第九十七話 全力
鋭い斬撃が一筋の閃光を閃かし、空気を刃が一閃する。揺らぐ事なく綺麗に真っ直ぐ横一線に振り抜かれた刃も、雷轟鬼の前では無意味だった。それは、円自身が疲弊していた所為もあるのだろうが、刃は人差し指一本で受け止められる。
瞬間的に両者の視線が交わり、刹那に円の体が後方へと飛ぶ。それは、雷轟鬼が行ったモノではなく、円自身が行った行動だった。同時に、双剣から二丁拳銃へと変化したエディの銃口から、無数の弾丸が放たれる。
乾いた破裂音――それが、大気を震わせ、銃口から上がる硝煙が緩やかに揺れた。衝撃で地面を転げる円は、二丁拳銃を双剣へと戻し、それを地面に突き刺し勢いを殺す。
だが、円の視線の先には、無傷の雷轟鬼が佇む。表情一つ変えず、真紅の体を揺らし一歩円に近付く。
「エディ。モード大剣」
冷静に叫ぶ円に返答はなく、地面に突き刺さった双剣が一瞬で大剣へと変わる。円の身長を遥かに越える大きさの大剣を振り上げ、口元に笑みを浮かべると同時に右足を踏み込む。
「滴れよ!」
「轟け!」
二つの声が重なる。
「――蓮の葉の雫!」
「――雷鳴一閃!」
乾いた銃声と共に舞い上がる土煙を貫き、蒼い弾道が一直線に雷轟鬼に迫る。それに遅れて、円が雷撃を纏った大剣を振り下ろした。雷鳴が轟き地面を砕きながら雷撃が雷轟鬼へ迫る。
その雷撃が蒼い弾丸と触れ、威力と速度を何倍にも膨れ上がらせ、雷轟鬼へと直撃した。激しい爆音と衝撃が広がり、土煙だけが舞い上がる。広がった衝撃に吹き飛ぶ円は、大剣をすぐさま双剣へと戻し、地面にそれを突き刺した。
残りの体力を全て注いだ一撃に、それなりの手応えを感じた円は、口元に僅かながら笑みを浮かべていた。だが、その笑みもすぐに凍り付く。土煙の中で無傷で立ち尽くす雷轟鬼の姿によって。
「そんな……」
愕然とする円の手から双剣が消え、地面に拳が落ちた。具現化する体力も無くなるほどショックを受けていた。完璧な連携からの一撃ですら、傷を付けられなかったのだから。
「悲観する事は無い。汝の一撃は強力。だが、我に、雷撃は効かぬ」
雷轟鬼がそう口にし、手の平で稲妻を弾けさせる。そんな雷轟鬼の耳に、僅かだが武明の声が聞こえた。
「焼き払え! 炎翼の羽ばたき!」
武明を隠す土煙を貫き、風に煽られた炎の様に雷轟鬼に炎が迫る。だが、その炎を目にした雷轟鬼は、小さく息を吐き、
「我に、その程度の――」
「全てを裂け! 疾風の牙!」
遅れて聞こえたのはまたしても愛の声。その声と同時に雷轟鬼に迫っていた炎に突如渦が生まれ、勢いと火力に更なる力を加える。それからは一瞬。螺旋を描いた炎が地を駆け、雷轟鬼を呑み込んだ。激しい炎が雷轟鬼を包み込む。炎が揺らぎ、雷轟鬼の姿が霞む。
土煙が消え、愛と武明の姿があらわとなる。その姿を炎の中で見据える雷轟鬼が、不適に笑った。その笑みがその場に居た者の体を硬直させる。
「紅蓮は炎……否。紅蓮は血――鮮血なり」
「雷轟鬼。終わらせろ」
「承知」
雷轟鬼の姿が消えた。炎だけを残して。
そして、次に姿を見せたのは、円の前だった。
「なっ!」
「円!」
驚く円。叫ぶ武明。具現化――する余裕も無く、雷轟鬼の声が円の耳に届く。
「人は死をもって愚かさを知る。そして、人は死を知り、無力さを知る」
「逃げ――」
「死を知れ――」
「円!」
雷撃が刃と化し貫く。その胸を。鮮血が迸り、地面に体が崩れ落ちた。
「人とは儚く、愚かだ……」
「グッ……ガハッ」
