襲撃は突然に
日が沈み、月が上り始めた頃。
煉瓦造りの住宅街を縫って歩く。アイリーンとの会話を終えて、孤児院を後にしたウィルフレッドは帰路についていた。
秋の夜風が吹き、頰を軽く刺されるような感覚を感じながら、ふと、ポンポンと衣服のポケットを叩く。
「あれ、忘れもんしたな。取りに戻るか」
独り大きめに呟いて、踵を返す。180度。
——し終えると同時と鯉口を収める音が家々の間で虚しく反響した。
「嘘だよ。殺気くらい隠せ」
どさり、と何が宙から落ちた音。二つ。
背後に落ちたそれを目線だけを移してウィルフレッドは見やる。
共通の赤いローブを身に纏った男が、二人。
一人は喉を深く斬り裂かれ、既に事切れている。もう一人は、右肩からわき腹にかけて斜めに大きく斬られているがまだ息はある。
ウィルフレッドは生きている方のローブを掴み上げて問い質す。
「おーおー、夜襲とはやってくれるじゃねーか。何が目的だお前ら?」
その文句にフードに隠された向こうの顔は切り裂かれた胸の痛みに苦悶しながらもククク、と口を歯を光らせて笑った。
その不敵な笑みに一時、たじろぐ。
「貴様を消す以外にないさ」
べっ、と赤いフードから舌が伸びた。
その肉色の表面に刻まれているのは漆黒の幾何学模様の印。
——法陣!?
咄嗟に掴み上げていたローブを手放す。と同時、宵の住宅街の真ん中で眩い閃光と激しい爆音が轟いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ゆったりと意識が身体に戻っていくの感じる。
半自動的に開く瞼。彼の瞳孔は過分な光量を取り込んで、一時自滅。
白い世界に——う、と短く悲鳴を上げて、二度目は恐る恐ると左目から開いていく。
見覚えのある木造の天井。備え付けられた幾つかの蛍光灯が彼の目を潰した正体か。
「おはよう。酔っ払いさん」
聞き慣れた安心する声が傍から聞こえた。
重力に従って頭を倒せば、目に映り込んだのは、親しく見慣れた紫色の髪の少女。
少女は、膝を曲げ、両手で頬杖をついたコンパクトな姿勢でこちらを見つめていた。
「アイリ……?」
「はーい、アイリお姉ちゃんですよー」
子供をあやすような柔らか声色に変えて、悪戯な笑みを浮かべ見せながら、アイリーン・メイジャーはヒラヒラと手を振る。
少年。リアムはその様子に思わず苦笑。
「なによ、その顔」
「なんでもな……いぃっつ!?」
起き上がろうとした。その瞬間、経験したことのないタイプの頭痛がリアムを突如として襲った。
「なんか、頭が痛いんだけど……えーっと、ガンガンする?」
その訴えにああ、と相槌を打つ。
「リアムは本当に弱いのね。お酒」
「お酒? …………あ!」
「思い出した?」
額を指の先で撫でながらコクリと頷く。
「あの人……一体なんだったんだ……?」
「一応フリーの冒険者らしいわよ? あとリアムと同じクーヴレールの卒業生みたい」
えっと、と人差し指を口元に当てて、
「確かちょうど十年先輩とか言ってたわね」
「十年……十年前!?」
その一言を噛んで、理解した後にリアムは飛び起きる。お陰で頭痛が再び彼を襲い、苦悩の声を上げる。
「ああもう、急に起きるから……」
即座に少女は少年を労うが、構わず問いかける。
「ほ、本当に十年前って言ったの……?」
「え、ええ。……でも、あの人下から二番目だったって」
「十年前、もしかして……」
キンコーン、とチャイム音がリアムの言葉が遮った。
二人は同時に食堂から伸びる廊下を臨んで玄関の方に顔を向ける。
「あら、もしかしてウィルフレッドさん?」
「出て来なよ。僕は……水でも飲んでるよ」
「悪いわね。ちゃんと休むのよ」
うん、と返事をして、リアムが自ら台所に足を運ぶのを尻目にアイリーンは玄関へと向かう。その間にも急かす様に二回チャイムが鳴らされて、その度に若干加速した足並みがパタパタと鳴り、少々の時間を経て、少女は玄関に到着した。
そして、歩く勢いをほぼそのままに扉を開いた。
「はいは——」
少女の返事は途切れる。
現れたのは、ウィルフレッドでもその他の見知った顔の人でもない。
赤い長髪を垂らし、赤い双眸を輝かせ、赤いローブを纏う。その身の尽くが赤く赤い、紅、緋、赤。
