開幕
「今日のところはここまでだな」
もう一ヶ月近く続く、この早朝の鍛錬はいつもその一言で締められる。
しかし、いつもと違うのは切り上げるのが早いということ。普段なら弟子二人が、息絶え絶えになって原っぱに五体投地してる頃になって終えるところを今日は軽く息が切れている程度だ。
「これ以上やれば本番に響く、程々に休め」
それもそのはず、今日は待ちに待ったクーヴレール学園祭の当日、自分達の力を証明すると誓った学年対抗トーナメント開催日だからだ。
頰に伝わる汗を拭って、リアムは礼をした。
「ウィルフレッドさん、ありがとうございました!」
「あ、ありがとうございました!」
続いてマリエルも礼をした。
それをはいはい、と軽くウィルフレッドは流した。
「結局……無情剣を物にはできませんでしたね……」
くっ、と悔しさが滲み出る。不甲斐なさを感じて拳を握った。
「バカ言え、無情剣は経験の賜物だ。簡単にガキが習得できるわけもねぇ、付け加えていうならば俺との鍛錬で身についた無情剣は不完全な無情剣だ」
「どういうことですか……?」
「魔術の計算の仕方は魔術師それぞれだ。だから計算を狂わせるにもそれぞれ別のやり方が必要になってくる。
無情剣に必要なのは魔術師との戦闘経験。そして、その呼吸をいち早く手に入れることだ」
「呼吸……」
ふう、とそこでウィルフレッドがため息を一つ。
「ま、焦って身につくもんでもねぇ。だが、俺との鍛錬は絶対に無駄じゃないとは言っておこう」
「も、もちろんですよ! 絶対に無駄になんかしません!」
「その意気だ。だが、一ヶ月も経ったんだ。お前達が自覚している以上に、面白い結果が見れるぜ?」
「「…………?」」
リアムもマリエルもその時の言葉の意味は分からずじまいだった。そして、その後は各々解散して各自自由に過ごすことにした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
クーヴレール冒険者育成学校。
名の通り冒険者育成の為に設立されたこの学校は訓練のために施設、設備はもちろんのこと、非常に広大な敷地を持っている。
校舎から西へ向かい、数キロ離れた所には学園祭のために用意された円形競技場が存在する。
そして、学園祭当日である今日、朝からコロシアムは満席状態となっており、おびただしい数の観客で賑わっていた。
——毎年そうだけど、ほんとすごい数の人だな……。
もちろんリアムもその中にいた。いたと言うより人波に呑まれていたというか流されていたと言った方が正しいかも知れない。
そして、意外にも辛いのが右眼の眼帯だ。
右半分の視界が潰れているため、人混みを避けにくく、何度も人とぶつかってしまうのだ。
ドンッとまた一回ぶつかった。
「ああ、すみませ……」
朝の鍛錬で緩んでいたのか、衝撃で右眼の眼帯が外れた。
周囲が一変にして炎に包まれた。
炎の舌が人を呑み込み、崩れ落ちた瓦礫が人を押し潰した。
轟々と炎の音が聞こえる。悲鳴が聞こえる。親を呼ぶ子供の声が聞こえる。
「……おい」
呑まれる。突如として変わったその景色に、その凄惨さに。
「……おい、君」
目の前に少女がいることに気がついた。いつか見た蒼い髪が伸びてとても綺麗な少女。
その眼は絶望に染まっていた。その口からは血を流していた。
視点を下に移した……少女の腹部を貫いた剣の白刃が、こちら側に顔を覗かせていた。
「おい! リアム・バージェス!」
肩を揺さぶられ、意識が自分の中に戻った。
あいも変わらず、祭り気分に浸った人混みの中にいる自分を認識する。
目の前には蒼い髪の少女……以前、孤児院で出会ったセイヴスの確か名前は——ヴィオラ・リーヴィだっただろうか。
「あ……あ?」
「急に立ち尽くして、どうしたと言うのだ?」
「あ、えっと……リーヴィさん?」
ふん、と息を抜いてヴィオラは肩を下ろした。
「ヴィオラでいい。で、この人混みの中で立ち尽くすのはあまり感心しないな? リアム・バージェス」
「え、ああ、すみません」
後頭部をかく仕草をしながら、ペコペコと謝るリアム。
そっとヴィオラは手に持った包帯を差し出してきた。
「これは君の物だろう? 今度は落とさないようにしたまえ」
「あ、ありがとうございます」
解けた包帯を受け取って、また一度ぺこり。
「君、別に右眼が見えていないわけではないようだが何故眼帯を?」
「えっと、ちょっと前に怪我をして、まだ様子見で付けているんです」
我ながら苦しい言い訳だと思った。が、とりあえず彼女もそれで納得してくれたのか、軍人然としてままの態度でふむ、と頷く。
「まあ何にせよ、気をつけてくれ。我々セイヴスも今日の学園祭には警備に来ているが、対処には限界がある」
「……ええ、ご忠告ありがとうございます」
そう言ってリアムはその場を後にした。
手に持った包帯を見つめ、今一度自身の右眼に触れる。
——今のは……一体。
少年は心に一抹の不安を残しながら、学園祭は関係なく進行し、そして、学年対抗トーナメントは開かれた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
今一度眼帯を縛り直し、調子を確認する。
「リアム君、準備はいい?」
「うん、バッチリだ!」
二人は足並みを揃えてコロシアムへと出た。
砂で薄く覆われた土を踏み前へ、コロシアムの中央へと進む。
同時に四方にある出入り口からそれぞれ現れた二人組。今の一年生と二年生、そして三年生のチームが歩み寄って来た。
