に向かって、救急車とパトカーが数台向かっている。パトカーが見えなくなると、急いで 本屋の横道に逃げ込んだ。
『ハァ……ハァ……ハァ……』
走り続けて息が荒い。本屋に光は見えない。自転車を建物の陰に置き、どこか侵入出来ないか探した。裏口。ドアに鍵が掛かってない。
――もう……もぬけの殻かな
侵入する遼。真っ暗な空間。意外と広く感じる空気感は、なるべく端を手探りでゆっくり進む。棚にぶつかり本が落ちる。
『いた! はぁ……はぁ……喉が渇いた』
本は栞が挟まっている頁が開く。暗闇の中では気にする余裕はない。最初のドアを開けると洗面所があった。遼はすぐに水を飲み、顔を洗い、窓からの月光で鏡に映る自分を眺める。
『酷い顔だ………ハァッ!?』
遼は突然大きく驚いて、壁に背を当てる。どこかで携帯の電子音のような音が聴こえる。遼は暫くたたずみ、落ち着きを取り戻し、まず自分の携帯の電源を切らなければと考えた。すぐに電源をオフにして、さっきの着信音の付近に近付く。
――携帯の光……まだ点いてる!
光が消える前に、すぐに置いてある携帯を取り、着信履歴を確認した。
『seren……dipity』
携帯からの着信履歴。セレンディピティと表示されている。着信履歴は30分前。先程と合わせて計二回鳴っている。
『これは……もしかして僕に? でも僕がここにくることなんて……ん! 微かなタバコの臭い……さっきまで誰か居た!?』
誰かが置いた携帯電話。タバコを吸わない遼には感じる残煙感。遼は今日の出来事を考えれば、不思議とは感じなくなった。自分の事を知っている人と連絡できる、着信履歴を表示した状態で発信を押す。繋がる音。そして受けた相手の無言。
『も、もしもし……』
『今朝の青年かね』
『今朝のおじいさんですか? あ、あの、僕! 今朝から大変な事になってます! 説明してもらえませんか!?』
『騒ぎはすべて聞いておる……君は殺人犯じゃ! 誰がやったでもなく、紛れも無く君の行為じゃ』
『そ、そんな事言われなくてもわかってます! けれど、けれど! 僕の意思じゃない!』
いきなり犯罪者扱いされた様に聴こえた遼は、少し興奮して言い返す。
『そうじゃな……わしが君を選んだ理由。それは、君が今日……死ぬはずじゃった』
『僕が……死ぬ……はず? え!?』
遼は言葉を失い、老人の言葉を待つ。
『わしらの能力は、人の命を自分の保身の為に奪いかねない力。自分の死の運命を避け、別の人間が請け負う可能性もある。君に一度すれ違った事がある。体の 力が抜けたんじゃ。それは近い未来に、死ぬ事が決まっている人間であり、その前にはわしらは無力なのじゃ。わしは君に近づいた。わしは永く生きすぎた。君に譲るためにわしは……今日部下に、君を殺すよう命令した! 君がどこかで死ぬ前に! 今朝、坂の下りに部下を配置させたのじゃ……じゃが君の運命は、や はり横道にそれたようじゃ』
遼はまだ言葉がでない。全てが自分の知らないところで事がおこっていた。この老人の策ともとれる、先見の明によって僕は操られてたと。
――僕は死ぬはずの人間? 僕はこの老人に生かされた? 僕は本当はすでに存在しない人間?
『わしの力は死ビトに生きる道標を吸われたと言うことじゃ。短時間近い距離におれば充分。わしはこのままなら、普通の人間として死ぬ事ができるじゃろう。 これがわしの幸福じゃ。さて、これからだが……君の新しい人生をどう生きるか。死ビトを捜して今朝までの自分に戻るか? 今の自分を受け入れて、抜け道を 捜すか? どちらにせよ君が今のままでは、能力に振り回されて狂気の怪物となるだけじゃ! 能力を自分のものにしなさい。君はこのままでは、自分じゃなく なる。正直君には荷が重い……知識・経験・体力・精神力。全てが磨かれてないと、操れるものではない……道標として、わしが今の君に言えるのはここまで じゃ』
『あ、あの……僕は今からどうすれば……』
『逃げろ!』
光と轟音が突然現れる。ヘリコプターが上空を飛ぶ。
『はぁぁ!』
身体中が悪寒に襲われる。
『おじいさん! おじいさん!』
携帯はすでに切れている。
窓から覗く遼。すでにパトカーと警官隊が建物付近に見える。近づき過ぎない距離に配置。建物を取り囲むように広がる。
『はぁ! はぁ! はぁ! 僕の緊張感が増す! 息苦しい! どうする、どうする! どうする!! 僕の中の狂気が……溢れそうだ! いっそのこと意識を なくすか? この力を解放して、成り行きに任すか? 建物が取り囲まれた! このまま時間が経てば警告され、出なければきっと踏み込まれる! 僕は一人 だ! 容赦する理由がない!』
遼は頭を抱えた。
『落ち着け! 落ち着け! お前は僕だろ! 勝手に動くな!』
『ハ! ハハハ! はぁっ! はっはっはっぁ~ん』
遼は今日一番驚いた。
『はは! あなた、何独り言いってるの~? 面白くて出るタイミング失ったわ』
『あなた……は……誰ですか?』
柱にしがみつきながら、遼は質問する。
『おじいちゃんに頼まれて「ハル」ずっと二階で待ってたのよ? あなたここから逃げたいんでしょ? でもね、あなた無理。撃たれて死ぬわ。ちなみにあなた今、気分悪い?』
――僕ぐらいの歳かな……随分早口で…この状況で元気な女性だ。いや、すぐに淡々とした冷たさ……タバコ……彼女から微かに……携帯は彼女が? おじいちゃん……あの老人の孫? 今、僕は身体が落ち着いてる気が……『いゃ……悪くない……です』
『じゃあ私が助ける訳ね。おかげで私が気分悪いよ』
『同じ力があるの?』
『じゃあ私人質だからこれ使って』
質問の答えなく、放り投げてきたのは拳銃。重さに焦り落としそうになるが、慌てた両手は上手く指に絡んだ。
『ふ! ふ……ふぅ……ぼ、僕にどうしろと?』
『あなた頭悪すぎ! んで行動遅いわ! いくわよ』
作戦なく動く遼。彼女は遼を引っ張り、玄関から出ようとする。
『あ! ん……やっぱこの方法だめみたい……却下ね、さっきの』
「何か」を凝視した様子で目を切り、たじろぐ遼から拳銃を取り上げ、後ろ腰に刺し、一人で外に出ようとする。
『あんたは裏口近くに居て!』
すでにどう挙動していいかわからない遼であるが、闇に目が慣れた事もあり、裏口は近くに感じる。気になるハルの行動。様子を探りたい遼。
『水谷遼ー!!』
スピーカーからの声。明らかな指名手配的人物。遼自身、自分がそんな大それた標的になる事に、実感が湧かない。
『もう包囲してある! 出てきなさ……』
声が途切れる。彼女に気付いたからであろう瞬間、窓から彼女の姿が見える。堂々としたたたずまい。真っすぐ警官隊の指揮者らしき人物に向かう。
『止まりなさい!』
警官は保護と容疑者の両面の可能性を視野に入れ、武装警官隊に連絡を入れる。裏口に回っていた警官隊は数人、玄関側に現れる。
『両手を上げなさい』
『はぁぁい、上げて……いいのね』
両手をゆっくり高く上げながらも、広げない両手の親指が、何かのスイッチを押す。突然の衝撃に慌ただしくなる警官隊。どこを警戒していいか迷う足どり。 爆発がおきた。二カ所。横道付近の林の中と館の表。彼女の仕込みであろうと考えるのが普通。そう思考する遼も顔を両腕で塞ぐ。防御に徹する警官隊。そして 遼にはハルの姿が見えない。声、駆け足、館の裏で何か別の動きの気配を感じる。重なる銃声。重ならなくなる銃声。すぐに音はやんだ。気配が消える。静かに 開く裏口のドア。
『早くでて』
まだ玄関側に居た遼は、戸惑い慌てながら裏口に走る。ドアから顔を覗かせた瞬間、目に映る警官隊。仰向けに、うつぶせに、確認出来るだけでも4人は倒れているが、触れずに意識は確認出来ない。
『こ、殺したの?』
『話はあと、逃げるよ』
ヘリコプターがまた上空に現れた。上空からのライトで確認される前に、表にいる警官隊がくる前に、二人は建物裏の森林に逃げ込んだ。
館の後ろ側は深い森林。開拓も始まっている事で、目立たずに逃げるルートは限られる。ハルは急いでいるはずの中、立ち止まり、深呼吸をする。度々あるその挙動に遼は不思議にも感じ、頼りがいを感じる。「辺り」を左右にゆっくり眺める。
『こっちよ』
ハルは決めた方向に一気に走り出す。
『もっと早く走れないのぉ?』
遼は急ぐように試みるが、まるで普通の自分の身体にしか感じない。
『ハァッ! ヘァッ! は……早くって! 無理だよ! ハァッ! 何・も・見・え・な・い・んだから!』
ハルは突然立ち止まった。
『はぁ……はぁ……うっ!』
遼の身体に緊張が走った。
『ハ……ハル? さん?』
身体の悪寒と緊張が一気に膨れる。遼の身体は意識より、また早く反応した。遼の頬に血が流れる。ハルが襲い掛かってきた。そばに落ちていた太い枝を掴み、本気で攻撃してくる。色んな角度からの攻撃に、遼の持ち前の反射神経以上に反応してよける。けれど暗がりの中、月明かりの僅かな視野を強く頼りに意識 している遼は、認識の限界がみえる。
『がぁ……う゛ぅ……』
ハルは木の枝を捨てた。
『緊急事態のみか……遼だった? 遼、あんた……死ぬよ?』
『ふぅ……ふぅ……ふぅ』
自分には限界以上の動き。上回れないハルの動き。遼は無敵ではないことを悟らされた。
『服脱いで』
『はぁっ?』
『何勘違いしてんのよ! あなたじゃ足手まといなのよ! 早くしな』
遼は慌てて上着とパーカーを脱ぐ。
『あたしが時間稼ぐから! ヘリコプターの逆走って! あんたは逃げ切るんだよ!!』
遼の上着とパーカーを奪い取ると、ハルはすぐに走り始めた。遼はまた一人になった。ハルの言う通り、ヘリコプターの向かう逆を走り続けた。
『ハァッ! くそっ! どうしろっていうんだよ! ハァッ! ハァッ! ま……また!』
遼の身体は緊張が走り、危険信号を出していることを感じる。
『何なんだよ! 何が!? この先は危険!? じゃあ! あっち! ん!? こっちも緊張が! わかんないよ!』
そして、その身体中の違和感は、「何か」意味を感じずにはいられなくなった。
――何が? 何を? ハ……ハルは何を見ていたんだ? く! 『集中しろ! 集中しろ!』
意味のわからない危険信号に囲まれた、進みづらい目の前の道。すでに道を見失った遼は、今この状況で考える時間が無限だと考える。遼はハルが逃げ道を決める時の「たたずまい」を思い出し、心の雑音を静めて、全身で360度に神経を研ぎ澄ませた。その行為すら、意味がわからなかったが、藁にもすがる面倒な 自体に、道を選べない遼には、誰かの真似をする選択肢しかなかった。真似をしてこそ知らなかった真実もある。洞察力は、良くも悪くも、完全にシンクロしよ うとした者にしかわからない景色がある。それが今だった。
――見える……色々な形で「光る道」が……僕が道を、角度を間違えるだけで、違う運命が待っているのか?正解があるの? 何十本もの道。だけど「波長?」 が微妙に違う道がある。大きい……細い……ギザギザ? この道は……違う。身体が少し緊張する。この波長と違う道……ひとつ……ふたつ……ふたつだけ だ……どちらも緊張しない……だけど……ひとつは……。
遼は大きく道の方向が異なる。二つの道に絞る。
――ここで一番一歩を踏み出しやすいのは……僕の走る方向は……『ハルの方角だ!』
遼は初めて自信を持ち、信じる方向に走った。方向が初めて自分で決められた遼。
『身体が軽い! 力が湧く!』
自分で決めた正解と思われる道に踏み入れると、遼は今まで味わったことのない軽快な自分に興奮する。
『動く! 動く! 僕の意思で意識を保って! 僕は身体をコントロールしてる!』
ハルを観察して、自分の無力さを知り、表裏あるコインのかたよりを正解。自分の道を決める方法を理解した。走り続けると、聴こえてくるヘリコプターの音。後ろからもヘリコプターが2機現れた。3機は全て同じあたりに留まっている。遼は静かに様子を探る。
――この先は開拓された崖だ……崖に囲まれた真ん中にハルがいる。ヘリコプターから何人も……迷彩色の……兵隊? ロープで降りてくる。
遼が見ても戸惑ってる様子がわかるハルの表情。逃げ道が見付からないように見える。銃口を常にハルに向け、距離を縮める。スピードがあろうと、パワーがあろうと、逃げられる見込みがない様子に見える。
迷彩色の人間次々と降りる。20人はいるだろうか、ハルの回りに機関銃を持った、何重もの厚い壁。ヘリコプターの光は、ハルを中心に照らされている。迷彩色達は囲んだまま動かない。見上げるハル。顔は恐怖で引きつってるのか、口を開き、目も大きく見開いている。
何かヘリコプターから降りてくる。電話ボックスのような檻。人が入っている。拘束されてマスクをした男。それはゆっくり降りてくる。ハルは苦しいのか震 えている。戦闘意欲は感じられず、すでに膝を地につけている。電話ボックスのような檻は、ゆっくりハルの目の前に降りた。
『いやああああ!』
ハルは檻の中の男に、大きな恐怖感を声で表現する。周りを見回し、逃げ道を捜すハル。さっきまでの余裕が感じられない。周りの迷彩の兵隊は、全く動こうとしない。
『僕はどうする?』
遼は考える。
――可能なら彼女を助けたい。けれど可能か? 道はあるのか?
遼は集中して、運命の道を探した。
――道が見える……けれどハルまで届いていない! ただ突っ込むだけじゃ無理だ!
突然鳥の大きな叫び声に、迷彩色の兵隊数人が、泣き声を確認する。
『あっ! 一瞬道が!』
一瞬の物音で、兵隊の意識がぶれる様子。ハルまでの運命の道が見え隠れする。何か大きく気をそらせる方法はないかと。遼は見上げた。崖の周りは茂る高い 木。大木にはびこる、細い無数の道。この道はヘリコプターに繋がる道。しかしヘリコプターのプロペラで道が終わる。遼は林の辺りを見回した。木のひとつひ とつに、能力者だけに見える波長が見える。大きそうな波長もあれば、細い波長も、波うったり、ギザギザしていたりする。ギザギザで細い道を避けてここにき た遼は、ここまでの道と同様、消去法に大きく波の緩やかな波長を捜す。
『あった!』
倒れている枯れたような大木。一番良い波長を感じた。
『これを……どうすれば……』
遼は持ち上げられるか試みる。普通なら見ただけで諦めてしまう大きさ。
『僕には今普通にはない能力がある! やらなきゃわからない!』
自分に言い聞かせる遼。すでに今までの人生では有り得ない事の連続。頭で考え避けてきたような、無理と思っていた行動。思考は少しずつ、考えるより体験から覚える、脳内革命が始まっていた。
『んんっ……あっ! やっぱり! 波長の合うもの! 正解な事には力が発揮出来る!』
大木を抱えながら崖に近付く。大木を抱えて道を探すと、また違う道が見える。
『さっき以上の道の数だ』
ハルは両手を地につけて、もはや立ち上がる気配には見えない。
『急がないと』
遼は大きく波の緩やかな波長を捜す。しかし崖の下には見当たらない。遼は目線を上にずらした。
『こういうことか』
大きく波の少ない波長が、ヘリコプターに向かって伸びている。
――僕があそこに? いや届く気がしない。
大木を強く抱える遼。波長も大きくなる。
――わかってきた……けれどその後は……信じよう……自分の能力を!
遼は少し後ろに下がり、大木を肩に乗せた。
『ああああああ!』
崖付近まで一気に走り、抱えた大木をヘリコプターに向かって投げた。狙いはわからない。従ったのは見えるライン。波の軌道に合わせて投げた先、砕ける大 木の先には、肉眼で羽の動きが見えそうなほど、回転が遅くなるヘリコプターの小さいプロペラ。迷彩色達は皆、ヘリコプターの異常な音に反応する。ハルに向 かって伸びる道。波は激しいが、大きな道が現れた。
『運のかたよりを! 自分で見つけたんだ! 僕は!! 今だ!!』
数人が遼の存在に気づく。遠回りだが、一番大きい波長の道に駆け走る。普通に見る者には明らかな無謀。自ら捕まりに来たのかと想像してしまうほどの登場。
『ハァッ!』――この距離とタイミングじゃ! 普通に彼らにやられる!
兵隊たちは、遼に銃口を合わせる。ハルは動かない。
『ハァッ! ハァッ!』――何が起きるんだ!? 無理じゃないのか!?