鮮血を全身に被ったような異様な風貌の青年が、少女の目の前立ち尽くしていた。
「あ、貴方……誰?」
「アイリーン・デンゼルだな?」
質問に質問を被せてくる。会話をする気、否、させる気はなさそうだった。
「……答える気はありませんね」
「そうか、まあ構わない」
男は指を鳴らした——直後、ガシャン! と左右からガラスが割れる音が響いて来た。
はっ、となり首を左右に振る。
「い、一体なにを!?」
「では、付いて来て貰おうか」
一歩前に出て男に問い詰める。が、変わらず応答する様子はなく、いつの間にか玄関前を囲んだ人数が増えていた。
赤い髪の男を含めて四人。いずれも赤いローブを身に纏っている。
「あまり時間はかけたくない。大切な家を家族の血で汚したくはないだろ?」
その意味を即座に理解して、アイリーンの顔は青ざめる。
何かを凝視するわけでもなく瞳孔が開き、呼吸は自然と浅く速く、顔が汗ばんでくる。
「……わ、分かりました」
カタカタと唇を震わせながら返事をして、そのイエスの返事にのみ赤い男は、語らず、こくりと頷いて反応を示した。
男は踵を返して、歩を進めた。アイリーンが無言でそれに続くのを見守りながら、他四人の赤いローブが周囲を固めながら続く。
——ドンッ! と遠くの方で響いた爆音が地面を揺らす振動となって足を伝った。反射的に音源の方向、西側を見る。
宵闇の中で黒い煙が住宅街から立ち昇っているのが、少女たちの立つ場所からでも見えた。
アイリーンの正面に立つ赤い男に視線を移せば、また、彼もそちらを臨んでいた。
「まったく、大人しく帰ってればよかったものを」
半目で立ち昇る煙を見据えながら、赤い男が呆れたように呟く。
帰ってれば——嫌な予感がした。
「ま、まさかウィルフレッドさんも!?」
男は気怠そうに流し目で少女を見据えた。終始無言——恐らく肯定であった。
ギリリ、とアイリーンは歯をくいしばる。
「私を……どうするつもりですか?」
「……早く歩け」
無視して赤い男は再び少女の先を進み出した。
後ろに付いた二人の赤いローブに押されて、アイリーンもそれに続く。目を瞑り、涙を流して。
——しかし、ほんの十数歩歩いたところで、突如として先導する赤い男は足を止めた。まだ、孤児院も目と鼻の先にある。
「……な、なに?」
たじろぐアイリーンを無視して、男は赤い双眸で絶え間無く周囲を見回す。
自然、アイリーンも神経を集中させて、一瞬——ヒュン、と風を切るような音が聞こえた。と同時、
「ぐはぁ!!」
突如悲鳴を上げた少女の後ろに付いていた赤いローブ。
少女も男もその場の五人が同時にそちらを見やる。悲鳴を上げたローブが倒れていく様子がゆっくりと見て取れ、そして、その首には一振りの刀が深々と抉っていた。
石畳の上に落ちる赤いローブ。先導する赤い男は即座に指令を出す。
「周囲警戒! 敵襲だ!」
総勢四人となった赤いローブは、アイリーンを中心に四方を迅速に固めて死角をなくす陣形を取る。
しかし、その陣形は無意味なのだと直ぐに彼らは悟ることになる。
「おーおー、女一人囲んでなにやってんだお前ら」
現れた白髪に琥珀色の瞳の男。
アイリーンの直ぐ目の前、陣形のど真ん中で彼は構えていた。
刀が引き抜かれた黒い鞘を振り回し、後方から頭部への強烈な打撃を与えて、一瞬にして三人を蹴散らし再起不能とした。
先導していた赤い男は、大きく飛び退いて距離を取る。
そして、懐からバレルが二〇センチ以上はあろうかという巨大な自動拳銃を一丁取り出し、構える。
「銃……遺物か珍しいもん持ってんな」
「ウィルフレッドさん!」
背後に接着したアイリーンが安堵と歓喜の声をかける。
「下がってな。巻き込まれるぞ」
言いながら、投擲していた刀をウィルフレッドは回収する。
「それには、及ばない。俺の仕事はその女を無事に連れ帰ること。無闇に傷つけたりはしない」
実に紳士的な口調で赤い男は話す。しかし……と続け、ウィルフレッドに銃口を向ける。
「その女以外の安否は問われていないがな」
「そいつは残念だ」
ニタリと不敵に笑いながら、刀に付いた血を振り払う。石畳の上に赤い線が引かれた。
「だがな、俺もてめぇの命はどうだっていいんだ」