皇女領
帝国暦294年6月24日 ヴェール帝国 帝都 宰相府
豪華だが、機能的な部屋で三人の男がある書簡をめぐって頭を悩ましていた。
「ふむ・・・・」
帝国宰相グリューネル伯爵は届けられた書簡に目を置きながら真っ白になった顎髭に手を置きながら眉間の皺を深くしていた。彼はすでに四半世紀も宰相の地位にある大政治家である。そんな彼を悩ますことだ。かなりデリケートな案件に違いない。
「この書簡は事実なのかね?」
そう問いかけたのは国務大臣であるササミ男爵である。40代と大臣にしては若い方だが、この書簡をただ一人、宰相によって見せられたことからいかに優秀であるかが知れる。実は次期宰相の筆頭候補だったりする。
「はっ!事実なようです」
これは国務省直轄の情報分析官である。国務省はいわゆるスパイ網を帝国中に構築した国内最大の諜報組織を持つ。情報を軽視しがちな帝国にあって彼らから上がってくる情報は貴重なものなのだ。
「・・・・そうか・・事実か・・わかった。もう下がってよい」
「はっ」
もうすぐ80に届こうかというグリューネル伯爵はそう言って手に持っていた書簡を机の上に置くと少し遠い目をしながら
「まさかロゼッタ皇女様がな・・・」
その書簡はロゼッタ第三皇女からの直筆の書簡であった。その内容は彼女の軍隊が帝国南部のおよそ5割の地域を制圧、運営していること。
さらに戦線を拡大し、正統帝軍を自称する反乱軍を支援していたオース王国を攻め、同国の西半分を制圧、これによりとうとう大陸の北岸(帝国東部辺境領)から南岸まで達する長大な領土を支配したこと。
さらにそれらの領土をこのまま直轄地とさせてくれるよう依頼するものだった。
「これはやられましたね」
ササミ男爵は苦笑気味に答えた。帝国が侵略戦争を多く仕掛ける理由が貴族の領地が戦争によって増えるということが大きかったりする。なぜなら彼らが占拠した土地は基本的に彼らの領地として認められるからだ。そうやって彼らのモチベーションを上げ、帝国は急速に拡大していったのだ。ところが今回はこの制度を逆手に取られた。この理屈で言うと第三皇女が占拠した土地の所有権は彼女に有ることになってしまう。が、彼女が占拠して土地は反乱軍に制圧されたいたとはいえ元は貴族たちの領地が多数含まれているのだ。今まで大規模な反乱がなかったため、こういった場合の対処の前例がない。つまり実力でもぎ取っても非難する明確な理由がない。むしろ実力で制圧した分、土地の所有権を主張出来てしまうのだ。
だが、素直にこれを飲むわけにもいかないのだ。ロゼッタ皇女の勢力圏は帝国全領土の17%に及ぶ、しかもオース王国の半分も含めると20%を超える。これは帝国直轄領に匹敵する広さだ。これまで最も広大な領地を持つ大貴族でもせいぜい8%、突然、帝国最大勢力が現れたことになるのだ。うかつに是とはいえない。とはいえこれほど大勢力と正面切って対立するのもまずい。一応、彼女らは帝国義勇軍を名乗っているのだ。現に帝国軍とは正面切って対立や戦闘を行っていない。
こうしてなかなか難しいかじ取りをとらされることになった宰相は深くため息をついて椅子に深く腰掛けた。
「全く・・・・最近の姫様方は老体をいたわることを知らん」
そう愚痴がこぼれるのも無理らしからぬことだ。
「ですが、この書簡を無視するわけにもいきますまい・・」
「・・・少しだけ違うの・・・姫様は儂ら文官に味方に付くよう言っておるんじゃよ」
「味方・・・ですか・・いったい何に対してですか?」
「すでにロゼッタ様はエユヨ皇子様の勢力を上回っている。我らの助力は必要としとらんじゃろう・・・とすれば・・・」
「!!まさか」
「おそらくアティナ様と・・・」
「まさか!信じられません。いくら戦力が強化されたといっても帝国軍の半数以下ですよ」
「しかし正規軍は疲弊しておる。それにいざ戦闘が起これば多くの貴族が自領の防衛のため戦線から離脱することになろう」
「ですが、ロゼッタ様も強固な立場とは言い難いでしょう」
確かにロゼッタの義勇軍は諸勢力を糾合した軍で決して一枚岩ではない。
「とはいえ第二騎士団が落とせなかったオース王国軍を破り、その領土の半分を占拠できたのだ」
「・・・・・つまり戦力は騎士団以上だと?」
「帝国軍でも簡単にはかてんだろうの」
