死人との邂逅
「……雨?」
しとしと、と空から溢れた水滴がリアムの頰をかすめた。
暗い路地の奥地。
レイチェルの自宅にて、彼女の言う同居人と思しき人物——教団の一人であるデュリオ・ロッソとの対峙。
そして、その瞬間リアムとヴィオラが打ったのは逃げの一手だった。
察したのだ。この街の正体を。
「やあ、少年。一人かい?」
ぐっと落としていた腰を上げて、この狭い路地に現れた人影を睨む。
この街——ユースティの正体。それはノーブル教団の本拠地だ。
教団員の一人デュリオ・ロッソがレイチェルの同居人という時点でそれは察しがついた。
ノーブル教団。テウルギアにて幾度なく襲撃を仕掛けてきた謎の組織。
その全貌は現在に至るまで掴めずにいる。
それを掴むチャンスである。しかし、同時にピンチでもあった。
「嫌な雨だな。まるで不幸を笑っているようじゃないか?」
その人影は濡れたフードの下で八重歯を光らせて笑った。
デュリオに銃口を向けられ、即座に逃げ出したリアムとヴィオラが直面したのは逃げ場がないという問題だ。
デュリオの放った銃声を聞きつけ注目、そして聖道騎士団であろう彼が二人を捉えるように住民に指示すれば、あっという間に包囲網は完成した。
予想通り、いやそれ以上。街の住民全員が教団の団員だったのだ。
数え切れない数の瞳がこちらを向いて光っていた。
それからは必死に慣れない路地の裏を潜り抜けて逃げる。
だがしかし、当然、地の利はあちらにあった。
現在、まんまとリアムとヴィオラは分断され、彼は今一人だ。
「笑っていると言うのなら……誰を笑っているんだろうな?」
無論、目の前に現れたこの煤けたローブをまとった人物も教団の一員なのだろう。
腰に携える刀に手をかけ、狭い路地の中、正面に捉えた人物の呼吸を測る。
しかし、
「もしかして——君かな?」
測り損ねたたった一息の間に、その影はリアムの懐に入り込んでいた。
リアムの腰よりも低い位置に陣取られ、抜き切れなかった刀が邪魔をして対処に遅れる。
その隙に——!
「うがっ!」
深く構え、腰の入った拳が抉り、貫ぬくようにリアムの腹部を捉える。
痛みに悶えながらも後退して拳の間合いから外れる。
それを追いもせず、ただローブの人物は見送るだけ。
「刀を抜く時間くらいはやろう」
勝ち誇るような余裕の表情をした。フードがずれて始めてその金色に輝く双眸を目の当たりにする。
余裕なのがムカつく、時間を与えられているのが悔しい。ついでに一撃与えてから時間をやるとか言うな。
そんな感情が腰の刀を抜くことを躊躇させるが、状況を打破するため、目の前の敵を倒すためにリアムは刀を抜く。
歯を食いしばって、攻勢に出る。
一息で間合いを詰めて、細い路地という場所を利用した突きが目の前の敵に放たれる。
「ふむ、まだ未熟だな」
突きをひらりと宙を舞いながらかわすと、ローブの人物は即座にリアムの懐へ。そして、伸びきったその両手をまるで自分の腕かのように、手なり肘なりで扱って見せる。
そして、気がついた頃には——。
「もう一度、刀を抜く時間くらいはやろう」
「……!? これは!」
雑念が混じり始める。それでもリアムは再び刀を引き抜く。
しかし、抜いた側の右腕と胴体の間の空間にはすでにそいつは大人しく鎮座していた。
バシッと右腕が掴まれ巧みに捻られる。そして、手放してしまった刀を奪い。その刃でリアムを——切るまでもなく、すっと鞘に戻した。
それが完了する頃には、ローブの人物はリアムの背後に立っていた。
「あ、あなたは一体……?」
戦意はいつの間にか消え去って。疑問だけが満ちる。
踵を返して、背を向けながらローブの人物は遠ざかる。
「知りたいなら付いてくるといい。後、これはいただくよ」
そう言って低くて 掲げられた右手には白い鞘の刀が握られていた。
「それは……!」
それはウィルフレッドがシャーロット・リンステッドに渡してくれと頼んだ大切な刀だった。
「大事なものなのか? なら、なおさら付いて来い。この刀もそれからだ」
狭い路地に歩む一人の影。仕方がなくその背を追うリアム。
不可思議なことに、それからはしばらく住民と遭遇することがなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「あー、最低の気分よ」
「す、すみません。まさかこんなことになっちゃうなんて予想してなかったんです……」
場所は変わってレイチェル宅。
リアムと別れたヴィオラはヴィオラなりに裏路地を潜り抜け、逃走していた。
そして、辿り着いた。いや、戻ってきたのはレイチェル宅。
ちょうど訪れたと同じタイミングで外に顔を出したレイチェルは快くヴィオラを家内に入ることを受け入れてくれた。
彼女に害意はないようだった。
「まあ、私もまさか、教団本部がある街にくるなんて思ってもいなかったし、お互い様よ」
「でもその……大丈夫なんですか? リアムさんの方は……」
「あいつなら大丈夫よ。伊達に今までしぶとく生き延びちゃいないわ」
ズズズ、と半目になりながらヴィオラが紅茶を啜った。
