その右眼で一人
「……どこだ、ここ?」
気がつけば、少年は暗闇の中にいた。
右も左も上も下も分からない。そんな暗闇。ただ、自分の手足は見えるし、動かせば動かしたという感覚はある。
そして、どこ? という疑問は薄れ消えて、溢れた雫が落ちるようにすとん、と納得のいく答えが導き出された。
「……夢?」
「そうだ」
優しい、女性の声が聞こえる。
光の雫が落ちてきた。
それはやがて少年の立つ暗闇の床に落ちて波紋を作り出す。そして、雫は波紋を作りながら一度跳ねる。
跳ねた光は芽吹くように線を生み出して、幾重にも重なってその姿を模った。
「お前は……」
「久しぶりだな。少年」
その形はドラゴン。少年がいつの日か同じような暗闇の中で対面した白いドラゴンの姿だった。
やがて、光は落ち着き始め、淡く発光する程度に収まった。
白いドラゴンの姿が明瞭になった。白亜の羽毛に覆われた蛇にも似た仰々しい顔つき。そして、その右眼は失われており、左眼だけが黄金に輝いている。
「これは、お前が見せてる夢なのか?」
「そうとも言える。これは、睡眠状態に入ったあなたの潜在意識に、その右眼に宿った私の意思が干渉して見せる夢だ」
ドラゴンが指、いや爪が差した先、自身の右眼に少年は触れる。
「やっぱり、この右眼はお前の目なのか……」
「そうだ、あなたはこれから多くの苦難に立ち向かうことになる。それに立ち向かうにはその目は役に立つ」
「そうだな。お陰でまずは一人、守ることができたよ」
満足そうにドラゴンが笑った。と言ってもドラゴンの表情など、人である少年には理解出来ている自信がないが。
「それは、よかった」
「しかし、なぜ僕に力を?」
「言ったはずだ。あなたと私が目指す先にあるのは同じもの。あなたが歩んだ先に私の目的がある」
「僕が目指す先……まさか?」
「ここまでだ」
「っ!」
ドラゴンが両翼を広げた。いくつかの抜け落ちた羽が淡く光りながら暗闇の中を舞う。
それは神秘的で、いつか少年が見た、白いアネモネの花畑を想起させた。
「待ってくれ! 僕はどうすればいいんだ!? お前は何が目的なんだ!? どうしたらハイネさんに会える!?」
「リアム、冒険者になれ」
「その言葉は……!」
「あなたは自由だ。あなたは優しい。あなたには強さも弱さもある。そして、あなたには仲間ができる。仲間があなたを見ていてくれる。あなたの弱さを支えてくれる」
広げられた両翼が力強く空を叩く。
バサッと猛々しく、それでいてどこか柔らかな風を残しながら飛び立つ。
「少年よ、冒険者でありなさい」
風圧と巻き上げられた羽が視界を覆った。
うっ、と短く悲鳴をあげて目を瞑る。
そして目を開いて、暗闇の天上を見上げた時、光が差し込んできた。
一筋の光が暗闇を照らす。散った羽がふわりふわりと少しずつ地に落ちていく。
暖かいなと思った。
包み込まれる。子供の頃、母に抱かれたような感覚。
少年はその温みに抵抗することなく、目を閉じた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
穏やかな目覚めだった。
自分の体に被せられた毛布が実に心地いい。
「おっ、起きたね」
一番最初に視界外からひょっこり顔を出してきたのは金のショートヘアーの少女、マリエルだった。
マリエルは少年のなんとも気の抜けたような顔を見て、にっと笑った。しかし、その細くなった目尻に涙の跡があるのは隠せていない。
「マリエル……」
「ウィルフレッドさーん、リアム君起きたよ!」
ゴソッと視界外で物音がした。その後コツコツと靴の音が鳴ってその男の姿が視界の中に収まった。
「よう、元気そうだな?」
「元気……とは言い難いですかね」
はははと苦笑いしながら、少年は答えた。
分かるのだ。布団に包まって安静にしている今ですら全身が痛い。
あの大爆発の中で少年は隣にいた少女を庇うという選択肢を取った。
未来予知の力で爆発の中心点を見極め、それと少女の間に割って入ることで、衝撃をほとんどもろに受ける。そういう選択だった。
だが、最後、下水道に落ちて朦朧とする中で、怪我をした自分のために思案してくれていた蒼い髪の少女を見たのを覚えている。
ふっ、と満足そうな笑みを浮かべた。
「んー? リアム君なんか嬉しそうだねぇ?」
そう言いながらマリエルが少年の右頬をぷにぷにと人差し指の先で弄ぶ。
「あのー仮にも怪我人なんですから、もっと丁重に扱ってくれない?」
「それがそうにも行かなくてねー、はい」
そう言ってマリエルが差し出していたのはピンク色の液体が入った試験管だった。
「これは?」