自分の道を信じて、だが何が起きるのか想像も出来なく、不安も混じり、無我夢中に走る遼。兵隊達は勘繰る。何か所持しているのではないかと。それ程無防備に、遠回りに、こちらに近付いてくるただの青年。
ヘリコプター1機への攻撃。意識の分散。事故機より離れようとする他のヘリコプター。それだけの事だった。油断した事は、ヘリコプターに下がるロープの 存在。ヘリコプターの小さいプロペラが、機能不調になったことによりぶれる機体。その機体から下がるロープは、檻を下げた鎖に絡まる。強度を考え重ねた鎖に絡まるロープ。それを中心に故障したヘリコプターは旋回。操縦不能なヘリコプターの危険な旋回は、衝突を免れる事は出来なかった。大きなプロペラが激し くぶつかる。羽を失った機体。自分達の真上でおきた出来事は、被害規模の予想が難しい。離れる事が最善。「拘束力のない」集まり。雇われた集団は、各々の 安全地帯に避難。遼はその隙にハルに接触。
『ハル!』
意識が無いことがわかる。ハルを抱え大きい波長の道の続きを走る。安全を確保した兵隊は遼に向かって激しい銃撃。遼の運命の波長は変わってない。止まれない。道があるうちに、消えない限り、振り返らずにハルを抱えて走る。
ヘリコプターの真下は檻。一直線にヘリコプターが堕ちる。そして檻と鎖で繋がれたヘリコプター。巻き込まれた先は一緒。激しく爆発する2機。上昇中の1機は、爆発から避難するように離れていく。
走り続ける遼。道はまだ続いている。止まれば終わる人生。止まれば望まない人生。遼はすでに体力が限界にきていた。一歩でも道の終点に近付きたい。この悪夢から逃げ去りたい。
『ハァッ!! グハァ! ハァッ!』
気持ちの限界。何がおきても抵抗の手段がない。止まる足。ハルを丁寧に光の上へ置く。軽くならない重圧。まだラインは見える。せめてその光が見えるうちに、光の上で意識を失う事を選んだ。
機関銃の音が響く森林。それでも目を覚ますことのない遼。どれだけ時間が経ったのか。
『起きて!』
顔に痛みを感じる。その痛みは直前まで自分を襲おうとした銃弾とは違い、じんわりと感じる程度な手加減を感じた。
――どのくらい気を失っていただろう。
目が開かないうちに、再びハルに平手打ちされて無理矢理起こされる。
『っつ! 痛ぁ! ハル!』
『逃げるよ!』
自分達に向けられてない銃撃音。状況がわかっていない遼。察したハルは簡単に伝える。
『いま奴ら……戦ってる』
『えっ? 誰と? 僕らの味方?』
『そんな優しいもんじゃないわ』
『え、じゃ、じゃあ、とにかくここはまずいよ!』
『あなた道は見える?』
遼は思う。なぜ自分の能力を頼りにするのか不思議に感じる。けれど、無駄な動きのないハルに、余計な質問の無意味さにも慣れてきていた。
『捜してみる』
遼は一呼吸つき、辺りを見回す。
『いい波長は……』
『波長? あぁフェム(FEM)の事ね』
『フェム?』
『Fortune(幸運)Electro-Magneticwave(電磁波)の頭とってフェムよ。能力者にしか見えない光のラインの事』
『なるほど……フェムね』
聞いたことのない言葉についての意味を聞いて納得すると、遼は辺りに見えるフェムを、慎重に眺める。
『どうなの? ちゃんと見えるんでしょ?』
『みんな綺麗な道じゃない……時間が経って運命が変わったんだ!』
背後に迫る機関銃の音。迷う時間は縮む命。
『一番大きいフェムでいいわ!』
『わかった……あっちだ』
遼は機関銃の音から、一番遠ざかるフェムを選択した。
『急いで逃げるよ』
走る二人。しかしハルの足どりが重い。それは先程まで叱咤された遼からすれば、明らかな理由を感じさせるほどであった。
『ハァ! ハァ! 怪我……してないよね?』
走りながらハルに聞く。ハルは眉間にしわを寄せながら、悔しさが混じっているのか下唇を噛む様子が見える。
『ハァッ! ハァッ! 能力を……奪われた』
『え? いつ? つまり死ビトがいたって事?』
『ハァッ! ハァッ! あの檻にいた男……「死刑囚」よ……司法取引をして海外から連れて来たのよ! ハァッ! 私たちを無力にする常套手段!』
『ハァ……ハァ……そんな……僕らの能力は知れ渡っているの?』
『おおやけじゃない……けど今日あなたは目立ちすぎたわ! 私たちの力は、武装国家から見れば最高の研究材料よ』
遼はなんとなく理解した。けれど、よく今まで知られてないものだと不思議に思い、責められている気分を晴らしたい気持ちもあってか、皮肉を込めた言葉を吐く。
『ハァ……ハァ……さっきの本屋の出来事みたいに……殺して生きてきたんでしょ!?』
『ハッ! 殺してないわよ』
ハルが革ジャンのポケットから取り出した物。スタンガン。火花を散らせる事で遼に理解させる。それはハルの行動には考えがあって、何も知らないのは遼自身だということが心に響く。
『私たちは無意味に殺さない……ハァッ! ハァッ! 静かに生きたいのよ! 人を殺すと……恨みが残る!』
何も言い返せない遼。同じくらいの年齢に見えても全てが自分より上回る一貫性を感じさせられることに言葉も返せない。
「慣れない体」に立ち止まる事となったハル。今まで感じた事がないほど、無力感を感じる限界。
『ハァッ! ハァッ! くそ! 私はあなたが暴走しない為の監視役! けれど遅かった! ハァ!ハァ! あなた今日、町田って刑事とやり合ったでしょ! 彼の親は警察庁の重役よ……あれだけの騒ぎになればすぐ海外まで情報は流れるわ! ハァ…ハァ……私は警察無線傍受したあと爆弾を仕掛けて二階で待ってた の! おじいちゃんが、必ずあなたが来るからって!』
――僕は……なんて小さいんだ。
遼は心から反省し始めた。これは全て自分が撒いた種だと。謝ればいいのか。抱えて走ればいいのか。遼の言葉を待つのに苛立ちを感じ始めたハル。そして自分自身の体の弱さにも。
――今は自分が走り出さなければ、それに自分が逃げられるなら……能力のある遼もきっと逃げられるはず。
反省ばかりを考えてしまう遼の心境と、遼を逃がすことを最優先に考えるハルの思考。言葉には出さず、呼吸を整えるハル。深く吸った空気を息吹吐く刹那、 「それ」は後ろから飛んできた。突然、「それ」は真横の大木に飛んできた。すでに生涯最後の息も吐き終わったであろう一見「それ」は認識と現実味を疑う。 体中引き裂かれ、四肢をもがれた、迷彩色の兵隊。遼の緊張感は一気に高まる。そしてフェムは全てぼやけてきた。
『来たわ……無意識の怪物が! 行きなさい! 私とじゃ逃げ切れない!』
自分には言えない言葉。能力のある自分を逃がす生身の女性。ハルの強さに感心すると同時に、迷いに戸惑う遼。
『ハル!……無理だ! 能力のない生身じゃ! 町田と同じ事になる!』
『あ・ん・た・と一緒にするんじゃないわよ!! こっちは生まれた時から持った能力だったのよ!!』
怒鳴るハルに遼は言葉が出ない。情けなく感じる。逃げる事も、残る事もまだ言えない自分に。
『きた!』
ゆっくりと現れる死刑囚。月光で確認出来る姿。
『ぁあああ……』
遼は初めて見た恐ろしい姿に、体が震える。これが生きている様かと目を疑うほど悲惨な姿。
『なぜ立っていられるんだ』
ヘリの爆発に巻き込まれたであろう吹き飛んだ左腕に、左半身はほとんどただれている。的になりやすい大きな体に、銃撃された無数の跡。直視出来ないその姿は、雲に隠れた月によりくすみ、暗闇と混じる。
『ずっと興奮状態が続いてるだろうから……痛みを感じるのが遅いかも……それとも完全に無意識の怪物となったか……どちらにしろ……彼はすぐ死ぬわ。でも、それは立ちはだかる敵が居なくなった時……動かないで! もしかして敵と判断されないかも』
遼はそれで済むならと思いたかったが、恐怖が増す。
『無理だよ! 僕の身体の緊張が弱まらないよ』
『だまって!』
死刑囚はすぐ近くまで来てる。遼は背中の大木と一体化となるほど体を密着させた。
『落ち着いて! 敵意を出さないで静かに観察するのよ!』
死刑囚は静かに歩いてくる。おそらく自然とフェムをとらえ、幸福の道へ不器用に歩いているのだろうと感じる足どり。目の前を通る。いや通り過ぎない。遼 の上昇する心拍は、自然な吐き気と異常な冷や汗を誘発。死刑囚は完全に立ち止まった。遼は動揺を隠す方法も、息の仕方もわからないほど混乱してくる。た だ、ただ、気配を消す事に集中した。
『Uu……』
死刑囚は地面に目が下がり、両膝をついた。そしてそのままうつぶせに倒れる。
『Uu……Uu……My body. The bad body is unexpected. I did such a severe injury ……because of you! (う……ぅ……俺の体…こんな話じゃなかったはずだ……こいつらのせいで俺がこんな目に!)』
少し距離を空けて様子を見る遼。
――苦しそうだ……落ち着いて痛みが襲っているのだろうか。
ハルが手を伸ばし、死刑囚に触れようとする。
『What? Do not touch me.…… The human being that originally I am executed anyway! I should not have taken plea bargaining……(なんだ? 何する気だよ……どうせ俺は元々死刑になる人間! 司法取引なんかするんじゃなかった……)』
『ハル!』
遼が手で防ごうとすると、ハルは邪魔に見えた手をはねのけた。ハルは死刑囚にそっと触れる。そして優しく傷付いてない部分を撫でる。
『What is it? (何の真似だ?)』
『I'm so sorry……』
ハルは一言、謝る。
『私たちが……いなければ……こんな……こんな姿に……ならなくて良かったのに……』
『I understood it somehow.…… I do not understand the deep meaning, but do you sympathize with my severe figure in what was chased? Nonsense(そうか……言葉はわからないが……こいつらも追われて……俺の姿を見て……同情か? バカバカしい)』
口を歪ませ、涙を流すハル。
『この人は私たちなのよ……いつでもこうなる可能性が私たちにはある』
『Ha-ha……You cry why! Did you let you overlap with oneself?I do not have the child, too! The feeling does not rise in the sentiment of the kid, too! I do not understand the feeling of a parent protecting a child!A feeling to keep……There was the partner whom I protected. I protect each other. The fellow whom I left a back to……I was protected. Ten years. An animal of what kind of [creature] early speed! Do not betray it at any time; there is not……Did the child inherit the soul of that fellow?……If that fellow lives……Is it your year?(ハハハ…なんで泣く! 自分とダブらせたか? 俺は子供もいねえ! ガキの感傷なんて気持ちもわかんねえ! ガキを護る親の気持ちもな! 護 る気持ちか……護った相手はいたがな。お互いを護り合い。背中を任せた相棒……護られた事もあるな。10年間。どんな「生き物」より早く! どんな時も裏 切る事を知らない……あいつの魂を、子供は受け継いだかな……あいつが生きていれば……お前らくらいの歳か?) 』
『ごめんなさい……』
遼は反省した。彼の容姿に、彼が死刑囚だということに惑わされて、勝手に敵だと判断してしまった。
『I am the human being who is tough from old days! Then the severe state like me is natural by all means a battlefield! Such a thing does not die! I still have the power to kill you(俺は昔からタフな人間だ! 戦場じゃあ必ず俺みたいな状態の奴がいる! こんなことじゃ死なねえ! お前らを殺す力もまだあるぞ)』
心に宿る活力。たぎる心の筋肉。彼はまだ動こうとはしない。遼はまだ緊張が取れない。その緊張が、すでに別の気配からと気付く判断力は、遼には難しかった。
激しい銃撃が三人を囲む。遼とハルはうずくまる。最悪の事態を予感出来る状況。完全に狙いを定めた機関銃。再び現れた月明かりに顔は、歪む笑顔の迷彩色。
何人かの足音がする。すでに囲まれている。
『ハル!』
『どうやら覚悟決めなきゃね』
遼はフェムで辺りを見回す。
『どこにも道がない! 全ての道が細くギザギザで先が見えない』
ハルは右手でポケットに手を伸ばす。隙を見せない兵隊。ハルの右側に威嚇で撃ってくる。
『チッ!』
ゆっくりと、取り出す手からは携帯電話。ハルはそっと地面に置く。手が離れたと同時にテンポよく放った銃弾は、万一に携帯電話を使用される可能性を完全に絶つ。銃口を遼に向ける。遼もゆっくり携帯を取り出して地面に置く。同様に破壊された。
『Ha-ha! Do you walk a way same as me, too? It is what's called feeling that one's death is not selected as! (ハハハ! お前らも俺と同じ道を歩むか? 自分の死に際を決められない気分ってやつだ!)』
死刑囚の嘲笑い。そして遼は、自分に出来る僅かな情報を探る。
――距離を縮めてこない。死刑囚との戦いで学んだのだろうか……けれどフェムの動きで気配がわかる!
『4、5人だと思う』
『私が行動を起こしたら逃げて!』
『Hey.……Do you die if you act? You cannot escape……Young woman……You have a look not to give it up for some reason……Do you think that you can escape? In the present situation……Young woman……What kind of reason would you watch me for? Do you make me even a shield? No way. I do not want to be used by a child!(おい……下手に動くなよ? お前らじゃ逃げれない……女……お前……どうして諦めた目をしてない……逃げれると思ってるのか? 今の状況 で……女……なんで俺を見る……楯にでもする気か? 冗談じゃない! 自分の子供くらいの奴に使われてたまるか!)』
考察する各々の、考え、狙い、覚悟。共通の考えは自分の運命。それは生還か、根拠なき足掻きか。
『逃げる道がないよ! ならここにいる』
『そう! なら「私がやること」に動揺せずに! 自分のフェムに従って動いて!』
『When I die, I decide it by oneself……About me, it is shame that a child cries……(自分の死に際くらい……自分で決めるさ……俺のために……ガキに泣かれるなんて……)』
ハルは右手で後ろの腰に挿した拳銃を握る。それに反応して、隊員が機関銃を構えて、容赦なく銃撃を放ってくると感じた瞬間に、二人の目の前に死刑囚が飛び出す。
『uhuhuh!! があぁぁぁ!』
遼とハルの前に立つ死刑囚は、雨の様な銃弾を浴びる。
――僕らを護っている?
『あ゛ぁ!』
人の体だけでは防ぎきれない数の銃撃に、ハルも流れ飛んでくる銃弾を肩に受けている。遼はただ、混乱していた。
――どうすればいい! 護る死刑囚! 止まらない銃撃! もう!! もう無理だよ!!
