第七話「屋上にて」――その一
亜紀雄は、勢いよく鉄の扉を開けた。
開ける視界。
星空。遠方の街明かり。手すりに囲まれた長方形。そして、そこにいる三人――――ブロンズの髪を夜風に流している東リーネ、その側に寄り添うように立っている紅色の和服をまとった少女、あとは――彼女らから少し離れたところで、地面に突っ伏している――スズラン。
「す、スズランッ!」
亜紀雄はスズランの方へ思わず駆け出しす。が、
――リンッ
和服の少女が、鈴の音と共に扇子を振った瞬間、キンッという鼓膜に突き刺さる音と共に、亜紀雄の右半身に――――ドシンッ、という、重い衝撃。
「ぐあっ……」
砲丸の直撃を食らったように、横に吹き飛ばされる亜紀雄の体。そのまま地面を数メートルスライドした。
「……ぐ…………てて」
「まったく、もう少しで終わるのデスが……」
その様を無感動な瞳で眺めながら、リーネは無感情な声音で呟く。
「ここまでくると、そのしぶとさと言うかしつこさと言うか、そろそろ感心してもいいかもと思いマス。アキオ、アナタは意外と諦めが悪いんデスね?」
「だから、諦めるわけがないって言ってるだろ!」
亜紀雄は体を起こしながら叫んだ。しかし、左肩に走る痛み。今の衝撃でひねったのかもしれない。
「くそっ……さっきの白いやつといいそいつといい、変な力使いやがって……」
「ウフフ。そうデス。これが精霊の能力デス。人間にはない力デス。実際に食らってみて、その強さ、そして恐ろしさを理解できマシタか? ……もっとも彼らの能力も、スズランさんのそれに比べたら至極安全なものデス。なんせ彼女は『死』の精霊。その手で触れるだけで、すべての生きとし生けるものを殺せるのデスから。触れさせるだけで『THE END』。そんな危険な能力、他に聞いたことがありまセン」
「だから、それを使わなければいいだけの話だろ!」
亜紀雄はすくっと立ち上がり、そしてスズランの方へ視線を移して、
「おい、スズラン! 平気かっ!」
スズランに呼びかけた。
スズランは顔を上げ、焦燥の表情を浮かべて必死に口を動かすが、
「…………」
亜紀雄の耳には何も聞こえてこない。スズランの声を邪魔するような音はここには何もないはずなのに、声が伝わってこない。テレビを消音にしているように、唇だけがパクパク言っている。
「ど、どうしタ! 何か言ってくれ!」
「無理デスよ」
亜紀雄とスズランのやり取りを制するように、リーネが薄ら笑いで口を挟んできた。
「スズランさんは現在、そこにいる和服の精霊――エン――のテリトリーの中にいます。境界は見えていまセンが、彼女の半径一メートルには入れまセンし、声も届きまセン。残念ながらスズランさんは逃げられまセンし、アナタと彼女のコミュニケートは不可能デス」
「……それがそいつの能力か」
「そうデス。ウフフ。どんな能力か分かりますか?」
まるで分かるはずないだろうとでも言いたげな、リーネの嘲笑。
しかし亜紀雄はその笑みを無視して、再度スズランの方へ顔を向けた。
いつだかのように、両腕、そして片足が砕かれている。紙粘土を固めて砕いたような、崩壊部分。先刻家で見たとき以上に制服は破け、切られ、汚れ、廃れ、もうスズランには後がないことが、あと数分で存在が消えてしまう対象であることが、見て取れる。見て取れてしまう。
相変わらず声は聞こえてこないが、スズランは必死な形相で、なおも叫び続けている。口を動かし続けている。その唇の動きを見るに――何で来たのですか、早く逃げてください――そう言っているように見える。早く逃げるよう、訴えかけているように見える――――そんなこと、できるわけないだろ!
