卓磨にあいたい
13歳までの卓磨を知っている方がどれくらいおられるだろうか。
人の一生なんて、ちっぽけなものであっという間に終わる。彼は13年と4か月しか生きることはできなかったけれど13年4か月を濃密に生きた軌跡と奇跡を、得たいの知れないなにかに突き動かされるかのように綴りたくなった。
彼は生後10か月の9月4日深夜2時、原因不明の急性脳症により重度の重複障がいを負った。その前日まではとてもやんちゃな息子だったのに急に高熱と同時に呼吸停止してしまうなど誰も予想しなかった。厳密に言うと、そこまでは実は母は予感していた。
彼は生後57日めの12月30日に初めて、高熱及び熱性痙攣と約15分間の呼吸停止にて近医受診後、当初出始めたばかりのドクターズカーにて大学病院へ救急搬送された。年末で外注検査などの制限があり、取り急ぎ、といっては当時の当直医には失礼にあたるかもしれないが百日咳疑いと診断され然るべき治療が施された。生後数ヶ月の赤ちゃんにとっての百日咳は命取りなので当然の判断をしていただいたと感謝している。
ということで初回入院は1か月余りとなった。その後毎月のように高熱と一時的な呼吸停止で救急搬送し約1か月から2か月の入退院を繰り返していた。そのたびに診断名が増えていった。脳波、心電図、脳CT、MRI、様々な血液検査、骨髄せん刺などたくさんの検査をするハラハラドキドキの緊張の日々を過ごした。トキソプラズマなどの妊娠中の感染症疑いは晴れ生後のウイルス感染症など抗体価はボーダーライン。発達状態や計測によりマイクロセファリックという診断もあった。心疾患疑いは定期的心電図やエコーで否定された。骨髄検査的には問題ないものの不定期顆粒球減少症はあり顆粒球が500を切るときには白血球を増やす目的のグランという点滴を何日か続けたりした。
そうやって4回ほどの入退院を繰り返していたので、このときの呼吸停止もいつものように呼びかけとタッピング刺激によって蘇生できるものと思っていたからだ。
さて、
今日は2014年1月9日。寒い1日だった。
朝から目眩が酷く、なんとも苦しい1日だった。私は喘息の持病があるので寒気の厳しい時や気圧の急激な変化がある早朝4時前後は呼吸がしにくくなる。おそらくほぼ間違いなく呼吸器系疾患をお持ちの方は同じ時間を苦しんでおられることだろうと思う。
かつて卓磨が一晩中呼吸困難であったとき、概ね午前4時前後は極めて咳き込みが酷かった。吸引器の瓶が満杯になり喀痰の吸引ができなくなる。そのまま吸引できなければ窒息して呼吸停止してしまうので4時前には必ず吸引器の瓶をカラッポにしておくことが極めて大切なことで、できるだけ深夜零時前には吸引瓶を綺麗にしておくことが私自身の絶対に忘れてはならない日課だった。忘れるつもりは一切なくとも、高熱で喘息様呼吸が何日も続く時は、少しだけ呼吸平静の時にうっかり卓磨と一緒に眠ってしまうことがあり、しまった~!と慌てたことがあった。
それにしてもその頃の私は超人だった。想像してほしい。私の身体をほぼ45度の角度に曲げて、卓磨を起座位にして一晩中起きていることばかりだったのだ。常に集中治療室で勤務する看護師兼介護スッタフ兼母兼友達(笑)だったのだから。常に、である。四六時中、年がら年中ということである。それは給料なし。補助金なし。レスパイトなしである。これは、ただただ無償の愛である。聞く人は我が子なんだから当たり前じゃあないか、とお叱りの声がきこえてきそうであるが。言えることは愛は無尽蔵に湧いてきて愛に勝るものはなにもないということだ。
今朝、目眩が酷く辛かったことは前述したが最近とても非常に疲れやすいのでホトホト困り果てている。しかし今日は大きな収穫があり嬉しくなったのでひとつだけ紹介したい。
卓磨の話ではないのか?と思われそうだが、私にとってさまざまなことを思い出す作業がこんなにもエネルギーを奪い取るものだとは思わなかった。それでも今の私には必要な作業だと確信しており
たとえ、
それが長期間かかろうとも「軌跡と奇跡」をアウトプットしなければ私や私の二人の娘たちの回復は得られないと痛感しているからである。
たくさんの人が、できれば生前の卓磨のことを知る人々が一人でも多く私のこの拙い文章を読んでくださり、深い哀しみや喜びや深い愛を感じていただければ幸いである。
もしも、たっくんのことを知ってるお友だちが周囲にいらっしゃれば、卓磨の母が8年ぶりにお会いして生前の彼との思い出話を、お茶でものみながらしたいと切望していることをあわせて伝えていただければ非常にありがたい。