「しかし、わざわざ私たちがロゼッタ様に味方する必要はありますまい」
「じゃが、もしロゼッタ様の案を受け入れれば、今後大きく戦線の収縮が可能じゃ」
「!なるほど・・・したたかですな・・とはいえ当面は中立でよいでしょうが・・・とりあえずロゼッタ様の領地を認める方向で調整した方がよいでしょうな」
「まあ、そんなところじゃろう」
こうして帝国の文官組織とは中立状態にもっていくことができたロゼッタはその勢力圏を皇女領と義勇軍はその名を皇女軍と名を改め、ここに帝国最大の私兵組織が誕生した。
帝国暦294年6月28日 帝国皇女領 トレカ 城館
正式に皇女領が承認され、ロゼッタはトレカに城館を構えここを本拠地に定めた。これほど皇女軍が短期間で勢力を拡大できたのは圧倒的情報量のたまものなのである。南部商人ギルドと地方豪族の有力一族ノースロップ一党をかなり初期の段階で仲間に引き入れたことが大きい。有力一族のもっとも影響力のある人物を特定し、彼らが欲している家門や領地の保証、さらにはこのまま反乱勢力でいるデメリットを強調し、さらに自軍の精強さを見せつけるように強硬派の一族を短期間で制圧するなど剛柔織り交ぜた政策を効率よく展開しえ言った。いくつかの、そう機密性の高くはない情報を教えただけと思っていたノースロップ氏などは翌日、降伏や和議に参集した百鬼軍の有力者が集まってくる光景を見て大いに驚いていたものだ。
「宰相府から私たちの提案が認められました。これでこの東部辺境領から南部東半分、オース王国の西半分が私の勢力に収まります」
「けれど、さっそく兵力不足が深刻だよ」
ヒカルの指摘通り、兵力の不足は深刻化しつつある。勢力が広がるにつれ、国境ともいうべき境界線は拡大する一方、特に皇女領は設立の経緯からその勢力は南北に細長く配備するべき警備兵の数も増加する一方だ。
「警備兵以外にも巡視兵や衛兵も不足気味、儂のところの町の衛兵も最低限までけずっている有様じゃ」
有力豪族であるノースロップ氏も兵力の融通に頭を悩ませえいるほどだ。弱小豪族などはどれほどの状態か察するに余りある状況だ。
「もうすぐオース王国との休戦が成立します。まあ、3年間の時限式ですが。それをもってオース王国との戦線は縮小させます。浮いた戦力をそのまま南部西部に回しましょう」
「それと最近、帝国軍と正統帝軍との戦闘が激化しているようだよ。南西部に警備兵を集中させた方がよくないかい?それ以外は町の衛兵と合流させて治安回復と町の防衛力強化に当てた方がいい」
「それで構いません。街道の整備はどうなっていますか?」
ロゼッタの問いにオリゼは答える。
「まあ、順調といっていいでしょう。旧オース王国の港町からトレカまでの街道整備が若干遅れていますが9月までには完成します。すでに商人ギルドの商船は出発していますのでほぼ間をおかず9月後半には物資が集まるはずです」
どこかうれしそうに報告するオリゼは、もし尻尾がついていたなら大きく振り回していただろう。
「喜ばしい限りです。ですが」
そういっていったん言葉を区切るロゼッタ。ぐるりと回りの幹部を見回すと
「これを維持、発展させなければ意味はありません!」
そうなのだ。既に帝国の領土の20%、人口の15%を占めてはいるものの裏を返せばそれだけしか占めていないのだ。帝国そのものを敵に回すにはこれでもまだ弱すぎる。
「確かにね・・まずは治安の回復と東部辺境領の開発、街道の整備、傭兵の新たな募集、やることは山ほどあるよ」
「そうじゃな・・・儂らも若い者を鍛えておくとしよう」
「まあ、街道整備なんかは商人ギルドでも利用価値が高いですので、さらに資金面でのサポートができないか検討してみることにしましょう」
幹部が多くの仕事を思い出したように腰を上げた瞬間
「すまんが緊急事態だ」
静かに乱入してきたのは最近、前線指揮官として頭角を現しつつあるヒエンであった。
「?いったいどうしたんだい?」
「南西部国境砦から狼煙だ。どうやら正統帝軍が国境を越えたらしい」
「「「「!!!!」」」」
それ瞬間全員の息が詰まった。最強と呼び声高い聖十字騎士団が敵に回った瞬間であった。
熱い、忙しい、眠い(笑)
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