――最後に見るスズランが、こんな傷ついた姿だなんて……。
リーネは、唇をぎゅっと噛んだ亜紀雄の顔を一瞥し、
「そうですね。エンの能力について、何ならヒントでも差し上げ――」
「――風か、音か、重力だろ?」
亜紀雄は、リーネを睨みつけながら断言。
その返答にリーネはぴくりと眉を動かし、次いで感心したような顔になって、
「……ヘエ。何を根拠に?」
「見れば分かるだろ。スズランはそこまで顔に外傷は被っていない。ホコリで汚れてる程度で、口や首の周辺に攻撃を受けた様子はない――――スズランの発声が止められているんじゃなく、明らかに『音』が遮られてる。じゃあ、『音』を遮るにはどうすればいいか? 精霊が扱える自然現象に則って、空気の振動たる『音』を遮るにはどんな方法があるか? …………そんなの、落ちこぼれの僕にだって分かる。風で空気の振動を止めるか、音自体を操って消し去るか、重力で空気の密度を大きくし振動を殺すか。この三つなら、さっき僕に向けてきた攻撃が何も見えなかったことにも説明がつくしね――――まあ、気圧がそこまで大きくなると、スズランは身動きがまったく取れなくなってるだろうから、十中八九、風か音だろ?」
「……ウフッ、ウフフ、アハ、アハハハ、アハハハハハハハ」
リーネは堪えきれないように笑い声を上げ、
「さすがデス! さすがデス、アキオ! さすが私が見込んだだけのことはありマスね! さすがデス! 鋭いデス! ウフフ。実は今あなたが挙げた三つの能力は、私が対スズランさん用に考えていたものとぴったりなのデス!」
「対……スズラン用?」
「ええ、そうデス。さっき言った通り、スズランさんは触れただけで精霊すら殺せますからネ。必然的に遠距離攻撃が必要にナル。加えて、こちらは追う側。スズランさんを見失ったら負けデス。デスから、チャンスがあれば確実に当てられる攻撃が必要。相手にかわしづらい攻撃。つまり広範囲で、しかも見えない攻撃デス。そうなると、自然と今の三種類の能力が最適ということになるのデス」
「……やっぱり、音か風……」
「そうデス。そこまではご名答と言っておきまショウ。しかし――」
ここでリーネは口の端を吊り上げ、
「能力の中身が分かったところで、一体アナタに何ができるのデス? スズランさんでさえ敗れたこのエンの能力に、人間であるアナタが一体どうやって太刀打ちできると言うのデス? ウフフ。ありえませんよ。そんな術なんか。たとえ――
――さっき小林さんから渡された『お札』を使ったとしても!」
「…………!」
亜紀雄は目を見開き、札を持っている左手を握り締めた。
「……な、何でそれを……」
「ウフフ。アキオはまだ知らなかったのデシタね。別に難しいことではありまセン。聞けばそんなことかと納得することデス。つまりデスね、精霊とその主は、離れていても意思疎通ができるのデス」
「いし……そつう……?」
「はい、そうデス。だから、階下の状況は私にも分かっていたのデス。ユネアから聞いていたのデス。私とユネアは情報交換をしていたのデス。…………もっとも、今はもう分かりまセンが。もう下の決着は着いているのデスよ。ユネアは敗れて、精霊界に返されてしまいマシタ。別にユネアも戦闘には疎くないはずなんデスが、あっさり負けてしまいマシタ。たった三手。十秒足らずデシタよ。小林さんは恐ろしい人デスね。…………しかし、とっくに決着がついてるのに屋上に現れないところを見ると、彼はもう帰ってしまったようデスね。良く分からない人デス…………まあ、こちらとしてはありがたいことデスが」
リーネは自嘲的な笑みを浮かべた。
「さて、これで分かりマシタか、アキオ? さっき私が『アナタは本当のスズランさんの主ではない』と言った事? その根拠? そうデス。真に精霊と主の関係にあるならば、スズランさんとアナタは常にコミュニケートできるはずなのデス。学校や町中を探し回ったりしなくとも、意識を飛ばしさえすれば、スズランさんに直接居場所を聞くことができたはずなのデス。スズランさんだって、わざわざ私達から逃れなくても、アナタに思いを伝えることはできたはずなのデス。しかし、アナタ方はそれをしなかった――――できなかっタ。あなた方は意思疎通がデキナイ。そう。真の精霊と主ではないのデス。そんなアナタに、私達の仕事を邪魔する権利などないのデス」
