母を語る
時間が経つにつれて小振りだった雨も激しさを増していく。
雨を凌ぐため、大きな木の下に幌馬車を止めてその中で夕食を済ませた後、アリシアが剣の手入れをしていると隣にフィリカが座った。
「お姉様、シャムロックって姓なんだ」
「どうして分かったの?」
まだフルネームを名乗っていなかったアリシアは驚いた。
「ほら、刃に名前が彫っているでしょう? 剣士はそうするものだとおじいちゃんが教えてくれたの。見てもいい?」
どうぞ、と渡された得物は細身だがかなりの重量で初めて持った彼女は危うく落とすところだった。こんな重い物を細腕で軽々と扱うアリシアにフィリカは改めて剣士としての凄さを実感する。
鞘は野菊をあしらった繊細な細工を施してあり実に女性らしい美しい物に仕上がっていた。
「イルセ?」
「母の形見なの。イルセ・シャムロックは母の名前よ」
自身の生い立ちをフィリカに初めて語った。
「母は剣士として女性として偉大だったわ。そんな母に憧れて剣士になったの。生きていれば親孝行もしたかったわ」
「亡くなったの?」
「ある戦いで自らの命を懸けて私達を護ってくれたわ。吹き飛ぶ母を目の前にしながら何も出来なかったあの時ほど自分の非力さを恨んだことはなかった。もっと力があれば……ってね」
「それって……」
「そう、あなたと同じよ、フィリカ」
ランプの炎が風に揺られて二人の影も揺らぐ。
「強大な力は深い悲しみしか生まれない。悲しみは深い憎しみしか生まれない。母の口癖よ」
いつも穏やかなアリシアが、フィリカに、そして自身に言い聞かせるように強く厳しい口調だ。
強大な権力を巡り、本人の意思とは関係なく感情が複雑に絡み合い実の妹や恋人だったクッソの心を斬り、シオンの恋人だったロザヴィを殺してまで生き抜く人生に疑問を持ち始めた時、シオンは傍にいてくれた。
「剣士にならなければよかったかしら……」
オマスティアに帰国して間もない頃、負と呟いたアリシアの肩をシオンは抱き寄せる。
「そしたら俺にも逢えなかったんだぞ」
と、片目を瞑ってみせた彼をあの当時は呆れていたが、今思えば彼なりに慰めていたに違いない。
回想に更けていると雨音に混じって不穏な気を感じたアリシアは声を潜めた。
「灯りを消して」
ただならぬ雰囲気にフィリカは指示通りにランプに息を吹きかけると、辺りは闇で覆い被されて静寂な空間にざわめく森の音だけが響いた。




