下から二番目の訳
ぼすっと灰色の頭髪の上にウィルフレッドは手のひらを乗せた。
「で、お前がこいつの相方ってわけか」
「マリエル・クーヴレールです! よろしくお願いします!」
その正面に立ち、マリエルはしゃんと背筋を伸ばしたまま深々とお辞儀をする。
「まさか、校長の孫に指南することになるとはなぁ」
「ダメ……でしょうか?」
恐る恐る顔を上げながら金色の髪の隙間から少女は瞳を覗かせる。
やれやれ、といった風にウィルフレッドは肩を竦めた。
「ダメとは言ってねぇよ。元々こいつがトーナメントに出るって言った時点でもう一人、剣を教えるやつが出来るだろうなとは想定してたしな」
言いながら、ぼすぼすと軽くリアムの頭を叩く。
「……じゃあ!」
「ああ、しばらくの間は面倒見てやるよ」
リアムの頭から手を退かして、腰の刀を引き抜く。
ニッとどこか愉快そうに笑いながら、その白刃を少女に向けた。そして、視線は横の少年へ。
マリエルは察して腰の双剣を引き抜いた。リアムもその隣へと移動して正眼の構えを取る。
「二人まとめて相手してやるよ。来なっ!」
「「はいっ!」」
呼吸を合わせて返事をする。大きな声で気を引き締める。
リアムが原っぱの土を軽く抉るほどに踏み込んで、間合いを詰める。
「せい!」
上段からの一閃がウィルフレッドを襲う。しかし、この程度とばかりに白刃はその軌道上に先回りし、巧みに衝撃を受け流し、少年の一閃を無力化する。
しかし、リアムの後方から来る。
——追撃!
マリエルがリアムの傍から飛び出した。
ウィルフレッドの真横、二つの刃がその胴を切り裂かんとしていた。
「ちっ!」
ダンッ! と地面を踏み急加速。
一気に二人の背後に回り込み居合いの構えを見せた。
——クソッ! 完全に背後を取られた!
——まるで目で追えなかった……こんなに速いの!?
放たれる一閃。だが、その刃はすぐに失速して、みねで二人の頭部を軽く叩いた。
「二人だとこんなもんか」
「え、えー……。リアム君、いつも凄い人と特訓してるんだね」
「これが伝説の七十期生ってやつだよ。本当に強い」
うんうん、とマリエルは頷く。
自分達の八十期生のちょうど十年上にいる伝説の七十期生。黄金世代とされた彼らは学生時代から目覚ましい活躍をし、卒業して冒険者になった後も目まぐるしい活躍を見せていた。
クーヴレールに入った学生なら誰しもが憧れるその伝説が今目の前にいるという事実を少女は肌で実感していた。
「前に言ったろ、俺はその中の下から二番目だ。
それよりもお前たち今の動き自体は良かった。数の利を活かした攻撃だった。普通の戦闘なら問題はない。
問題なのは俺が魔術師だということだ」
「魔術……そう! あれで取れるって思ったけど簡単にすり抜けられちゃった」
「普通の戦闘で取れるところを簡単にすり抜けるのが魔術ってもんさ。
俺みたいな身体能力の向上、付与をするやつは今みたいにすり抜けて背後を取る。
火とか風とかを操れるやつは反撃して押し返す。
そんな感じで普通にやっても魔術師とは普通に戦闘はできないと思え」
「でも、その魔術師を普通の舞台に引きずり下ろすのが無情剣」
「そうだ、普通の剣でダメなら魔術師に届く剣になればいい。無情剣は魔術を使わせない剣術」
「ええーっとごめん、新参者の私じゃ上手く理解できないんだけど……」
「そうだな、例えば今の戦闘。リアムが抑えてマリエルが斬りかかった時点で、形はどうであれ俺が魔術を使うのは決まっていたんだ。
そこに生まれる戦闘と計算の隙に上手く切り込めば、確実に怯んだだろうな」
「なるほど意表を突いて、魔術の計算を狂わせるんだね!」
「飲み込みが早くて結構結構」
ま、と一呼吸置いて、再びウィルフレッドは刀を構えた。
また同じように少年と少女は構える。
「習うより慣れろだ。もう一度だ」
「「はいっ!」」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
いつものカフェ・クロウス。カフェというより酒場としての一面が強いせいか、昼はほとんど人が来ない、実にまったりとした雰囲気が出ている。
それでも常連のように来る冒険者が二人。そして、今日はもう一人新メンバーが追加されているようだった。
「はいお待ちどうさま。パンケーキ生クリームましましストロベリーソースかけよ」
「んんんんー、来たぁぁぁあああ!!!!」
