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「コインロッカー」 …諸井込九郎編

 事の起こりは、私がある朝に拾ったコインロッカーの鍵に起因する。


 善良な市民であれば、ここで警察に届けるべきだろう。勿論いつもの私ならそうしていたはずだ。しかしその時の私はどうにも気になってしまって、なに食わぬ顔をしながらさも当然のようにこのコインロッカーを開ける事にしたのだ。

 気になった原因はわからない。ただ何となく、としか言いようがない。

 ただ開けてしまったからにはその中身に関する責任というものが私にあるはずで、中に死体などというものが入っていることを通報する行為は私の責務に他ならなかった。

 そして私はたった今事情聴取から解放された。朝の通報以来約十四時間に渡って身の潔白証明と状況説明をし続けていた。その所為か喉が痛む。

 しかしどうも第一発見者だから特に念入りに調べられた……というわけではないようだ。どうやらこの事件は思った以上に不可解なものらしい。

 鍵を拾った時の好奇心が、未だに私を突き動かしていた。

 事情聴取の際に断片的に耳に入った情報によると、被害者の身元が特定できず捜査が難航しているらしい。

 これはおかしい。なぜなら私が遺体を見た限りでは白骨化どころか腐敗すらしていなかったのだ。私が冷静に警察へ通報する事ができたのも遺体に欠損や傷がなかったからであり、最初は生きた人間が入っているのかと思ったほどだったのだ。そんな状態で身元が特定できないなんて異常にも程がある。

異常な点は他にもある。

 現場近くの監視カメラの記録に、このコインロッカーの使用者の姿が映っていなかったのだ。最後に利用されたのは三ヶ月以上前で、鍵は戻されていたらしい。そもそも遺体の状態からして3ヶ月以上前に遺棄されたとは考えにくい。

 ではこの遺体は何処から来たというのだ

 そもそもこの人物は何者なのか

 私はその後も取り憑かれたようにこの事件について調べた。


 なんの成果も得られず、無為に二週間が経ったある日の事。

 私は母方の故郷の町で祭がある事を知った。両親は結婚してすぐに故郷を離れ、母方の親族もその町からは離れていた為に今まですっかり忘れていた。小学生の頃に一度だけ、夏休みを利用して訪れた程度だった町。

「三夕町」

 インターネットで調べてみると、町外れの廃墟で行方不明者が多発していたり、近隣の山中に自殺の名所があったり、あまり良いイメージがない。

 私自身、良い思い出があったようには感じられない。

 むしろ胸がざわつくような、不吉な予感がしていた。

 しかし近日に祭がある事を偶然知った時、何故か強く惹きつけられたのだ。

 私は一念発起して祭を見に行く事にした。


 八月某日、祭の当日。

 都心から離れた田舎町である三夕町の小さな祭を見物しようなどという酔狂な人間は私以外にはおらず、それほど大きくもない神社の境内で厳かに、しかし慎ましく行われる一連の神事も形ばかりのものだった。十六時に神事が終わると、小さな神社の境内に町内の人という人が集まって妙に狭苦しい宴会が始まった。当然部外者の私は参加できず、まあ田舎の祭なんてこんなものかといった程度でしかなかった。

 そのまま何事もなく、十七時を回った頃。

「なあ、お前原山の人間だろ」

 四、五十代の男が妙に冷たい声で私に話し掛けた。

 原山というのは私の母方の旧姓だ。

 町を抜けて他の土地に移ったのだから、印象はあまり良くないのかもしれない。私は少し引き気味になりつつも頷いた。

 男は一瞬私に恐怖の眼差しを向けたあと、そそくさと離れていった。

 何故恐怖の目を向ける?

 そしてすぐに神主らしい人物を連れて戻ってきた。

 神主もやはり、私に恐怖の感情を抱いているような節がある。

「原山の方がよりによってこの日に、どうして?」

 そう問われても、ただ何となく来たとしか答えようがない。

「あなたは……もしや……」

 神主はさっきまでとは打って変わり、恐怖や嫌悪感を隠そうともしないで私の名前を口にした。

私の名前に何かあるのか?

 それは私の名前だ、と私が肯定すると神主と男は顔を見合わせてから真剣な顔で私に向き直った

「悪い事は言いません。早くこの町から離れなさい」

 嫌悪感を丸出しにしたままそんな事を言われても、ただ腹が立つだけだ。なぜここまで嫌悪されなければならないのか、なぜ早急に町を離れなければならないのか理由が知りたい。

 すると神主は苦々しい顔で渋々と、かろうじて聞き取れるほどの小声で告げた。

「貴方は…カムトリゴと接触してしまったのですよ」

 カムトリゴ?

