特異種(アノマリー)
特異種と呼ばれる魔物がいる。
通常の魔物は一種につき三つの階級分けがなされており、例えばサルの魔物であるエイプ種の中でもすばしっこく小さな個体であるアジャイルエイプは下級種。
体長3メートルにも達する大型個体であるギガントエイプは中級種。
更に体長15メートルにも達する超大型個体エルダーエイプはエイプ種の中での上級種に当たる。
この階級が上がるごとに生息数は減少し、上級種ともなれば群れに一体いるかどうかというレベルになる。
そして、とりわけ数が少ない——一種一個体しか存在しない孤独の魔物が中にはいる。
同種の仲間は存在せず、その姿形は異形。
一説によれば、繁殖を行う必要性すらないほど強力な種であるから一個体存在しないとされている魔物。
それが特異種である。
「それで僕たちはその特異種に呑まれてしまった……というわけですか?」
肉色の壁に包まれた暗闇の中、ただ一つの光を手に持ってアルヴァはリアムの要約にコクリと頷いた。
「うん、呑まれる寸前にね一瞬だけ見えたんだ。家一つを丸呑み出来そうなほど巨大な円口が地面から飛び出してくるのが……」
「それはもしかして……」
察してまたコクリとアルヴァは頷く。
「ビッグホール……だろうね」
「ビッグホール……」
その言葉を反芻して飲み込む。
ビッグホールとは、希少な特異種の中でも冒険者界隈では有名な個体である。
と、言うのもビッグホールが動けば周辺大地が大きく掘り下げられ、地形を一晩にして変えられてしまう。そして、ついでとばかりに周囲を探索していた冒険者は一人残らず丸呑みにされる。
その行動の派手さ被害の大きさがそのまま知名度に比例しているというわけだ。
「厄介ですね……ビッグホールに呑まれて脱出したなんて話、聞いたことがありません」
「僕もだよ。とりあえず入り口から出るのが常套手段だとは思うけど……」
言いながらアルヴァは輝く試験管を前後左右に降る。
その度に光の位置が変わり、照らされる位置も若干ずれる。
しかし、いくら照らしても粘膜でぬめりがついた肉色の壁が見えるだけで、その奥は暗闇のままである。
はあ、と二人は同時にため息をつく。
「どっちが口なのか分かりませんねこれじゃあ」
「まあとりあえず進もうよ。前か後ろか半々の確率さ」
そうですね、と半ば諦めたような同意の言葉を口にして歩き始める。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
道を決めて歩き始めてどれだけの時が過ぎただろうか、変わらない肉色の壁が延々延々と続くばかりで外はおろかそれ以外のものが何一つとして見えない。
粘膜の滑りと底に溜まった体液が足を取り、遠くを見やれば暗闇が不安感を煽る。
僕たちはどこへ行っているのだろうか。僕たちは進めているのだろうか。僕たちは助かるのだろうか。
実を結ばない自問自答がひたすら頭の中で暴れている。それがあまりよろしくない傾向であることは分かるのだが、歯止めが効かないのが理だった。
幸いだったのは、彼らが二人だったことだろう。
「もう随分歩きましたね……」
「そうだね……」
「あの今更言うのもなんですけど、荷物半分くらいは持ちますよ? そんな大荷物、女の子がずっと持つには負担が大きすぎる」
「あはは、ありがとう。でも遠慮するよ。研究者たる者自分の荷物は他人には預けないのさ」
頰に汗を伝せながら胸を張ってアルヴァは答えて見せた。しかし、その息遣いが荒れているのは見るからに明らかで、それでも彼女はそうすると言ってしまっているからリアムはそれ以上は踏み込めなかった。
また数分進み続けて、アルヴァは足を止める。
「リアムくん、止まるんだ」
「え、どうしました?」
制止の言葉に続いてリアムも足を止める。
「この試験管向こうへ投げてみてくれないかな、なるべく遠くへ」
「……? 分かりました」
淡く輝く試験管をアルヴァから受け取り、リアムは振りかぶり試験管を遠くの暗闇へと投げる。
淡い光が空中で弧を描き、軌道上に重なる肉色の壁があいも変わらずに見える。
