リアムの目標
「ぼうけんしゃ?」
暗闇と静寂が殺風景な荒野を包み込む。
青年が一人。それと幼い少年が一人。同じ場所に腰を下ろし、同じ鍋をつついて談笑していた。
「そうだ。このまま進んでいけば明日にはテウルギアに着く。もう一度俺に会いたいと言うならそこで冒険者になれ」
「冒険者……」
芋を煮ただけのシンプルなスープに映る自分を見つけながら、咀嚼し飲み込むようにその言葉を少年は繰り返す。
「冒険者になれば必然的に……まあ終わりかけだが、この世界を旅することになる。その旅には多くの危険が付きまとうだろう。
しかし、それでもしぶとく生き残るようなら、お前はいずれ必ず俺の元までくるだろう」
「ぼくに……できるかな?」
幼い少年は示された苦難の道に不安を隠せず、顔を曇らせる。その髪色と同じように。
そんな少年を見て、青年は期待と不安を混ぜたような表情をしながらも白い歯を見せて、笑った。
手を伸ばしクシャクシャと不器用に鉛色の髪を撫でる。
「大丈夫、お前ならできるさ。強くなれ、リアム!」
「……うん!」
——懐かしい、過去の記憶の夢だった。
あの日以来、再会はできていない。
それでも、それを諦めたことは一度としてない。
約束は果たせてはいない、だが、これはいい夢だったのだろう。
あの日よりずっと大きくなった少年——リアム・バージェスは決意を新たにした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「たのもー!」
穏やかな昼下がり。それに準じてクラシックを流して落ち着いた雰囲気を醸し出したカフェ・クロウスに、分不相応な猛々しい少年の声が轟いた。
来店したのは灰色の頭髪が特徴的な少年、リアム・バージェス。彼はある日を境にこのカフェ・クロウスを昼間に訪れることが日課になりつつあった。
「……ねぇ、リアム君。ここは飲食店であって決して道場とかそう言った汗臭くてむさ苦しい施設ではないのだけれど?」
カフェ・クロウスの店主ダミアンがいつもの性別に相応しくない口調でため息混じりに対応した。
しかし、その様子に構うことなく元気にこんにちは! と挨拶してから話す。
聞きなさいよ。とダミアンが呟いた気もするが、駄目。聞かない。
「ウィルフレッドさん来てますか!?」
「今日はまだよ。出直して来なさい」
ガラスコップを拭く片手間にダミアンは受け答えする。
ガラスの向こう側には彼自身の半目になったダンディな顔が写り込んでいた。そこに灰色頭の少年が追加される。
「それじゃ、来るまで待ちますね!」
「人の話を聞きなさいよ……」
呆れて空返事になりかけの対応をする。
正直なところ、ダミアンはなぜ目の前の少年がウィルフレッドを尾け回しているのか、よく分かっていない。
きっかけは、ウィルフレッドが誤ってリアムに酒を飲ませて潰した日。だろうか。
「ねぇ、なんでリアム君はウィルフレッドを追いかけてるの?」
「……あの人が強いからです。だから、ついて行くと決めました」
思っていたより、落ち着いて、真面目な口調で答えた少年の言葉に店主は目を光らせた。
「君は強くなりたいの?」
はい。と答える。
「理由。聞いてもいいかしら?」
ダミアンの質問に少年はうつむき、膝に置いた手を固く握った。
「恩人に……もう一度会うためです」
「恩人?」
おうむ返しの言葉にリアムはこくりと頷く。
「ダミアンさんが僕を孤児院に連れて行ってくれたよりも前の話です」
「君は確か……外界出身だったわね?」
「そうです。僕の故郷はテウルギアからずっと西に行った海峡も挟んだ先の小さな村でしたが、ドラゴンに襲われて僕以外はみんな……」
少年の告白にダミアンは罪悪感を感じる。
察するに故郷を滅ぼされ、家族も友人も皆、ドラゴンに殺されてしまったのだろう。
常人がドラゴンに襲撃されれば、まず命はない。しかも、ダミアンが知り得る限り、当時のリアムは五歳前後の幼い子供であった。
それでも、彼が一人生き延びたのは非常に奇跡的。否、無情で悲劇的なことだ。彼の脳裏に刻まれている幼い日の記憶は恐怖以外の何ものでもないのだから。
それを想起させ、自ら語らせるのは酷なものだ。
「ごめんね。辛かったら無理に話さなくても……」
首を振って、少年は制止を振り切る。大丈夫です。――と続けて、
「滅茶苦茶になった村を一人で彷徨ってる時にその人に出会ったんです。名前はハイネ・ニーロ」
「ハイネ・ニーロ……」
聞き覚えのない人名に店主は首を傾げる。
「ハイネさんはたまたま通りすがっただけの冒険者だったみたいなんですけど、天涯孤独の身になった僕をここテウルギアまで送り届けてくれたんです」
「なるほど、それで恩人……。でも、それと強くなることになんの関係があるの?」
「ハイネさんと別れる時、また会えますか? って聞いたんです。そしたら、『冒険者になって強くなればいずれまた会えるだろう』と……」
むむむ、とダミアンは唸る。
「ちょっと引っかかるわね~。なんで会うために冒険者になって、強くならないといけないのかしら?」