遼は頭が真っ白になってきた。自分のするべきことも、守る方法も思いつかない。死が近づく感触が、1秒後の自分を考えることもできない。きっとハルも同じ心境かと感じた遼は、ハルに振り向くと、そこには拳銃を握り、自分の左手首を撃ったハルがいた。
『なにを!? だめ! どうして!!!?』
遼の頭は理解を超えた。そして空を見上げながら、遼の口からうめき声が漏れ始め、月が雲に隠れると同時に、考える事を止めた。それは、自分の体に委ね、能力に支配させる事となる。
『ぐがあ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁああああああああ゛あ゛ーー!』
目の前の木に駆け登る遼。兵隊達は遼を見失う。物音に反応して銃撃し続ける。暗闇の森林。月明かりもない世界。機関銃の銃撃。瞬間に見える各々の顔。見 えない相手。それなら逆も同じ条件。近付けば一瞬で蜂の巣。依頼された傭兵達。すでに報酬より興奮。珍しい獲物は仕留める者の名誉。普通の思考ならではの 数ある結論の一つ。だが、フェムの光は、無意識の怪物にとって、安全な標的。
『ギャアアアアァァァ』
死刑囚のそばに隊員の首が飛んでくる。ハルは手首から血を流しながら、死刑囚に寄り掛かり、ぐったりしている。
『Hey.……Young woman…After all were you going to give it up, and to commit suicide? It does not seem to be me who I protect the person, and die……However……It is better than I wait for the death penalty! I decided a way by oneself……Is this a feeling to protect a child?It may ……not ……be bad……(おい……女……やっぱり諦めて自殺する気だったのか? 人を庇って死ぬなんて、俺らしくもない……だが……死刑を待つよりマシだ! 俺は自分 で道を決めた……これが子供を護る気分ってやつか? 悪くない……かも……な……)』
全員の標的が遼に変わり、死刑囚はその場に倒れ込む。隊員達は一斉に上方へ銃撃。
『ぐがあ゛ぁ……』
隊員は手応えを感じる。
『あ゛あ゛あ゛ぐぁぁぁ』
木の枝から勢いよく飛び降りてくる遼。並んだ隊員二人の顔を掴み、地面に叩きつける。
『ぐわわぁ!!』
隊員の上の歯と下の歯を掴み、一気に広げる。
『べがあ!』
その凶行に慌てたもう一人が立ち上がり、逃げるところを後ろから首に噛み付き、引っ張るように噛み切る。
『っあ……ぅあ……ぅあ、あぁぁ……』
残り二人の隊員は、たじろぎながらも一斉に集中銃撃。隊員を盾に近寄る遼。所々銃撃を受ける。
『ぐがぁっがぁっ』
遼のスピードが落ちる。両足に撃たれ足が止まる。倒れ込む遼。
『があ゛あ゛あ゛あ゛』
ニヤつきながらとどめを刺すため、近付こうとする隊員達。
『上出来よ……遼……ハァァアア!』
矢のようなスピードで隊員の目の前に現れるハル。隊員はまだ機関銃を上げてもいない。ハルはにこやかな笑顔を見せて、スタンガンの火花を二回散らす。
ハルは隊員が持っていた二つの手錠で、木を挟めて二人に手錠を嵌めた。左手首と撃たれた左肩の出血を布で縛る。
湿った風邪が吹く、月明かりが消える間際、微かな穏やかさを感じる表情を浮かべる死刑囚。名も知らない死刑囚。横たわらせて、残る右手を胸の位置に置く。
『ありがとう』
気を失っている遼を右肩で担ぎ、フェムの道を歩く。すでに大量の血も流し、能力があるとはいえ、遼を担ぎ山道を進むハル。体力の限界が近付いていた。遼は間もなく目覚めた。
『ん……ハル……僕は……生きて……』
遼を降ろすハル。
『はぁ……はぁ……はぁ……』
遼は体中の激しい痛みに叫びたい気分。けれど撃たれているのはハルも同じと思い、声には出さなかった。遼は死を覚悟した。
『ハ、ハル……能力が?』
『自分を撃って……はぁ……出血多量で……はぁ……死期を……はぁ……つくったの……』
自分が死ビトとなり死刑囚の能力を奪ったことを理解した。
『あは……はは……はは……君は……本当凄いよ』
『ここを……はぁ……抜け出してから……褒めて……』
雨が降ってきた。遼はもうどうなってもいいと思った。ハルは再び遼を担いだ。
『ハル? もぅ……いいょ……』
『ここから逃げる……可能性……フェムの……道が……消えた……はぁ……けど……あっちの……はぁはぁ……大きな木に導いてる……はぁ』
大木まで遼を運ぶハル。そして大木の下には、自然に木が拡張したと思われる大きな穴が空いている。
『はぁ……本当に大きな木……桜かしら……まさかね……はぁ……二人くらい……入れるわ……』
遼を先に入れ、横たわらせ、ハルも隣に座る。
『あり……がとう……』
ハルはタバコを吸い、雨を眺める。遼は呟き始める。
『きっと……もうすぐ……僕の人生は……終わるん……だね……でも……本当は……もぅ死んでるはず……だったし……良かったの……かな……こんな死に……かたで……意味が……あったの……かな』
『あんた……こんな事で諦めてんじゃないよ……この……』
もっと言いたい事はあったが、ハルは言葉を止めた。
『僕は……君みたいに強くない! ただの学生で……就職考えながら……友達と……だらだら遊ぶ事しか……考えてない……ただの……弱い人間なんだょ!』
遼は横を向き大木にしがみつきながら泣きはじめる。
『僕は……この大木みたいに……雄大で……静寂で……穏やかな存在になりたい……グズッ……僕は静かに生きたい……退屈でいい……同じ場所でいい……きっとそれが僕の理想の人生なんだ!』
『あまり叫ぶな……傷に響くよ……』
ハルは心が弱った遼に掛ける言葉が見付からない。自分に対して強がる言葉を呟く。
『まだ私は死ねない……こんな所で……そのうち羽でも生やして飛んでやる……』
遼の様子が思わしくない状態に見える。次の瞬間には、唸りは寝息に変化した。ハルはずっと借りていた上着を脱いで、遼に掛けようとする。
『ん?』
上着のポケットに何か入っているのに気付く。取り出すと、それは携帯電話だった。ハルはすぐ触り始め、着信履歴を押した。自分の幸福へ向かう道を、自分の能力で足掻きもがいた結果、更に自分を幸福へ導く言葉。
『serendipity』
遼への連絡用に、本屋に置いていた携帯電話だった。
『これって……あはははぁ~!! ま~さ~し~く! Lucky!!』
◆◆◆
上空に何機もヘリコプターが飛んでいる。館の周りでの警察隊の騒動や、ヘリコプターの爆発などでおお事となり、調査探索のため国全体が動いている。
ハルは遼の上着から見つけた携帯電話の着信履歴から発信を押す。
『はい』
『おじいちゃん?』
『春枝かい? 無事で良かった』
『そうでもないの、私より、彼は相当まずい状態よ』
『今、上空におそらく飛んでおるヘリの1機に話はつけてある。直接ここにくるんじゃ! その携帯は緯度、経度がわかるはずじゃ。教えてくれ』
言われた通りの情報を伝えると、ほどなく、軍用に思えるほど大型なヘリコプターが真上の上空に近付く。担架が降りてくると同時に、先にロープで降りてくる男がいる。ヘリの真下に近付くハル。
『パパ~』
『ハル!』
飛ぶように抱きつくハル。
『ハル! 出血が酷い、先に行くんだ!!』
『彼の方が酷い!』
『大丈夫だ。俺がちゃんと連れて来る』
ハルはうなずき、先にヘリコプターへ上昇する。そしてヘリコプターから辺りを見回す。
『こんなにあの館が近いところだったなんて……パパ!! 私、彼に助けられたわ! あの大木にいる!!』
気づかなかった深い森林の大木の裏側。上空からはすぐに三階建ての本屋が見えた。大声で叫びながら、大木の方向に指差すハル。うなずく「清正キヨマサ」。
すぐに遼の姿が目に映った清正は、遼の目の前に立つ。
『君は生きたいか?』
何も聞こえないほど、深い眠りか、永遠の眠りについているのか、反応をしない遼。
『忠告したはずだ。人になるべく近付くなと……俺達の力は根絶やしされた方がいい』
本屋での初対面。忠告は優しさだったのか、予期していた事態なのか、拳銃の引き金を引く清正。それは2回。銃声はハルまで聞こえている。
『え!! パパー!!』
清正の安否や状況が気になるハル。今一度ヘリコプターから降りようとロープを握り締めたとき、ほどなく、清正は遼を連れて現れて、遼を担架に乗せた。清正は一緒に担架に乗り上昇する。
見るだけなら、すでに諦めたくなる状態の遼。銃声の答えを知るためにも、ハルはすぐに遼の脈をとる。
『生きてる……』
『兵隊がまだうろついている! なんとか威嚇で終わった……親父の能力は気絶していても強運がついてくるのか?』
銃声の納得。最悪の結果が外れたことへの安堵感。父親へ向き合わせた笑顔。
『人前じゃあ、あのお方っていうくせに!』
その笑顔に口角を上げてにやける清正。すでにヘリコプターは方角を定めて目的地に向かう。清正が応急処置を行いながら、今までの経緯を伝えるハル。おどおどした遼の性格から、能力に目覚めて、ひと時支配されたこと。無意識の狂気に助けられたこと。手首から流れる血の理由。
『助かりそう?』
『よく生きてるもんだ……しかし自分でフェムを理解するなんて……』
『彼のセンス? おじいちゃんの能力だから?』
『お前を助けるのに必死だったんだろ。惚れられたか?』
殴りかかるハルによける清正。これ以上ハルの怪我をした腕に負担をかけたくもない清正は、両手を上げて降参のポーズをとり、柔らかく笑う。
『殴りかかるのわかってるくせに言わないの!』
『ははっ! お前のは緊張じゃなく殺気だ! とにかく、ハル、到着まで寝てるんだ。その腕もすぐに手当する』
『うん』
言われた通りに横になるハル。清正はハルの腕の止血を丁寧に行い、その最中、ハルが眠りについた事を確認する。
清正は操縦席に向かう。
『どのくらいで到着する?』
『あと15分くらいです』
『そうか』
拳を握る清正。何の覚悟もない操縦士に対して重い一発で殴り、気絶させる。清正は操縦席に座り、行き先を変更する。
山をいくつか越えると海が見えてくる。清正の操縦するヘリコプターは一隻の船に向かう。1機分のヘリポート。清正はヘリポートに立っている人間の指示を 受けながら、ゆっくり降下する。ヘリポートに降下が完了すると、清正はエンジンを切らず、用意されている担架に遼を乗せた。
『こいつが必要ならすぐに手当しろ!! もう危ない!!』
『了解しました!! すぐ処置します!!』
清正はすぐにヘリコプターへ乗り込み、上昇を始める。それはまだ眠っていると思えるハルからの横槍を防ぐためか。ほんの数秒の違いは清正の行動が早かった。
『ん……』
上昇の音に目を覚ますハル。
『ここは……遼は? パパ!!!?』
『操縦席だ!』
10人以上は収容できる大型ヘリコプター。ハルは遼の姿がないことに気付き、操縦席に向かう。
『遼はどこなの!? ここは……海!?』
見回すハル。それは明らかに行き先が違う場所。海に出る予定のなかった目的地。寝ている間に父親が何をしていたのか。そして遼のいない理由。
『遼!!』
船を見付けるハル。そこには担架で運ばれる遼が見える。
『パパ! どういうこと! なんで遼が!? 操縦士は、どうして倒れてるの!?』
『操縦士は気絶させただけだ! 知らない方がいい……そして彼を渡さないと収拾がつかない!』
『遼を……売った訳ね!』
『彼は今日! 目立ちすぎた!! 俺達まで脅威にさらされる!!』
声を荒げる清正。目立ちすぎたことへの弁解ができないハル。家族の危険をハルに予感させる清正。説得したい。きっとわかってくれる事を願いながらも、続けて言葉を続ける。
『自分の蒔いた種だ……これ以上お前を危険にさらせない……わかってくれ……』
『でも……』
『どちらにせよ生死の境だ。今は回復に向けて最善の処置がされてる……連れてきた事が彼にとって幸運かもしれん』
ハルは清正を責める事が出来ない。納得してしまいそうな言い訳。遼の安否が気になりながらも、隠しきれない不安がハルを襲う。それでも、どうしようもない状態に無理やりその場は自分の心を撫でた。
落ち着かそうと窓の外をあらためて眺めれば、夜が明けていた事に気付くハル。沈黙の中、老人の待つ場所へ向かう。
清正が遼を引き渡した船。それは医療設備が整った船であり、緊急な治療が必要な者のために、常に待機状態だった。医療処置室のドアが外から開く。開いたドアの先には、長い髪と狭い肩幅が真っ直ぐに患者へ向き合うひとりの女性の背中。入室の気配に何も動じることのない慣れた手つきで処置される遼。
『俺が処置を代わろう……危なかった……よく持ちこたえたもんだ』
女の横に並び、言葉の返事を待つ男。遼の救急処置を丁寧に行い、聞き慣れた心電図の音に息をつき、手当をする手を止め、そのままマスクを取る女。
『彼の能力のおかげかしら』
『兵士の為の緊急設備が役に立ったな』
『別の船は帰国したの?』
『あぁ。自国の者だけがここに残る。間もなく戻ってくるだろう。帰国した半数は死体だ。危険な力だ』
すでに帰国した船を見送っていた男。その凄惨な状況を目の当たりにしていた感想をこぼしながら歪んだ顔を女に向ける。
『でも魅力的! 普通じゃないって憧れるわぁ』
『その結果がこれだ! 馬鹿な事言うな!』
『はいはいお父様ぁ~』
用意していた飲み物のカップに口を当てて、父親からの叱咤をかわす娘。父親が救急処置をしながら雑談する二人。一息ついた娘は再び手を洗い、父親の処置を手伝い始める。笑顔と渋い顔で雑談をしている二人であるが、的確と感じられる動きと、余裕も感じられる経験値でもある。
『しかし、彼は目覚めるかな……こんなに血を流してしまって』
『そうね、様子みないとね』
流れる血の量は、過去に意識を取り戻さなかった人間を思い出すほどである。経過時間からの可能性。昏睡状態も視野に入れたさまざまな可能性をよぎらせる最中、耳に触れた近づくヘリコプターの音。
『来たようだな』
「香山」は粗方の処置が終わったことで、娘への目線とうなずきにより、いつもの行動と思えるほど自然に、ヘリポートへ迎えにいく。そしてすでに船 員の誘導により降下していた。その大きなプロペラを二つ回した、優に10人以上は収容できそうな大きさ。何人が降りてくるものかと想像をさせながら、プロペラがゆっくり停止する。それと同時にヘリコプターのドアが開く。
『おお、香山さんお疲れさん』
『お疲れえ。これで……全員かい?』
迷彩服を着た「風間」がヘリコプターから降りる。香山は顔をヘリコプターの中に覗かせながら左右を見るが、操縦席にいる者以外、その奥からは何も人の気配を感じない。負傷した者すらいなかったのかと、手間がなくて喜んで良いのか複雑な心境を抱えながら風間に向き直る。
『ああ、酷いもんだ。あれは怪物だ……ところでこっちにもう運ばれたか?』
『手当が終わったとこだ。派手にお互い暴れたもんだな』
『まあな……だけど気をつけて接触しなよ。無意識でも派手に動くぞ』
目線を止めて風間の目を見る香山。その真意を深く尋ねたい。
『寝てる時か?』
『いや、瀕死でもう気を失ってる状態でだ』
その言葉に固まるように考える香山。そして完全停止したヘリコプターの操縦席にいたもう一人、「田村」が現れる。
『あれは防衛本能でしょうか? まるで体中に目がついてるような動きでしたね』
『今「皐月」が一人で看護しとる!』
『監視付きじゃなきゃあぶねえ! 向かうぞ!』
真っ先に走り出す香山。ヘリコプターより機関銃を取り出し、構えた状態で香山に続く風間。田村は胸元に手を当てながら、全員で病室に駆け付ける。全力疾 走の三人。願うことは、聞こえてこない悲鳴。廊下に響く足音。時折、船員とすれ違うが、後続する田村がこれ以上の騒ぎにしないためか、手のひらを広げ何度 か押さえるような仕草で船員達の挙動が激しくならないように気持ちを抑える。病室のドアを乱暴に開ける香山。
『どうしたの?』
『あぁ、良かった! こいつらが妙に心配させること言っててなあ!』
『あら、優しいのね。でも彼、起きる気配ないわ』
皐月と遼に対して何度も目配せする香山。微動だにしない遼の気配に安心してか、下を向いて息継ぎを繰り返す。風間は香山に変わるように言葉を続ける。
『でも用心してくれ、彼はこんな状態でも多分動くぞ』
『まさかぁ……ヒッ!!』
田村が突然、鞘に収めていたシースナイフを投げる。それは皐月の横をすり抜け、遼の頭の真上となる壁に刺さる。
『あぁ驚いた! 危ないでしょ!』
『すみません。今、彼が起き上がるなら、ここで終わらせようかと思いまして』
『丁寧に恐い事言わないで! それに彼は昏睡から覚めないかもよ』
『まあ、それならこっちには都合いいんだけどな』
初めましての挨拶に、ナイフを投げた田村の落ち着いた口調や、楽観する未来を語る風間に、皐月は話も処置も終わりと感じさせる雰囲気で立ち上がり、口を尖らせて、頬をふくれさせ、わざとふてくされた表情を見せながら処置室を退室して、医務室へ向かった。
風間と田村は横目で目を合わせ、これからの展開や、それまでの様子を語る。
『無意識で暴れられるようじゃ、他国に引き渡しても研究にならないだろうな』
『やっぱり、なんだかんだでさっきのは、意識があったんですかね』
『だろうな』
風間と田村の簡単なやりとりに、呼吸が安定した香山は、興味と重要性の匂いを感じて尋ねる。
『どんな事があったんだ? なんだか見ているだけなら、意識が見えないような人間の話に聞こえるぞ?』
その言葉に無言となり、回想を蘇らせているのか、香山に振り返った風間が話し出す。
『さっき清正が娘を救助にきた時だけどな……』
時間は少しさかのぼり、清正によってハルが救出された時から話は進む。
