主人公は落ちこぼれってわけじゃないんだけれども
口角を強張らせ、頰に汗を伝わらせながら少年は壇上に上がる。
テウルギア唯一の冒険者育成校——クーヴレール冒険者育成学校。
今年度の卒業生は第八十期生にあたり、そして、彼は誉あるその首席卒業者。
つまり、彼が今一人孤独に登壇をしているのは卒業生代表として、である。
——終えて、振り返れば、眼下には彼と同じ今期の卒業生およそ二〇〇名。その後ろに並ぶのは在校生の一年生二年生、こちらは倍のおよそ四〇〇名で更に後ろには卒業生の縁者が百数十名。
そして、卒業生の今後の冒険者生活を決めるギルド関係者、数十名。
緊張をほぐすためだろうか、ゴクリ——自然と唾を飲む。
あらかじめ用意していた卒業生代表の挨拶の原稿を開く。二つ折りの状態から戻したそれの両端は手汗で濡れていたが、今は若干乾いてパリパリになっている。
読み上げ、述べるのは卒業生答辞。
定型句による誰のためでもない挨拶から始まり、三年間お世話になった学び舎、学校講師、並びに関係者や保護者への感謝。
スピーチは三分ほどで終わった。
注目からの解放と緊張の残滓を混ぜて、それをため息で割って、灰色の頭髪を揺らしながら壇上から降り、同級生たちの中に紛れる。
間も無くして、卒業式は終わる。
クーヴレール冒険者育成学校の首席卒業者。
期待の新人、ホープ、スーパールーキー、これからどんな期待の言葉をかけられてもおかしくはない。
少年——リアム・バージェスはエリート冒険者として好調な滑り出しを切った。
————はずだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「新人? いやいや、うちは今新しいのは取ってないから」
——そうですか。
「ごめんねぇ。新しい子は募集してないの」
——そうですか。
「君って今年の卒業生だよネ? 残念ながら今年のは採用する気ないんダァ」
——そう……ですか。
「いやね? アタシだって君はできる子だって知っているのよ?」
カフェ・クロウスの店主ダミアン・メイソンはガラスコップについた雫を丁寧に拭いながら、カウンター席の上に乗っかった灰色の球体に優しく言葉をかける。
曇天の様な鉛色。
その比喩の通りそれが纏っているオーラはどんよりと重く、今にも降り出しそうである。
「なんで……なんで、どこも採用してくれないんですか……」
言葉を使うたびにそれは細かく跳ね上がる。
その様子に呆れて、ふう、と店主はため息。
「君、卒業した頃に来たギルドの勧誘は全部蹴っちゃったんでしょ? なんでそんなことしたのよ?」
「来たのは全部調達ギルドの勧誘ですよ。でも、僕が希望してるのは探索ギルドなんです……だから……」
今度は、はーーー、と長く大きい露骨なため息。
「若気の至りってやつかしらね……。いい? 先ずは自分の身の丈にあった仕事から始めて、コツコツ頑張ってから上に行くものよ? 最初から欲張ったっていいことないわよ」
「……でも、これでも僕、クーヴレールを首席で卒業したのに……討伐ギルドからも一つも来ないなんて……」
「そりゃあ」
一度、口ごもる。
「なにせ今年の卒業生は『大凶作の八十期生』なんて呼ばれてるからねぇ」
「それなんですよ!」
弾かれたように立ち上がり、椅子を跳ね倒す。
「なんなんですか大凶作って!? 僕は頑張って三年間学年トップの成績を保持し続けて来たのに!? 偶然今年は卒業生に魔術師が一人も居なかったってだけで!? どぉーーしてここまで評価を下げられないといけないんで……!」
「厨房に向かって唾を飛ばすなぁ!!!!」
低く、響く、渋くいい声。
頭頂部を引っ掴み、そのままカウンターに顔面をめり込ませんとばかりの力で叩きつける。
少年の悲痛な訴えは虚しくも店主の徹底した衛生管理によって潰された。
「う、うぐぐ……ぐ……」
カウンターに顔を貼り付けながら、灰色の頭髪の向こうから呻き声が聞こえてくる。
「泣いてる暇があるなら昼間っからこんな所にいないでさっさと雇ってくれるギルドを探して来なさい」
「いや、貴方が押さえつけてくるのに抵抗してるんですよ。探しに行く以前の問題だよ」
「Dランク冒険者が生意気言うんじゃないの!」
「あだだだだだだだだ! いいい痛いっ! テーブルに擦りつけないで下さい!」
少年の抵抗もまた虚しく、店主の蛮行は止まらない。ゴシゴシゴシと雑巾のようにカウンターに擦り付けられて、暗によーく反省するようにと染み込まされていた。
——そんな最中で、カランカランとドアベルが店内に鳴り響いた。来客のようだ。