「恐らくハイネさんは、自分と同じくらい強い冒険者になれって言ってるんですよ! きっと今も腕利きの冒険者として……!」
「一応聞くけど、そのハイネ・ニーロ? って人は強かったの?」
「そりゃあもちろん!」
バシン! とカウンターを両手で叩き、ずいずいとリアムは身を乗り出し始める。
「ハイネさんは白い槍を宙に生成する魔術を使うんですよ! それも何十本も! そして、その槍を射出して貫いた魔物は一瞬で凍りつくんです! この魔術で僕は幾度なく危機を救われました!」
「はいはいはいはいはい! 凄い! 凄いから! 厨房まで乗り出して来ないでちょうだい!」
あ、すみません。と謝罪して、リアムは席に座りなおす。が、まだ熱が冷め切らない様子だった。
これは相当だ。とダミアンは悟る。そのハイネ・ニーロと言う人物はリアムに取っての最高で理想の英雄像なのだろう。
幼き日の窮地を救い、そして、今現在彼が生きていられる最も重要な要因となっている人物。聞くに実力も確かなのだろう。確かに強い憧憬を抱くのも無理はない。納得である。
しかし、しかしである。
「ハイネ・ニーロ……聞いたことがないわね……」
それほどにまで強いのならば噂の一つや二つを聞いててもおかしくはないはずだ。名前を聞いたことがなくとも、『貫いた対象を凍らせる槍を作る』なんて強力な魔術を行使できるならば、冒険者の間で噂にならない筈がない。
しかし、このカフェ・クロウス。曲がりなりにも冒険者が集う憩いの場の一つである。
昼は人が少なくとも夜は酒を出して冒険者を持て成している。というか、そっちがメインと言える(一部昼でも酒を飲んでるやつもいるが)。
そして、そんなカフェ・クロウスの店主であるダミアン・メイソンも少年の語るハイネ・ニーロなる冒険者の人物像に関わる話は聞いたことがなかった。
「そう、そうなんですよね……」
唐突に熱が冷めたようで、リアムは深く息を吐き出す。
「クーヴレールの生徒だった頃から、ちょくちょく冒険者街に来ては聞き込みをしていたんですが……誰もハイネさんのことを知らない、聞いたこともないって言うんです……」
「謎は深まるばかりね……」
「それでも、もう一度あの人に会って、もう一度お礼を言いたいんです! あなたに救われたお陰で僕は今も生きていられますって!」
「なるほどね。だから、唯一の手がかりであるその人が最後に伝えた言葉の通り、強くなりたいってわけね」
「はい! 僕は強くなりたい……ならなくっちゃいけないんです……!」
少年はぐっと目一杯固く拳を握った。
その仕草にダミアンは腕を組みながら満足そうな笑みを浮かべる。
「いいわ! 生半可な覚悟で強くなるって言ってる訳じゃないって事は伝わったわ!」
その勢いのまま、さて、と続けて、
「ウィルフレッド! この話を聞いてもあんたはこそこそ隠れてるって言うの!?」
「あ、ダミアンてめぇ!」
「え!?」
カウンターの死角から声が聞こえて来た。即、リアムは身を乗り出して、カウンターの裏側を確認する。
そこには白髪と琥珀色の瞳を携えた男。ウィルフレッド・ローグの姿があった。
「ウィルフレッドさんいたんですか!?」
「君が最近しつこいから匿ってくれ~って言うから黙っていたけど、その話を聞かされちゃあたしも動かされるものよ!」
「簡単に触発されやがってこのカマ畜生が……」
観念してすごすごとカウンターから出てくるウィルフレッド。その姿にキラキラと少年は目を輝かせる。
「ウィルフレッドさん! 僕と手合わせして下さい!」
「やだよ……。もう一週間はやってるだろ……おっさんは定期的に休みたいんだよ……」
「何言ってるんですか、おっさんって歳でもないでしょうに。それにまだ四日目です」
「そうよ。まだまだ、若いんだから気張りなさいよ」
「…………」
はーーーーーーーー、と長く長く息を吐く。普通は出さないような大事なものすら出してしまうような勢いで。
「んじゃ、アレだ。お前今からオフィス行って依頼一つ受けてこい。それに付き合ってやるよ」
口元から涎のように言葉を垂れ流してる。と言った具合で至極気怠そうにウィルフレッドはリアムに指示する。
それでも少年はその指示を嬉しそうに受け取った。
「分かりました! 全速力でオフィスに行って来ます!」
「おーおー、その調子だ。可能ならば道中で体力使い切ってくれ」
バシーン! とウィルフレッドの後頭部にダミアンの平手打ちが炸裂し、鐘のように細かく振動する。
「ほどほどに頑張りなさい」
「はい! 行って来ます!」
カランカラン、とカフェのドアベルが鳴り響いて、鳴り終わらないうち少年の姿は街並みの向こうへと消えて行く。
「……さて、どこで飲み直すかな」
「ちょっとちょっと、今日はまだうちでも飲んでないじゃなーい?」
歩を進めたウィルフレッドの両肩を鷲掴みにして、ニコニコ笑顔のままダミアンはさささっとカウンター席に着かせた。
正面に出されたのは、見慣れたいつもの茶褐色の液体。
暫くしてから、ふっ、とウィルフレッドはほくそ笑む。
――逃げ場はなし……か。
悟った表情をして、カルーアミルクを飲み干した。