リーネは亜紀雄の真正面に佇み、凍えるような声音で言い放った。
「さあ、分かりマシタか? アキオ。理解できマシタか? できたのなら――」
「分かるわけないって言ってるだろ!」
亜紀雄は声を張り上げる。
「何度も何度も言わせるな! そんな理由で、僕が納得するはずないだろ! 僕に何ができるとか、何ができないとか、そんなのは関係ないんだ! 僕に何があるとか、何がないとか、そんなのは理由じゃないんだ! 僕がどんな人間なのか、どんな人間じゃないのか、そんなのは根拠にならないんだ! 僕はただ、スズランが傷つくのを見るのが嫌なんだ! スズランが苦しむのを見るのが嫌なんだ! スズランが悲しむのを見るのが嫌なんだ! スズランが傷つくのが嫌なんだ! スズランが苦しむのが嫌なんだ! スズランが悲しむのが嫌なんだ! スズランと離れるのが嫌なんだ! スズランがいなくなるのが嫌なんだ! スズランを失うのが嫌なんだ! 嫌なんだ! 嫌なんだ! 嫌なんだ! それだけなんだ! それだけでしかないんだ!」
亜紀雄は息継ぎもせず、
「お前はいつもいつも『分かりましたか?』『理解できましたか?』って、何度も何度も聞いてくるが、うるさいほど繰り返すが、分かったら何だ! 理解できたからどうした! 先が見えたからどうした! 可能性がないからどうした! 僕に何ができるとか、何ができないとか、そんなのは関係ないんだ! 僕に何があるとか、何がないとか、そんなのは理由じゃないんだ! 僕がどんな人間なのか、どんな人間じゃないのか、そんなのは根拠にならないんだ! 僕はただ――――僕はただ、スズランがいなくなるのが嫌なんだ! 嫌なんだ! 嫌なんだ! それだけなんだ!」
ここまで一息で叫び終え、「……はあ、はあ」と呼吸が荒くなる亜紀雄。
ふとリーネから視線を横にずらし、スズランの方を見ると、相変わらず心配そうな心苦しそうな表情で口を動かしている。今の亜紀雄の発言へのリアクションは、まったく見られない。
――音が遮断されているということは、つまりこちらの声も届かないということ。
今の言葉がスズランに聞こえなかったのは、よかったのか、悪かったのか……。もしくは、スズランには聞こえないと分かっていたからこそ、亜紀雄は真っ直ぐに言えたのかもしれなかった。
「言いますネ〜」
リーネは、頬を引きつらせた苦笑い。
「ここまで真正面から否定されるとは。何でしょう、これも失恋の一種なのデショウか? だとしたら、ものすごく悲しいデスが…………。しかしどうあれ、状況は変わりまセンよ。私たちの優位性はそのままデス。それとも…………何か、状況を打開する策でもあるのデスか?」
リーネは、亜紀雄に対して挑発的な微笑を向けてくる。
亜紀雄はその顔をじっと睨み、体勢を低くし、後ろ足を勢いよく蹴って、
「さあね!」
前へ駆け出した。
超常的な能力を使う精霊と、精霊を使うことに長けた精霊使い。その力の全貌は亜紀雄には推し量るべくもない。一般人足る亜紀雄に理解できるわけもない。対抗策を考え付けるわけもない。
――しかし、一つだけ覚えていた。
――リーネのセリフ。
『精霊が人間を殺すことを止めるのが、東家の使命』
つまりリーネは、このエンという精霊に亜紀雄を殺させない。死に到るほどの攻撃は加えない。少しは手加減が加わっているはず。
亜紀雄がつけ入るのは、まさにそこだった――――そこだけだった。
それだけを期待して、地面を蹴り続ける亜紀雄。走り続ける亜紀雄。エンに対してあと数メートルの距離へと迫ったところで、
――リンッ
エンは扇子を振った。そしてキンッという超高音が耳に響いた――その瞬間、
亜紀雄はエンに側面を向けて屈みこみ、腕で頭を庇って、完全な防御の姿勢をとった。ダンゴ虫のような体勢。地面にしがみつき、攻撃が当たる表面積を最小限にして、耐えきる戦法である。
予想通り、脇に加わった衝撃に亜紀雄は弾き飛ばされた――――が、二メートルほど空中を飛んだところで両手両足で踏ん張り、それ以上の後退を避ける。
そして迷わず、再度エンに方へと駆け出す亜紀雄。
エンが再び扇子を振り上げる前に、エンに向かって左手を伸ばし、札を構えたところで――――ふと、亜紀雄は迷った。
――どこに、この札を向ければいいんだ?