「よう、ダミアン。いつもの頼むわ」
店に一歩入るや否や注文をした客の顔を一瞥して、慣れたそれの内容を把握。再度ため息を吐いてダミアンは頭を抑え込んだ右手を解放し、顎髭を親指と人差し指の間でなぞる。
「まったく、うじうじしてないでこれからどうするか考えてなさい。若いんだからこれから巻き返すチャンスはいくらでもあるのよ」
そう言って、店主は背を向け、台所で調理を始めた。
「……これからどうしよう」
頭を上げ、顎をテーブルにびったりつけた状態で少年はぼやく。鼻がやたらとヒリヒリするのは何故だろう。
本当にどうして保険の一つもかけていなかったのか。自信があった。というのは確かだった。
クーヴレール冒険者育成学校を首席で卒業した。というのは大きなアドバンテージを得られる。
だから、本来ならば例え齢十六の子供でもその実力に見合うようなギルドに所属することができる。
しかし、そうはならなかった。
——大凶作だから……か。
虚空を睨みつけて、ギリッと歯を鳴らす。
「どうした少年。悩み事か?」
「え……」
突如呼びかけて来たのは先ほど来店した男だった。
少年の右隣に座った男は、頬杖をついて余裕のある笑みを見せる。ちょうどそのタイミングでダミアンから一杯差し出された。
肴はもう少し待ってて。と言う指示に男もいつものことと言ったように、ああ。と返す。
「で、お前は見たとこ、いかにも卒業したての新米冒険者です。って感じが出てるが?」
「え? あ、まあ、そうですけど……」
「んじゃ、昼間っからこんな所に居るのはおかしいな。新米ならまだまだ忙しい時期のはずだ」
うぐ、と喉が鳴り。疑いと苛立ち半々の用は図星の表情で少年は応えた。
そもそも急に話しかけて来たこの男はなんなのだろうか? というか、真昼間からこんな所にいるといえばこの男も十分に当てはまるだろう。
棚に上げてないで働けよ大人と思う。
「……貴方には関係ないことですよ」
「そう言うなって、一杯奢るからよ。話してみろ」
男は先ほど出された飲み物を送る。
ガラスコップに注がれているのは淡い茶褐色の液体。
——……コーヒー牛乳?
意外なその男のいつものの内容に困惑して、確認を兼ねて男の方を見やれば、頬杖に使っていた右手を一時解放し、こちらに手のひらを向けて、どうぞ。と言った風にジェスチャーを送った。
視線を手元に戻す。手の中のガラスコップの中の淡い茶色の水面に映る自分を眺めて——ままよと掲げて口内へと流し込む。
「お、結構いける口だな」
男がそれを言った頃にはコップの中は空だった。
口の中を通り過ぎて行ったまろやかで甘いミルクとそれに混じって運ばれるコーヒー独特の香りと苦味。
そして、それらに後続した少年には慣れていない感覚。
舌を通り過ぎれば、咽頭内の温度が奪われて僅かにひんやりとし、食道を通る頃には喉をチリッと焼いていく。そんな感覚。
そう、この茶褐色の液体は、
「お酒だこれぇ!」
カルーアミルクだった。
「あんたなに未成年にナチュラルに酒飲ませてんだ!?」
「なんだなんだ。真面目ちゃんかい? 酒ぐらい飲めなくっちゃこの業界やってけないよ?」
即座に直訴する少年を前に男は飄々として応える。
「それが法律を破っていい理由にはならないだろ! なんか妙に可愛い趣味してんなと思っ……たっ……ら」
急激に少年の視界が暗転。
体の内側が熱くなる感覚を覚えて、それを認識した頃には彼の右半身は既に床に叩きつけられていた。
「……は?」
と間の抜けた声と共に目をパチクリさせて、男は足元に落ちた灰色の頭を見る。
「あ、ウィル! あんた何リアム君にお酒飲ませてんのよ!?」
異変を感じたダミアンが即座に調理を中断してカウンターから身を乗り出して床に倒れた少年を発見する。
「い、いや、なんか悩んでたみたいだしさ? ここは一つ酒でも入れて発散させてやろうって……な?」
「大人のストレス発散方法を子供に押し付けてどうにかなるわけないでしょ! あーもう、この子お酒ダメだったのね!」
店主は慌ただしく厨房から回り込んで少年の容態を確認する。
顔は真っ赤になっていかにも酔っ払っている風だが、幸いにも酔うと熟睡するタイプらしく危険なことはなさそうだと判断して、ほっと一息ついた。
「まてぇい!」
そして、そろりそろり通りすがった右脚を引っ掴んで転倒させた。
「んげぇ!」
ニタリ、と深く影を顔に落として店主は問う。
「どこに行こうって言うのかしら?」
「あ、あはは。ちょっと急用を思い出してな?」
「あんたに急用なんてあるわけないでしょ! この無職冒険者が!」
真昼間の人気のない店内に店主の渋い怒声が響いた。