◆◆◆
『あの大木にいる!!』
大木を指差すハルに清正はうなずく。薄暗い、グレイな森林の中、清正は真っ直ぐ大木に到着する。そして清正の視界に堂々と入ってくる者。風間が機関銃を構えることもなく、清正に歩み寄ってくる。
『清正さんよぉ、彼はいただきますよ?』
その言葉に、全く動揺をみせない清正。待ち合わせを感じるように、風間に続いて田村も続いて現れた。
『そうしたいが、彼の能力は危険だ! 何人のプロの傭兵が死んだ?』
『まぁそうだけど、死んだ奴らが浮かばれないねぇ』
弔い合戦をするような表情には見えない軽い口調の風間。その場しのぎな言葉の後ろでは、風間に重なった体にはっきりとした様子を見せないが、清正はナイフを握り締める田村を想像する。
まるでハルと同じように、それはフェムを確認するように辺りを眺める清正。すると静かに声が聴こえるかどうかの距離まで、遼へ近づいた。
『君は生きたいか?』
反応しない遼。それもわかっているように、独り言のように、自分に言い聞かせるように続ける。
『忠告したはずだ! 人になるべく近付くなと……俺達の力は根絶やしされた方がいい』
遼を始末することで、それまでの死を帳消しにするためか、拳銃の引き金を引く清正。遼を狙って二回発砲する。それは間違いなく遼を狙った銃弾の起動だった。
『なっ!』
大木から突如飛び出す遼。清正と風間と田村から一番遠ざかる方向へ体を遠ざからせ、すぐに向き直る顔には視点は誰かに定まっているものでもなく、目も体も揺れながらも、その体の方向は清正を向いていた。
『う゛がががが!!』
遼の両手が地面から離れたと同時に、清正に飛び掛かるように駆け出す。それは田村から見れば絶好の標的であり、素早く遼の真後ろに位置を定めた。
『こい!』
遼を迎え撃つ姿勢の清正。注意は清正に向いていると思われる遼の背中から、田村の投げたナイフが飛んでくる。確認する様子も感じない遼は、一気に地面に 伏せる。ナイフは清正のすぐ横にそれて後ろにそびえる木に刺さる。顔を上げる遼。機関銃も構えず傍観者として横から眺める風間にもわかるほどのひどい形 相。清正に顔を向けるが、力尽きたのか、うつぶせでその場に倒れる。
清正の横を歩く田村の呟きは、能力に対しての驚きと賞賛。
『あれが避けられるなんて驚きです』
田村のナイフを気づく間もなく危険を避けられた理解の及ばない反射神経に、正面から見ていた清正に確認するように風間は問いかける。
『起きてたのか?』
『いや、顔を直視していたが、意識のある顔じゃない。この能力はそういうものだ』
『はははっ! 気に入ったぜ! やっぱりいただくぜ!』
『どうなっても知らんぞ! ただ、もう俺達には関わるな! それが条件だ!』
『あぁ、こいつがいれば充分納得するだろ。報酬を頂いたあとはお前に用はない』
清正は拳銃を腰のホルスターに収納しながら、遼の様子を静かな目で眺め、危険性を感じないと判断してゆっくり近づく。
『あとで俺が連れていく』
『裏切ると繰り返しだぜ? 死刑囚は……俺の元戦友だったんだ。思い出させない方がいいぜ?』
表情からは見て取れなかった風間の心に引っかかっている事情。
遼を肩にかつぐ清正は、無言で立ち去るかと感じるほど風間の言葉に反応しないが、一旦立ち止まり、背中越しに話し出す。
『安心しろ。お前らより先に到着するだろう……それに俺達の能力は研究されて解明できるような類いじゃない』
『まぁ……俺が判断することじゃないな。俺達は雇われただけで、欲しい奴らに売るだけだ。それで終わりだ』
『お前らが利用する船に医療設備があることを願え。それに時間が経つと娘に怪しまれる。もう行くぞ……約束は果たす。そして、もう会わない事を願う』
『あぁ、ベテラン医師が待機してる。急いでくれ。くれぐれもそいつが死ぬ前によろしくな』
◆◆◆
『まぁ、こんな訳だから、用心に越したことはねえぞ』
風間は香山に出来事を伝えた。香山も本来は知らなかった清正の存在。いつのまにか知らされた奇怪な能力を追って、情報源より清正を狙っていた風間。
相手にはしたくなかった清正だが、ハルへの危険性を考えて、各地で増えつつある戦争の匂いを嗅いで増えていく、傭兵である風間たちにより、狙われて生きることを避けるためにも遼を利用する清正。
香山は眠っている遼を眺めながら、その見た目からは想像もできない能力に、そして確認するスベもないことに納得の相槌をうった。
『そうか、わかった……人間を越えた身体能力がある。見た目とは違って狂暴になる。そして、元々興味があったとこは、死ぬ人間に能力が移るっていうところだったな……こんなとこか?』
『まぁ……多分な。そして身体能力以前に、奴らは異常に勘がいい』
『そうか……聞いておいて良かった。隔離を考えないとな』
『構わないけどょ、治療はしてくれないと困るぜ』
『あぁ、今はまだ容態が安定してないが、すぐ連れていってくれ』
これ以上関わりを持ちたくないとも感じた香山。近づくことも避けたい心境。容態が安定するまで安全に監視していきたくも感じた香山は壁に備えてある呼び出しボタンを押し、船員を呼ぶ。
心電図は安定している。それは静かな夢を見ているかのように。その夢の国が、今の遼にとって一番平和なひと時なのかもしれない。
香山が呼んだことにより船員が二人現れた。船員は基本的には、非戦闘員であるゆえ、簡単な見張りや連絡以上のことで呼ばれることはなかった。
ここで船が待機している事情は勿論知っており、国同士がつねに緊迫な状況下にある近年では、船は需要があり、一時的に傭兵や各種依頼により、船の空間を貸出している。
簡単な依頼で船員が了承すれば、了承した限り責任は船員の範囲で、どのような依頼でも基本は受け付けている。
『二人で見張ってて貰いたい。変化あったらすぐ伝えてくれ』
『了解致しました』
『ふあぁ、じゃあ俺達は少し休ませて貰うぜ』
風間は休めるタイミングだとわかると、わかりやすいあくびを香山に見せ、それを察した香山もわざとらしい愛想笑いで仮眠室へ案内をしようとする。先に処置室を出た風間の後ろから、田村は香山に一言告げて、風間とは逆の廊下を歩いている。
『何かあったら医務室からこの部屋のベルを鳴らすからな。それと短銃持っているなら、機関銃は起きている俺に渡しておいてくれ。傭兵に寝られちゃ身を守れないや』
『あぁ、ところで田村はどこ行った?』
『船内うろついとるよ。疲れてないとよ! 若いな!』
『そうか……傭兵らしくなく態度が控えめな賢い男だ。頼りになるが油断も出来ん。助けたはずの傭兵が消えた理由を疑いたくなるくらいだ』
『あははは! いきなりナイフ投げられたんじゃ堪らないなあ! あ……あと、清正の連絡先、万一の為だが、教えてくれないか?』
『ああ……いいぜ。だが連絡するのは俺が去った後か、余程の緊急事態だけだ』
香山が持ち合わせていた手帳とペンに、清正への連絡方法を記入する風間。すでに所在地も知られている清正の存在。その連絡先に香山が目を触れさせると、簡単に出入りが出来るような場所でもないことがわかった。
『勿論簡単に連絡するつもりはないよ……手に負えない時は、お互いの為だ』
機関銃を預かり、仮眠室から出る香山。しばしの休息のため、皐月のいる医務室へ向かう。
遼の眠る病室では、船員二人が、遼を見張りながら雑談している。
『こいつ化け物だってょ』
『このガキが? 一方的にやられたみたいだぞ?』
『まぁ、化け物といっても、どんな事あったか知らないけど、うちの子供くらいかな? 可愛そうになぁ』
遼に触れようとする船員。普通の少年。武力による過度ないじめの被害者にも見えなくない情か。
離れてみれば、すでに手が触れているかどうかの、まだ皮膚の温もりを感じる刹那に耳に突く声。
『彼に触れないで下さいね』
声に反応して振り向くと、開けっ放しだった病室の入口に腰を当てた田村が立っていた。
『あっ! はい!』
腕を組んだ状態で部屋の入口に立っていた田村は、腕を組んだままの態勢で二人に近付く。
『彼と同じ能力の人間に、私達プロの傭兵は10人前後死傷者が出たんです』
『はい! 気をつけます! ち……ちなみに彼にはどんな力が……』
『聞きたいですか?』
『あっ! はい! 宜しければ!』
戦場での話を肴にして、普段は退屈な船旅を続ける船員には、噂のように耳にしている得体の知れない能力の謎が聞けるのではないかと興味津々な眼差し。
軽い笑みを浮かべながら船員に近づく田村は、一見そのような戯れに付き合ってくれそうな予感も期待していた。
『それはですね……』
交差した腕の隠れた両手は、脇に隠した殺意。
『カハッ』『えっ…』
両手に持ったナイフは、組んでいた両手から花のように広がり、刃先には赤い塗られたようなライン。それは船員二人の首を鋭く裂いた痕跡。
『素晴らしい力です』
船員二人は動脈を切られ、圧力ある血しぶきをお互いに撒き散らし、理解する間もなく果てる。
『私は幸運です! あなたに逢えたことが! そして死期が近い人間には力が移ることを! 私は傭兵生活で……ウイルスに感染しました。そのうち死にます。 あなたの能力で、もしかすると治る道があるかもしれません! 先程投げたナイフでは、まず起きないと思い投げました。直接危害がないと反応しないようです ね。どうやって察知してるんでしょうか? 見える世界が違うのですか? まぁそれも自分で試してみればよい話ですね。私はまだ数年生きる身……ただあなた のお仲間さんは、自分の手首を撃って能力を復活させたと、役に立たない手錠された二人から聞きました。ついでに始末しておきましたよ。そして、これなら条件は一緒ですね』
一度振ったナイフを内側に持ち替えて、田村は自分の手首を、ナイフで躊躇なく裂く。
『ははは! ワクワクしますね……どんな気分なんでしょう』
満悦な自分を想像しながら、田村は膝を付きながら、じっくり自分の変化を待つ。時間なのか、感じるものなのか、何かを待つ。
『私はもう変わったのでしょうか?』
変化の瞬間が実感出来ない田村は、立ち上がり、格闘技のシャドーを始める。手首からは願いを込めた結果の代償が流れ、キレのある動きに飛び散る願望。一滴、一滴。飛び散る度によぎる不安。
――わからない……いつもと変わった気がしない!
壁を殴る田村。それも想像を越える結果でもない。
――能力を引き出す鍵でもあるのか?
田村は何も変わらない身体に自問自答をする。そして、普段なら気づいていた。周りの気配に気遅れすることなど。
『何が起きてるの!?』
田村の後ろから響く高い声。皐月の目に映る惨劇と理解が届かない田村の血の舞。
言い訳を聞きたい皐月。しかし、すぐに聞きたくなくなる殺意。
『あぁ……私は能力を手に入れました』
『え!?……そんな』
皐月の指は仮眠室のベルを鳴らしていた。自分でいつの間にか押していることにビクリとして、そのまま走り出す。
『待ちなさい!!』
狭い仮眠室では、必要以上に感じるベルの大きさに、風間は上半身を力強く起き上がらす。そして状況を理解したかった。
『なんだ!!!?』
仮眠室に近づく足音。それは冷静な足音には感じない。廊下に急いで出る風間。すぐに足音の荒らさを表現した表情で走って来る皐月がいる。
『止まれ!』
風間は拳銃に触れ、皐月を無理やり止める。風間は尋ねる隙もなく、静止される言葉の返答は、わかりやすい答えだった。
『田村が! 能力を手に入れた!』
『なに!?』
風間は近視で見る皐月の存在から、遠視で見るとすぐに田村の笑みが映った。歩き始める田村に風間は拳銃を構え、叫ぶ。
『止まれぇ! 田村ー!!』
体中の血しぶき。手首より血を流した状態で、気持ちの良さそうな笑みを浮かべる田村。警戒する事より、理由が気になる風間。
『どういうことだ!! 説明しろ!!』
『ハハハハハハハ!! 私は手に入れたんですよ! 能力を!』
『お前……手錠に繋がれた傭兵を助けたときに言っていた内容を……やはりお前か!!』
風間の言葉に即答しない田村は、自分の服の方から下を破り、手首の止血をするために縛る。
『知ってる人間が多いのは後々都合悪いんですよ……まぁ、能力の奪い方は知っての通りです!! 私は自分に死期をつくった。間違っていないはず!!』
拳銃を強く握り、標準を外さない風間。撃つべきか、油断を待つべきか。
『そうです! 私を撃って下さい!! きっと能力が開花します! その時があなたの最後です!! ハハハハハハハーー!!』
『こ……この……皐月ー!! 後ろに逃げろー!』
風間の怒鳴るように呼ぶ名前に皐月は一瞬戸惑うが、すぐに田村に背を向け走り出す。
『くぅ!』
風間は焦る。森林で戦っていた時の能力者の動きが蘇る。元戦友だった、死刑囚の動き。撃った瞬間、自分に勝機はあるのかと。
『田村! お前は最初からこれが目的か!?』
『いえ……あの少年の後ろから投げた私のナイフを避けられてからです。この能力は何かある! 別の世界が見えると!』
『ならこれからどうする!!』
『それはまだわかりません……とりあえずこの船の人達には……全員死んでいただきます。私の存在を消したいので』
近い目標を消去法のように唱える田村の思惑。付け入る隙をうかがう風間。本当に能力を保有出来たのか。これほど人間らしいものか。そこに抽象的な道筋の矛盾が生まれる。
『おい! 矛盾してるぞ!』
『何がです』
『お前がそれを成功出来るなら! 全員の死期が見えている!!』
『は? それは……』
田村に廻る必然性。田村が船の者全員を殺せるなら、田村より先に死期があるという筋道。田村より先に死期が迫っているなら、田村以外で近寄った者全てに 能力が移動する可能性があったという気づき。拭えない考えに次の行動に出られない田村。そして風間の知りたいことは、明らかな殺意の順番。
『誰から殺す気だった』
『まず身近で簡単に殺せる……非戦闘な香山。そして……』
『皐月ー! 香山はどこだー!』
背中越しで皐月に尋ねる風間。下を向きながら答える皐月。
『多分……死んだ』
『なんだと!?』
『そして! 皐月です!!』
言葉を放ちながら迷うことなく突然ナイフを皐月に投げる田村。風間にすれ違うナイフ。うつむいた皐月は、自分の顔を隠すのに充分な長い髪が視界も塞ぎ、 下を向きながらも、揺れるようにナイフを避ける。横目でそれを確認した風間は、鳥肌が立つ思いで振り返り、田村に背を向ける。
『この感じです……この自信を持って投げたナイフの無力感……この魅力を私は能力に感じたんです!! わ、わあああああああーー!!』
ナイフを投げた時と変わらない皐月に向かう指は震え、手首の血は希望と共に下へ零れていく。絶望を言葉に表現出来ない田村は、風間に背中を向けて走り出す。
『皐月……香山を……父親を殺したのか!?』
『そんなつもりはないわ……だって……肩に触れられた瞬間に、私の体が勝手に動いたんだもん……フフ』
『ん!? 皐月! お前はどうしたいんだ!』
何かに魅せられたように、どのような意味の不敵な笑みか。先程まで逃げていた皐月の姿が、そのまま田村へと移り変わった嘆かわしさへの皮肉な笑みか。
『フフ……あいつが……田村が言った通りでしょ? 追われるのはごめんだわ……私は今……特別な存在なのよ? 研究? 冗談じゃないわ!! 私は特別! 普通じゃないのよー!! アハハハハハハハハ……だから……死んで』
『くそ!』
特別な可能性に魅せられた非凡な存在となった自信の現れか。それは皐月の本来有りたかった姿か。わかりやすい目的に下手な攻撃も利口に感じない風間は、後ろへ走り出す
『田村ー!! どこだー!!』
見回す風間。返答しない旧友。立場は同じだと、再び手を組みたい戦場の友。ちょうど病室を通り過ぎるとき、何か鈍いものを叩く音が耳に入る。
『はぁ……はぁ……おいっ!』
『田村……』
それは、遼の体を何度も叩く田村の姿。身動きのとれない物体のように、痛みに反応できない鈍い存在のように、痛みにも声にも反応しない遼。
『おい! 目を覚ませ! 能力の事理解してんだろ!!!? うわああああ!!』
遼の周辺にある医療器具を、乱暴に倒す田村。絶望。思わぬ失態。自分への恥。吐き出したストレスは取り戻す自分自身。
『おい……田村』
『はぁ……はぁ……はぁ……風間さんは……はぁ……勝てる自信ありますか?』
背中越しに問いかける声に、簡単な浅知恵を返したくない風間。唯一の協力者のまともな言葉を期待する短い時間。呼吸を整える時間を与えたい冷静。
『このままじゃ……はぁ……犬死にです……そして……私は……勝算ありです』
『言ってみろ』
期待する答え。計算高い田村の生死に関わる結論。
『今……私達は死の運命が待ってます……はぁ……つまり私達を即死させないと、能力が私達に移るんです。そして、確実に死に向かってるのは私です! 風間さんは死が不安定です……私は確実です』
手首から流れる血。理にかなっている死期への道筋。ひとつの光明を想像する風間には、その未来も想像する暗雲。
『その後は?』
『え?』
『俺を殺すのか?』
『はぁ……はぁ……約束します……風間さん……この窮地を抜けれるのなら、もう船の人間……あなたを含めて殺しません! きっと能力が入っても、私はあな たに勝てる体力はないでしょう。ヘリを戴ければすぐに出ていきます。狙われても構いません……はぁ……殺したところで、どうせ調べれば、死体の数で私の事 はバレます』
『わかった……だが、作戦を考える暇はないぞ』
『そうね……』
跳ねるように距離を空け、皐月に振り返り身構える風間。いつでも襲える余裕なのか、攻撃が出来なかったのか。皐月が襲ってこない理由は、ひとつの違和感に繋がる。傭兵である者からすれば、先手こそが最良に感じる。短銃を握りながら、それでもギリギリまで考えたい刹那。
『チッ! 機関銃でもあれば!』
『大丈夫です……』
田村はゆっくり立ち上がり、とても無防備に、体に力が入らないのか、入れてないのか区別がつかないほど、自然体で皐月に近付く。
