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雀とり鯨とり  作者: 伊藤むねお
3/13

知りたがり屋

 用心深い性格の平吉は同時に知りたがり屋でもある。知っていないと不安なのだ。その欲求は蟻塚のように積もり、首筋に熱い汗が滲み出るまでになった。

 どうしよう。

 あ、本人に聞いてみればいいだけのことではないか。

 平吉はひと昔前の漫才師のようにポンと掌で額を打ってみたかった。

 そうなのだ。ついでだから、その男だけではなく、ほかのすべての乗客にも一番電車に乗っている事情を聞いてみるのだ。

 どうすればいい。

 なあに、たとえば、テレビ局の腕章をつけて、マイクをつきつけ、ちょっと愛想笑いをしながら(あの、ちょっとよろしいでしょうか)などと聞いて回る。しかし、若い女ならともかく俺のような変哲もないただの親爺では、うるさがられるのがオチか・・・んん? ・・・馬鹿なことを考えている。どうかしている。どうした?

 平吉は混線した思考を放り出そうと頭を左右に強く振った。すると先ほど感じた嘔吐感が再び浮き出てきた。ちょうどそのとき、電車は池袋手前の大カーブにさしかかった。山手線の地下深くをとおる共用軌道に入るため、レールと車輪が初めてきしみ、共振した車両が複雑な音を奏でた。

 平吉は幾分だらしなくにやりと笑った。平吉の耳殻には乗客がそれぞれの事情を述べあう声として聞こえたのである。

(カゴシマの親戚に不幸が起きましてね、羽田から一番に乗るんです。これで蒲田まで行って乗り換えるのです)

(いえないよ。人様にいうことじゃない。あなた、失礼じゃないですか)

(わたしは構わないね。早朝会議があるのですよ。その準備をね、しなけりゃならんのですな、早く行って。昨日帰宅してからやるつもりだったんですが、ちょいと一杯がめちゃくちゃに盛り上がってしまって、バタンキュウをやっちゃってね。頭が割れるように痛く胸もむかつくんです)

(それじゃ自業自得ですね。わたしの場合はちがいますね。イヌボウザキの漁協がわたしの職場ですから。毎日こうですよ。仕事ですか? 帳簿の清書です)

(それはご苦労様です。わたしはお台場まで行って日の出を拝むんです。そうすると孫の喘息が直ると神様がいうもんですから。もっとも神様は近所の小母さんなんだけどね。あんたは?)

 わたしは、と平吉がつい自作の問に答えかけたときだった。

「いつもこんなにお早いのですか」

 ナマの声が耳元でして、平吉は椅子から飛び上がりそうになった。電車はすでに大カーブを曲がりきっており、再び静寂をとりもどしていた。

 雀みたい、と妻にもいわれるほど神経質で体も脆弱な平吉は、その埋め合わせとして視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、つまり五感は人の倍ほども機能する。声をかけられるまで隣に人が来たのに気がつかなかったことは、滅多にあるものではない。

 この男はいつ傍に来たのだ。ゴム底の靴を履いて足を忍ばせてきたのだろうが、嫌なやつだな。どうにも怪しい。そもそも八人掛けの椅子にふたりだけなのに、俺にくっついて座るというのは、なにかよくない魂胆があるのか。

 平吉は首を曲げて男を見ようと思ったが止めた。どのような魂胆なのかはおおいに気になるのだが、忌々しくもあったからである。声と語りの調子から察するに、男の歳は三十の半ばか。

「いえ」

 平吉は相手に自分の機嫌が伝わるようにぶっきらぼうに答えた。相手が無頼の匂いのない男だったからか。そして、今朝は慣れない早起きをしたから眠いのだと、眠りこむふりをしようとした。

 すると、男はこう呟いたのである。

「結構、居るものですよねえ」

 平吉は目をあけてしまった。

 それは、つい今しがた俺が思ったことではないか。結構の中に自分も入れられては叶わない。平吉は慌てて抗議をした。

「あなた。わたしを結構の中に入れないでくれませんか」

 ひどく意味のない返事をしたものだと、いい終えてから平吉は後悔した。

「わたしはですね・・・」

 そう続けていいかけたが、次の言葉が出てこない。平吉は一層あせり、抽選箱から当たり玉を出そうとするように頭をがらがらと回した。

「久里浜に行くのじゃありませんか」

 なぜ久里浜を知っている?

「そうです」

 つい・・・

「久しぶりのお友達がくるのでしょう?」

「幼馴染です」

 つい・・・

「女房の兄です。ところが、彼は夕方にはまた船に帰らないといけないというので、早く掴まえて家に連れて帰りたいのです」

「だから一番電車でないといけない。なるほど特別ですね」

 そうさ、わかったかね。

「三富じゃ、まだ暗かったでしょう。でもこの電車なら久里浜までは乗換え無しでから、八時三十八分には着きますよ」

「ほう、そんなに早く着きますか」

 平吉は男との会話の中に気になることがあったような気がしたが、三十八分という真面目そうな時刻には納得をした。

「品川からは五十分で行きます」

「すると、往復で五時間か」

「そうです。品川からは地上を走りますからね、楽しいですよ。首都圏ではもうあそこだけです」

 それなら現地での一時間をみても(ただし金造がすぐに掴まえられたらの話だが)十二時には三富にもどれる。意外と近いのだ。しかし、この男は私が三富駅から乗ったのをどこかで見ていたのだ。あるいは改札あたりですれちがったのか。

「あなた、どういうご用なのですか」

「わたしですか」

「ええ」

 そうに決まっているじゃないか。


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