第九十五話 圧倒的
冷たい風が頬を撫でる。
白髪混じりの赤黒い髪が吹き上がる風で静かに逆立つ。キルゲルの柄から奇妙な触手が現れ、晃の右腕を侵食していく。音もなく静かに。
苦痛に奥歯を噛み締める晃は、食い縛った歯の間からゆっくりと息を吐く。
その異変に初めに気付いたのは、達樹だった。そして、口元に笑みを浮かべると同時に、右手のリングに触れる。
「来たれ。雷轟鬼」
ボソリと呟くと同時に雷鳴が空を裂く。静けさが漂い割れた地面が僅かに黒焦げている。黒煙をその身に纏い、額から伸びる一本の角に真紅の体。蒼い瞳が周囲を確認する様にゆっくりと動き出し、裂けた口が不気味な笑みを作り出す。綺麗に整った歯の端に見え隠れする鋭利な牙。
口が静かに開かれ、空気が吸われる。ジジジジッと、蒼い閃光が雷轟鬼の両足を蠢く。
「我、降臨したるは雷火の如し、咆哮は雷鳴の如し、その動きは――」
皆の視界から雷轟鬼が消滅。残された土煙が風で揺らぎ、狼電の背後に音もなく現れ、
「閃光の如し」
「――ッ!」
背後から聞こえた声に驚き振り返る。右足で踏み付けるのは、火野守。左手に抱えるのは皆川奈菜。いつそこに現れたのか、全く分からない程の無音に表情を強張らす一同は、瞬時に交戦に備える。
だが、雷轟鬼は左手に抱えた奈菜を見据え、静かに視線を狼電の方へと向けた。威嚇する狼電は右前足をジリッと前に出し、淡々とした口調で尋ねる。
「何者だ……貴様」
「我、望むは――強者との戦い。汝の力量……見る」
風の音が僅かに聞こえ、雷轟鬼の姿が消える。真剣な表情で周囲を警戒する狼電の嗅覚が何かの臭いを嗅ぎ取り、その場を飛び退く。同時に地面が砕け、雷轟鬼の姿が視界に映った。右拳が地面に減り込み、顔がゆっくりと狼電を追う。
狼電の鋭い眼差しが、雷轟鬼の蒼い瞳と交わる。無表情で見据える雷轟鬼に、狼電は咆哮を吐く。
「ガアアアアッ」
喉から吐き出した咆哮が衝撃波となり、雷轟鬼を襲うが、それを右手の振りだけで相殺し、何の前振りもなくその場から消える。
「クッ!」
咆哮を止め、空中に浮いたまま周囲に気を張る。だが、何処にも雷轟鬼の気配が無い。そして、先程感じた臭いも。と、その時、水嬌の声が響く。
「後ろです!」
「――!」
驚きと同時に、咄嗟にその場から離れる。そのスピードは常人には見えぬスピードだが、雷轟鬼はその動きに反応し、一瞬で狼電との距離を縮め、右足が狼電を地面へと蹴り飛ばした。
衝撃と爆音、爆風が周囲に広がり、砕けた地面が砕石を散乱させた。
空中で佇む雷轟鬼は、狼電の姿を見る事なく、背を向け達樹の方へと足を進める。あの一撃で力量を判断したのだろう。
だが、その足が止まる。瓦礫の崩れる音と、迸る雷撃の音に。
「クッ……ざけるな……」
「駄目です! 狼電!」
水嬌が叫ぶと同時に弾けた稲妻が、雷轟鬼へと向う。だが、それを鼻で笑うと、右手一本で受け止めた。
「威力は上級……だが、その状態ではそれも――半減。汝の力は我に及ばぬ」
「ならば、これでどうじゃ!」
突如背後から聞こえた声に、雷轟鬼が瞬時に反応する。しかし、それより先に重々しい一撃が雷轟鬼の頭部を襲った。
「打撃レベルはそこそこ。属性は土……強敵?」
僅かに首を傾げた雷轟鬼の額から血が流れる。だが、それを気にせず、不意打ちをした燃土の顔を見据える。そして、左手に持った奈菜を――手放した。