『皐月に……戦闘技術がありますか? 多分無意識の攻撃は、こちらが先手の場合です』
『じゃあ、今までの能力者は!』
『はい……仕掛けたのは全部こちらです。逆に見てみたい……ユックリ近付くものに、どう攻撃するのか……』
能力に身を任せていた皐月は、頭で考え、焦り始める。自分の意思で、想像を超える力が発揮出来るのか。来るものに自然と対応させればよいか。駆け引きは、田村の偶察力が上回った。
『やぁ!』
攻撃の方法が思いつかない皐月。何をどうして良いのかわからない焦り。平手打ちを浴びせようとする皐月の攻撃に田村はユックリと避ける。
『風間さん……こういうことです』
『ヒィッ!』
混乱する皐月。逃げようとする振り返り。「道が見えない」皐月の迷走ですら許さない空間。
『おっと』
入口を塞ぐ風間。攻撃するわけでもなく、近づこうとするわけでもなく、ただ、道を塞ぐ。最良の無策の策で皐月を包囲する戦闘の慣れ。
『チェックメイトですね』
最後の間合いに踏み入れようと近付く田村。
『は!!』
反射神経で床に伏せる風間。その気配は、戦場で何度も感じた殺気。金属を操ろうとする気配に待つものは、大抵が瞬殺する意思だった。
『さちゅきぃ! 逃げぇろぅぉ!!』
発する言葉の間、機関銃で威嚇連発をする香山。香山の顎は、完全に曲がり、歪み、裂かれ、口に溜まった血を吐き出していた。
『お父さん!!』
香山の横をすりぬけ、二人から遠ざかるため、どこへともなく走り出す皐月。
『香山さん!! 皐月は船の人間殺すつもりだぜ!?』
『さちゅきぃは娘だぁ! おるぇはまもるぅ!』
親子の絆に説得は通じない判断。風間は素早く機関銃の先端を上にすくい上げ、簡単に奪い取る。鮮やかに奪われすぎた瞬間は、空気を握り込む香山。風間を 通さないために壁となるか、体当たりを試すか、そのような思考が追いつくかどうかの瞬間、機関銃で香山の腹を、重く殴る。
『香山さん……気持ちはわかるよ。だから寝ててくれ』
『うぐぅっ!』
戦闘不能な香山。気を失うほどの衝撃に床へ砕け倒れる。そのまま意識を失っていることを確認すると、狩りの始まりを伝える。
『いくぞ田村!』
戸惑い逃げ回る皐月を追い掛ける風間と田村。単純に追いかけるか、回り込むか、協力者へと戻った田村へ尋ねる。
『挟むか?』
『いえ策は必要ないと思います……はぁ……はぁ……離れない方がいいでしょう。追い詰めましょう!』
自分を取り戻し、冷静に判断する田村。道の分岐が多い船内、音の反響する空間。気配と足音で追う二人。
『どっちだ!?』
道の分岐になるたびに、一旦立ち止まり耳を澄ます二人。少し静かに耳を傾ければ急ぎ足の歩幅に勢いあるドアの開閉する音が響く。単純な気配を頼りに選択 肢なく向かう二人。何度かの分岐を、気配を読むのに慣れた二人は、今船内を駆け回る可能性ある人物は皐月以外は考えられないことを想像して、わかりやすい 気配を追い続ける。
近づく足音。角ひとつの距離。立ち止まることは必要と感じなくなった二人は、勢いを増し、間もなく眼前にいるであろう狩りの標的を、待ち伏せする危険なども考える必要はないとして追い続けると、角を曲がったと見える皐月の影が目に触れた。
『いたぞ!!』
『はぁ……はぁ……極端に距離が縮まりましたね……いよいよです! 油断せずに行きましょう!』
皐月が曲がった角を曲がる二人。壁に並んだ備品棚を乱暴に倒しながら進む皐月。時間稼ぎにもならない障害物。
『皐月はもう焦ってるな』
『どうなんでしょう……』
まだ見えない角のすぐ先でドアの閉まる音がする。
『追い詰めたな』
『やはり……おかしいですね』
『何がだ?』
『本当に逃げたいなら、立て篭もりますか?』
『まあ……不自然さはあるが、皐月に能力を操る時間を与えるのはまずい』
『そうですね』
まだ逃げられる船内。距離的に絞られる隠れた部屋。風間と田村が同意できる部屋の前に立ち、風間は威嚇と警戒の意味を込めて、ドアノブに触れる前に鍵を 銃で撃ち、ドアを蹴る。そこはネームプレートもない使われていない資材置場。隠れるところも見当たらない部屋。皐月が部屋の奥の角で震える。
『こ、こないで……』
『皐月さん……はぁ……はぁ……平和に話しましょう。あなたから能力を奪ったら、私はヘリですぐ飛び立ちます』
『嘘よ! さっきは皆殺しって言ったじゃない!』
『そのつもりでした……けど私の目的は数年後に発症する感染したウイルスを防ぐ事が出来ないかが目的です』
風間が初めて聞いた田村の事情。道徳心や倫理観などが欠ける戦場での行為。強い力を持った者が弱い者に対して行う卑劣。簡単に想像できる内容に、相槌をする風間。
『そうか……傭兵にはよくある話だな』
『はい、もし治れば、なんの償いにもなりませんが、死期の近い者に譲ります』
誠意ある言葉に聞こえる取引。誠実さが嘘であっても、余計な暴力を感じさせない口調。
『でも……』
『私は今からゆっくり近付きます……どうか動かないで欲しいです』
『もう、ないの』
この殺風景な部屋にも聞こえていない足音があった。それは香山が倒れている病室の前に近付いてくる足音。目的があって近づく音なのか、それは風間や田村が通った道とは違う方向からである。病室の前まで近づくと、その様子に声を掛ける船員。
『香山さん!? 大丈夫ですか? 酷い怪我だ』
気絶した香山を何度も揺さぶる船員。ただ事では有り得ないような怪我。直前に聴こえた銃声。
ほとんどの船員は、関わりを避けるためにも、主要な部屋から出ることはなく、争いが収まるまでは頑丈な部屋の中で立てこもり、良識ある、会話の出来る者 からの状況連絡を待っている状態であった。その逃げる最中に目に触れた事情と「頼まれた事情」。貴重な医師。放置することは出来なかった。
『ん……』
『あっ良かった! さっき皐月さんが、別の道から、病室付近にいるあなたを助けろと……』
『な、なんとぇいっとぇとぁ』
船員は予想外な香山の声が微妙に聞き取れないため、簡単に話しを繋ぐ。
『さ、皐月さんが、それを伝えると、突然目の前で倒れて驚きました……あっ、病室が大変な事になってますね……今直して寝かせて、すぐ応援呼びますね』
『あびゅないきゃらしゅぎゅにぎぇろ』
何か必死に訴えている様子はわかるが、理解に及ばない船員。何か目で見て香山が伝えたい事を考える。連想することは、香山が医師であり、優先することを考えることだった。そのように考えた船員は、自然と患者である遼を見る。
『彼の点滴やが倒れてますね』
遼の様子を眺めようと近づく船員。病室の外から見えていた倒れた点滴。簡単に直せそうな事と、簡単に心配を消去法で解決しようとしていた。近づいた瞬間、それが重要ではないことがわかった。
『な、何が起きたんですか!?』
壁の血痕に視野が広がり、惨劇を想像させ、引く血の気。目線を下げた瞬間、二人の船員の死体を見付ける。何をすべきかの判断も曖昧になり、無防備に遼の寝るベッドまで近付く。
『これは……大変な事が……う!? うぅ……か、体の力が入らない……』
何も理解が出来ないまま、船員は遼の前でうずくまる。そして資材置場では、皐月の言葉の真意と距離感を計る田村。
『もぅ、私に能力はないの!!』
『どういうことだ!!』
皐月に近づこうとする風間。その勢いより、皐月の言葉が重要と感じる田村は、軽く上げた手で風間の進行を防ぎ、聞き耳を立てる。
『私は全員を殺す気だった……でも今のままじゃ奪われる!! だから私は、偶然廊下で出会った船員に能力を移した……そして別の道から病室に向かうように言ったわ……きっとあなたたちが、お父さんを倒してくると思って』
皐月に、一歩接近する田村。
『本当ですか?』
『船員に近付いた途端……身体から力が抜けて一瞬倒れたわ』
『能力を奪われた娘と同じ症状だな!! 田村、急いで戻るぞ。皐月!! お前は動くな! 次見たら殺す!!』
タンカを切って皐月に背を向ける風間。その後ろに続こうとする田村だったが、一旦振り向き、しゃがみこんだ震える皐月にひとつの疑問を尋ねる。
『ところで……あなたは、船員含めて、香山さんを、殺すつもりでしたか?』
『お父さんは……た……多分……殺せない』
『では誰が能力者になるんですか? 香山さんはあの程度なら死にませんよ?』
『え! あ!! そ……そうね……』
『医師ならわかるはずです。香山さんに死期はありません。偶察力は、勘だけでは、上手くいかない事が多いという事です』
『急ぐぞ!』
『はい!』
能力の転移に不安を残しつつ、病室に急いで戻る風間と田村。顔を両手で覆い隠す皐月は、静かな資材置場で、身を沈める。
『うぅ……なんだこれは……こ、これはコイツの力? この! やめろ!』
船員は、何をどうしていいかわからず、得体の知れない能力があると聞いていた目の前の少年によるものかと思うが、船員自身の症状と反して、気配を感じられない遼の手を握って意志の疎通を試みようとする。
『う゛っう゛あああぁ』
遼の体に触れようとする刹那。握ろうとする音のない手が、まるで見えていたかのように、遼の手が逆に船員の腕をしっかり握り、その握力は、そのまま握り つぶすのではないかと感じるほどの精気で握り締め、今までの意識不明に見える様子が嘘のように、どこを見るでもなく船員の手を握ったまま起き上がり始め た。目はうつろに、口は力なく半開きな、まるで夢遊病の童。
『あ、あのがおはぁ、意識がのぁぃ(あの顔は、意識がない)!!』
『ギャアアアアアアアアア!!!!』
船内に叫び声が響く。それは現状の痛み、恐怖、それを聴く者全てに理解を求めるかのように。病室へ走る二人にも、それは気のせいとは感じられないほどのプレッシャーが心に響く。
『ハァ! ハァ! まずいぞ!! 何か起きた!!』
『ハァハァ……誰が……ハァ……能力者でしょうか!!』
『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛』
船員が目線を下げて凝視する先には、自分の脆くも握り潰された。変形した腕。
『あぁ……あぁ……あぁ……』
腰に力が入らず、四つん這いに逃げる船員。慣れない態勢は、たまに地につく潰れた腕。船員は、恐怖と驚嘆を目に表現する香山の姿を見ながら、這いずりながら、思い出したかのように言葉をこぼす。
『香山さん~! 逃げましょうお゛~あ゛ぁぁ……痛い……はぁぁ……あと!! 皐月さんが伝えてと言ってましたあ゛!! 『譲った』と!!』
遼は、這いずる船員へ後ろからにじみより、船員の肩と首を掴む。
『う゛があああああああ』
遼は、これから行う事に、邪魔に感じたのか、力を存分に発揮できるため、握る肩と頭部に力を集め、船員の首を、横にもぎ折る。
開いた首筋。最後に感じる生命力である頚動脈の鼓動。誘われるように、その開いた肩に噛み付く。
少しの時間、目撃している香山にとっても初めての光景。少しずつ病室から後ずさる香山の耳に現実に戻してくれる足音。尻を床につけたまま後ろへ下がる香山の凄惨な表情を横から目撃し始めた風間と田村が病室に到着した。
『香山さん!!!? お……おい……嘘だろ……聞いてないぞ……こんなの……』
血の気が引く光景の先には、床一面、悪趣味な血のアート。無作法な、弱肉強食の食物連鎖か。原形を更に崩す船員。食べ続ける。終わりはどこか。満たされる最後の部位はどこか。終わった後は……続くのか。言葉に出せない光景に、冷静でいたい田村が振り絞って声をだす。
『え……栄養が足りず……無意識に食料を探す?……逃げましょう!!』
『さ……さ! さちゅきぃはぁ…』
『皐月か? あっちの奥の鍵が壊れたドアだ!!』
風間の簡単な道標に、香山は起き上がる明確な理由も定まり、自分自身の痛みも状態も気にせず、皐月の方向に走り出す。香山の逆に走る風間と田村は、少しでも状況を整理したいため、走りながら言葉を投げ合う。
『ハァ!! ハァ!! あんな化け物だったとはな……』
『正直……ハァ!! ハァ!! ハァ!! 震えが止まりません……ハァ!! ハァ!! 歯が折れながら無理矢理食べてましたよ……あまりに弱肉強食です』
『とりあえず逃げる事だ!!』
真っ直ぐヘリポート向かう二人。皐月を探そうと走る香山。香山は痛みと失いそうな意識の中、廊下の壁にぶつかりながら、前へ進む。皐月が倒した備品棚の 残骸。香山はよろけながら座り込む。そこで手にとったタオルを、ぐらつくあごを固定するため、あごから首に結び、震える皐月の待つ資材置場へ近づく。
――こんな化け物を渡す訳にはいかん。
鍵の壊れたドア。それは風間が拳銃で壊した痕跡。そのわかりやすい目印に、ゆっくりとドアを開き、その気配に気づいた皐月も、自分の体を両手でしっかりと抱きしめながら、口をタオルで巻いた父親を確認する。
『さちゅきぃ!!』
『お父さん!』
香山に向かい、走り、肩の下に顔を埋めながら抱き着く皐月。次に口から出るのは、無意識な自分が行った狂気の謝罪。
『ごめんなさい! ごめんなさい!』
『おむぁえわぁわりゅくにゃい(お前は悪くない)』
謝罪を快く受け取った父親の胸を借りて泣きじゃくる皐月。それでも思い出したかのように尋ね始める。
『お父さん……どうするの? これから! 誰が能力者?』
再び皐月を抱きしめ、動きづらい口で、皐月の耳元に囁くように香山は話し出す。
『……(元の身体に戻った)……』
『じゃあ静かに眠ってるんじゃないの!? さっきの悲鳴は!?』
『……(彼は栄養が足りないのか……船員を……食べ始めた)……』
『え!? は!! や……』
皐月は両手で口を抑え、泣きそうになる。もしかすると、自分がそのような事をしていたのではないかと想像する吐き気と身慄。震えるその両手を優しく握り、香山が思う最善を語る。
『……(彼の身体は生きようとしてる。そしてあの能力を他国に渡す訳にはいかん。俺は彼を治療しようと思う。そして仲間に返すのが一番だ。生き残るすべは仲間が知っているはず)……』
『わ……私達が危ないんじゃない?』
『……(俺達はどんな救急患者も経験してきた。二人で管理していけば大丈夫だ! それに……彼が俺達を殺す気なら、能力は俺たちに移るだろう)……』
一度能力の移動を経験した皐月。悪意ない接触は危険とならない可能性。味方となる父親との絆と、自分を見失わない強い気持ちを、ひとつの大きな呼吸で心を落ち着かせ、前を向く。
『今、彼はどこ?』
『……(病室に戻ろう)……』
皐月は香山の腕を自分の肩に掛けて、戦慄と死の残骸が待ち受ける病室に向かう。
『ハァ!! ハァ!! お前は体がもつか!?』
『ハァ!! さあ……ハァ!! どうでしょうか……』
船からすぐにでも離脱しようとヘリポートへ向かう二人。追い求めていた能力の凄惨な一部を目の当たりにして、逃げずにはいられない生存への逃避。
『本土は近い! すぐに病院いけ!』
『それは……ハァ……ハァ』
『どうした!!』
田村の気配が消えることで振り向く風間。田村は立ち止まっている。何かを熟考している様子。それは逃避した先にまつ自分の身の振り方への懸念か。能力に対する渇望か。逃げることで、離れることで冷静になれたひと時。田村の言葉は、背水の覚悟で挑む挑戦か。
『風間さん……行って下さい』
立ち止まる風間。そのままたたずみ、田村を静かに見つめる。外の光に後光さす風間の暗い表情に、落ち着いた口調で田村は話し出す。
『さっきは面食らってしまいましたが……彼の能力は、自分の生存の為に動いてるだけです。私は……今、生き延びても、いずれすぐ死ぬ身です……なら、彼が落ち着いた時に、殺意のない接触を試みます』
『奴の能力はまだ未知数だぞ!!』
『私達が彼に対して欠いてた事は、きっと動物的な本能です! 恐らく今頃は落ち着いて……』
逆光でも微かにわかる風間の目線。それは、風間の目線が自分にない事に気付く。振り返る田村の目に映る、自分の考えを再構築。何を目的に、何故自分達に、本能か、能力か。その声は意識か無意識か。
『ぐがぁぁぁぁあああああ!』
『か、風間さん……あなたの言ってた通りですね……無意識でも……自分の環境を理解して、行動する力もあるようですね……無意識で何を基準に!? 風間さん! エンジンをかけて下さい!! 彼が乗り込むかも知れません!!』
『お前は!?』
『奪ってみせます。能力を!!』
光に向かって走る風間。白く眩い景色からクリアな視界になると、目の前には自分たちの乗ってきた大型のヘリコプター。風間はすぐに乗り込み、ヘリコプターのエンジンをかける。
『田村ー!! こい!!』
『大丈夫です!! 行って下さい!! 彼が近づいただけで、力を奪えます!!』
ヘリコプターがゆっくり上昇しようとする。それを待ち構えていたかの様なタイミング。遼は唸り声を上げながら、ヘリコプターに突進する。
『やはり目的はヘリですね!』
遼の進路に立ち塞がる田村。遼は手を低く構える。
『な!? こ、攻撃がくる!?』
遼は、これから両手を振り上げる様な構えで、田村に襲い掛かる。寝ていた時の様子とは、明らかに違う肉質と凶暴性。危険度を察知した田村。飛ぶように真横に避ける。
『クッ! 彼に何が起きてる!? そして……何か見えてますね……目で見るものでない何か……』
田村を相手にせず、ヘリコプターに向かう遼。態勢を立て直した田村も追いつけない事を理解する。
『仕方ないですね!』
即座の判断で田村が拳銃に触れると、瞬間的な出来事を理解するべきスベがないはずの遼に変化を感じる。
――や、奴の体の姿勢が変わった!?
思考しながらも、田村は躊躇なく発砲する。発泡する直前から感じた。それは遼の動きが何かに迷う動き。右に行くのか、左に行くのか、少なからず目の前の ヘリコプターへ最短で到達するための走りではなかった。銃弾の軌道がわかっていたかの様に、後ろ姿で避ける遼。田村は続けて発砲しようと構える。
――そ、そうか!! なるほど!
