南海峡解放戦
戦いは熾烈を極めた。
当初予定されていたドラゴンとの戦闘に加え、さらにそこにノーブル教団の乱入もあり戦況は混乱。
五千人にもなる解放軍の誰一人としてドラゴンの唯一無二の弱点、核を捉えられることなく戦闘は間延びしていき、泥沼化の一途を辿っていた。
「くるぞぉ!!」
誰かが海岸側で叫んだ。
その正面に捉えていたのはドラゴンの仰々しい頭部。
海上をまるで橋のように跋扈している巨大なアーチ状の物体は全てそのドラゴンのものだ。
そして、そのドラゴンの能力の一つに『毒霧』がある。
口から吐かれるその霧状の吐息に肺で吸うなり肌で触れるなりした人間はたちまち神経毒に侵され、全身が歪に萎縮し麻痺。そして、解毒剤を打たなければ呼吸困難に陥り、三十秒もあればその場で心臓麻痺で死亡する。
何より厄介なのはその範囲である。
ドラゴンの巨体で放たれるその吐息はただの一息で町一つを飲み込めるほどだった。
全員がその場で身構えた。あるものは盾を構え、あるものは口や鼻を抑え、あるものは後ろに下がり、そしてあるものが前に出た。
「私がやる!」
およそ戦場には似つかわしくない一人の少女が前に出た。
放たれるドラゴンの白い吐息。
それをヴィオラ・リーヴィは真正面から迎え撃つ。
両手に蓄えられる紅炎。
それを一つに合わせ、地面へと叩きつける。
軍の前面を覆い隠すほどの炎の壁が瞬間的に出来上がる。
所詮は霧であるその白い毒霧は熱せられ、上昇気流に運ばれ、軍の頭上を通り過ぎて行った。
「おお!」と歓声に似た声が上がる。
晴れた霧の向こうから景色がやってくる。
海上というコンディション。船、凍らせる、飛ぶ、様々な方法で足がかりを作り、冒険者達は戦闘を継続していた。
解放軍を待ち伏せし、ドラゴン討伐の邪魔をするノーブル教団。
その真意は未だ掴めず、まるで仮面を被ったような不気味な敵と剣を交えている気分になる。
その中でも一騎当千の戦いぶりを見せる一つの存在があった。
「怯むなテウルギアの冒険者よ! 我々には多くの仲間がいる! 協力すれば勝てない相手ではない!」
そう声を張り上げるのは、ベルトランに変わってセイヴスの指揮をとるシャーロット・リンステッドだった。
魔術師ではない彼女は、あくまで人間の域を超えない身体能力で海上に用意された足場を辿り、小手先のテクニックを使って戦うことで教団の魔術師と同等、否、それ以上の戦いをしていた。
後に一人の冒険者は語った。銀色の髪をたなびかせ、鈍く光る刀を携えたあの姿は、戦場に舞い降りた勝利の女神にも思えた。
一層。解放軍の士気が上がった。
後方からの魔術攻撃、射撃攻撃が激しくなる。
あの仰々しい顔に無数の攻撃がヒットする。ドラゴンはのたうち回り、堪らず海上へと空中に浮かぶ。
「飛行能力……ウィル!」
「分かってる!」
飛行を開始したドラゴン。
しかし、逃すまいとして二人の冒険者がその後を追う。
セイヴス二番隊隊長シャーロットと副隊長のウィルフレッドだ。
飛行能力を持つウィルフレッドはシャーロットを抱えて飛行するドラゴンに接近する。
何度かの接触を試みた後に、なんとかその背に乗ることに成功する。
天空を目指していくドラゴン。吹き荒ぶ風が二人の進路を妨げる。
それでも、ニヤリと飛べもしないはずのシャーロットは笑う。
「やれ! ヴィオラ!」
「……なっ!」
それは地上にいる自分の義妹に向けてだった。
「これ以上高度を上げられては話にならん! 特大のをぶつけて落としてくれ!」
「そんな! お姉ちゃんたちは!?」
「心配するな!」
唸る胴体に必死にしがみつく。
「お前を信じる私を信じろ!」
古臭い言い回しだっただろう。
だがそういう言葉を平然として言ってしまう。そう言ったところがシャーロットの強みであった。
