油断ならない男たち
帝国暦295年3月30日 帝国南部
「ふむ・・・・・またか・・・」
ヒエンはため息交じりにそうつぶやく。ここ半月の間にすっかり見慣れてしまった光景が広がっていたからだ。
「で、死傷者は?」
「はっ!今回も軽傷者が若干いるだけで死者は皆無です」
ヒエンの問いにこれもまた慣れたように答える兵士。それもそのはず、ヒエンたち500名の騎兵隊の前にはすっかり見慣れた焼け焦げた荷馬車と思われる残骸が転がっていたからだ。あの事件以降、神聖ヴェール帝国軍はその規模を大きく減らしあがらも各地で不正規戦を展開している。少なくともヒエン達はそう考えていたし、実際、商隊や補給部隊を狙った襲撃はこの半月でその数を急速に伸ばしていた。
「で、敵の指揮官らしき人物は?」
「今回も確認できてはいないようです・・」
(はあ・・・またか・・・)
ヒエンは口にこそ出さないものの内心おもしろうはずはない。
実は、この半月、討伐された神聖ヴェール帝国軍の数は1000近くに上る。確実に敵の戦力は落ちているはずである。
しかし、その活動範囲は広範囲にわたり、しかもこの半月、一度も指揮官たるモルケ男爵の姿は確認されてはいないのだ。
もしや、すでに死んでいるのではないか?
こういった噂はすでに指揮官であるヒエンの耳に入るほど広く噂されているほどだ。
だが、ヒエンはそうは考えていない。確かに活動しているのは神聖ヴェール帝国兵だ。しかも、その行動に統一された意思は感じられない。
通常ならば指揮官の不在、もしくは指揮のとれない状況を疑うことは鉄則だ。
しかし、と、ヒエンは思考を進める。
相手は大胆にも敵地奥まで侵攻する闘争精神にあふれ、少数の歩兵部隊で騎兵部隊に夜襲をかけるほど豪胆な指揮官だ。このまま座視して良い相手ではない。
そう考えながらヒエンは眼前に広がる光景に深く大きなため息をついた。
帝国暦295年4月2日 ヴェール帝国帝都
その日の帝都は、いや、その日の帝都も相も変わらず活気と退廃とそして権謀術数が渦巻いていた。
「・・・・・ですので最も大きな敗因はメルイ伯爵旗下の部隊が早期に後退したことにあり・・・・」
「いや、こちらの報告によるとゴウリン男爵の警戒不足こそ奇襲の原因・・・」
「そもそも総指揮官を決めず送り出した前線司令部に責任の一端が・・」
この議論は先日行われたカライド大橋での戦闘の戦功会議である。
圧倒的兵力で攻めたにもかかわらず、結果は無残な敗退。皇女軍が長く戦線を維持したことに比べるとその不出来さには目を覆いたくなる。
その為、敗戦責任をだれが負うのかでこの会議は紛糾しているのだ。
結果、貴族たちの派閥、血縁、さらには利害まで絡んだ知識のない者から見れば複雑怪奇な、事情を知る者であっても良識ある者なら眉をひそめそうなやり取りが続いている。昼食前から始まった会議はすでに日がたそがれ始めてもなお結論を見いだせないままであった。
「・・・・・、彼らも飽きないことね・・」
隣室で待機している彼らの主君である女帝アティナが退屈そうにあくびを噛み殺しながら気だるげにうめく。
周囲には秘書官どころかメイドの一人もいない。どうやら、貴族たちの結論が出るまで人払いを命じたようだ。もちろん部屋の周囲には衛兵たちがダース単位で鉄壁の警備を行っているが・・・
「しかたありません。時間をかけて議論していただかないと貴族たちの不満がこちらに向きますよ」
突然、虚空に響く人の声。
空耳にしては明瞭すぎ。囁きにしては大きすぎる声だ。
「あら、久しぶりね。もう声をかけて下さらないのかと心配していましたのよ」
誰もいないはずの空間で響く声に全く動じないどころか、いかにも当然と言った感じで返事をするアティナ。
「つれないな~。これでも君の為に随分と骨を折ったつもりだよ?」
「そうでしたわね・・・・貴方方の力は本当に偉大ですものね。」
「理解してくれてうれしいよ。さて、お待ちかねの神託だよ」
「あら?私は神託なんて待ち望んだことはないわ。私の望んだことをかなえることが神託、でしょ?」
「ふふふ、君には敵わないな・・。今回の神託はファランク王国国王が3週間後に死亡するってことなんだけど・・・なるほど、これも君が望んだ結果、というわけかい?」
「うふふっ、もちろんそうよ」
「それはそれは・・」
『ドンドンドン!!』「陛下!ご無事ですか?不審な音がすると報告が!陛下?!」
「あら、時間切れみたいね」
「ああ、そうだね・・・ではまた」
「では、また。・・・・・何事ですの!私は人払いを・・・・」
と、扉の方に向かっていくアティナ。
「くくくっ」
虚空から声を殺した笑い声が聞こえたような気がした。
帝国暦295年4月10日 帝国南部 旧アルテ王国国境砦 カンタナ
旧アルテ王国は20年近く前に滅ぼされた帝国南部にあった国の一つである。
現在はヴェール帝国と神聖ヴェール帝国との最前線に近く、アルテ王国時代から難攻不落と呼ばれたこの国境砦は重要な後方拠点の一つであった。
