第九十一話 幕を引くのは…
黒いドーム状の膜の中で行われる数々の戦い。
ある者は力に目覚め、ある者は命を失った。
多くの血が流れ、多くの物が破壊された。
人々の悲鳴もいつしか消え、爆音と地響きだけがその中で轟き渡る。
そして、全ての事に始まりと終わりがある様に、この戦いも遂に幕を閉じ様としていた。その幕を下ろす役は一人の少年。幕引きの場所は――青桜学園。この現象の始まりの場所。
その場所で、左膝を地に着き額から血流する少年。右手に握られた鍔の無い刀身の細い剣先に、微量の血液が付着し、それがシトシトと地面へ滴れる。白髪混じりの赤黒い髪が風に揺れ、赤みを帯びた瞳が前髪の合間から見え隠れする。
「残念だけど、時間切れだよ」
「クッ!」
少年の視線の先に佇む男の右手がスッと持ち上がり、手の平に光りが満ちる。
『テメェ、考えてる暇はねぇだろ!』
「分かってる。分かってるよ。キルゲル」
少年が呟き立ち上がると、右手に握った剣が風を纏う。土煙を巻き上げ、けたたましい風音を轟かせ、全てを呑み込む様に渦を巻く。少年の髪が逆立ち、衣服が乱れる。
「あれだけの力の差を見せ付けたのに、まだやるのか?」
「僕は諦めが悪いんでね」
『我の邪魔をする者は誰であろうと消す』
「口で何と言おうとも、その体ではまともに戦えまい」
不適な笑みを向け、少年を見据える男は手の平で輝く光を圧縮する。
「君じゃ、俺には勝てない」
『それは、貴様の属性が“光”だからか?』
一瞬驚いた表情を見せたが、男は何食わぬ顔で口を開く。
「知っていたのか。まぁ、流石と言うべきか。でも――」
男の声が途切れ、その背後に一つの人影が浮かぶ。腰まで届く長い髪が揺れ、美しい顔が土煙の中から浮かび上がる。
「み、皆川! な、何で!」
「あの二つは引き合うんだよ」
『クッ! まさか!』
右手の中でキルゲルが声を荒げ、その声に男が楽しげな笑みを浮かべる。状況を理解する少年は、キルゲルを握る手に力を込め、足の指先で力強く地を蹴った。一陣の風が吹きぬけ、刃が男の首筋でピタリと止まる。睨み付ける少年に対し、耳打ちするかの様にか細い声で言葉を告げる。
その声は少年の耳にしか聞こえなかった。言葉が終わる頃、少年の握っていた剣は地面を砕いていた。砕石が舞い上がり、少年の目の前に居た男が空高く舞い上がっていた。その背中に美しい白銀の翼を生やし。金髪の髪が翼を一掻きする度に揺れ、見下す様な目で少年を見据える。
「クフフフッ……。心が乱れているよ」
「黙れ! お前だけは――」
「晃君?」
突然発せられた女性の声。穏やかな声。澄んだ大きな目が真っ直ぐに晃を見据える。状況をまだ理解できていないのか、周囲を見回す。そして、晃の右手に握る剣に気付き、驚いた様に口を押さえ、
「あ、晃君……それ――」
切っ先に僅かに付着する血。それを指差す皆川奈菜は、一歩後退する。瞳孔の開ききった目を見据え、晃は小さく息を吐く。
「ゴメン。今は説明できない。でも――」
『来るぞ!』
キルゲルの言葉で晃が奈菜を突き飛ばす。それと同時に突風が吹きぬけ、晃の体が地上を転げる。土煙が直線を描き、晃の体が土煙の中に隠れた。地上を見下ろす男の手から無数の光の弾丸が土煙の中へと放たれる。爆音が轟々しく鳴り響き、激しく地上が揺れる。
「晃君!」
奈菜がそう叫んだが、その声も爆音へと掻き消された。
閃光が収まり、土煙だけが漂う。静かに口から吐き出される息と共に、疾風が右頬を裂いた。
「クッ!」
『我、望む。貴様の死を!』
土煙の中から低音の声が響き、土煙が一瞬で吹き飛ぶ。赤黒い瞳が男を見据え、禍々しい雰囲気を撒き散らす。
「晃……君?」
いち早く異変に気付いたのは奈菜だったが、それが何なのかは分からなかった。
