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第二話「ランチタイム」

 亜紀雄にとって、食事というのは他者の命を消費する作業としか思えない。

 そこには肉食も草食も関係なく、ただただ動物なり植物なりの命をもぎ取り、それを自分に吸収するだけである。生きようとする他者の願望を摘み取って、自分のために吸収するのである。

 ――つまり、他者を止めて自分を継続するということ。

 他者の生きようとするベクトルを遮って、それを自分のために還元するのである。他者をわざわざ止めて……留めて……停めて……富めるのである。

 ――果たしてこの人生に、そこまでの意味があるのだろうか?

 この鞘河亜紀雄の人生は、他者を踏み台にしてまで継続する価値があるものなのだろうか? 他者の生きようとする意向を遮ってまで、この人生は続かせるべきものなのだろうか? それに値するだけの人生を送っているだろうか?

 ――常日頃、亜紀雄の中にはそんな疑問が巣食っている。

 他者から奪ったエネルギーを使って、自分は一体何をしただろうか? 何を生み出しただろうか? 何を獲ただろうか? 何を作り出しただろうか? これまでの半生を振り返ったところで、何も思い浮かばない、何一つ考えつかない。他者を踏み台にすることと等価のものなど、何一つ見つけた覚えはない。

 ――だったら、なぜ自分は生きているのだろうか?

 自分が一昨日、昨日、今日と生きている理由は? 生きている目的は? 生きている意味は? 何もないんじゃないか? 生きる意味なんてないんじゃないか? もう、生きない方がいいんじゃないか?

 ――なぜ自分は、わざわざ生きているのだろう?

 その答えは、実は分かっている。分かりきっている。多分、何となくなのだ。何となく死にたくないから、生きているだけなんだ。苦しみたくないから、痛いのが嫌だから、生きているだけなんだ。腹がすくから食事をするだけなんだ。そこに理由も目的も意味もないのだ。

 ――何て自分勝手で、横暴で、無意味な存在なんだろう。

 我ながら、本当にくだらない。こんな奴など、早く消えてしまった方が世界のためだ。早く消えてしまった方が、その分他の動物や植物が生きていけるはずだ。その方が世界にとって、すべてにとって価値のあることだろう。意味のあることだろう。これ以上ないほど理解できる。

 ――だけど、やっぱり

 くだらない存在であるからこそ、自分を止める勇気もないんだ。留められないんだ。停めることができないんだ。結局何となく、無意味に今日も生きていくんだ。

「……もう、考えるのも嫌になってきタ」

 憑き物を払うように首を振りながら、亜紀雄はハアとため息をついた。

「……いいさ、ダメ人間はダメ人間らしく、怠惰に延命するのサ。どうせそれしかできないんだから……」

 周囲の誰にも聞こえないくらいの大きさの声でそんなことを言って、亜紀雄は机の脇にかかっている鞄の中に手を突っ込んだ。数秒モゾモゾやった挙句にそこから取り出したのは、プラスチックのトレイ。上面には「○○弁当」と書かれた白い紙が輪ゴムで留められている。

 これは、亜紀雄の昼食の弁当。今朝、駅前で買ってきたものである。

 スズランが来てからの一ヶ月は、昼食もスズランお手製の弁当を持参していたのだが、今日は久しぶりに市販の弁当になった。実は昨夜、夕飯の支度中にスズランがおかずを焦がしてしまい、弁当用に買ってあった冷凍コロッケを夕飯として食べることになったのである。そんなわけで次の日の弁当の中身がなくなってしまい、あえなく本日は店の弁当を買ってくることになったのであった。

 これについてスズランは申し訳なさそうな顔でしきりにぺこぺこしていたが、亜紀雄にしてみればこちらの方が元来のメニューであり、感覚的には前の状態に戻っただけなので別段気にしてはいなかった。スズランの弁当も美味ではあるが、たまには市販のものを食べるのもイレギュラーでいいだろう、くらいに思っている。

 とりあえずこの空腹をどうにかしよう。

 そう思いながら、亜紀雄は紙のカバーを外し、中を覗いて――

「――あれっ?」

 素っとん狂な声を上げた。そして目を丸くして弁当の中身を覗く。その表情には驚愕が浮かんでいる。亜紀雄がそうなるのも無理ないだろう。なぜならその弁当箱の中には――

 ――ご飯が半分しか入っていないのである。

 いや、それだけならここまで驚かなかっただろう。元々あの弁当屋があこぎな商売をしている可能性だってあるし、店員が純粋に量を間違えた可能性だってある。しかし亜紀雄がここまで驚いたのは、つまりはそれだけに留まらずに、