何かに気付き二発発砲する。背中から両肩を狙った、左右の回避の難しい軌道に、最短で避けられるための行動か、遼は真横へ低く回避して転がる。遼の目線は転がりながらも、ヘリコプターから田村に変わっている。
すでに上昇を始めたヘリコプター。十分な高さ。田村の上空に近づき、風間が放り投げるものがある。
『田村ー!!』
風間は機関銃を投げる。受け取り構える田村を確認すると、更にトランシーバーを投げる。片手でしっかり受け取る田村は、すぐにトランシーバーを使う。
『有難うごさいます! そして能力がわかってきました!』
【どういうことだ!】
『一種の予知能力のようなものです! 撃つ前に体が避ける態勢になってます』
遼の保有する能力ににじみよる田村の思考。すでに死期の近い者へ移動する不可思議を考えれば、無理な思考でもないことで、はっきりと風間へ伝える。
【まわりの行動が先読み出来る訳か! その仮説が合ってるとして、勝てるか!?】
『私に勝てる可能性があるとしたら、わかっていても避けれない状態にする事です……』
トランシーバーを耳から遠ざけ、新しい道を探しているように首をぐるぐるとゆっくり回す遼に向かって、理解を期待せず言葉を放つ。
『さあ!! ヘリに乗り込むことは不可能となりました!! 船内への道は私が塞ぎます!! あなたの進む道は私に向かう事です!!』
田村は自分の持ち物を頭に浮かべる。考えられるギリギリまで、遼の向かう道がハッキリわかるまで、冷静に、慌てずに、考えられるだけ考える。
――拳銃……機関銃……トランシーバー……手錠……ナイフ。真正面で戦うには不利過ぎる……せめて攻撃を制限できる環境がないと、二手でやられる。私の周りにはロープ……これは旗を揚げるポール……。
実践慣れをしている田村は、偶然的に自らの環境にあるもの全てを利用出来ないか、偶察力の戦いを挑む。風間は相棒として期待出来る田村の思考能力を上空から見守る。
――もし予知能力があるなら、何を隠しても見えてますね……。
田村は横に立っている旗用の細いポールを再び眺める。
――この障害物があるだけで、物理的攻撃は相当不利ですね
田村は船内への入口から少しずつ遠ざかり、旗を上げるためのポールの後ろに立つ。回していた首が止まる遼。ひとつの道が見えたのか、横向きから勢いよく 走り出す。その走り出した方向を確認したかのように、田村は船内への入口に避けられないほどの銃撃を、遼に当てることを考えずに乱射する。
『う゛がああぁぁぁ!!』
その乱射は田村への直線上だけは無事なライン。田村は自分に向かうように仕向ける軌道で機関銃の乱射を続ける。
『私はポールの右か左か読むだけでいいんです!!』
道が狭まり、道が確定された遼は、田村に真っ直ぐ向かって走る。それは田村の期待した道。自分に向かってくるはずの唯一の道。
――私がポールを中心に立てば、奴はポールの『左右のどちらか』に回り込む……ポールと奴を真っ直ぐに合わし、回り込む方向に合わせて、ポールを中心に同じ軌道で、私も回り込む……そして……『右だ!!』
『田村!!!!』
風間が田村の名を叫んだ瞬間、勝敗は決まった。
それは田村の理想。そして田村の『脳が今みている』光景。
向かって右に回り込む遼の軌道に合わし、田村はポールを中心に左に避け、ポールより前に出た遼の手に狙いを定め、手錠を掛けると同時にポールにも手錠を掛ける。
『がぁぁ! がぁぁ!』
『どうですか? すぐに逃げられないでしょう! 残酷ショーの始まりです!! とりあえず足を止めますか!! ハハハハハハハハハ! 私の勝ちです! ハ ハハハハハハハー! そしてこの偶察力勝負の先! 私の幸福! それはあなたの能力を手に入れた時が! セレンディピティの完成です!』
田村は今、遼の足に機関銃を『放っている気分』でいる。
――ハハハハハハハハハぁハハハハハハハハハ。
歓喜の顔を浮かべる田村。だがこれは、歓喜の走馬灯を見ている。目を離さずにその全てを眺めていた風間。
――田村……お前は……その手錠で、『今から奴を』、ポールに繋ぎとめる考えだったんだろ? しかし奴は、『両手で』お前の首をつかんだ。お前の顔は喜びに満ちあふれている。すでに体から、頭が離れていようと、体は機関銃を下に向けて放っていることから、お前のやりたい事は理解したぞ! 流石だ……田村。
最高の作戦と思い、思考が先走る田村。頭だけの存在となり、見たい光景を脳で見ている田村。遼がつかむ歓喜の顔の田村。足元はすでに体ごと倒れている。遼は、言葉にもならない唸りを吐きながら、田村の頭を潰す。
『化け物がっ!!』
見届けた風間は船から離れる。無意識の遼は、フェムの道が途絶え、その場で倒れ込む。入口から見えてくる人影。口を抑えながら出てくる皐月と、応急処置をした香山が現れる。
『……(終わったか……皐月……担架で運ぶぞ)……』
『はい……』
ほかの船員には頼まずに、二人で丁寧に持ち上げ、担架に乗せられる遼。悪意ある心を持つ船員などの接触を恐れ、治療することだけを考え、回復させることだけを心で唱える二人。
『本当……自分にない力って欲しがってしまうものね……』
『……(だがこの青年は望んで手に入れたか? 普通の若者……おそらく死が近付いていた事で手に入れたことだろ……どちらが幸福だったか)……』
『無いものねだりだけど……それでも羨ましく感じるわ……でも私には荷が重すぎる』
治療室へ向かって運ばれる遼。立てこもっていた船員への連絡は、船内の殺害は田村の単独犯の扱いとして、仲間である風間は逃亡したとされた。そして遼の治療は続く。
空軍基地で誘導により着地するヘリコプター。険しい表情で操縦席から降りてくる清正。後部からも降りてくるハル。何人かヘリコプターに駆け寄り、ハルの横で倒れている操縦士に気づき、担架の要請を連絡している。
『彼は気絶してるだけだ! 起きたら後で話しがあると伝えてくれ』
『はい!』
『娘が出血多量だ!! 止血と点滴は行った。続けて処置もやってくれ』
『はい! 担架を用意します!』
『必要ないわ……自分で医務室にいく』
『ハル……』
疲労感を見せないたたずまいで、ヘリコプターから離れ、眉間に力が入った目つきは、清正から見ると普段より機嫌悪そうに見える雰囲気で歩くハル。清正が 遼を何者かに渡したことは、半分は理解できるが、半分は、何かが間違っている気がする腑に落ちない思いと、自分を助けた人間を自分たちのために渡したよう な罪悪感が払拭できない面持ち。時折すれ違う基地の隊員に会釈されながらも、頭がいっぱいな気持ちなのか、周りの様子も見えない雰囲気で反応が遅れながら 礼を返す。一先ず腕の治療も必要であるが、その話を聞いてくれる人物もその目的の部屋にいた。
医務室に到着するハルは、気を取り直しているのか呼吸を整えて、自分に言い聞かせるような優しいテンポのノック。
『はい』
『失礼しま~す』
『おお春枝! 戻ったか!』
『おじいちゃん!』
笑顔のハルの表情に安心をしつつも、包帯を巻かれ、赤く滲む手首をみる「出浦盛清イデウラモリキヨ」。
『随分無茶をさせたようじゃな……スマン……』
『大丈夫だょ~。それよりパパにイラついてる』
相槌の代わりに笑顔で返す盛清は、振り返り、新しい包帯や薬品を棚から物色しながら言葉を返す。
『お前が医務室に着く前に清正から連絡がきた……彼は残念だ……しかしお前を思う気持ちも理解してやってくれ』
『んん……まあ』
『すべてはわしのきまぐれからの始まり、清正はわしの尻拭いをしたんじゃ……本当すまない……』
息子の心中を自分のことのように代わりに謝る盛清に対し、ハルは沈黙しつつも、複雑な表情を浮かべるが、すぐに話を変える。
『おじいちゃんまだ現役で医者続けるの?』
『あぁ、まだわしを必要とするお偉いさん方がいるからのぅ! 勝手な言い分じゃが、力がなくなりホッとしとる』
『もうパパに医術譲って早く隠居しなよ~』
『あいつはまだ頭が固い……もうちょっと柔軟性がついたらな』
『それおじいちゃんの歳になるまでムリそう~』
『ハッハッハッ! それは困ったのぅ』
気持ちを下げたくないハル。とりとめのない話で笑顔を絶やさないように繋げるハルと盛清。医務室ではハルが入室したときからテレビがついていた。ハルは横になり盛清と雑談しながらも、ニュースを適当に眺める。
【今日未明~……~警察署~……~の鈴村和敏容疑者が……】
『鈴村?』
【療養中の病院を抜け出し、拳銃を警察署より窃盗、現在指名手配となってます。現在は……】
途切れ途切れに耳に入った古くない名前に反応したハル。それを盛清に尋ねるように言葉を繋げる。
『鈴村って、昨日……遼が町田とやり合ったもうひとりの刑事?』
『顔に銃弾と聞いたが脳は外れたみたいじゃの……昨日の今日で拳銃の窃盗とは』
『鈴村は何か始めるね……動機は限られるわ』
『そうじゃな……なんにしても春枝はまず治療じゃ』
興奮しそうなハルを落ち着かせ、点滴後すぐに輸血を始め眠り込む。睡眠導入剤によりいびきをかいて眠るハルを盛清はにこやかに眺め、静かに医務室から退室する。医務室の外では、清正が待合用のソファーに座りうつむいていた。
『春枝に絞られたか』
『いや……話そうとしない……』
困った顔でにやける清正。
『まぁ……しばらくほっとくんじゃ。複雑な考え方と、助けられた人間を自分達の保身のために売った訳じゃ。あの子の歳で割り切るのは難しい』
『俺は……間違いだったかな……』
『わしはお前を責めはせんよ。結果がどうであれわしらの事を考えての行動じゃ。あとの事はやって来る出来事に対応するだけじゃ』
しばしの沈黙に、清正がふと横目の先を眺める廊下の先。清正に目線を合わせた隊員が近付いてくる。
『お話し中失礼致します。気絶してました操縦士が目を覚ましました』
『すぐ行く』
隊員が頭を下げて廊下の先に消えるところまで見届けると、盛清は状況を察して清正に尋ねる。
『船の居場所を知らせない為かい?』
『はい……それに後々わだかまりを残すのも良くないので行ってきます』
『清正、わしらの事を知っとるのは何人だ』
『確実には……二人です。すぐ対処します』
清正は盛清に背中を向け立ち去る。盛清はすぐに医務室へと戻った。まだハルは眠っている。盛清はハルの頭を優しく撫でる。撫でられることで微妙に浮かべ る笑み。その表情を優しく眺める盛清は起きないように手を離し、振り返ると同時に顔つきを変え、歩き出す先にある事務室。深い息をつき頭に浮かんだ人物電 話を掛ける。その電話はすぐに繋がったが、違う人物が電話に出た。
【はい……】
『香山の娘かい?』
【盛清さんですか! ご無沙汰してます!】
『前に香山から番号聞いてたんじゃ! 兵隊相手の船舶船医を専門でしとると聞いたが』
【はぃ……】
電話に出た皐月。直前までの凄惨な出来事への悲壮感を表した声。事情があっての声質と感じる盛清。そして香山の事を当たり前のように尋ねる。
『香山はいるかの』
【今……調子が悪くて……すいません……伝言があれば】
『若い怪我人今朝来たじゃろ』
返答に悩む皐月。一先ずは守秘義務を優先させる。
【いえ、特にそうい……】
『隠さんでも大丈夫じゃ! 彼はもう目を覚ましたかな』
【すいません……これ以上は……】
『ああ、立場はわかる。彼が……いや……香山の調子戻ったら、連絡欲しいと伝えてくれるかい』
【あの……あ! 今香山が隣に来まして、話すのが難しい状態なので、私が間に入って伝えますが】
『一言香山の声が聞きたいが……』
皐月は香山に伝える。香山に事情を伝える声が微かに聞こえるが、盛清が知っている口数の少なくない香山からはその相槌がないことに、どのような返事が返ってくるかひと時待つ。
【ごびゅしゃてゃしとぇましゅ!(ご無沙汰しております)】
『わ、わかった! 出させてすまなかった。娘さんに代わってくれ』
明らかな会話が困難な状態。理解した事情。
【はぃ……】
『何か奇怪な力持った青年と聞くが、その影響かぃ?』
【は……はい】
『そうなら、そんな危険な力はずっと眠らせた方が良いぞ』
盛清の質問をそのまま香山に伝える皐月。皐月の耳元に細く話す香山。時間を掛けた会話が続く。
【そんな情報を、どこから聞いたのでしょうか】
『傭兵の一人くらい、連絡できる者がおるんじゃ。帰国したがの』
【盛清さんなら不思議はないですね……ただ、私どもは、仲間の元に帰そうと考えております】
『そうか、同じ力を持った仲間がいるのじゃな? それがええかもしれんな』
【はい、仲間なら環境の適応方法は熟知しているかと思いまして】
『仲間と接触するの難しいじゃろ。わしが調べようかい?』
【心遣い感謝しております。ただ私共も一人あてが有りまして、後ほど確認しようと考えております】
『そうか。それは良かった。名前はわかるんかの?』
【たしか……清正と……】
繋がる道標。伝わった情報。盛清の判断は面倒を避ける虚言。
『ほぅ……わしに似て古風で素敵な名前じゃな~。聞いたことないがそいつと連絡取れるんじゃな』
【船にいた傭兵が去ってしまいまして、香山は傭兵から連絡先を聞いていたので、その者に連絡してみようと考えてました】
『ほぅ……探してた力を置いて去ったとは』
【はぃ……色々ありまして、彼はずっと昏睡してますので、静かに治療を続けていく次第です】
『そうか……どんな力かよくわからんが気をつけてな』
【はい! ありがとうございます】
『ではまた』
盛清は電話を切ると医務室へ戻る。ドアを開けると、思っていたより早くハルは目覚めていた。
『おぉ春枝! 目が覚めたか』
『おじいちゃんの尻拭いは私の番よ』
一瞬、電話でも聞かれていたのではないかと考えたが、そのハルの目はテレビからの情報からのものであった。ハルと盛清はテレビニュースを静かに眺める。
【なお犯人は依然立て篭もり、立明大学の学生を人質に……】
『鈴村か?』
『一発発砲があったみたい。時間のタイミングと距離的に間違いないわ! ここは遼の通う大学よね』
『春枝が動く事はないそれなら清正に』
言葉を遮るハル。
『助けられた借りをつくりっぱなしは嫌なの! パパが? パパはどう見ても教授や学生のガタイじゃないわ!! 私なら学生で通るわ』
『いや駄目じゃ! 普通でも全治半年じゃ! 行かせはせん!』
説得の応戦が繰り広げられると想像した最中、言葉を止める理由となる、ドアをノックする音。
『はい』
『失礼します! ヘリコプターで敷地内に着陸要請があります。風間と言う男が清正さんを呼ぶように叫んでまして、こちらかと思いまして』
『風間……わかった! わしから清正に伝えておく。許可してええよ。こちらも彼に用事がある』
隊員は一礼をして去り、騒がしくなった周辺の事情により説得をしきれないハルは膨れっ面でいる。
『気持ちはわかるが……ここはわしを助けると思って落ち着いてもらいたい』
『はい……』
『じゃあ清正のところに行ってくるからの。今は寝ていなさい』
納得しきれていないハル。その納得を払拭しきれていないハルの表情を尻目に、盛清は医務室を出て清正の元に向かう。
操縦士が気絶していた部屋は一つ下の階層の部屋。仮眠室程度の部屋で安静にしていた操縦士がいる部屋で、清正は操縦士と話が終わり、ちょうど部屋から出てきたところだった。
『清正』
『父さん……どうかしましたか』
『ああ、いくつかあるんじゃ。ざっと言うぞ。まず船で問題起きた。その事は落ち着いて、その船の医師をしとるわしの旧友の香山がお前連絡しようとしとる。風間から携帯番号を聞いたらしいわい。そして風間は船からすでに去った。その風間は今ここに来とる』
『なんとなくわかりました……その、香山は何故?』
『遼を仲間の元に返したがっとる。そしてわしはお前の事は知らないと伝えた。どうじゃ……対処出来るか?』
『対処します。風間はヘリできたんですか?』
『そうじゃ。よろしくたのむ』
清正は、通常ヘリコプターで侵入した者が待機する、風間の待つ所に向かい始める。
約束通りに事を進ませた清正。それでも訪れてくる風間。どんな問題が起きたかを想像する清正。傭兵との取引に約束はあるようで無いように感じながらも、問答で解決できることを考えながらも風間の元へ向かう。
ヘリコプターのそばでタバコを吸いながら待つ風間。
『おう清正! また会ったな』
『どういうつもりだ! 約束は果たしたぞ!』
『あぁ……そのつもりだったがな……まぁ、俺は敵にするなら動物より人間の方が扱いやすいや』
想像できる展開と内容。扱いきれなかった能力者。その結果の精算。そのような言葉を匂わせる風間。それもわかった上で、あえて詳細を探ろうとする清正。
『どういう事だ』
『あっちで話そうぜ』
死角となる建物の陰へ誘う風間。わかりやすい考え。それだけ感じる自信。
『ここで話せ!!』
『いいのか? 娘に付きまとうぜ』
清正は風間の胸倉を掴む。動じない風間は余裕を感じさせる顔つきで、タバコの煙を浴びせる。
『おいおい。こんなとこで残酷ショーする気か? はは、まあ待て』
腕を払い、歩き始める風間。間合いを見計らいながらついて来る清正。
――罠だ!
清正に緊張が走る。本来狙われていた清正。自分が会話に乗らないと狙われるハル。明らかにわかる災い。それだけ、躊躇する。
――フェムの流れが最悪だ! 行くべきではない。『お前……俺を殺す気か!?』
『俺は一生傭兵だぜ? 常に殺気立って何が悪い……必要なら叶えてやるよ! ハハハ!』
ごまかされた気もする清正だが、真意の方が気になり、いつでも風間の致命傷となるフェムの流れを眺める。風間は周りを見渡す。敷地内は厳重な警戒をされている。監視カメラや、トレードマークの旗などのポールが幾つも立っている。
『この辺か』
『何が狙いだ!』
『ハッハ……あんた……真面目すぎるよ……まあいい。俺はこれからあんたの娘を狙っていくぜえ? あいつには逃げられたからな』
適当に話を繋げる風間。盛清から船の問題を深く聞いていれば更に察することのできる虚言。けれど、風間にとっては、言葉は重要ではなかった。
『お前はあの男を売れば済む話だろ!!』
『数は多い方がいい。俺の自由だ』
『なら……今俺がお前を黙らせるのも自由だな!!』
『ああ……そうだな』
風間は基地内の旗を掲げるポールに触れながら、清正を挑発する。清正は風間の体にはびこるフェムを見極める。
――おかしい……体の隙は沢山ある。しかし風間までの道が最悪だ。
『娘……割といい女になりそうだなぁ! アハハハハ!!』
『風間ーー!!!!』
風間は会話の最中、眺めていた。清正が抑えられない挑発の種類を。一番効果的に感じたハルを天秤にした挑発。
清正は、口を閉ざしたい一心で、風間に向かい突進する。
――田村……お前がやりたかったのは、こうだろ?