「皆川!」
それに瞬時に反応したのは晃だった。落下する奈菜を受け止める為に駆け出すが、それよりも先に達樹がその横を翼を広げ飛び立っていった。そして、奈菜を受け止め、晃を見下す様に視線を向ける。
「カギは頂いたよ」
『チッ! 何してやがんだ! 五大鬼獣が揃いも揃って……』
「仕方ないさ。俺の生み出した鬼獣はそいつ等五大鬼獣よりも強い」
「鬼獣を……生み出した……だと?」
フードを被った二人組みの刀を持った方がそう口にした。その声に、微笑みすぐに言葉を続ける。
「さて、世代交代の時間かな?」
「ふ…ざ……けるなァァァァッ!」
咆哮と同時に爆龍の体を地面へと叩き付けた火猿が、その身に蒼い炎を纏った。
その上空では、一つに纏った巨大な嵐蝶を相手に、風童が楽しげな笑い声を上げる。
「フフフフッ……ハハハハッ! 面白いじゃん。世代交代……上等じゃん。やれるもんならやってみろよ!」
サラサラの金色の髪を逆立て緑の瞳を真っ直ぐに向ける。体を覆うは暴風。鋭く甲高い音を響かせ、飛び交う砕石を切り刻む。それに負けじと、嵐蝶も翼を羽ばたかせ風を生むが、それを吸収し、更に力を蓄える。
爆龍、嵐蝶の無様な姿に、小さく首を振った達樹。そして、何かを言う訳でも無く静かにため息を吐く。
刹那、轟音が響き、地面が揺れた。衝撃は土煙を巻き上げ、その中に蒼い閃光が消えた。何かが砕ける。そんな嫌な音が聞こえ、遅れて悲鳴の様な声が響いた。その場に居た誰もの視線がその悲鳴の元へと向く。
「嘘……だろ」
驚きの声を上げたのは風童。そして、その視線の先には、体を粉々に砕かれた燃土の姿があった。地面が黒く焦げ、陥没している。空中に佇む雷轟鬼は、その燃土を見下し静かに口を開く。
「汝は弱者だ。消えろ」
手の平に雷が集中する。眩い光に、迸る電撃。
『晃!』
「分かった。行くぞ」
『同調率上昇』
触手が更に晃の腕を侵食し、その刃を鋭く大きく変化させていく。風が静まり、キルゲルの刃が僅かに振動する。
『完全同調完了。敵を――破壊する!』
キルゲルのその言葉と共に、晃が両足で地面を蹴る。突風が晃の両足を押し上げ、体が空高く舞う。
「雷轟鬼」
「承知」
宙へと舞った晃に向け左手を差し出すが、突如人差し指と中指の間が裂け血飛沫が舞う。いつ斬られたのか分からぬ程の刃の振りに、雷轟鬼が口を開く。
「迅速の太刀捌き……力量を――」
「貴様の相手は俺だ!」
背後から飛びかかってきたのは狼電。血にまみれ、美しい銀色の毛を揺らし、雷轟鬼の首筋に噛み付き、地上へと引き摺り下ろす。
雷轟鬼が地上へと落ちた事により、二人きりになった晃と達樹の両者が対峙する。小さく息を吐く達樹に対し、表情を変えない晃が静かに切っ先を向けた。
「終わりにしよう」
「それじゃあ、キミが死んでくれるのかい?」
「そうだね……。その場合、貴方も道連れにするけど」
真剣な顔付きで、冗談とも言える言葉を吐く晃に、達樹の顔も真剣に変わる。
静けさの中で向かい会う両者。キルゲルを構える晃は、空中に浮いたままゆっくりと右足を前に出す。
「キミは強い。そのサポートアームズも。でも――」
達樹が右手に生んだ光の刃が宙を裂き、晃に襲い掛かる。しかし、それをキルゲルで一閃し、鋭い眼差しを向け、
「キルゲル!」
と、叫んだ。