静かに右足を踏み出し、右手を引き、剣を顔の横に水平に構える。剣を包む風の音が晃の耳元で響き、微かに腰を落としたかと思うと、その場から一瞬で消えた。だが、男はその動きを予測していたのか、右手にいつの間にか眩い光で作られた剣を握っており、突如背後に現れた晃の斬撃を軽く受け止める。
「全く、いい加減にしてくれないか」
晃の剣を弾き、無防備になった腹部に蹴りを見舞う。地上で爆音が響き、土煙の中からもう一度晃が飛び出す。男はその行動を鼻で笑うと、手に持っていた剣を晃へと投げつける。鋭い切っ先を見据える晃は、それを紙一重でかわし、もう一度空に飛ぶ。
「君の行動には飽き飽きだ。来い! 水虎! 馬駆炎!」
空へと投げ出された二枚のカードから召喚された二体の鬼獣。一体は水の体の虎。もう一体は蹄に炎を灯した馬。
地上へと降り立った晃は剣を構え直し、ゆっくりと顔を上げる。その目が見据える先は一点。空中を優雅に舞う一人の男のみ。
「久し振りの外の空気だ」
雄雄しく水虎が言葉を発し、それに馬駆炎が静かに口を開く。
「――状況は……分かった」
「ヘッ……。奴を喰らう。それだけだ!」
水虎が一直線に走り出す。その牙をむき出しにして。だが、その様子をただ見据えるだけの晃は、ゆっくりと歩みを進める。そして、水虎と交錯するその刹那、疾風が吹き抜ける音が聞こえ、水飛沫を巻き上げその体消滅した。
「き、貴様!」
『邪魔だ。消えろ』
晃が右手の剣を一振りすると、疾風が駆け馬駆炎を一瞬で引き裂いた。二枚のカードだけが宙を舞い、静かに地面に落ちる。ゆっくりと視線が上がり、もう一度右手の剣が顔の横に水平に構えられた。
『これで――』
そこで、晃の言葉が止まり、風が収まる。静かに笑う男がその視線を校門の方へと向けた。
「役者が揃ったみたいだ」
『――クッ! こんな時に』
両者の反応はまちまちだった。焦りを見せる晃。余裕の男。
そんな両者の視線を浴び、校門に佇み一つの影がゆっくりと歩みだす。ボサボサの黒髪が揺れ、両手に大剣が握られていた。多少体格が小柄に見えるのは、その手に握られた剣の大きさの所為だろう。
『アイツは――』
「月下神社で見かけた彼――みたいだけど……」
『なら、アイツが原因か』
低く凛々しい声に少年の顔がゆっくりと空へと向けられた。少年の視線に男は穏やかに微笑み、丁寧に会釈する。
「初めまして。火野守君。そして、フロードスクウェア」
『知り合いか?』
「今、初めましてって、言ってたでしょ」
『そうか?』
『てめぇら、何しにきやがった!』
守とフロードスクウェアの会話に突如割り込む怒声。その怒声に会話をやめる守は、右足を一歩前に出し、緩んだ表情から一変し真剣な表情へと変わった。いつもの穏やかさは無く、鋭い眼差しが前方の二人を真っ直ぐに見据える。だが、それもすぐに元に戻る。一人の少女の声により。
「火野君!」
「うおっ! な、なな何でみ、皆川さんが!」
『ば、馬鹿! 動揺してる場合じゃ――』
『邪魔だ。消えろ!』
突然視界に割り込んだ晃の顔。一瞬の事に驚く守とフロードスクウェアに、晃が右足を一歩踏み込み間合いを更に詰め、右手に握られた細身の刃が振り抜かれる。
「クッ!」
『テメェッ!』
咄嗟に身を引き刃をかわしたが、続け様に突きが守の腹部に向って放たれる。反射的にフロードスクウェアの平で刃を受け止めた。澄んだ金属音と僅かに迸る火花。二人の対照的な剣が、一度離れてからもう一度ぶつかり合う。
刃が交錯し火花が散り、晃は素早く距離を取る。足元から土煙が巻き上がり、両者が対照的な剣を構えなおす。
「あ、晃君! やめて!」
晃の背後から響く奈菜の声に、僅かに守が表情を曇らせる。だが、晃は表情一つ変えず、切っ先を守へと突き立てる。
「や、止めてください!」
紙一重で刃を右へとかわすが、その脇腹に晃の左膝が減り込んだ。