ゴクリと解放軍が揃って生唾を飲む。
少女の狭い双肩にかかった選択に注目している。
「分かった……大きいのいくからね!」
「そうだ! やれ!」
「俺達は勝手に助かるからよ! 存分に撃ちやがれ!」
少女の両手に紅炎が蓄えられる。
そして、両手を握り合わせて、それはさらに大きな炎と化す。
重心を低くして構える。
握り合わせた拳の向く先は今もなお上昇するドラゴン。
炎は猛り出す。轟々と地響きすら立てるほどに収束されたエネルギー。そして、その色は今までと違う青い……蒼い炎だった。
全身が蒼炎に包まれる。彼女の紅い長髪さえも染め上げて。
そして、放つ。
「届けぇえええええ!!!!」
蒼炎の槍が投げられた。
蒼い線を夕焼けに引き、それはドラゴンの頭部を直撃した。
海上で行われていた戦闘もその一瞬の時だけは取りやめられて、空から落っこちるドラゴンが一体どうなるのかだけが気がかりだった。
「おい! あれを見ろ!」
冒険者の一人がドラゴンを否、ドラゴンに密着していた二人の様子を指差した。
「……戦ってるのか?」
落下する巨躯。飛べもしない常人であるはずのシャーロットはトントンとそれを足場にして、空を自在にかける魔術師ウィルフレッドと剣を交えている様子が見て取れた。
「な、なんだって戦ってるんだ?」
「あのにーちゃんは空を飛べるはずだろ? さっさと女の方を抱えて脱出すりゃいいじゃないか?」
冒険者達が口々に疑問を述べる。
そんな中でヴィオラ・リーヴィはこれまでにないほどの緊張に包まれていた。
ドラゴンは倒したはず、それでも二人が……それも実の姉弟とまで言われた二人が争っている。なんのために? どうして?
子供のようになんで、なんでを繰り返す。
そして、その一撃は決まった。
落ち行く巨躯の上でよろめいた肢体。
止めどなく流れる血を抑えて、一歩二歩と後退していく。
そして、もう一歩後ずさりすれば、バランスを崩して彼女は、シャーロット・リンステッドは海の中へと消えた。
全員がその光景を見て唖然とした。
騒めく戦場。
勝ちは決まったのに、誰もそれを喜ばない。
一瞬の沈黙。
それを海上に着水した巨躯が打ち破った。
まるで津波のような水飛沫が飛ぶ、海岸沿いのものを全てさらってからようやく波は落ち着いた。
そして、その中心には頭部を核ごと焼き尽くされ、絶命したドラゴンの死体があるだけだった。
「や、やった!」
「やったぞぉぉぉおおおおお!!!!」
歓声が上がる。
解放軍は勝利に舞い上がる。ノーブル教団はいつのまにか消えていた。
武器を掲げ、声を張り、笑って各々は勝利を体現する。
「ね、ねぇ……」
そんな中でもヴィオラは笑ってはいなかった。
海上に落ちたドラゴンの死体。浮島のようになったその巨躯の上で黄昏ている男がいた。
ウィルフレッドはヴィオラに気がつくと、力のない声で反応する。
「……ヴィオラか」
「お、お姉ちゃんは……どうしたの?」
「見てただろう」
ウィルフレッドは左手に持つ白い鞘の刀を見つめる。
「俺が……切った」
「な、なんでっ!? 一体何があったの!?」
「知るかっ!」
男の怒声に気圧され、少女はたじろぐ。
ウィルフレッドは嘆息を一つつく。
「なんでだ……なんでだよ……シャーロット……!」
「お兄……ちゃん」
「……気分が悪い。俺は先に戻ってるぞ」
「ま、まって!」
制止を聞かず、ウィルフレッドは魔術を行使し、猛烈な速度で空高く上昇していった。
そして、そのままセイヴス二番隊隊長と副隊長は戻ってくることはなく。
混乱を残しながらも代わりに今回の戦いで大きな戦果を挙げたヴィオラ・リーヴィが新たな隊長として就任したのは、わずか一週間後のことだった。