「開門!!開門!!」
気温の上昇し始めた昼前にきらびやかな甲冑を身にまとった騎兵が一騎、砦正面に立っていた。
このカンタナ砦は周りか頭一つ飛び出た地形で三方が崖、唯一、南のみ狭いながら、なだらかなな地形をしている。規模こそ1000名も入れば溢れる程度の小規模な砦でありながら近隣では最も難攻不落の砦として名高い存在であった。
「開門!開門!聞こえとらんのか!!」
前線の近くと言っても戦火の及ばない後方でしかも難攻不落の砦、しかもここに駐在している兵は事務員や人夫を多少含むとはいえ500名を数え、これを落とそうと言うのならば軽く数万の軍勢が必要とされているのだ。
少しばかり兵士の緊張感が薄れているのも仕方がないと言ったところか。
「はいはい。貴公の官姓名を名乗られたし」
やっと監視塔から出てきた兵が気だるげな感じで応じる。
そんな様子に腹を立てたようで騎兵も
「我々は貴族連合軍、ダルグ子爵旗下の部隊である!!間もなくダルグ子爵閣下以下50名の兵がおつきになる!!開門し、出迎えの用意をされたし!!!」
と、威圧感丸出しの台詞を吐く。
「ちょ、少々お待ちを!そのような命令は受けておりません。急に応対しろと結われましても・・・」
騎士の威圧感にビビったのか気だるげだった兵士に勤労精神がよみがえる。しかし、
「・・・・・ほう・・・貴様!我が主君を愚弄する気か!!」
職務に忠実な台詞は騎士の怒りに火に油を注ぐ結果となってしまった。
「ひぃ!・・しょ、少々お待ちください!すぐに上役と相談いたしますので!!」
「閣下はすぐそこまで来ていらっしゃる!さっさとせんか!!」
「は、はい!!」
大慌てで兵士が砦の奥へ消える。
おそらくものの数分であったはずだが、兵士が砦の最上級指揮官を連れて来た時には眼下には50名の屈強な男たちが正規の訓練を受けてきたことを誇るかのように整然と並んでいた。
「・・・・お待たせして申し訳ない。私がこの砦の守将を任されておりますジモンと申します」
そういうときょろきょろとあたりを見回すジモン。
誰が肝心の子爵閣下か分からなかったからだ。
「私がダルグである」
そういって進み出たのは重厚な胸甲をまとったいかにも連戦の勇士といった雰囲気を醸し出している赤髪に緑瞳といういでたちの美丈夫であった。
「それで閣下は一体何用で?」
そうジモンが尋ねるとギロリと先ほど先触れで出ていた騎士を睨みつけた。
「申し訳ございません!まだ、見せておりませんでした!」
そういうと懐から一枚の紙を取り出した。
「これが命令書です。少々、汗でぬれてしまいましたが・・」
「確認させていただきます」
ジモンは少しふやけた命令書に目を通す。
確かに正規の命令書のように見えるそれを読むにつれ、ジモンはだんだんと青ざめて行った。
「か、監察・・・ですか・・」
監察とはこの時代では非常に恐ろしい物であった。
不確かなスパイ疑惑をもたれたが為に更迭された指揮官も数多く、さらにはいわれのない罪で投獄された者も多いと言われる。
「そうだ。最近、後方地帯を暴れまわる神聖ヴェール帝国の輩がいるそうだ。それに備えるために各地で監察を行っている」
どうやら深刻な疑惑や流言があったわけではないらしいと解り、露骨に顔色をよくするジモン。
「はっ!どうぞ心行くまで御検分ください!なにを愚図愚図しとるか!!開門せよ!監察官殿に御不快を与えるな!」
「「「「はっ!!!」」」」
そしてゆっくりと門が開く。そして
「バカモン!!!!」
いきなりの罵声が響いた。
「「「「「!!!!!!!!」」」」」」
一気に緊張感を増した兵士たちに浴びせられる突然の罵声。
「ど、どうなされました、か、かん監察官殿?」
この場の最高権力者であるはずのジモンが滑稽なほどうろたえている。
「分からないのか!貴様!!後方だといっても軍たぞ!!気を緩めてどうするか!!」
「?は?・・・いったい?」
「なぜ無防備に近づくのか!!敵の間諜が紛れているかもしれんのだぞ!!」
「!!はっ!貴様と貴様、俺の傍らから外れるな!」
「「はっ!!」」
「さらに言えば貴様らなんだその槍の持ち方は!基本がなっておらんぞ!!」
「「「はっ!!!」」」
「なんだ?その帯の結び方は!」
「はっ!申し訳ありません!」」
「この調子ではどれほどの不備があるかわからんな!配下にも砦内をくまなく案内してもらうぞ!分かったな!!」
「はっ!もちろんでございます!!すぐに案内申し上げろ!指摘には素直に従うように!」
「「「「「はっ!」」」」」
そして指摘は武具の整備や寝床の乱雑さ、食料庫の清掃など多岐にわたった。
砦内の兵士が右往左往して指摘された点を修正し、昼食をすっぽかし、さらに基礎的な訓練を全体規模で改めて行われ、厳しくも確かな指導に一部の兵士の尊敬さえ得られるほどになった。
そしてその夜、砦にいた500名もの守備兵はことごとく殺され、翌朝にはその砦には神聖ヴェール帝国の軍旗が見せつけるかのように大きく翻っていた。