ポールの後ろに立つ風間。それは遼を相手にした田村と同じ行動。
『があああああ!!』
――田村……右にくるぞ。だけどお前はポールに近付き過ぎた……。
ポールにより手が届かない清正は、ポールを中心に勢いのまま風間に向かって回り込む。
『そう……田村がやりたかったのはこうなんだよ!!』
風間も清正と同様の軌道でポールを中心に左に回り込む。
『があああああ!』
清正の片手が出る。
『こうだよな!! 田村ー!!』
清正からすれば、自分と違う名前を発することの意味がわからない。余計な思考は、清正の行動をほんの少し鈍らせるには十分だった。風間の思惑通り、田村が能力者相手にやりたかった理想通り。清正の片手に手錠が掛けられた。
『そしてこうだ!!』
手錠をポールに掛けると、風間はポールから飛ぶように離れる。
『はっ!!!!』
『あぁ……そうだなぁ田村ー!! すぐに足とめなきゃなぁー!!』
消音装置を付けた拳銃。脅しで使うような様子ではない風間。それは躊躇がなかった。風間は笑顔のまま発砲する。何度も、何度も。
『ぐあぁ!! がああぁぁぁぁ!!』
風間は清正の足に六発の銃弾を撃ち込む。それは警戒する必要以上の数。田村と能力者の戦いを目に焼き付けた為か、立ち上がるという可能性を絶ち、確実な安心感を得る為の非情な心を鉛で表現する。
『動けねぇだろ……お前、今、俺を殺したくてしょうがないだろ? ここまでは田村の弔いだ。そしてここからが俺の用事だ』
風間はもう一つ手錠を取り出し、後ろに回り込み、素早く清正の自由な片手に掛ける。同様にポールに手錠を掛け、清正はポールに向いている状態となった。痛みと遺憾が脳と体を占領した清正の背中に、自分の背中を合わせる風間。
『う……うぅ……うあああああああー!!!!』
『お前の殺気からくる俺の死期が逃げてなくてよかった……まあ、力抜けなきゃ自分の腕吹っ飛ばすところだったよ。どうだ? 力が抜ける気分は……お前は真面目過ぎた』
膝をつき、両手をポールに繋がれた言葉を失う清正の背中にある残酷な温もり。接近に必要な時間も定かではないため確認をするためにも風間は立ち上がり、少し距離を空ける。
『手錠を壊す力も、ポールを曲げる力も、もうないだろ』
『目的は果たしただろ!! 俺を殺すなら好きにしろ!! だが!! 娘は見逃せ!!』
『このことを娘が知ったらどうなる? きっと向こうから会いにくるぜ? 俺からは行かねえ事は約束出来るが、この能力の事は話して貰うぜ……実際、実感が湧かねえ』
『く……』
言葉を噛む清正。ハルを巻き込みたくない気持ち。風間への信憑性の少なさ。能力を使いこなされる危機。無言でいることが最善か。それでも脅される材料がありすぎる現状に言葉がでない。
『おいおい!! だんまりは無しだぜ……どうせ山篭もり修行でもすれば解ってくるんだからよ! ははは!!』
時間の問題。少しでも隙を感じたい。清正は、能力の反射神経と清正自身の反射神経の戦いに挑む。
『フェ……フェムと言う……光って見えるラインがある……見えるか?』
『フェム?』
『目をつぶって見ろ……集中すれば見えてくる……』
目をつぶる風間。その隙を狙い、痛みを忘れて一瞬立ち上がった瞬間、ポールになるべく近づき、腰から抜いた拳銃を素早く発砲する清正。
『うおおお!?』
風間の体はすでに低くかがんでいる。それは風間にとっても予期しなかった動き。清正の判断は成功するはずだった。万が一、能力が移動していなかった場合。
風間の意図しない態勢から、最短に反撃できる踏み込みで、清正に反撃しようとする。
『お!! ぉおっとお!! 止まれ!! 止まれ!! 俺の体よー!!』
風間は自分の意思で暴走しようとする自分の体を止める。更に止まらない体は風間の意思。拳銃の標準を合わされる前に、素早く清正の拳銃を蹴る。
『くっ!!』
『あっはっはぁ!! 残念だったなあ! けど少し理解したぜえ。可能な限り回避防御最強だなあ』
『それ以上は……自分で考えるんだな』
『あ?』
清正にはもうひとつの狙いがあった。響いた拳銃の音の広がり。それは取扱いに慣れている基地の隊員の一人にでも耳に入れば、すぐに異常事態だと判断できる。警報が鳴り響く。
『あ~ぁ。さっきの発砲で警戒し始めたな……まあ、今更だがお前に恨みはない。あのガキに相棒の田村を殺されてな……能力の根絶やしには賛成だ。人を喰うのは人間じゃねえ! ってな! ハハハ! じゃあな』
風間は用事が済んだ意思表示のように、手錠の鍵を自分の足元に落とし、ヘリコプターに走る。
警報が耳に入り、清正の安否が気になる盛清。警報の理由を隊員に確認する。
『はい! 発砲が敷地内で起こったようです!』
『清正! おい!! すまんが、ここにある救急用具を持ってきてくれ!!』
盛清は、すでに異常事態を感じていると思う、ハルのいる医務室に向かう。
『ハル!?』
すでにハルは居ない。ベッドの温もりを確認する盛清。
『随分冷えとるな……警報より前に消えとる……まさか!』
ヘリコプターのエンジンを掛ける風間。上昇するまでに時間が掛かる。そのわずかな時間にヘリコプターへ近づく隊員たちの姿が目立ってきた。
『おいおい、ワラワラ人が集まって来やがったな』
風間は消音装置を外し、軽くドアを開けた隙間から、空に向かって威嚇発砲する。隊員は皆警戒し、身を低く屈める。
『俺はもうここに用がない!! 殺す気でこないと返り討ちに遭うぞ! ハハハハハハハハハ!!』
威嚇発砲を何度も繰り返し、甲高く笑う風間。風間はゆっくり上昇し、目的地にヘリコプターを飛ばす。
『あははははー! 新しい相棒! 待ってろよ!』
隊員達はまさかの事態に騒ぎはじめる。興奮し騒ぎ立てる者。緊張が隠しきれない者。盛清は清正の状態を確認した隊員より理解する。そして基地内の幹部に伝える。
『奴は……追うな! 身内の話だ! これ以上の騒ぎは無駄な被害者と収拾のつかない話となる!! 演習の扱いとするんじゃ!!』
高い技術の医者として、官僚に関わりの強い盛清の発言と、それらを世間に弁明する事態の拡大を治めるため、基地内で事が無かった形となる。
隊員と共に清正へ近づく盛清。その力ない姿に、想像以上の屈辱を感じる。
『清正……』
ポールを握り肩を落とし、うなだれる清正。近寄りがたい隊員たち。近寄れる者は盛清のみ。そこで掛けられる言葉は、本心のみだった。
『お前が生きてて本当に良かった……』
『はあぁ……父さん……すまなぃ……奴の挑発に……本当に……すまなぃ……ううぅ』
悔し涙を流す清正の頭を、子供のように撫でる盛清。両足に戒められた銃痕の痛々しさ。それでも盛清には、優先するべきものがあった。盛清に言われて隊員が用意していた救急用具。
『清正……ここで処置をして、すぐ向かうぞ』
その頃、事態を知らないハル。バイクで鈴村が立て篭っている立明大学に向かう。
『叱られちゃうんだろうなぁ……』
医療室に連れて行くことなく、盛清は清正をその場で弾丸を取り出し、応急処置をして隊員に指示をする。
『さっき清正を乗せた操縦士を呼ぶんじゃ!! ヘリの準備を頼む!』
遼は昏睡を続ける。世間の雑音を遮断した魂の空間。
――僕は周りより大きく……雄大で……静かで……退屈な大木……僕の願いは……この見える世界と……違う世界を見ること……特別な……能力で。
立明大学に到着するハル。その入口はテレビの取材者やそれを近づけまいとする警官隊で包囲されていた。
『包囲されてるなぁ……どうやって入ろう……』
校舎を眺める。長くそびえる校舎の隣。屋上の高さに近いビルが目に留まる。バイクを路地に止め、そのビルに向かい、外階段から屋上に昇る。
――いいね……ちょうど校舎に届きそう。
助走をつけられる距離まで下がる。飛び越える不安はない。あるとすれば負傷した手首への衝撃。
『フェムの道は広くて綺麗な波!! ハァァァァ!』
充分な助走と能力の導きで余裕をもって校舎に届き、衝撃を分散させるため、手首をかばいながら体の所々を受身としての五点着地する。
――さて、どこかしら……学生が集まる場所……食堂かな。
屋上から階段を静かに降りていくと、階段にある校舎内の案内図。現在地から学食までの経路を探す。想像通り、校舎内にはひと気がない。
――どうして鈴村は大学に? 捕まるのは目に見えてる。逆上? 遼も指名手配で今は海の上。
学食にゆっくり近付く。自分の影と姿が悟られないように辺りを見回すと、学食を中心に、別の校舎の教室や屋上から、狙撃部隊が見える。見付かると面倒と思い、一呼吸おき、フェムの様子を探る。
――学食に向いてないね! まだ行くべきじゃないのかも。こっちの校舎か。
フェムの道を外れないように慎重に歩く。その先に見える扉。それは広い講義室。講義室のドアをゆっくり開け、中を覗く。
『何があるの……』
『キャア!』
『静かに! 落ち着いて! 犯人は学食よ』
ドアの音と同時に声を上げる学生。生徒が並ぶ座席を固定させた横並びの机に隠れる女性。ハルの言葉に少しずつ顔を上げる女性は、遼から恐怖により逃げ出した加藤陽菜である。
『あなた……誰?』
陽菜は持っていた携帯電話をデニムにしまい、ゆっくりと上目遣いでハルを見ながら尋ねる。ハルは安心させるため、怖くないと思われそうな表情を浮かべて言葉を交わす。
『私はハル……えと、外に逃げ遅れちゃって……ずっとここに隠れてたの? それと犯人って、警察関係者って聞いたけど』
逃げ遅れたというありそうで簡単な嘘に、陽菜は安心したか、自分の状況を話し出す。
『はい……あの犯人……刑事です。突然目の前に現れて……私……顔の傷と血に驚いて叫んでしまって……』
『あなたが叫んだ事で、人が集まったのね』
微かにうなずく陽菜。するとハルも聞いていない内容をゆっくりだが自分から語りだす。
『私……あの刑事のニュース……知らなくて……周りの人が犯人とか指名手配とか言い出して……囲まれたと思ったら、いきなり発砲して……私……怖くてすぐ逃げて……』
『鈴村は何を聞きにきたの?』
『多分……遼って言う私の知り合いの事。あいつは……』
『遼は……昨日いろんな事故に巻き込まれたんだよ』
言葉を言い切って、自分が余計なことを言ってしまったと感じる表情を浮かべるハル。陽菜が遼の知り合い程度の繋がりと思った雑談のつもりだったが、遼の名前をハルから聞いて表情が険しくな陽菜があった。
『え!! 遼の事知ってるんですか!? 遼は今どこに!?』
意外な食いつきに少し戸惑うハル。どのくらいの繋がりの関係なのか、嫉妬なのか、友情なのか。それでも険しい顔は愛情には感じなかった。
『今、遼は……重傷負って、どこかで治療してるわ』
『どこ!! 教えて!』
『それは……ごめん』
逃げ出したい気分になったハル。フェムに導かれて陽菜と接触したことに、どのような運命を感じていいのか悩む。
『ハルさんは遼とどういう関係なんですか!? 彼女ですか!?』
更に言葉に悩むハル。目の前の女性が事情を知らなくて、自分が知っているような関係。言葉につまりながらも、ハルは少し面倒くさそうに言う。
『そ、そうょ! だ! だからあいつを庇う立場ってことで!』
『そ! それじゃ、昨日の事件……』
『それより鈴村をなんとかしないとだから……あなたは隠れてて』
陽菜も言葉をつまらせて、遼とハルの関係性からくる繋がりと昨日の狂気な遼を整理する。ハルはこれ以上の話は鈴村追跡に支障を感じて、素早く振り向く。陽菜はハルの腰に挿してある拳銃に気付き、所持する意味と遼への黒い感情が沸き上がる。
『やっぱり!! ゆ……許せない……』
『えっ?』
真後ろで聴こえる陽菜の低い声。振り向いた時にはすでに、陽菜は拳銃をハルの腰から奪い、それをハルに向ける。
『なにを!?』
『あんたも遼も人殺しよ!! 達哉を殺したわね!!』
陽菜の結論。整理した思考の答え。ハルは少し混乱しながらも、ゆっくり手を挙げて、なだめようとする。
『ちょっとぉ……勘違いしないで』
近寄ろうとするハルに、陽菜はあわてて手元を危なげに探りながら、引き金を引く。
『私の目の前で刑事を殺しといて勘違いはないでしょ!!』
『あ、あなた』
ハルは気付く。遼と刑事の出来事にこの学生は立ち会っているのだと。そこから繋がる交友関係。遼の目の前で死んだ達哉。その達哉を想う女性だと。
『あれはね……話が複雑で……』
『近寄らないで!!』
陽菜はハルから後ずさり少しずつ距離を空ける。更に険しくなる陽菜の表情。鼻の横のほうれい線は深く釣り上がった表情筋。怒りに任せて今にも手前に引きそうな人差し指。
銃声が轟く。拳銃を握る陽菜は目を強くつむっている。ハルはうずくまり、事態を理解しようとする。
『学食!?』
陽菜は挙動不審になりそうに、ハルと学食の方向を交互に首を振ると、銃声の方向からざわめきが響いている様子を感じ、目を数秒つむって耳を澄ますと、手から重さが消えた。
『え!?』
『おもちゃじゃないから返してもらうね』
陽菜は一瞬で目の前に現れたハルに拳銃を奪われる。その常人と感じられない行動の早さに、遼への繋がりを強く感じる。何か言葉をぶつけたい気分でもあったが、先に行動を始めたハルの言葉に、一旦自分の感情を静めた。
『ここを動かないで!!』
座り込む陽菜に背を向けて学食に向かうハル。講義室の扉を開けた瞬間に、恐怖から遠ざかる学生たちが目の前を横切り、我先に掛け走る。
『ウァァァァ!!』
逃げ惑うような声が響く。
『キャアアアア!!』
学食から飛び出す血眼な男女。余裕を感じられない狂気からの逃亡。その空間以外なら全てが幸福に感じる見えない幸運路への猪突猛進。飛び出す学生の後ろから発砲している。
『キャアァ!!』
ハルはその中暴動に紛れて中に入る。
『くそぉ!! 逃げるなって言ったのに!! 何でこんなことに……ああああー!! 水谷!! チクショー!!』
遼を呼びながら大人気ない怒りを口々に出す。止まらなくなりそうな引き金を強制的に抑制するため、拳銃をコートに隠し、周りを見回しながら苛立つ鈴村。
ハルは周りの学生と逆方向の混雑に混じり、低くかがみ、横を向いている鈴村の隙をついて適当な椅子に座りながらしばらく様子を見る。入口から遠く、逃げきれない場所にたたずんでいた学生たちと共に。
ヘリコプターを飛ばす風間。青々と茂る山々の上空を飛行する。
『やっと着いたな』
目的地と思われる地点近くに到着して、ヘリコプターを降下する。深い山脈の森林飛行中に、確認した方位を頼りに、風間は森林の中に入り始める。誰にも邪魔をされない場所。挙動を気にすることなく凛としたたたずまいで、清正の言葉を思い出す。
――フェムか……。
風間は目をつむり深呼吸をする。落ち着いて周りを見渡す。
『なんだ……このラインは……』
口に出してしまうほど、初めて観る光景。清正の言葉がなければ本来は先にくる混乱。様々なフェムの形に戸惑う風間だが、能力者特有なものだと、納得が安易な予備知識があるため、余裕を取り戻し、見定める。
――良し悪しがあるのか?
その数あるラインの中、風間は本来の目的地と違う方位である、ギザギザする細い道を進む。
『ハァ……ハァ。体が重いな。なんだあ? この緊張と吐き気は』
不快な気分で足場の悪い山道で疑問を口走りながら歩き続けると、視覚より先に聴こえてくる音。
――水の音。……滝か!