――どこに、この札を当てればいいんだ?
雑音の説明によると、この札は精霊の急所に当てると効果を発揮する。急所に触れさせることにより、精霊を人間界から返すことができる。つまり、この札をエンの急所に当てなければならない。
――エンの急所ってどこだ?
――どこに当てればいいんだ?
亜紀雄がその迷いに意識を奪われたその刹那の隙、
――リンッ
エンは扇子を振り上げ、振り下ろし、直後、
「うおっ!」
亜紀雄は吹き飛ばされた。
防御ができず、完全に体を持っていかれる。足が地面から離れた。紙風船をはたいたように、亜紀雄の体が宙に浮く。
そしてそのまま後方へと飛ばされていき――
――ガシャンッ
「ぐあっ!」
手すりにぶつかって、ようやく亜紀雄は着地した。
「………………てててて」
「まったく、命知らずなことをしますね〜」
腰をさすりながら立ち上がった亜紀雄に、リーネは嘲るように言葉をかける。
「ここが屋上だっていうこと、忘れないでくだサイね? もしエンが力加減を間違ったら、アナタはまっ逆さまなんデスよ?」
「……大丈夫です、主。ちゃんとギリギリを狙います」
「そうデスか。それは頼もしい。よろしくお願いシマス」
透明な声で答えたエンに、リーネは微笑を向ける。
「くそっ……」
擦りむいた頬をぬぐいながら、亜紀雄はリーネとエンを睨みつける。
――エンの能力、恐らく『音』で間違いないだろう。三回攻撃を受けて、三回とも〈キンッ〉という高音が聞こえてきた。つまり、この攻撃は高音を発している。十中八九、超音波によるもの。だからこそ高速で、避けることも叶わない。
しかも今の一連の攻防で、エンには力加減を覚えられてしまっただろう。
前には進めない、しかし致命傷は食らわず、手すりを飛び越えて屋上から落ちることもない――――これからはそういう攻撃になるはず。そういう攻撃しか来ないはず。もう、強行突破はできない。
「さ、アキオ。分かりましたでショ? これ以上は無駄デス。これ以上バカな真似はしないでクダサイ」
――確かに、
――確かに、これ以外に手が浮かばない。
――エンに札を当てる手段が他に考え付かない。
――エンに再び近づく方法があるとも思えない。
――エンの攻撃をかいくぐる術があるわけもない。
――どうしようもない。
――どうしようもない、どうしようもない。
――どうしようもない、どうしようもない、どうしようもない。
――八方塞、
――袋のねずみ、
――万事休す、
――なす術なし、
――もう本当に、どうしようもな――
『――何でそんなところでつっ立ってるんですか?』
――急に、数時間前の花塚まいみのセリフが脳裏に甦ってきた。
『そんなんだから、いつでもどこでもなーんにもできないんですよ』
――このタイミングで、リフレインする。
『そんな生き方が不毛じゃなくて、一体何だって言うんです? そんな生き方が不憫じゃなくて、一体何だって言うんです?』
――痛かった言葉が、鼓膜に響く。
『〈僕には何もできない〉なんて、ただの言い訳です』
――覚えていたくもない言葉なのに、鮮明に覚えている。
『そうやって生きていて、一体何ができるって言うんです? 一体何が守れるって言うんです? 一体誰のことを守れるって言うんです?』
――嫌になるくらい、鮮明に残っている。
『〈何か〉をしなければならないんじゃないですか?』
――そう、そうだ。
――何ができるか、じゃない。
――何もできない、じゃない。
――そんなのは言い訳、
――そんなのはへ理屈、
――そんなのは戯言。
――そう、そうだ。
――『何か』をしなければ。
――今、『何か』しなければ。
――大丈夫、もう分かってる。
――僕は二度と、立ち止まりゃあしない。
亜紀雄は再び瞳に光を取り戻し――――あそこまで見透かされたように言われると、花塚さんは人の心が読めるんじゃないかと思えてくるナ――――エンに向かって構えた。鋭い眼光を向け、半身になって体の重心を落とす。
その様子を見て、
「……アキオ。まだ分からないんデスか? これ以上は、本当に無意味デス。これ以上のやり取りは無価値デス。疲れまセンか? …………ハア。まあいいデス。次で終わりにしまショウ。――――エン、気を失う程度の攻撃にコントロールできマスか?」
「……問題ありません」
エンの、透き通るような声での返答。扇子を肩まで振り上げ、構えた。見まごうこともない、完全絶無の攻撃態勢。
静かな威圧感と緊張感をまとったその構えを見せられ、
――次はどうすればいい?