カウンターの上に置かれたのは、二枚のパンケーキが重なり、その上にはまるで塔のようになったホイップクリームが積まれ、さらに上からドロドロの赤いストロベリーソースがかけられた、名前そのまんまのデザートだった。
「なんか見てるだけで口の中が甘ったるくなってきた……」
ナイフとフォークを持ってウキウキしてる少女の隣でリアムが言った。
「なーに? もしかしてリアム君甘いの苦手?」
「そういうわけじゃないけどさ、限度っていうか……」
「甘いものは別腹だよ! いっただっきまーす!」
「なんかそれ意味違くない?」
リアムのツッコミも聞き流してマリエルはパンケーキにかぶりつく。
切って、ホイップクリームの山を崩して、ストロベリーソースを塗りたくって、もしゃもしゃとなんとも美味しそうに少女は口いっぱいに頬張っている。
「んー、美味しいー!」
「よく食べる子が来たわねぇ。これはアタシも作りがいがあるわ!」
ダミアンもその姿を満足そうに見守っている。
「それで? 二人ともウィルに稽古つけて貰ってるんでしょ? 今のところどうなの?」
「いやー、僕は慣れてきてはいるんですけど……」
「もーヘトヘトだよ! 全身が痛い!」
いつか誰かが同じことを思っていたなと感じながらリアムは苦笑いした。
「なんなのあの人!? すっごく強い!」
「ウィルはやる時はやるからねぇ。甘く見ない方がいいわよ?」
「でも、もう一週間になりますけど未だに底が見えませんよ。ウィルフレッドさん、よく自分のことを下から二番目って言ってますけど、信じられません」
「そりゃそうさ、彼、実技の方は学年三位だったしね」
突如として聞き慣れない声が入ってきた。
咄嗟に二人は振り向く。ガラガラに空いてるカフェ・クロウス。その奥のテーブルに、いつのまにか見慣れない金髪の男が座っていた。否、その黒い制服には覚えがある。特務ギルド、セイヴスのものだった。
「レヴィンあんた、それで店に入るのやめなさいよ」
ダミアンがそう叱咤する。
「いや、すまない。なにせ時間が余ってしまってね」
「あの、あなたは……?」
リアムが問いかける。ふっと方頬だけを緩ませて男は笑う。
「僕はレヴィン・アルドリッジ。君達の師であるウィルフレッド・ローグとは元同級生という仲だ」
「同級生……! つまりあなたも!」
「そう、伝説と呼ばれた七十期生の一人。ウィルのように自己紹介するなら、僕はその中では上から三番目だった」
「「七十期生の三位……!」」
ほぼ同時に二人が言った。まさか憧れの先輩の一人にこうして会えるとは思ってもいなかった。
そこまで意識したことがあったわけではないが、それでも自然と目を輝かせた。
「あ、それで、ウィルフレッドさんが実技は三位だったって……」
「ああ、それはほら君達もクーヴレールの卒業試験の内容は知ってるだろ?」
顔を見合わせてから、コクリと頷いた。
クーヴレール冒険者育成学校の卒業試験は実技と学科試験の二つの合計点で成否が決まる。
実技は50点。学科試験も50点の合計100点満点。その中で70点を超えれば晴れてクーヴレールを卒業し、生徒は冒険者となれる。
そんな中でウィルフレッドは、
「あいつ、実技満点。座学23点っていうギリギリのラインで合格したんだよな」
懐かしむような笑みを浮かべながらレヴィンは話す。
その答えに二人は揃って、あーと納得した。
「想像に難くはないだろう? 普段座学サボりまくりでさ、定期試験前になるとひーひー言いながら生徒会長と勉強してたよ」
「確かに、らしいっちゃらしいですね……。いや、むしろ座って勉強してるとこが想像できない」
「そういうわけさ、本当に実技は凄かったんだよ? 彼に勝てたのは、それこそ学年一位だったキルステンと生徒会長だけだった」
「その生徒会長というのは……?」
ふと、レヴィンの顔に一瞬の陰りが見えた気がした。
「生徒会長……名前はシャーロット・リンステッド。彼女は学年二位の実力者だったね」
「ウィルフレッドさんとは仲が良かったんですか?」
ふ、と笑って。
「これだよ」
ぴっと小指を立てた。え、と短く呼吸が漏れた。
「いやいや、まさかまさか」
「これがまさかなんだよなぁ」
「……本当に彼女さんだったんですか?」
「ああ、よく一緒に行動していたものだよ。二人とも同じで白髪金眼なもんだから姉弟にも見えたものさ」
「い、意外ね。ウィルフレッドさんに彼女がいたなんて……」