 すべてのメニューが半分――よくて三分の二程度。

 エビフライさえ半分で切られていて、おまけに歯形までついている。


「こ……これは?」

 高校入試で冥王星の軌道計算問題が出たくらいの呆然とした顔で、亜紀雄は手元の弁当を見下ろす。ためすがめす見回す。そしてゼンマイ仕掛けの人形のような動作でキリキリと首を回し、

「……ねえ、スズラン。僕の弁当がいつの間にか減ってるんだけど……?」

 亜紀雄の隣の席で、すでに弁当を食べていたスズランに尋ねた。

 スズランは箸をぴたりと止め、亜紀雄の方を向いて、

「……へ、亜紀雄様の弁当が減っている?」

「うん、そう。ほら、見て」

 そう言って亜紀雄は自分の弁当箱を差し出した。無論これは自分の現状を知ってもらい、その後で一緒にこの謎について考えてもらおうとしたのである。こんな弁当箱を見れば誰だって驚く。スズランだって一緒に驚いてくれるだろう、一緒に原因を考えてくれるだろう、と思っていたのだが――


「――ああ、それは私が食べたのですよ」


 スズランはけろっと言い放った。

「……え? ええ! 君が?」

「はい、毒見も家臣の大切な職務ですから」

 弁当付属のナプキンで口元を拭きながら、スズランは何ともなさそうに言う。

「私が作るものならともかく、他者が作るものではその中身にいまいち信用が置けませぬから。先刻亜紀雄様がお手洗いに行っている間に済ませておきました。とりあえずその中には害のあるものは入っていないので、安心してお食べになってください」

「……いや、お食べと言われても」

 亜紀雄はくっきりと歯型が残った沢庵を箸でつまみあげながら、

「現代日本じゃ弁当屋が客の毒殺を企むなんてことはありえないんだから、わざわざそんなことしなくていいんだ。毒見なんて意味ないよ。これじゃ僕の弁当がただ単に減っていくだけで……――――――――……って、あれ? 沢庵は端っこかじってあるだけなのに、何でエビフライは七割がた食べられてんの?」

「え? いや、それは……」

「よく見ると、これ、毒見って言う割りに、やたらバランスが明らかにおかしいよ。シューマイが確か四つ入ってたはずなのに、三つがかじられてて、残りの一つが見当たらない。そのくせこっちのレタスはほんの少ししか食べてない……――――……ねえ、スズラン。これ、まさか――」

「いや、何を疑ってらっしゃるのやら……」

「ちょっと、スズランの弁当も見せ――――って、ああ! ちょっと! エビの尻尾が僕のより二つ多い。ちょっと、これどういうこと! 毒見っていうわりに、偏りが激しくな――――ねえ、何で顔を逸らすノ? 明らかに目も泳いでるし! 目がTになってるヨ! 大文字のT! もー、ちょっと、怒るよーっ!」

 と、亜紀雄が椅子から立ち上がった時、ふいに後方から、

「ねえ、鞘河君。ちょっといい?」

 女子生徒の声が聞こえてきた。

 今取り込み中だから後にしてよ、と思いつつも亜紀雄が振り返ると、目の前にはプラスチックのトレイ。弁当箱が口をきいたのか、それにしちゃ澄んだ声だったと一瞬思ったが、そんなわけないと考え直し、亜紀雄はその箱を握っている主の方を見た。その声の主はセミロングの髪を耳下で外にはねた、寄り目がちなクラスメイト――東香々美だった。

 亜紀雄に対してプラスチックボックスを差し出している香々美の姿勢に虚を着かれ、一旦言葉を飲み込んだ亜紀雄は、

「……え? 何? 東さん」

「ちょっと、鞘河君に味見してもらいたくて」

 そう言いながら、香々美はプラスチックボックスの蓋をぱかっと開けて、

「ほら、チョコレート作ったの」

「チョコレート?」

「そう。ほら、明日バレンタインじゃない」

 言われて、亜紀雄は今日の日付を思い出す。――二月十三日。そしてこれに一を足せば、めでたく有名な記念日になる。亜紀雄は「ああ」と納得顔になり、次いでニンマリ顔になって、