実は、まだ一度も法事みたいなイベントをしていないのである。卓磨も私達家族もみなクリスチャンなので、そもそも、なん周忌というような決まりごとはないのではあるが。
私がぜひとも紹介したい大きな収穫とは、以下の文章である。参考文献と共に読んでいただきたい。だれしも何かしらの喪失体験をお持ちだと思うので共感される方も多いのではないだろうか。
GRIEF
日本グリーフエデュケーションセンター
POST TRAUMATIC GROWTHとは
PTGとは、
人生における大きな危機的体験や非常につらく大変な出来事を経験するなかで、
いろいろ心の闘い・もがきなどをふまえ、
むしろ、そのつらい出来事からよい方向、
成長を遂げるような方向に変化することを意味します。
Post(後) ‐Traumatic(外傷) ‐Growth(成長)
という言葉の通り、
つまり危機的な体験(災害や事故、
大きな病を患うこと、大切な人の死など、
人生を揺るがすようなさまざまなつらい出来事)
およびそれに引き続く苦しみの中から、
精神的な成長が体験されることという理論です。
死別や喪失というライフイベントに関して、
トラウマ(PTSD)という考えが比較的多く使われますが、
すべての喪失を体験した人が、その体験によって
マイナスな出来事と捉えるとは限りません。
中には、その体験から、自分自身の成長を見出したり、
新たな道をみつけたり、他者への思いやりや理解を深めたり、という前向きな体験と
捉えることもあります。
宅先生は著書の中で、
PTGは話すこと、書くことなど外に向かって表現
されることではじめて顕在化する.
そこにはPTG表現を共有する人の存在がある.
と述べています。
ですから、喪失体験を語ることもそうした成長を
見いだす方法の一つなのかもしれません。
また、人々が持つ回復力という言葉が、語れることはありますが、
PTGは、その出来事が起きた時点での回復力と言う考え方よりは、
できごととは、゛前“と゛後“を区切る境界の役目を果たし、出来事以前の自分と
出来事が起きた後の自分を比較することによって成長と呼ばれるような種類の変容が
体験されるという考え方です.ですから、
まさに人生が一変するような体験により、
新たな人生観や道が開かれるということなのです。
PTGとして、以下のような成長、変化が報告されています。
*他者との関係‐Relating to Others
*新たな可能性‐New Possibilities‐を見出だす
*人間としての強さ‐Personal Strength‐の自覚
*精神性的変容‐Spiritual Change‐
*人生に対する感謝‐Appreciation of Life‐
マイナスな事柄だけに目を向けてしまいがちですが、こうした体験も、
喪失に伴う体験ではないでしょうか。
今後も、この分野での研究が
深められていくことに、注目して、
自分自身の体験も考えていきたいですね。
参考文献
☆宅香菜子先生のHP
☆google:社団法人 日本グリーフエデュケションセンター
ところで、
奇跡ってどんなことだろうか。卓磨が平成4年11月4日に生まれて、天国に旅立つまでの平成18年3月22日までの13年余りの人生を私のもとで生きつづけてくれたことが最大の奇跡だと思っている。私を母として選んでくれたことにはじまる。
唐突だが、ここでひとつお詫びをしておきたい。
たくさんの想いがあるにもかかわらず、執筆が少しずつしかできないのである。先にも述べたように、記憶を辿りすすめるとき、かなりのエネルギーを奪われていることを更に痛感している。
ただ、こんなことも考えている。
「・・・あの時、想像を絶する苦しみを経て挙げ句に私の身代わりのようにして卓磨は死んじゃったのだから。」
これは、私の大切な大切な長女が、
あるとき私にそっと優しく教えてくれた言葉である。長女は卓磨の四つ上の姉である。この子がいてくれたから私は死ぬことなく、あの苦しい時期を乗り越えられた。そのことを聴いたとき涙が止まらなかった。このことは私の一生のたからものだ。
・・・ありがとうね。
人は何かの選択を迫られたとき、なにかしらの人生観や価値観によってどちらかに進んでいくのだろうと思う。私は自分自身が迷ったときや、どの選択をするかを決めるときの後押しになっているのが、長女が教えてくれた言葉なのである。おおよそこのフレーズがまず浮かび、死ぬ気でいればこのくらいと思えたり、命ほど尊いものはないのだからこれは選択しない、というような思考回路になっているように思う。
この事実はノンフィクション・ドキュメンタリーであり、なんとも凄まじい奇跡である。イエス・キリストみたいだ。
感謝である。
ミラクルはまだまだつづく。