 それはなんだ、と言いかけて、

 止めた。

 違う、止めたのではなく口が動かなかった。私はこの言葉を知っている。

「貴方は……知らないでしょう。記憶を閉ざしてしまっているかもしれません。カムトリゴとはそういうものなのです。集落に溜まった悪徳や穢れ、そういったものを一身に引き受けて山へ返すのがカムトリゴです。」

 それじゃあ人身御供だ。

 悪徳や穢れを背負わされて、本人にはなんの罪もないのに殺されるのか

 スケープゴートにされて、

 捨てられて、

 汚されて、

 殺されたのか?

 激情と共に強い否定が脳内を駆け回る。

 私はカムトリゴのことを知っている?

 知っているから怒りを感じている?

 カムトリゴは……

「山へ返したカムトリゴが盆を前に山から帰ってくる日があります。それが今日です。だから今日は町中の人が夜まで境内で過ごすのです。カムトリゴは大禍時に戻って来ますから」

 大禍時にカムトリゴが。

 聞いたことがある。

 聞いたことがあるのに。

 頭が痛い。

 思い出せない。

 神主の傍に立っていた男が吠える。

「お前はカムトリゴに触った忌み子だ!」

 私が、忌み子?

「タブーを冒したんだよお前は!ここから出て行け!」

 男の怒号を皮切りにして、背後で不安そうにしていた群衆からも「出て行け」という声が挙がり、次第にそれは大きくなっていった。

 その時、私はその理不尽に怒るよりも、その狂気に恐怖するよりも、何かとんでもない失敗を冒してしまったような妙な心持ちになっていた。もしかしたらこれも集団の心理というものだったのかもしれない。

 とにかく居た堪れなくなった私は、罪を認めて贖罪へ赴くが如く人一人いない夕暮れの三夕町へ飛び出した。


 大禍時。

 古くから最も妖しく、そして恐ろしい時間帯とされてきた時間。

 この時間に子供を外へ出すと戻ってこないとも言われていた。

 それ程までに夕闇というのは人の心を動かす。

 山端は赤く染まり、町は聳える山の影と這い寄る夜の闇に染められている。

 今日に限っては人の活動さえ無く、夕闇の独特なもの悲しさも相まって、町という生物が完全に息絶えてしまったかのようだった。

 忌み子のいなくなった宴会はさらに盛り上がっているようだった。迫る夜の静けさに怯えて無理に騒いでいるようにも聞こえる。

 当然だ。人一人いない町というものはそれだけで恐ろしく不気味なのだ。

 影差す街角にいるはずのない人影を見出す度、私は気が狂いそうなほどの恐怖に打ちのめされた。

 それはカムトリゴとは何かを未だに思い出せずにいることも原因かもしれない。

 ああ、しかしこの骨身に染みる恐怖の中にある種の懐かしさがある

 まるで子供の頃に見た悪夢をもう一度見ているかのような……

 何度目かの四つ角、あるはずのない人影がゆらりと姿を現した。

 それは白いワンピースを着た私と同じ程の女性だった。

 見覚えが、ある。


 そうか

 貴方が

 カムトリゴか


「私の名前は?」

 女性は不機嫌そうに漏らした。

 その透き通るような声でハッと我に返る。

 カムトリゴ。

 その事は思い出せても名前までは思い出せない。不安と共に、何故か申し訳なさと気恥ずかしさが込み上げてきた。

「琴間栞名」

 コトマ、カンナ。

 そうか、栞名。

 思い出した、彼女は私の同級生だった

 久し振り、何年振りだろう?

 そう言おうとして口が止まる

 何故?

 つい最近彼女に会ったことがある気がする。

 よく通る声のまま、彼女は楽しそうに私の名前を呼んだ。

 彼女に名前を呼ばれただけなのに、私は心が弾むのを感じた。

 ああそうか、私は栞名に恋をしていたのだな。

 頭痛と共に閉ざされていた記憶が蘇りはじめた。


 小学校四年生の夏、私はこの町を訪れた。母方の実家がこの町にあった。その時はまだ原山家は村八分にもされておらず、私も忌み子などと呼ばれてはいなかったはずだ。

 そしてカムトリゴだった栞名もこの町が故郷だった。

 十歳前後の私は栞名に淡い恋心を寄せていた。栞名がその事に気付いていたかどうかはわからない。しかし良き友人ではあったはずだ。

 ある日、栞名の家を訪ねた私は異変に気付いた。

 見たことのないおかしな飾りが、琴間家の軒先に飾られていたのだ。今思えば栞名がカムトリゴに選ばれた証だったのだろう。

 次の日から、栞名は姿を見せなくなった。

 私の口から栞名という名前が出るたびに祖父母は怪訝な顔をし、両親に叱られるようになった。栞名の両親に会っても気まずそうに口籠るばかり。とうとう三夕町から帰る日になっても栞名は姿を見せず、それどころか新学期の教室にも姿を見せなかった。

 私はそんな状況に納得できず、遂に九月のある日に三夕町を訪れた。

 訪れた。

 訪れた……?

 どうやって?