そして、描かれる弧が頂点に達して降下に入った時、パシンッ! と何かが試験管に触れた。
「なっ……!?」
触れた際の衝撃が大きかったのか、ガラス製の試験管は乱雑に割れ、輝く液体の光をキラキラと反射しながら暗闇の中で降っていった。
「一体何が……?」
シッ、と息を短く吐きながらアルヴァは人差し指を唇に当てる。
その後の話は闇の中、密接した二人の距離でしか分からない程度の小声で行われた。
「向こうに何かいる……」
「何かって……まさか魔物?」
「だろうね……ビッグホールに呑まれたまま体内に住み着いたんだろう」
「どうしましょう、この暗闇じゃどこにいるのか検討もつきませんよ」
「それについては多分大丈夫。さっき投げた試験管に攻撃したのを見ただろう? 恐らく、光に反応しているんだと思う」
「つまり光を使わず、この暗闇の中であの魔物を回避すると?」
「うん、この空間は広い。音を立てずに右に迂回していこう」
「分かりました」
コクリと頷いて、暗闇の中で作戦を決行する。
注意を払うべきは方向よりも足元、溜まった体液に浸かった足を上げずに摺り足で、水音を立てないようゆっくりゆっくりと右へ。
「もういいかな、進もう」
「はい」
最小限の音量と文章で行われる会話。再びゆっくりゆっくりと次は前へ進む。
先導するアルヴァは右手を伸ばしながら、その左手に回り、リアムは腰の剣に手をかけながら。
何歩進んだのか、何分経ったのか、暗闇が感覚を狂わしていく。いつ魔物に勘付かれるか分からない緊張感が余計にそれを引き延ばして、ずるりずるりと嫌な汗が背中を濡らす。
ピタッとアルヴァの足が止まる。
「どうしました?」
「ごめん……まずいことになったかも」
伸ばし続けた右手にザラザラした何かが触れた感触がした。
瞬間——それは大きくうねり、鞭のようにしなりアルヴァを攻撃する。
「ぐぁっ!」
短い悲鳴。後方に吹き飛ばされるアルヴァの身を察知して咄嗟に広げた右腕でリアムは少女を受け止める。
「ありがと、リアム……くん!」
言いながらポーチから取り出した二本の試験管を放り投げる。
一本は今まで使っていたのと同じ発光する液体。その光に反応して同様の鞭が試験管を砕く。
それに並行して砕かれたのは赤い液体が入った試験管。
「目と耳塞いで!」
「え? え!?」
咄嗟に目を瞑り、左手を右肩で両耳を塞ぐ。そして、その瞬間——ドォォン! と大爆発が空間を歪ませた。
「よし! 作戦成功!」
「な、なななな何ですか今の!?」
「何って、今まで使ってたライトと同じさ! 一滴づつ混ぜれば発光するし、今みたいに一対一で反応させれば大爆発を起こす!」
「そんな危険な物よく平気で持ち歩けますね!?」
「研究者たる者、常に危険に身を投じているものさ!」
「流石にデンジャー過ぎませんかねぇ!?」
大爆発を起こした液体は、火の玉となって降り注いだ。大半は体液の中に沈んで儚く消えたが、一部はそうならなかった。
「あれは……!」
「こいつはエイプよりも厄介なのが来たね……!」
火の玉が引火し、それがいる周囲を燃やしている。
その光が照らしたのは——巨大な赤い薔薇だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「うぉぉりゃぁぁあああ!!!」
数十メートルにも渡る一閃が土色の表皮を駆け抜ける。刃が通った後から僅かにその皮は避けていくが……浅い。
「クソッ!」
宙を舞い、悪態をつく白髪の男がいた。
ウィルフレッドは自分が通った道を今一度確認する。
ビッグホールの巨躯に確かにその刃は通るが、対象が余りにも大きすぎるため、幾ら切り付けたとしても針の先ほどのダメージも与えられていないのが分かる。
「埒が明かねぇな……やっぱり……」
チラリ。ビッグホールの長大な体を目線でなぞり、その先端を見やる。
グロテスクな円口。大地を飲み干す地獄への入り口がある。
「やっぱ、直接助け出すしかねぇか?」
その口に自ら入るのは、誰にとってもあまり気乗りしない選択であった。