本当に驚いたような顔をしながらマリエルが言った。よほどその反応が面白いのか、くっくと愉快そうに笑いながらレヴィンは話し続ける。
「僕らからしたら、むしろあの二人は一緒にいるのが自然過ぎて、なんの意外性もなかったんだけどね」
「そのシャーロットさんは今どうしているんですか?」
胸を高鳴らせて質問するリアム。しかし、それとは対照的にレヴィンは口元を手で覆って話にくそうにした。
「……死んだよ」
しばしの沈黙を保ってから、その一言が発せられた。
「え?」
「君達も知っているだろう? 二年前の南海峡解放戦。あの戦いでは何人もの元七十期生のメンバーが主戦力としてセイヴスからもギルドからも投入された。
酷い戦いだったよ。数え切れないほどの冒険者が死んだ。同級生のほとんどが死んだ。その中に含まれていたのさ、彼女は……」
「そ、そんな……じゃあウィルフレッドさんは!?」
「ウィルは生き残った。いや、死んだも同然だったかな……シャーロットを失ってからのあいつは、まさに生きる屍だったよ」
苦虫を噛み潰したような表情をして、
「二人とも本当に……本当に優秀な魔術師だった。揃って当時の二番隊隊長と副隊長。それを同時に失ってしまったおかげで……あの子は」
はっ、となっていつのまにか伏せていた顔をレヴィンは上げた。
ははは、乾いた笑みを浮かべる。
「いやすまない、辛気臭い話をしてしまったね! 僕はこれでお暇させてもらうよ」
「あ、ちょっと待っ……!」
パチンッ! とレヴィンは指を鳴らした。
そして、その姿は一瞬にして、まるで最初からいなかったかのように消えてしまった。
しばらくしてから二人はカウンターの席に座りなおした。
「ウィルフレッドさんにも色々あったんだね」
リアムが口を開いた。
「でも、あいつをもう一度生かしてくれたのはリアム君。他でもない君よ」
ピクリと反応した。
「シャーロットちゃんがいなくなってからウィルは毎日寂しそうに酒を飲んでたわ。でもそんなあいつに転機をくれたのは君。あなたのお陰であいつはまだ生きていられるわ」
「そーだよリアム君! 私達はあの人の弟子なんだ! 過去に何があったかはまだよく分からない! けれども今、私達はウィルフレッドさんと生きているんだよ!」
マリエル、ダミアンの言葉に鼓舞されて、少年は晴れたように笑う。
「そうですね。ウィルフレッドさんのことはまだ分からないけど、これから知っていく時間はある! とりあえず今は目の前のことに集中! 学年対抗トーナメント、優勝だ!」
「おーう!」
昼下がり、人気のないカフェでその宣誓は静かに行われた。
「……あれ? 私のパンケーキなくなってる」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
特務ギルド、セイヴス本部。その会話は人気のない廊下で行われた。
どこからともなく、レヴィンの足が踏み込まれた。
「遅いお帰りですね」
「なに、ちょっと昼食をね。と言っても少し甘過ぎたかな……」
はあ、とため息が一つ溢れる。
「随分とご執心なようですね。リアム・バージェスに……いや、本命はかつての仲間の方でしょうか?」
「なんだい、随分とウィルと距離を取ろうとするんだね? 君だって彼とかつての仲間だったのは一緒だろう? いや、ただの同級生だった僕より君の方が交流は深いはずだ」
面白くないことを……そんな表情を見せた。
「私は……今更あの男が何しようと興味はありませんよ」
「それは嘘だね」
キッと鋭い眼光で睨みつけられ、レヴィンは少々大袈裟に肩を竦めてみせる。
「あの男は逃げたのです。戦いから、私達から……。私はあいつを許さない……」
「そう毛嫌いしてやるな、あいつだって……」
「それ以上口にしないでいただきたい。もし口外するというのであれば、私はあなたを灰にしてしまいかねない」
その右手に灯された蒼い炎を見て、また肩を竦めた。
「分かったよ。この件はこれで終わりだ。でも」
「……?」
「いつか君とウィルは、何かしらの形で決着をつけないといけないと行けなくなるだろう。決して君が現セイヴス二番隊隊長だからではない。君がヴィオラ・リーヴィだからだ」
そう言ってレヴィンは立ち去った。長い廊下、その背が小さく見えなくなってから、少女は反対方向に歩き出した。
自身の炎と同じ色の髪が揺れる。
「……最低な気分だ」