 十歳程度の小学生が一人で、家から遠く離れたこんな町へ出てきた?

 いや、問題はそうではない。そこから先の記憶が全くない。

 閉ざされていただけだったはずなのに、思い出せない。

 さっきから頭痛が酷い。

 そもそも、私のクラスメイトに本当に琴間栞名という名前の女子生徒はいただろうか?

 思考を巡らせる私に透き通る声が告げる。

「私のこと忘れちゃった?」

 忘れてなんかいない、思い出せないだけなんだ。君のことを忘れたことなんて……

「忘れたことなんてない?」

 そうだ、あの時君を見つけてから片時も……

 あの時、君を……


 ロッカーの中で見つけてから


 顔を上げた。

 夕闇をアンバランスに染め上げて、不自然なほど白いワンピースを着た美しい女が立っている。

 白いのはワンピースだけではなかった


 お前は誰なんだ

「私は琴間栞名」

 違う、それはお前が私に見せた偽物の過去だ

「違わない。私は琴間栞名、あなたはそうやって認識した」

 幽霊?

「琴間栞名は幽霊なの?決めるのはあなた」

 バケモノ

「琴間栞名はバケモノなの?決めるのはあなた」

 暖簾に腕押しだ。何を言っても彼女は楽しそうに鸚鵡返しをするだけで、一度だって私の質問に答えてはいない。

 いや、一度だけ……

「琴間栞名」

 それがこいつの名前か

「これが私の名前なのね」

 違うっていうのか。

「名前は大事よ。ただそこに存在するだけのモノに名前を与えることで、それは世界に生まれ落ちる」

 楽しそうに楽しそうに、透き通る声は嘲笑う。

「あなたは答えが欲しいのね?」

「私はカムトリゴ。神の虜。神の取り子。カムトリゴ。そしてあなたに琴間栞名と名付けられて琴間栞名になった」

「でもあなたは私を忘れてしまった。

 この町の人たちは私を恐れた。

 私は誰にも忘れられてしまった。

 だからあなたに思い出してもらったの」

「私はもうここにいる。私は琴間栞名」


 ――今度こそ、思い出した

 琴間栞名は小学四年生の夏に事故で亡くなった私の同級生だ。

 淡い恋心を抱いていた私は登校拒否をするほどのショックを受け、傷心のまま親に連れられてこの町へ来た。

 そして、あの年のこの日、私はカムトリゴに名前を与えてしまった。

 祭の日の夕方は町に出てはいけないという掟を破って、私は町へ出た。

 理由は……もう思い出せない。もしかしたら理由などなかったのかもしれない。ロッカーを開けた時と、同じだ。

 導かれるがまま、カムトリゴに接触して……

 それなら、お前は琴間栞名なんかじゃない。

「どうして? 私は琴間栞名よ?」

 琴間栞名は十一歳で死んだ

「あなたが生き返らせた」

 違う、死んだ人間は生き返らない

「私は生きているわ」

 琴間栞名は死んだ。お前はカムトリゴだ。

「私は琴間栞名。カムトリゴにされてしまった琴間栞名」

 言い返そうとしてまた止まる。

 そうだ、神主は「集落の穢れを背負ぬて山へ返す」と言った。

 そうだとしたらカムトリゴは人間?

 それならやはり私の記憶が間違っていて、琴間栞名は十一歳で死んだのではなくカムトリゴして抹消された?

 そうだ、私が琴間栞名という名前を付ける前からカムトリゴは人の姿をしていた。

 だが目の前に立つ琴間栞名を名乗る女は、間違いなくロッカーの中にあった死体と同じだ。なぜ死体がここにいる? あの死体はどこから来た? なぜここにいる?

「私は琴間栞名。そしてカムトリゴ」

 そんなことはわかっている。

 いや、わからない。

 わかってたまるか。

 私は琴間栞名の腕を掴み、脈を調べた。

 わからない。動いているようにも感じるし、動いていないようにも感じる。

 何故わからない? 私は無性に腹が立ってきた。それは不安に押しつぶされそうなのを隠すための立腹にすぎなかった。目の前の存在は矛盾する二つの記憶によって成立し、生きているか死んでいるかもわからない不条理な存在だ。

 突然目の前から消えてしまうかもしれないし、突然見たこともないような怪物の姿になって私を食い殺すかもしれない。夕闇の静寂と未知への不安が狂気を駆り立て、視界が赤く滲んだ。

 私は思い切り腕に力を込めた。



 ――私は今、あのロッカーの前にいる。

 ロッカーの中に見つけたモノをロッカーの中に押し戻したのだ。

 こんな簡単なことだったなんて、思いもよらなかった。

 何故か防犯カメラは動いていなかったが、そんなことはどうでもいい。

 私はロッカーの鍵を閉めて、その鍵を何の気なしに捨てる。

 これでいい。

 これで全てが元通りだ。

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