吐血したのは、晃だった。胸を押さえる左手は自らの血で真っ赤に染まり、吐き出す息は弱々しい。驚く円は、晃の背に手をあて声を掛ける。
「お、桜嵐! お前……」
「グッ……。だいじょ――ぐふっ……」
血を吐いた晃が、すっと体を起す。その右手に煌く細い刃が、静かに風を纏い、腕を侵食していた触手が更に活発に動き出した。刹那に距離を取る雷轟鬼に、口から血を流しながら晃が微笑む。絶望的な状況でも、それを感じさせない晃に自然と戦闘態勢に入る。
『晃、一撃だ。あと一撃が限界だ』
「分かって……る。これで……決着を、着ける」
晃の目が真っ直ぐに雷轟鬼の背後に佇む達樹を睨む。奥歯を噛み締め、深く息を吐く。体は既に限界。この一撃に全てを注ぐ。そんな思いを胸に、晃はゆっくりと右手の刃を構える。
激痛など気にせず、口から静かに息を吐く。意識が刃へと集中し、研ぎ澄まされた神経が全てを鮮明に映し出す。
「行くぞ」
『ああ。これで終わりだ』
腰を落とし、膝を曲げる。その行動に雷轟鬼が身構え、
「汝の強さ、見極める」
「残念だが、お前の相手をするつもりは――無い!」
その言葉と共に晃が駆け出す。晃の動き出しに合わせる様に、雷轟鬼の姿が消える。だが、晃の足は止まらない。それ所か、更に加速し一直線に達樹へと迫る。刹那、背後に現れた雷轟鬼が、その首筋に拳を振り下ろす。だが、拳は残像を貫き地面へと突き刺さった。
「なっ!」
驚く雷轟鬼の視界に晃の背が映る。その背中に左手を伸ばそうとした刹那、晃の体が反転し遅れて右足が雷轟鬼の左頬を蹴り抜いた。
衝撃に雷轟鬼の顔が右に弾け、体が大きく傾く。それを見る事無くすぐに晃は達樹の方へと駆け出す。不適な笑みを浮かべる達樹は、ゆっくりと左手を前に出す。
「忘れたのかい? キミは俺に敗れ――」
「人は常に成長する」
突き出された左腕をすり抜け、晃が達樹の懐へと入った。驚く暇も与えず、細い刃が奈菜を抱える右腕を脇から刃を入れ切断する。
達樹の腕が鮮血を巻きながら吹き飛び、抱えられていた奈菜の体が落ちる。地面に落ちる前に奈菜の体を受け止めた晃は、一瞬だけ視線を達樹の方に向けた。だが、達樹の表情はいつもと変わらない。それ所か、いつも以上に落ち着いている様に見えた。
腕を切断されて悲鳴すら上げない達樹を、不気味に思いすぐにその場を去る。十分に距離を置いてから、奈菜を地面へと下ろした晃は、左手で胸を押さえた。
「はぁ…はぁ……再生…速度が……落ちてる……」
『もう限界みたいだな』
「ああ……」
弱々しく頷いた晃の視界は霞んでいた。
呼吸をする度に大きく揺れる肩。額から流れた血は既に凝血し、黒ずんでいる。膝が悲鳴を上げる様に小刻みに震え、両腕が項垂れ力なく揺れ動く。天を仰ぐ様に空をゆっくりと見上げる晃は、静かに長く息を吐き出した。
数秒の静寂だが、それがとても長く感じる。それ程まで周囲は緊迫していた。
息を呑む彩は、横たわる守の横に座り込んでいた。目の前で繰り広げられる戦いに、腰を抜かしていたのだ。
「どうして……同じ封術師やガーディアンが……」
驚きそう口にした彩に、掠れた声が返答する。
「鬼獣にも……平和を求めるモノが居る様に、封術師やガーディアンの中にも、争いを望むモノが居るんですよ……」
「ま、守! あ、あんた大丈夫?」
「エェ……、割と平気です」
首を二度振り、守がゆっくりと体を起す。体に痛みはあるが、それに耐えながら立ち上がる。胸元で揺れるフロードスクウェアを握り締め、苦しそうに呼吸をする守は、静かにそれを具現化した。