四組、計八人が中央に到着した。
各々、顔を見合わせる。
「あっれー? 卒業した先輩達じゃないっすか?」
一人が卒業生チームに向けて嫌味ったらしく口を開いた。
顔に見覚えがある。去年の二年生……現三年生チームの男子生徒だった。
「よく参加できましたねぇ? しかも学年ツートップが揃うとか、もしかしてマジなんですかー?」
完全に舐められていた。大凶作の八十期生と言う汚名は世間だけでなく、学校内でも広まっている。
このジェフ・マルサスと言う少年はリアム達が学生だった頃から、何かとちょっかいを出して来ていた生徒だった。
「ちょっとジェフ! 先輩達に向かってちょっかい出すの止めなさいって言ってるでしょ!」
その隣にいた女子生徒が制止に入った。レオナ・アルフォード、クーヴレール冒険者育成学校の現生徒会長である。成績優秀で気遣いもでき、心身ともにできたいい後輩だ。
「本当にすみません……」
「いいんだよレオナぁ! こんな大凶作どもに下げる頭なんて必要ねぇって!」
「——! あんたねぇ!」
「ああー、大丈夫。大丈夫だから落ち着いてレオナちゃん」
激昂するレオナを止めたのはマリエルだった。
「先輩……しかし」
「私達は気にしてないから、大丈夫だよ」
「そーそ、所詮は後輩の為の引き立て役。最初から負けるのは決まってるし何言っても大丈夫だって」
「ジェフ……あんたねぇ!」
「まーあ、まあまあ!」
制止を聞かずに煽り続けるジェフを叱責するレオナ。を宥めるマリエル。
側から見てもよく分からない状況になっていたが、一つ。リアムが口を挟んだ。
「残念だけどジェフ君」
「ああ?」
「今回、僕らは相手が後輩といえど、手加減をするつもりはない。催しとしては失敗かも知れないが、今回の優勝は卒業生チームが貰うよ」
「はあ?」
間の抜けた声を出した。それからジェフは大きく仰け反りながら笑った。
「ぎゃはははははは! 優勝だと!? 寝言は寝て言えよ大凶作! てめぇら凡人が俺たち魔術師に勝てるわけがねぇだろうが!」
「誰が決めた?」
は? ジェフは一瞬リアムが何を言ったのか分からなかった。
「凡人が魔術師に絶対に勝てないって誰が決めた?」
「……はあ? 何言ってんだ先輩様おい? 魔術師はただの人間よりも強い! これはな、誰が決めるとかの問題じゃねぇ……最初っからだ。世界がそう、き・め・て・ん・の!」
「そうか……だったら証明してあげるよ。凡人でも魔術師を倒せるってことをね!」
「あは、あはははははは!! いいな! できるといいな! ……その下らねぇ幻想ごとぶっ潰してやんよ!!!!」
流石に熱くなりすぎたか、八人の輪の中にいる審判がジェフに落ち着くように指示した。
「マリエル先輩、貴女は確かクーヴレール先生の娘様だと伺っております」
次に口を開いたのは二年生だった。こちらの女子生徒は先ほどのジェフとは違い舐めたような態度は見せてこないで、真摯な姿勢で対話を求めてくる。
故にその実力が計り知れない。
「え、そうだけど……」
「クーヴレール先生は私達のクラスの担任なのです。ですが、いくら娘様だといっても優勝の為、私達も一切の手加減は致しませんので悪しからず」
「えーっと、うん! お互い頑張ろうね!」
言うことは言ったのか、女子生徒は一歩後ろに引いた。
そして、隣の男子生徒は一言も喋らずにただ佇んでいる。しかし、その気迫はどこか武人っぽさがあり、只者ではないことが窺いしれる。
そして、一年生二人は……。
「…………」
「………………」
緊張して石のように固まっていた。
「さて、ルールの説明だ」
審判が箱を一つ取り出した。
「勝敗はどちらかのチームの二人が戦闘不能にになるか、降参するかのどちらかだ。試合中の負傷、怪我については複数人の治癒魔術師が配備されているから安心していい、思う存分戦え、殺されない程度にな」
殺されない程度、と言う言葉あえて選んだ審判の思惑を察してか出場者八人の顔がそれぞれ変わる。
不敵に笑う者。青ざめる者。興味のない者。
「そして、肝心の対戦順だが、今からこのクジで決める」
そう言って審判は用意していた箱を突き出す。
正六面体の黒い箱。その上の面にはまるく穴が開けられている。
「さあ、一年生から順番に引きなさい」
「は、はい!」
上ずった声を出しながら一年生チームの女子生徒が恐る恐る黒い箱の中へと手を伸ばす。ゴソゴソと中から音が響き、これだ。と思った時に腕を引き抜いた。
その手にはAと書かれたボールが握られていた。
「ふむ、では次は二年生だ」
ずいっと差し出された箱に二年生は躊躇なく手を伸ばす。今度は特に何か音が出るまでもなく引き抜かれた。
「……Bです」
「ふむ、よし次、三年生だ」
「あいよっ!」
勢いよくジェフがいった。
ゴソッゴソッと乱暴に底をさらう音が聞こえる。
「こいつだっ!」
また勢いよく腕を引き抜く。その手に握られていたのは、
「Bだ!」
「ふむ、それでは卒業生チームはAに決まったな」
「はい!」
対戦カードが決まりアナウンスが鳴り響いた。
『対戦カードは決まったぁぁああ!! まずはAブロック! 一年生チームvs卒業生チームぅ!
続いてBブロック! 二年生チームvs三年生チーム! まず初めに戦うのはAブロックからだぁ! 試合開始は30分後! みんな、それまでに席にはついとけよぉ!』
やかましく、ノリのいいアナウンスでその場は締めくくられた。