「あの、今こういうこと聞くのは、あのそのどうかとは自分でも思うんですけど……」
「まどろっこしいことは抜きでいいわよ。何が聞きたいの?」
「あの、率直にお聞きますと、お二人は恋人同士……なのでしょうか?」
吹き出す、盛大に紅茶がテーブルの上にかかった。
「け、結構ガンガンくるのね」
「す、すみません。あまり踏み入れるようなことじゃありませんよね!」
「いや、別にいいわよ」
ふと、顎に手を置いて考える。
「んー、恋人って言うのは無いわね」
「無いんですか?」
静かながらも驚愕した顔でレイチェルが返す。
「うん、なんて言うのかしらね。実はあいつにはちょっと苦手意識があってね。あいつの師匠は私のお姉ちゃんを殺したの」
「殺した……」
「まあ、その殺した犯人の弟子ってことでどうしても……ね」
「そのとても失礼な、不躾なことだとは思います」
神妙な雰囲気をまとわせながら、ヴィオラの向かいに座るレイチェルはエプロンの裾を握る。
「ど、どうして、ヴィオラさんのお姉さんが殺されたのかお聞きしてもいいですか?」
「あんまり人は踏み込んでこないんだけどね……楽しい話でも無いし、なんで聞きたいの?」
「その……お二人は気づいてないかも知れませんが、お二人の相性というか、コンビネーションはかなりのものだと思います。
さっき逃げる時も息ピッタリでしたし……でも、そんなお二人の仲に亀裂があるのでしたら、私はなんとかして塞ぎたいんです。そして、それはヴィオラさんのお姉さんのことが関係しているようなので……それで」
はあ、とヴィオラが嘆息。
変わった子だと思う。何せヴィオラとリアムは仮にも教団の敵なのだ。その二人の亀裂を塞ぐと言うのは、それはつまり、より強固なものにすると言うこと。
敵を強くしたいとは、この子は一体何を考えているのか。
——いや、ただのお節介?
「ま、聞かせてあげるわ。当事者でないあなたにどれだけ理解できるかは知らないけど」
こくりとレイチェルが頷く。ぐっと拳を握って。
「お願いします!」
——相性がいい……か、考えてみれば当然よね。同じ背中を追っているんだもの。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「適当に座りな。濡れた上着はハンガーを使って干せ」
言われるがまま、リアムは煤けたローブの人物の自宅らしきところへ案内され、適当に指し示された先の椅子に腰掛ける。
雨の中ですっかりずぶ濡れになったローブ。ようやくそのローブが剥ぎ取られて、その人物、女性の顔が露わになる。
真っ白い髪に琥珀色の双眸。そんな神秘性すら感じ取れる容貌のはずなのに、その顔はどこか悪戯めいていて、リアムのことを楽しげに見ていた。
その姿はリアムにとって印象深いものである。何せ、師であるウィルフレッドの容貌や身に纏う雰囲気というものが、性別が違うにもかかわらず、あまりにも似ていたからだ。
その特徴は、過去にレヴィン・アルドリッジから聞いたことがある。
「……もしかしてとは思っていましたけど」
「そうか、私のことは知っているようだな。ウィルにでも聞いたか?」
「……どちらかと言えばレヴィンさんですかね」
アッハッハ、と豪快に女は笑う。
「レヴィンか! 確かに何考えてるかよく分からんやつだったが、意外にお喋りなやつではあったな!」
「レヴィンさんのことも分かるってことは——」
ふっ、と短く鼻から息を吐く。やれやれと肩を竦め、尖った八重歯を光らせた。
「私の名はシャーロット・リンステッド。かつてセイヴスの二番隊隊長を務めていた。と言えば君には伝わりやすいかな?」
胸を張り、得意げな顔で、かつて戦死したはずの者の名を女は口にした。
しかし、リアムの表情は変わらず、じっと目を見続けていた。
「……死者が蘇ったというのに反応が薄いな?」
「まあ、あなたがさっき僕にしたことは、ウィルフレッドさんが僕を鍛える際に一番最初にしたことですからね」
あっはっは! 豪快にシャーロットは笑う。
「大道芸のことだな? 無情剣の基本、有利な相手を負かす技術。そうか、君はウィルの弟子か」
「僕はウィルフレッドさんから無情剣を教わりました。と言ってもまだまだですけど」
「知ってるさ。さっき交えた時に分かった」
ニヒヒと続けて笑うシャーロット。対して、苦笑いのリアム。
「しかし、なぜ君達はこの街に? テウルギアで冒険者でもしてるんじゃないのか?」
「まあ、色々ありまして、テウルギアじゃ僕とヴィオラは指名手配されているんですよ」
「ふむ、指名手配。ヴィオラも……か」
口を手で塞ぎ、目線を右にずらして考え込む。
「今度はこっちから質問していいですか?」
リアムが口を開いた。
「ああ、構わないよ。何が聞きたい?」
「では、率直に聞きますけど……なぜ南海峡解放戦で殉職したはずのシャーロット・リンステッドが、今、教団が住むこの街にいるんですか?」
「ま、そう来るよな」
シャーロットはおもむろに椅子を引いて腰掛ける。何もないテーブルの上で彼女の肘だけが置かれる。
「少し長くなる、ゆっくり話してやろう。南海峡解放戦の真実をな」




