episode 1
それはいつもと変わらない一日だった。彼女と会うまでは。
タッタッタッタッ……
足音が一定のテンポを刻みながら真夏のスポーツ街に響いていく。
スポーツ街というのはこの町の通称だ。なぜこの名が付いたかというとその名の通りスポーツ選手が国内で一番多い町だからだ。十何年か前のオリンピックか何かで選手村をつくった時、「取り壊すのもったいないしもうこのまま残していんじゃね?」という意見が出て運動施設がそのまま放置。それ以来この町は「スポーツをする人のスポーツをする人によるスポーツをするための町」として成り立っている。正式名称は……あれ?何だったっけ?
とにかく。
ここではスポーツ用品が飛ぶように売れる。言い方を変えればスポーツ用品を売っておけば大抵生活に困ることはない。だから、スポーツ用品店以外の店はとても少ない。売れないから。スーパーやカフェはまだしも、大型ショッピングセンター以外の洋服店などはひとつもない。そういう類いの物は通販で買うのが主流である。
そんなスポーツ街の上を走る人影がひとつ。それを陰から見守る人影がひとつ。
足音が止んだ。
「あっつーーーーー……」
もともと何かの店であったであろう建物の陰に腰をおろす。
(毎朝走っただけでスタミナなんかつくのかな……)
疑いながらも走り続けて3ヶ月になるこの青年、佐藤圭太はフィギュアスケートの選手だ。つまり、今はシーズンオフである。
(親も姉ちゃんも働けってうるさいからな~だれかバイト恵んでー)
とか言ってるからバイトの面接に落ちるんじゃない!、とかいう姉の声が聞こえてきそうだ。
少し休んでいつものように近くの自販機でスポーツドリンク(地域最安値)を買おう目を向けると
先客がいた。
見たことのない女性だった。肩より少し長いぐらいの焦げ茶色の髪。ウエストがしっかりとくびれていて、ここからでもスタイルがいいことが分かる。
(しょうがない、あとまわしにしよう)
ピッ ガチャン ゴロゴロ……
寝転がって目をつむるのは走り終えた後だとなおさら気持ちがいい。自分の体温が空気に吸収されていくようで圭太はついつい寝てしまった。
ピタッ
「ほわぁ!」
視界が段々明るくなり、頭がシャキッとしてくる。
ほっぺたに当たっているのはスポーツドリンク(地域最安値)だ。それを持っているのはさっきの女性だ。
起きたばかりでぼーっとしていると
「はやくとってくれないと腕が疲れるんですけど……」
「ッ!はい!すみません!」
困ったような彼女の声で圭太はやっと完全に目が覚めた。
あらためて間近で見てみるとなかなかの美人だ。整った顔、細い脚、みずみずしく白い肌。道を歩けばほとんどの人が振り返るだろう。
(そ、その、それに、出るところはしっかり出てるし……)
と、考えて思わず目をそらす。
「あ、あの、飲んで、いい、んですよ?ってか飲んでください!このままではスポーツドリンクがぬるくなってしまいます!」
「あッ!すみません!ごめんなさい!今すぐ飲みます!」
「こちらこそごめんなさい!いきなり渡して変な人ですよね!ごめんなさい!」
圭太にとって女性とは自分をこきつかう存在である。母親からも姉からもそんな扱いを受けている圭太の警戒心は半端なものではない。とくに初対面の場合はさらにひどい。最悪涙目になったこともある。
(でもこのままだと相手の人に失礼だよな……)
「えと、じゃぁ、乾杯?」
と言うと涙目だった彼女の顔が絵にかいたように明るくなり、
「乾杯ですッ!」
と、彼女は、はにかんだような、それでいてとても嬉しそうな声で言った。そしてスチール缶とスチール缶が軽くぶつかる気持ちのいい音がなった。
コクコクコク……
「「プッファーーーーーー!!」」
「やっぱりこの冷たさ、水っぽさ!いいですよね~!」
「飲んだだけで生き返る感じしますよね~!僕ここのスポーツドリンク好きなんですよ!いつも冷たくて!」
「ふふっ……いつも飲んでらっしゃいますもんね、しかもいつも一番安いの」
圭太と彼女ーーー望月碧天は建物の陰に腰をおろしスポーツドリンクを飲んでいた。
(み、見られてた!?恥ずかしい!)
「いつも見てたんですよ、上から」
望月碧天は上ーーー自分たちの座っている陰をつくっている5階建てぐらいの建物の2階辺りを指さした。
「ここ、自分の家なんです」
照れたような顔で言う碧天。その言葉に圭太は素直に驚き
「え!?ここ家だったんですか!?ってか見てたっていつから……?」
「3ヶ月前ぐらい前でしょうか」
「それって走りはじめてすぐじゃないですか!?」
悲鳴のような声をあげる圭太。
(そんな頃から見られてたなんて……穴があったら入りたいよ……)
「いつも2階から、だんだん速く、長く走れるようになっていくのを見てて、すっごく元気づけられてました!そのお礼もかねてのスポーツドリンクです!」
(ま、まぶしい!この人、オーラが輝きまくってる!でもあらためてこういうことを言われるとなんか照れるな……)
興奮して手を胸の前で握りしめている碧天と赤面して思わず顔を背ける圭太。
「ってかそんなに見てたんならもっと早く教えてくださいよ!なんで教えてくれなかったんですか!?」
「………ッ!……………」
圭太はそこまで言ってやっと気がついた。
この人は自分の横に松葉杖を置いている。
彼女は今足が不自由なのだ。
「ごめんなさ……」
「いえ、謝らなくていいんですよ?ってか隠したみたいに近づいたのは自分なんですし……こちらこそごめんなさい!」
「やっぱりごめんなさい!」
「ごめんなさい!」
「ごめんなさい!」
……………………
この『ごめんなさい合戦』はしばらく続いた。
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