初恋 その4
こんな大きなエピソードが二人の間にあるにも関わらずアリシアは覚えていないらしい。
優しい彼女にとっては困っている者に手を差し延べるのは日常茶飯事で同じような出来事が多々あったかも知れない。
それはそれでいささか面白くないとシオンはあの頃より数段美しく成長したアリシアを恨めしく見つめていた。
「そういえば」とアリシアがこちらを見る。
「子どもの頃、足を怪我した男の子を助けたことがあったわ」
思わぬ告白にシオンの胸が躍る。
「漆黒の髪であなたに何処となく似ていたかも」
シオンは大きく肩を落とした。
-似ていたじゃなく本人なんだがなあ……。
所詮はこんなものかと溜息をついていると意外な言葉が続く。
「立派な剣士になっているといいな」
はにかむアリシアは十三歳のままだ。
「そうだな。今頃どこかの国で頑張っているかもな。名前は覚えていないのか?」
「言ってたけど良く聞き取れなくて。でも、もう一回聞いたら思い出すかも」
-聞いても思い出さないだろう? これだけ俺の名前呼んでいるのに。
ジト目のシオンに鈍感な彼女は気付かない。
「浮かない顔ね」
草原で寝転んでいるシオンをフィリカが覗き込んだ。
「ん? ああ、思う処があってな」
「さっきのお姉様の思い出話には続きがあるんだけど?」
含みのあるフィリカの言葉にシオンは顔を向けると、それが答えと受け取って衝撃な一言を言い放つ。
「その剣士見習いが初恋の相手なんだって」
瞬きをするとシオンは勢いよく上体を起こして再度訊いた。
「アリシアが言ったのか?」
「うん。キラキラした瞳で語っていたよ」
名前も覚えていない少年を初恋の相手とは複雑な心境だ。
「ねえ、それって幼い頃のシオンじゃないの?」
勘の鋭いフィリカの視線を反らすが如く立ち上がり腰の草を両手で払う。
「さあな。戻るぞ」
歩き始めて歩幅の違う二人の差が開いたがシオンは足を止めなかった。
頬が緩みっ放しで普段の精悍な顔立ちも台無しな自分を見られたくなかったのだ。
-初恋か……。
その単語を二十五歳にもなって改めて聞くと懐かしくもあり気恥かしくもある。
物思いに更けているとアリシアがやってきた。
白い肌に薔薇色の唇、ブランデー色の瞳はより洗練されて、まだ子どもだった体型はすっかりめりはりのあるスタイルと変化している。
「草原で寝ていたの?」
「よく分かったな」
アリシアが腕を伸ばして高い位置にあるシオンの髪についた草を取り除いたその際に花のいい香りがした。
-まだ言っていなかったが俺の初恋もお前さんなんだぜ……。
二人の目が合いどちらともなく頬を染めた。