「え? 何? 手作り? まさか、明日本命に渡すつもりなの?」

「うふふ、残念だけど違うよ。全部義理。お世話になった人に配ろうと思ってるの。それでね、手作りだから鞘河君に味見してもらおうと思って」

 そう言いながら、香々美はトレイの中身を見せてきて、

「ほら、綺麗でしょ」

「……へえ、すごいね」

 亜紀雄は中身をまじまじと見た。ボックスの中には赤、青、黄色、緑、オレンジ、白、黒、茶色、ピンク、金色、銀色に色付けされた、一口大の球形のチョコが箱いっぱいに入っている。

「カラフルだね」

「うん。色々試したの。……あ、もちろん味もそれぞれ違ってるんだよ?」

 香々美は粒を一つ一つ指差していき、

「このピンクはイチゴ、黄色はバナナ、オレンジはみかん、白はミルク、赤はトマト――」

「……と、トマト? それはまた、斬新だね……」

「うふふ、そうでしょ? でね、この緑はキャベツ、青はナスで――」

「キャベツッ? ナスッ?」

「この茶色は十円玉、金色は五円玉、銀色は百円玉を――」

「ちょ、ちょっと待って! 色をコンプリートしたいあまり方向がおかしくなってル! しかも犯罪!」

「大丈夫、絶対おいしいから。概ね」

「概ねって絶対じゃないじゃン! お金の味なんて想像できないし……」

「もー、ぐちぐち言わないでとりあえず食べてよ」

 ぐいっと押し付けるようにボックスを差し出してくる香々美。目の前の九色のチョコレートを見てその味を想像し、その想像だけで気持ち悪くなっている亜紀雄はちらっと隣のスズランの方を見て、

「……そ、そうだ! スズラン、僕が食べる前にまずは毒見してくれないと。ね? ほら、僕に何か害があるか分からないから、まずは君が――」

「そんな、亜紀雄様、いけません」

スズランは首を横に振り、非難するような目で亜紀雄を見ながら、

「他人様が手ずから作ってくださったものに毒見だなんて、失礼すぎます」

「貴様! さっき何と言っていたぁ!」

「それに私、お腹がぽんぽんです。これ以上食べたら太ってしまいます」

 精霊が太るカァーッ!

 と叫びかけて、亜紀雄は黙った。そんなこと、教室で言うわけにはいかない。叫んだところでバカにされて笑い者になるのがオチだ。そこまでを見越してのスズランの発言だろう。相変わらず変なところで先見の明が立っている。

 何も言えなくなって「ぐぬぬ」と歯軋りをしている亜紀雄に、

「ほら、鞘河君。食べて」

 と、香々美はさらに前へとボックスを差し出してきた。近づいてくるチョコレート群。亜紀雄は何とかこの状況を振り切る方法はないかと、入学試験以来だろう、頭を高速フル回転。そして何とか口を開き、

「……そ、そういうのは、やっぱりさ、気の置けない人に頼んだら? ほら、僕と東さんって、席は隣だけど、たまにしか話さないじゃない? そういう間柄だと変に気を使っちゃうし。そうなると、ちゃんとしたアドバイスもできないよ。だからさ、もっと東さんにずばずばものが言えるような近しい人に――」

「私に気を使わない人? でも、そんな人……」

 口をへの字にして考え込む香々美。知り合いを順々に頭に浮かべていっているのだろう、しばらくうんうん言っていたが、急に閃いたように頭の上で豆電球を瞬かせ、

「……そうだ! いた、私に生意気な人! …………小林君だ!」

 そう言って後方へと方向転換し、香々美は教室の後ろの方の席へと行ってしまった。

 その後、しばらくして教室の後方で始まった、

「ねえ、小林君。チョコの味見してくれない? してくれたら小林君にも明日あげるから」

「へ? 味見? いや、まあ、それくらいなら――――って、何だ、この妙にカラフルなチョコは! 合成着色料よりも色合いが気味悪い……」

「つべこべ言わず食え!」

「うおっ、ちょ、やめろ、無理矢理口に――」

 という会話を背中で聞きつつ、犠牲となった小林雑音の冥福を祈りながら、亜紀雄は歯形のついたエビフライを口に運び始めた。

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