シオンとアリシア その2
あの騒動から数日が過ぎた。アイサとシオンは相変わらず軽口を叩きながら店の準備をしている様子は本当の親子のようでもある。
ならず者達を追い払った礼として宿泊しているアリシアだが、自分だけのうのうと休んでいるわけにいかずアイサに手伝いを申し出た。女主人は断るかと思いきや「悪いね」と、ちゃっかりカウンターを拭く布を手渡したので、グラスを拭いていたシオンは苦笑した。
「なにもお前さんまで手伝わなくとも」
「体を動かしている方が楽しいもの」
剣士とは思えない白く細い手でテーブルを拭いていくアリシアを眺めていたがふと視線を感じたので顔を向けると、アイサがさぼるなと顎をしゃくっていたので眉をひそめて再びグラスを拭き始めた。
夕方になると、開店すると同時に常連客が数人入ってきた。白いシャツに黒のズボン、赤い前掛け姿のシオンがオーダーを取りに行くと、客達が野次を飛ばした。
「おっ、用心棒からウエイターに降格か」
実は、アリシアと出会ったあの日のウエイターは辞めてしまった。あんな怖い思いをしただけに続けてくれとは言えずアイサは渋々承知した。そこで、白羽の矢が立ったのがシオンだった。元々、彼がやっていた仕事だったが忙しい夜だけ人を雇っていたのだ。
「色男は何を着ても似合うから得だな」
「そりゃどうも」
明らかに面白がっている男達ににこりともせず注文を受けたシオンがキッチンへ来るとアリシアが現れた。
「私もお手伝いするわ」
シオンの表情がますます不機嫌になった。
「冗談じゃない! あんな連中の前に出てみろ。飢えた狼の群れに子羊を差し出すようなものだ」
大袈裟と思いつつあまりにも彼が嫌がるのでアイサを手伝うことにしたのだが、料理は苦手らしく要領を得ないアリシアに初めは見守っていたアイサも次第に不安と苛立ちが募り、しまいには部屋で休むよう促した。
「アリシアは?」
一息ついたシオンが訊くとアイサは深く溜息をついた。
「いい娘なんだけどねえ。一生懸命だし」
アイサの視線の先には身がたっぷりついた野菜の皮や不格好なじゃがいもが転がっていた。容姿に似合わず随分と大胆なやり方におかしくなり笑ってしまった。
俺の方が上手いかもな。
実際、シオンは器用で要領がいい。料理の下ごしらえや仕込みもやる時もある。なまじ、幅広く仕事をこなすからアイサに都合よく使われるのだが。
アリシアはというと、言われた通りに二階の部屋へ大人しく休んでいた。休むと言っても、一階にある店の賑わいが聞こえてくるので眠りにつけなかったが、不思議と不快ではなかった。
窓から外を覗くと、港や漁船の灯りが夜の海を彩り幻想的な景色を演出していた。もう少し早くここに来ていれば暮らしてみたいと思わせるものがこの街にはある。
旅をして三年。剣士は国に仕えるものだがアリシアはそうしなかった。そして、シオンもおそらく。それにしても、あのシオン・フォレストは何者だろうか。普段の態度からすれば軽い印象だが、修行で鍛えた堅い掌や巨漢の太い腕すらへし折る力からして相当の実力者に違いない。
物思いに更けていたアリシアだがドアのノックの音ではっとした。ドアを開けるとトレイ片手にシオンが立っていた。
「晩飯まだだろ? 持ってきたよ」
「有り難う。わざわざ届けてくれたの?」
シオンは勝手に部屋へ入ると料理が載っているトレイをテーブルに置き、これまた勝手にベッドへ寝転がった。彼女が来る前は自分が使っていたのだが、主が変われば匂いまで違うのかほんのりいい香りがする。
アリシアも気にとめない様子で席に着いた。
「気にするな。こうでもしないと休めんからな」
「お店はアイサさん一人で大丈夫?」
「あの連中ならしばらくは放っておいても勝手にやっているさ」
軽く笑ったアリシアは料理を食べ始めた。アイサの料理は手軽で美味しい。味付けは目分量で適当そうにみえるが絶品であり感動すら覚える。
旅をしていれば、食事も満足に出来ない時もあるので行く先々の料理は楽しみでもある。だから、素直に「美味しい」と口から漏れた。
「旅をしていれば飯だけが楽しみだな」
アリシアの心を代弁した台詞だった。
「あなたも旅をしていたの?」
寝たままこちらを向いたシオンは答える代りに小さく笑った。そんな彼に出会った頃から気になっていたことを訊いてみる。
「何処かで会ったかしら?」
「なぜ?」
「懐かしそうな顔するから」
「剣士なら大抵の奴が知っているんじゃないのか?『美しき死神』さん」
彼の口からその呼び名が出た途端、アリシアの食事をする手が止まり驚いた表情をした。
この世界では、高名な剣士には呼び名が付くのが習わしとなっている。
ー美しき死神ー
その美貌と若さで多くの遠征で活躍しその名を轟かせた女剣士。
実は、この呼び名は彼女自身につけられたものではないと知るのはまだ先の話である。
「シオン、あなたは一体……」
「俺だって一応剣士だからそのくらいの情報は耳に入ってくる。特にお前さんみたいな美人剣士はそういないし」
「美人?私が?」
故意にとぼけているのか。否、彼女は本当に己の美しさを解っていない。白い肌に紅を差したようなほんのりピンクの頬に形のいい薔薇色の唇、ブランデー色の瞳は光が差し込むと時折金色に変化する。瞳と同色の髪は柔らかく靡いていた。
「おまけにそのプロポーションだ。目立たない訳がない」
武具を外した軽装のアリシアの胸は思いの外豊かで、シオンのちら見に反射的に両腕で胸を隠した。
「そういうことだから大人しく休んでいてくれ」
シオンは起き上がって部屋を出て行った。そして、ドアを閉めて呟いた。
「ますます綺麗になったな、アリシア」