間もなく目でも確認出来る音。その直前、確認する間もなく、風間本来の感覚で感じる別の気配。すでに理解した気配は、万人に認識出来る恐怖の唸り。い ち、に、さん、と、そのうち確認する事を諦める数の野犬が現れる。拳銃を構え警戒する風間。実践経験からくる落ち着きか、丁寧に間合いと距離感をつかむ。
――これは……なるほど、不正解……道によって運命が変わる訳か。
風間は気づく、冷静になればなるほど、再び見えるフェムのライン。慎重に、わかりやすい一番太く滑らかな道を歩く。野犬にとって間合いの外。野犬はその絶妙な位置に、野犬は一定の距離を保ち、襲って来ない。
『これじゃわかんねえな……』
響く銃声。無差別に狙われ、もがき、痙攣に陥る野犬。同胞への攻撃は、逃げるか攻めるかに分かれた、襲い掛かる野生の形相。拳銃は風間にとって威嚇。自分以下と思える相手には頼らない意味の美学か、拳を構える。
――ほお……野犬の体中にフェムが見える……正解ははっきりした波か。
狂気の牙に臆さない的確な攻めと反応に、堕ちる野生のプライド。自分以上と判断した野生の勘は逃亡の選択。
『あっはっは便利なもんだ! 教えて貰うまでもなく急所ばかりだがなぁ』――つまり、道が滑らかなで広い道を選べば、悪い事が起こらない訳かぁ……田村が見たかった世界だな……生きるための最良の道なら、長寿の道にも続くかもな。
野犬は気配を消し、滝の音に背中にすると、風間は本来の目的地に向かう。目的を優先して進める足元には、どの道よりも太くきらめくライン。
――目的地が最良の道とはな! これが俺の生き方なわけか! まぁ戻っても俺にとって何もいいことはないかもな……思ったより時間をくってる! 少し急ぐか。
風間走りながら感じる能力の特性。それは一時期の興奮を生む。
『なんだこの溢れるような力は!? ハハハ! これはいい! だが俺の欲しい力じゃない! 必要なのは頼りになる、相棒だ!!』
森林深く獣道を迷いなく走り抜ける、風間の視界に開いた空間。獣道から人の道。開けた道の先にそびえるペンション。
電線の届いていない建物に自家発電と思われる室内の照明。風間は特定の周波数に合わせたトランシーバーを用い、何度も呼び掛ける。それは相手にとって、特定が簡単な周波数だったのか、誰とも確認することなく、名前を口にする。
【「田崎タサキ」です! 風間さんですか?】
『あぁ……』
【帰国中に寄ると連絡あった時は、来るのは明日かと思ってました! 要件は「ルーア」ですよね?】
『予定が変わってな……まだ元気かい』
【そうでもないですね……もう12歳ですし普通は寿命が近い歳ですね……今ペンションに近いですか?】
『今ペンション前に来てる。ルーアに会えるか?』
【わかりました! すぐ出ます!】
田崎は窓から風間を確認すると、すぐに玄関から南京錠の鍵の束を片手に、風間へ近付く。
『お久しぶりです!』
『ああ、久しぶり……俺に近づき過ぎないでくれ……最近変な菌に感染したかもしれん』
『あ! そうなんですか……私が引退した理由の一つでもあります……失礼ですがマスクを着用させていただきます』
『あぁスマン……案内してくれるか』
普段から備えているような包装されたマスクをポシェットから取り出し装着する昔の傭兵仲間。引退の理由は様々。戦地から無事に帰る度に、戦場に二度と踏 み入れない仲間。周りの傭兵仲間へ次々に続発する感染の恐怖が引退の理由だった田崎。第二の人生は人里から離れ孤独を愛する選択。
一定の距離を保ちながら、田崎から主に話す昔ばなしと案内により山道を進むと、大きな山小屋が見える。
『ルーアが馴染んだ人は風間さんだけですね』
『そうか……あいつは俺の行動を察するのが早かった』
山小屋の南京錠を開錠する田崎。
『たまには外に出してるのか?』
『体調が悪くて動こうとしないですね』
山小屋の中からは、何頭もの犬や猛獣と想像出来そうな、高い鳴き声に太い鳴き声。
『この中で死にそうな奴はいるか』
『ルーアくらいですね……ただ菌があるのなら入るのは……』
『安心しろ……そういう類いじゃない……』
風間は意識して常に田崎と距離を空けている。距離を空ける理由から想像するものは、必要以上の警戒か。その後の田崎に待ち受ける可能性なのか。
『すまないがルーアの鍵を下に落としてくれ……』
田崎は不安になりながらも、自分への気遣いと、昔から無駄な嘘を言わない風間への信頼から、丁寧に鍵を地面へ置く。
『お前は立派な訓練士だ……生かしてくれてありがとな』
尊敬する風間からの称賛にはにかむ田崎。狩猟用四肢動物の訓練で主に生計を立てていた田崎は、風間から一頭預かっていた。
風間が中に入ると同時に響く独特の鳴き声。鳥のようでもあり甲高く、それは風間に向けて鳴いた声である。視覚より聴覚で目的の檻に近付く。
『間に合ったな……お前は最高の相棒だ』
そこにはやせ細ったメスのチーター。
『ルーア……もう一度走り回ってみろ』
風間はルーアの檻を開ける。ルーアは風間に近付き、体を風間にすり合わせる。
『ぅう……ぐぅ……ハハハ……やはり人間だけじゃなかったようだな! 能力の移動は! ハハハハハー!』
身体から何か放射されたような気分。その理解を超える能力者共通の脱力感。頭でわかっている風間は、容易に踏ん張る目眩の中、弱っていたルーアは目覚めた様に横たわる事の無意味を感じる。ゆっくり立ち上がる姿には、直前の有様を忘れさせるほどに。
『あ~ハッハハハハー!! 行くぞ! ルーア!』
離れたところからルーアの立ち上がりに驚く田崎ではあったが、立ち上がれた理由と、健康状態に慎重な言葉を投げる。
『風間さん! いきなり外に出すのはまずいです!』
微かに悩んでいた風間の思考、それはイメージするコインの表裏。投げた時点で見える結果。風間の想像するコイン。それは両面が表。風間は想像のコインを投げた。
『ルーア……あいつはお前をずっと診てくれた素晴らしい男だ……殺せるか?』
指を刺す風間の指示を察するルーア。甲高い声を上げ田崎に体を向ける。意味するものは風間への忠誠心。風間の意思に悩む必要を持たない忠誠心。
『そ、そんな……うわあああああ!』
ドアノブを握る汗ばんだ右手。
チーターは四肢動物最速の生物であり、2秒で時速70キロメートルに達し、最高時速150キロメートル以上となる。意識しなければ目に止まらないスピードは能力の開花。田崎の判断する1秒は永すぎた。
『ぐわあああああああぁぁ!!』
目線が追いつく前に足に食いつく牙。倒れる体に護れない首。遊ばないルーアの執拗。動かなくなる半死半生。
『が……ぐぁ……ぐぁ……』
風間の想像するコインを投げた時点で、予想していた結果。ルーアが待つ風間の挙動。
『いいぞ……喰って』
『が……が……がぁぁぁぁああ』
体中に力がみなぎる残酷。満たされるまで喰らう餓え。風間は他の動物の檻を開ける。意味するものは、不審に思われることを防ぐ、田崎に起きた不幸な結果。見つからない不審者とその相棒はヘリコプターに向かい、ひとつの目的を果たした。
『僕でいいんですか?』
森林からの脱出の際に、ハルと清正を乗せた操縦士、「下村シモムラ」が盛清に尋ねる。
『あぁ、さっきの気絶させられた理由が更にハッキリわかる方がよいじゃろ?』
『あの……また殴られたりしませんか?』
『清正はこの通りじゃ……さっき行った場所に行く必要がある』
下村は訳もなく殴られ、清正からの謝罪を受けた後の再飛行に、渋々とした雰囲気を出しながらも、断る理由もなく、医療設備を積んだヘリコプターで盛清と清正との三人で搭乗し上昇する。
清正は目的地の緯度と経度、着陸許可を貰うタイミングを下村に説明。その話す物腰には同じ暴力を興さない意思表示のように、柔らかい言葉遣い。
『わかりました清正さん! 最短で向かいます! 体を休めていて下さい!』
『ああ……すまないが休ませてもらうよ』
和解できたことで安心する下村。丁寧に傷口の処置をする盛清に、これからの出来事を尋ねる清正。
『俺に能力を戻す考えですよね……』
『あの青年よりいいじゃろ』
『けれど……俺はあの能力が欲しいとは思いません』
能力に振り回された一日。持っていなければやってこない災い。簡単に返事をしてくる盛清に、自分の心の声を伝える清正。なだめるように語る盛清だが、自分の意見を通したい清正。
『彼が目を覚まさないならお前が頼りじゃ……そして春枝はお前の状態をまだ知らん! 何とかせねば』
『けど……その後はどうするんですか? 能力が戻っても俺は風間に勝てるとは思えません! 仮に足が負傷していなくても、奴のあざとさは現役の傭兵ならではの躊躇ない判断……父さんは、どうしたいんですか』
『勝ち負けではないんじゃ、能力者が近くにおらんと……』
『何か……能力に関して俺が知らない事は……ありませんか?』
『清正……お前は優しい心の持ち主だ。だがその優しさを偏らせてしまうと、裏を返せば狂気となる。特に母親を早くに無くした春枝に対する愛情が強いばかり に、他の全てを敵に、そして隙を与えかねん。知っての通り、近隣の国で、今にも戦争が始まろうとしとる。加速する社会主義が、自国の力、権力を誇示するた めに……次第に増える傭兵業はそんな社会への不安を払拭するため適応しようと始める者も多い。能力は平和を守る為の鍵じゃ……そのためには能力者は近くに おらんと駄目なんじゃ』
『俺達の能力が平和? とてもそうには思えません!! あの能力のおかげで常に追われ!! 危ない橋をわたる!!』
『そうじゃな……能力を使いこなし、とても優秀じゃ』
『優秀!? そんな言葉の為の能力などないほうがいいです!! なければハルにもっと普通な生活をさせられた!!』
普段は盛清を尊敬し反論を見せない清正。自分に起きた出来事をハルにまで味わせてしまう恐怖。盛清の中で留めている計画と、策略のはっきりしない行動に興奮が混じる愚痴。
『俺はもうこんな環境は懲り懲りです……父さんが! 先祖の名残を残したいっていう気持ちはわかります! だが俺とハルは……望んでない……』
『気持ちは良くわかった! そのわだかまりを払拭する為に! 常に今行動しとるんじゃ』
『何か起こるんですか?』
『場合によるわぃ……』
歯切れの悪い返答。中途半端な言葉より多くの言葉を語り、お互いにある事情の片鱗を伝え合い、清正は心のわだかまりを妥協し、盛清は展開次第で変わる未 来へと話を進める。話したいことは沢山ありそうな清正。その口火を切っても納得させることが出来ないような予感。無言のまま目的地に近づくと、下村が近況 を伝えてくる。
『もうすぐ到着します。着陸許可貰いました』
清正の誘導の助けにより見えてきた船。ヘリコプターは待ち構えていた船員の誘導により、ゆっくり降下する。外には下村の手配により、清正用の車椅子が用意されているのが見える。
『わ、私はここで待機しております! れ、連絡頂ければすぐ離陸準備致します!』
慌てるように伝える下村。盛清は辺りを見回すと、船内に入る入口近くの旗用のポース周辺に、生々しい血痕が残っている。
――下村はあれをみたんじゃな……。
清正の乗る車椅子を船員が押し、遼の居る病室に向かう。廊下の先からは、ゆっくり近づき現れる皐月の姿がある。
『あっ、盛清さん! ご無沙汰しております! こちらの方は……』
気の晴れていない清正は、誰にも目を合わさずに、力なく車椅子へ深く腰を沈めている。
『清正じゃ』
『え!! 盛清さんとのご関係は……』
『すまん、適当な事を言ったが……わしの息子じゃ』
『あ! そうですか! わかりました……お察しします……この怪我は新しいのでは?』
適切に処置をされていそうな包帯の巻き方。その下から滲む朱。医師である皐月は当たり前のように尋ねる。
『さっき……風間にやられたんじゃ』
『え!! じゃあここを去ってすぐに……なぜ?』
盛清は、事情を隠すことが先々良い結果になるとも思えず、協力を得るためにも、事情を語りだす。
『清正の能力を奪われたんじゃ』
『そ……そうですか……では今、彼が能力を……』
『今、改めて清正に能力を戻そうと思いやって来たんじゃよ』
『お断りします!』
力なく目を背けていた清正は、盛清の言葉に自分の譲れない部分を反感の意で返す。納得させたい盛清だが、声を大きく、まるで聞き分けのない子供に叱りつけるように叱咤する。
『清正!! 必要な事なんじゃ!! 今はそれどころじゃないんじゃ!!』
それでも理由の詳細をハッキリさせない盛清に、まだ説得の余地も感じる空気感。ハルを大事にする気持ちをおす。
『もう……俺と……ハルを巻き込まないでくれ! う゛っ……』
『ま、まずはもう一度傷の手当をしましょう!』
こらえていても声に出てしまうほどの激痛。それを察して口を挟む皐月。親子の水掛け論に一先ず怪我の治療という理由を間に入れて言葉の投げ合いは休戦する。
『すまない……頼む』
『彼は……あの病室かい』
『はい』
『会いに行ってよいかな』
『どうぞ。父が居ます』
病室に入る盛清。香山との対面は、一見戸惑い、見定めるであろう風体は、顔を繊細な金具と包帯により人相不明な状態。
『か、香山……』
『もりきゅょすぁん……おふぃさすぃぶりぃでぇす(盛清さん……お久しぶりです)』
『大変な目にあったんじゃな……』
『……(あっはっは……これは皐月にやられました)……』
ヘリポートの血痕や香山の被害。娘からの悪意なき暴力の結果。悲劇のいきさつを頭でまとめる盛清。
『能力が何度も入れ代わったんじゃな!』
『……(はぃ……田村という傭兵は無意識の彼にやられまして、他船員三名が田村と彼により)……』
すでに限界とも言える状況だったと察した盛清は、清正に連絡をしようと考える理由が自然と納得できる。それは悪意ではなく、危険を承知で、無事な形で遼と引き合わすために。
『そうか……ところで彼、遼は?』
『……(遼と言うんですね。身内ですか?)……』
『いや、昨日の朝初めて会話したばかりじゃ』
『……(そうですか。彼は昏睡から覚めません)……』
『少し診てもいいか』
『……(どうぞ)……』
盛清は遼の体中眺め、触診する。盛清も関心するほど完璧に治療され、縫合され、理由を考える歯に矯正器具まで付けられた有様。昨夜に携帯電話で会話したあとから今までの悲劇が想像できる。
『遼は、外傷や出血と言うより……精神的なものかもしれんな』
『……(私どもには、出血多量が原因としか)……』
『遼は一日で自分に起こりえない事ばかり体験した。目覚める事を拒否し、永い夢をみとるかもな』
盛清は遼の頭側に立ち、耳元で囁く。それは優しく、時折命令的に、遼の右手がゆっくり上がる。右手を下げると左手が上がる。言葉の効力。遼の反応で効き目を確認するかのように。それは明らかに目を覚ます事が可能な状態。自分の力で筋肉をつかい起き上がる事もできる期待。
『……(催眠術……ですか…)……』
『あぁ……そんなもんじゃ』
遼の耳元で小声で囁き続ける。訛りを入れない盛清の言葉。すでに盛清の言葉を「聞く姿勢」が完了している遼の体に、深層心理にまで響かせる。とても素直に、夢ならば物語を変えるきっかけとして。
『遼や……見えてくる。今の居場所から抜け出すきっかけが。人か羽ばたく鳥か。認識できる。自由への光が』
盛清は遼を眺め、反応を見る。まつげの震えは夢を見ているであろう浅い眠り。自分を認識する理由と出口が見えた時に戻る意識。
『反応はしておる。もう少し様子を見よう』
『……(どこで習ったんですか? 相変わらず私は脱帽感でいっぱいになります)……』
『先祖がこういうこと好きな医者でなぁ。はっはっは』
笑い声が廊下まで響いたと同時に、簡単なドアのノックですぐ入室してくる皐月。手当をした清正の車椅子を押し、共用ベッドがある病室にやって来る。
『手当終わりました』
遼と香山を見る清正。軽い会釈に言葉は零さず、皐月の誘導するベッドに自分から乗り上がり、固い顔で静かに仰向けに横になる。
『……(盛清さんも少し休んで下さい。医務室でお茶でも飲まれて下さい)……』
『すまんがそうさせてもらうかの』
医務室に向かう香山と盛清。皐月は病室に残り二人の様子を見る。顔を背けて横になる清正に対し、硬直した空気を少しでもほぐすように、言葉を掛ける。
『清正さんはずっとあの能力を持ってたんですか?』
『はい……生まれた時から……』
皐月の策略ない素朴な質問に素直な答え。
『そうですか……じゃあ盛清さんもなんですね』
自然な読みに自然な会話。反抗期に似たような父親への態度と、どこまで知られて良いかという会話のバランスを表現するように、清正は苦い顔をしている。少しの無言に答えを察した皐月も、その言葉に慎重とされないような心情を伝える。
『気にしないで下さい! 私……今日偶然彼から能力が移って……危うくお父さんを殺してしまうところで……私……この能力のために、船の船員全員を殺める事を強く考えたんです』
お互い能力が無くなった事への安堵感からか、特殊を体験し、普通となった二人は、気持ちを共有出来ている理解者にも感じ、清正は皐月の方に顔を向け、真剣に聴き入る。皐月は遼の頭を支えじっと見つめて語る。
『私は元々死期がなく、たまたま乗り合わせた人に死期を造られた。これって自然じゃないわよね! この子は私と同じ形で能力者に?』
『いや、昨日のうちにどこかで死ぬはずだったと想像している。能力者による殺意の死期は関係ないはずだ』
遼に対して羨望を感じる眼差し。静かに眠る姿の遼と清正に語る。
『その方が自然よね! あなたのような形で普通じゃない能力が入るなら、今のこの状態でも羨ましく思えちゃいます』
遼の頭を撫でながら笑顔で語る皐月。
『おかしい女だと鼻で笑って下さい! 私はこの子が、今まで平凡な私の日々に突然現れて、非日常な出来事があるって教えてくれた大切な存在なんです。…… ちょっと大袈裟に言いましたね! 羨ましいだけです! 結局私は能力に魅了し過ぎて、心まで人間であることを忘れた。私には誰かの為に能力を使う勇気も運 命もない……だから……私はあなたになりたい』
遼が見る夢。夢は一瞬の出来事。一瞬で終わらない時、退屈とも感じる夢の出口は……存在は、認識から始まる。