「治癒の魔工品だって、とりあえず飲んでおこ?」
「え、あ、うん」
軋む体を起こして、試験管を受け取る。
ゴクリ、と生唾を飲んでから試験管の中身を一気に飲み干した。
すると、
「お? おお! 傷が!」
身体中を心地よい爽やかな風でなでられた、不必要な熱が取り除かれたような感覚。
腕に巻かれた包帯を解いて見てみれば、擦り傷や打撲跡が見る間に治癒していくのが見て取れる。
そこにツンツン、マリエルが容赦なく指でつつく。特に痛みはない。
「凄いね。あっという間に治っちゃった!」
「これ魔工品って言ってたけどもしかして……」
「そ、僕んちの工房で作られた魔工品さ」
部屋の扉を開いてオレンジ色のポニーテールの少女が現れた。いつかリアムとウィルフレッドが受け持った依頼の依頼主、アルヴァだった。
「魔工品って貴重なものじゃ……しかも治癒の魔工品だなんて!」
魔術界隈においても治療を行える存在は貴重である。仮に治癒魔術の素質を持っているとしても、人体の治癒を行うためには人体の構造を熟知している必要があるのが、基本条件だからだ。
それをどこでも使える魔工品という便利な道具に変える。
それが一体どれほどの値打ちがあるものなのかリアム・バージェスには見当もつかなかった。
「ああ、大丈夫大丈夫。それ効果はお墨付きだけど、まだ試作品だから」
ほ、と少年は胸をなでおろす。
「それにね。その魔工品、リアム君のお陰で作れたんだよ?」
「僕の?」
「そ、あの時戦ったロードローズ覚えてる? あれから採取した花弁を使ってできた魔工品なんだよ!」
「あの時の……」
まじまじと空になった試験管を見つめる。あの日戦った魔物がまさかこんな時に役立ってくれるとは思ってもいなかった。
その想定外のことに感心していた。
「さて、世間話は終わりだ」
ウィルフレッドの言葉が一室という空間をしん、と静まらせた。
「リアム、お前は何も状況を理解してないだろうが、急いで説明する」
「……!」
緊迫した空気に思わず唾を飲む。
「今この部屋は包囲されている」
「包囲?」
閉められたカーテンを少しずらしてチラリと外を見る。
確かにセイヴスの制服を着た人が数人、しかし、これは巡回中と同じ程度の人数。
気にするべきは、その他の住民。
普段よりも人気が多い路地、カフェでコーヒーだけを頼んで寛いでいる人、何故か窓際によって本を読んでいる人。その誰しもと、目が合いそうになった。
制服こそ着ていないが、セイヴスの一員であることに間違いない。
「い、一体何が起きているんですか!?」
「指名手配されたんだよ。リアム君」
若い男の声が乱入した。
扉も開かずにいつのまにか入ってきた金髪の男性が椅子に座って寛いでいた。
「レヴィンさん!」
「レヴィンお前、魔術は……!」
「緊急事態だ。いいんだウィルフレッド」
右手を出して、ウィルフレッドを制止する。
一歩踏み出して、レヴィンが説明を始める。
「僕も詳しいことは分からない。しかし、上からの決定だ。リアム・バージェス、君を捕らえよと命令された」
「ぼ、僕がですか……?」
ドッ、と嫌な汗が背中から滲み出る。
「これからセイヴスは君を捕らえるために動く、僕もその一員として動かなければならない」
ガタガタと奥歯が鳴った。
「後天的魔術適正。これの重要性はお前も知るところだろう?」
ウィルフレッドが言った。
その言葉、リアムには心当たりがあった。孤児院で共に育った姉のような存在、アイリーン・デンゼル。
彼女は父の実験により、魔術師でない存在でありながら、魔術に干渉する力を手に入れた。
世界に類を見ないその力は多くの学者を魅了し、機関が何度も接触を図ってきた。教団もそれを理由に襲撃してきた。
今一度、自身の右眼に触れた。
「そうか、この右眼が……!」
こくり、とレヴィンが頷いた。
「名目としては教団の襲撃に乗じてセイヴスとの交戦、果ては原理委員会の一人とも交戦したことにより、都市反逆罪がかけられている」
「原理委員会……しかし、僕は見たんです! あの原理委員会の火こそが反逆者です! あいつは言った。自分はノーブル教団を指導する四葬司教の一人、爆弾教サブリナだと!」
「もちろん、ヴィオラから聞いたから僕も知っている。しかし、僕はセイヴスの人間である以上、上からの命令には逆らえない」
組まれたレヴィンの腕に力が入る。
「できることといえば……こうして秘密裏に君達に情報を渡すくらいだ……」
「レヴィンさん……」
「ま、そういうわけだ」
ウィルフレッドが前に出た。自然、リアムもそちらの方を向く。
「リアム、お前このテウルギアから出てけ」
「……は?」