と、うろたえかけた、迷いかけた、惑いかけた、その瞬間――――〈『何か』をしなければならないんじゃないですか?〉――――考えるよりも早く、意識するよりも早く、亜紀雄は前へ駆け出した。
振り下ろされるエンの扇子。
――リンッ
鈴の音と共にキンッという音がアキオの耳に届いた――――次瞬、
亜紀雄はいつの間にか、ブレザーを脱いでいた。
そしてそのままその上着を空中に放り投げる。ばさばさと広がる布地。亜紀雄の視界は完全に紺色になった――――その時、
亜紀雄は身を屈め、ブレザーの影に全身を隠した。
ブレザーの布地を貫通して、衝撃が亜紀雄の半身に届く――――しかし、その威力は格段に弱い。弱くなっている。ゼロではないが、百パーセントでもない。吹き飛ばされるほどではない。
――そう、これは吸音。
例えば布団にくるまっていると声がほとんど外に届かないように、柔らかい布地には音を吸収する効果がある。音を殺す効果がある。
敵の能力が『音』だとわかっているなら、こういう手段もある――――これは突拍子もない、瞬間的な思い付きだった。
果たしてブレザーの薄い布地で一体どれだけの効果が得られるかは疑問だったが、ある種の賭けだったが、結果――――うまくいった。そこまで大幅に衝撃は殺せなかったが、それでも十分だった。
亜紀雄は駆けていた勢いを殺されつつも後方に少し跳ばされつつも、しかし体勢を崩すことなく、再度地面を蹴る。
そしてエンに届くまで二メートル、一メートルと近づいたところで、亜紀雄は札を握った右手を前へ突き出した、が――
――これをどこに当てればいい?
――精霊の急所はどこだ?
――エンの急所はどこだ?
目の前では、エンが扇子を振り上げ、二度目の攻撃に移っている。
――どこだ?
エンの振り下ろす扇子の動きが、
――どこだ?
スローモーションで、コマ送りで、
――どこだ?
少しずつ下へと、
――一体この札をどこに当てれば?
下がっていく。
――どこに当てればいいんだ!
『……の……は……』
――どこ?
『え…の……は……た』
――どこに?
『…んの……しょは……か…』
――どこに、どこに?
『えんの……は……肩』
――どこに? どこに? どこに?
『……の急所は…肩』
――ど……こ……
『エンの急所は右肩です! 亜紀雄様!』
精神の奥底から浮かび上がるような――響き渡るような――奮い起こすような――拭い去るような――駆け抜けるような――煌くような――瞬くような――輝くような――はためくような――謳うような――踊るような――果てるような――澄み渡るような声にハッとし、亜紀雄はエンの動作よりも早く、右手を真っ直ぐ前に突き出す。
エンの右肩に触れる札――――その瞬間、
「きゃっ?」
驚きの声と共に、エンの体が青白い光を放ち始めた。
「ちょ、そんな、エン!」
そんなリーネの叫び声に構う暇もなく、亜紀雄は眼前の光を遮ろうと顔を背けて、腕で頭を覆う。
四方に飛び散る光。
巻き込まれる周囲。
視界が真っ白になる。
そしてシュンという音がした後――――辺りは再び静寂に包まれた。